夜空から
歌が、空気を震わせる。
それをして、少女は小さく微笑んだ。弱々しい笑みは、寒空のなかで仄かなぬくもりを得たときのように和らいでいたが……じゃらりという音とともにあっという間に曇ってしまった。夜の空気に冷やされた足枷がみじろぎひとつで存在を主張して、ボロを纏う少女をいっそう惨めにした。
この塔へ幽閉されてどれだけの時間が経っただろう、と少女は顔をしかめる。齢は14ほどだろうか。未完成の体躯に、大人になりきれていない膨らみがある。そしてその上に不自然に整えられた長い髪が垂れ落ちている。
少女は短くため息をこぼすと、空を見上げた。
暗幕をかけたような空にはオーロラがかかっていた。ここでは珍しいものではない。かつてこの国の姫君が世を憂いて涙を流してから、ここはオーロラの名所になったのだという。ずっとむかしのことだ。だから少女にとって、それはただの日常の光景ではあった、が……。彼女はそれが好きだった。
より確かな話をするのであれば、そのオーロラは「鳴る」のだ。
不思議な、跳ねるようなきれいな音色を微かに響かせている。誰しもに聴こえるものではないらしい。しかし子供は聴くことがあるとよく言われている。それが今日も聴こえることがうれしくて、悲しくて。だからともに歌を歌う。
少女はそうして暮らしていた。自由を奪われながら。
「おねがい、ずっと鳴っていてね」
返事をするはずもない空へ、小さく呟いた。
「それが無理なら、おねがい。私を助けて」
よりいっそう無理なお願いをした。バカなことを口にしたかもしれない、と苦笑する。けれどそれだけ、この場所は寂しかった。少女にとっては、誰もいない世界の底のような場所だった。
だからこそ、彼女は幻聴だと思った。
『たすけて……』
オーロラが自分の言葉を復唱した、そんな気がしたのだ。
目を丸くして空を見た。あいも変わらない景色に、少しがっかりする。なにかが起きるような、そんな気がしたのだ。そんなことあるはずもないのに。
否、空を切る。なにかがこちらへ向かってくる気がした。
「星……?」
強く目を凝らす。
いつもなら嫌う、天井に備えられた雨露を垂れ流す格子の隙間から、光るなにかが見えた。それははじめ小さかったが、どんどんと大きくなって、そしてこちらへと向かってきていた。
危機感、というものをすっかり鈍らせていた少女は、それを避けなければならないと考えるまでに少し遅れてしまった。
だからこそ彼女は、咄嗟に『歌わざるをえなかった』。
とぷん、と少女の周囲に光の膜が張り巡らされ、彼女の体は宙に浮く。球状の水に包まれるかのように長髪は浮き上がる。彼女の判断は正しかった。直後には天井が瓦礫となって彼女に降り注いだ。光の膜は緩衝材のように瓦礫の勢いをゆるめ、そして少女が手で払い除けられるほどに減速させた。
「なんなの……!?」
目の前の大きな瓦礫を膜の外へと追いやればちょうど、それは降りかかってきた。肩を抱くような様子におさまったそれは、少年の姿をしていた。さらりとした黒髪に、あどけなさの残る頬、目は閉じられていたが、少女が困惑したように手を触れればぱちりと、眠たげに瞼をあげた。
「あなた、誰なの……?」
「ん……? ぼく、死んだんじゃ……」
少女の返答も聞かず、重たそうな眼であたりを認識しようとした……そのときだった。部屋へ飛び込んでくるどたどたという複数の足音に少女は青ざめた。
「いったい何の音だ!」
皆似たような格好をした男たちは天井を見て唖然とし、それから剣を抜いた。少女は体をこわばらせてそちらを見た。
「これは貴女がやったのですか、セレナ様!」
「ご、誤解よ! わたし何もしていないわ!」
「その少年は何者ですか! まさか仲間かなにかの……」
「ちがうったら!」
少女、セレナは弁明するように声をあげる。しかし受け止めたときの姿勢のままもたれかかる少年は、まだぼんやりと周りを眺めているし、抱きしめ合うような姿勢をとっているため少なからず友好的な印象を部外者に与えてしまうのは致し方のないことだったのかもしれない。この場においての部外者は少年の方ではあるのだが……。
こつこつと、男たちの後ろから靴音が響くと、周りの男たちよりも恰幅のいい無骨な雰囲気の男が部屋へ入る。
「まあ……お嬢さんもそう言ってますし。そう声を荒げなさるな」
地を這うような低い声に、少女はごくりと唾を飲み込む。周囲の大人たちも構えていた剣の向け先に少し困ったように狼狽えている。逆らってはならない、そんな雰囲気が場を満たしていた。
「エーゲンさん……わたし、ほんとうに何も……」
「わかっていますよ。お嬢さんがまさか、私たちに楯突こうなんてこと考えてるはずがありませんからね。だから……さあ」
エーゲンは手を差し伸べる。セレネは意図を掴みあぐねて、エーゲンの手と顔を交互に見た。
「その子を、こちらに引き渡してください」
「え……?」
「関係ないんでしょう? なら、お嬢さんの『大事な寝所』を壊し、あまつさえ我々の塔に入り込んだ鼠には色々と、聞かなければいけないことがありますから」
エーゲンは左手で鞘を軽く撫でた。セレネはふと抱えたままの少年を気にする。少年は変わらず、不思議そうに周囲を眺めていた。
本来なら……差し出すのが道理だった。自分は彼らに抵抗する手段は持ち合わせていない。ここから逃げたい気持ちはある、しかし、その態度をとればどんな目に遭うものか……。恐ろしい想像に身震いをする。硬直して返事をし損ねていると、エーゲンは小さくため息をついた。それに反応してか、周囲の男たちがセレネたちをじりじりと囲い始める。
(それでも……助けてほしいと願った)
少女は腕に力を込める。
少年も気が付き、そして初めて少女の顔をみた。
(そして彼は、空からここへやってきた……!)
こめかみを汗が伝う。震える口をぎゅっと一度結び、少女は少年をみた。彼の黒い瞳のなかに、彼女の姿が映っていた。少年は目の前の、白銀色の髪をした少女の、青色の瞳に涙が浮かんでいるのを見た。
「助けて、おねがい……!」
少女の言葉と同時に、ぞくりとするような悪寒が襲う。
エーゲンから伝う冷気のようなそれは、どうやら怒りのようだった。表情を変えないまま、彼はプレッシャーだけをあたりに押し付けているようだった。セレネと周囲の男たちが恐れ呼吸をとめていると、からりとした少年の声が響いた。
「よくわかんないけど、……わかった」