優しい人
その日、クラウスは庁舎の人間を数人引き連れ
教会に居座るエーゴンの立ち退きを迫った
「おーい、居留守使っても無駄だよ
早々に立ち退いてもらえないか
こっちも手荒なことはしたくない」
教会の扉は固く閉ざされ、エーゴンやその他の関係者は一切外へ出てこない
参ったななんてそれ程困った風でもないクラウスが肩をすくめる
「押し入りますか?」
ディオは得物の手斧の柄を握る
「いや、扉を壊すのは簡単だけど
直すのは費用も時間も掛かるでしょう」
他の職員も何かいい案は無いものかと頭を捻るが、いい案は浮かばない
暫く教会の前で職員と一緒に呼び掛けていたクラウス達だが
時間と共に今だに使徒への信仰心を捨て切れない領民達が集まりだし
すっかり取り囲まれてしまう
その様子を教会の窓から見ていたエーゴンは
教会の鐘の塔へ移動し、そこから信者達に声掛けを行った
「皆の者…!魔族に誑かされた国王エドリックの味方をするワピチの領主も矢張り
魔族に誑かされているのだ…!
我々から使徒様を取り上げ
暗黒の時代に戻そうとしている…!
見よ!その男を!魔族のような見た目をしているぞ!!
さあ!今こそ立ち上がり、我々の平和を守る時だ!!」
信者達はエーゴンの言葉に奮い立ち
クラウスを含めた庁舎の職員達を囲んだ
「領主様…如何なさいますか…?」
一緒に来ていた職員の1人が腰の剣の柄に手を伸ばす
「いや、領民は悪くない」
明らかにクラウスの表情が怒っているのを見て
職員の男性は慄いた
「最後通告だエーゴン、此方は今日までに何度も歩み寄る姿勢を見せてきた
今すぐこの教会を明け渡さないなら君を捕らえ、それ相応の処分を下す
この建物は元々、ネフロイトの物で君たち教会に貸し与えてる物だということを忘れるな」
「教会がこの場所を借り受けたのは何百年も前のこと
借りたのは私ではない…!関係ありませんな!
大体、この世界の全てが使徒様の所有物
ネフロイトの物?おこがましいですぞ!」
鼻で笑うエーゴンはふんぞり返っている
領民達に囲まれたクラウス達には何も出来ないとタカを括っているのだろう
「よろしい…そこまで言うなら
此方も相応の手段を取らせてもらう」
クラウスは隣のディオに目配せした
すると、ディオは頷きクラウスを抱え跳んだ
彼の跳躍は人間の何倍も高く
教会のひさしや低い部分の屋根を経てあっという間に一番高い鐘の塔まで登ってきた
「なっ…!ななっ…!?
このっ魔族の手先め!!」
予想して居なかったディオの身体能力にエーゴンは足をもつれさせながら後退りをし、彼を罵倒した
ディオは横抱きしていたクラウスを優しく下ろすと、鋭い視線をエーゴンに向ける
「さあ、ご同行願おうか」
クラウスは微笑んでいるが、その目は笑ってはおらず非常に冷たい視線である
エーゴンは目の下をピクピクと痙攣させ
震えていたかと思えば、懐から素早く“経典”と呼ばれる魔術書を取り出しそのページを破り捨てた
それは所謂スクロールと同じ働きをする
詠唱を挟まず即座に魔法を使用する行為である
下から見守っていた領民達と職員の目に眩い光が届く
閃光がクラウス達に向けて放たれ
それは鐘の塔から真っ直ぐに空に突き抜け消えた
「領主様!!」
職員の絶叫と領民達の歓声が上がる
目の前から跡形もなく消えた2人の姿に
エーゴンは腹の底から笑い声をあげる
「ふふ…ぬはははは!!これぞ使徒様の力!!
私こそがこの地の王に相応しい!!」
目を輝かせたエーゴンは
鐘の塔から身を乗り出して大声を張り上げる
「魔族の手先と誑かされた領主は
使徒様の使いである私、エーゴンが成敗した!!
このワピチは我ら教会の、使徒様の物!!
皆の者、私に続け!従わぬ者は全て異教徒
魔族の手先だ!我らこそが正しい勇者の末裔である!」
わー!!という歓声の中で庁舎の職員達は崩れるように膝をついたが
次の瞬間、その歓声はピタリと止まった
「はい反逆罪♡」
エーゴンの肥え太った腹部から白銀の刀身が突き出していた
「…なっ…ぬぅ…」
振り返ることもままならず、唸り声を上げた彼は
ただ探るようにその切先を握り
自分が今どういう状況に置かれているかを理解した
「おっと、ディオ…君が手を汚す必要はない
これはボクの仕事だ」
エーゴンを貫いた剣を握るクラウスは
その背後から手斧で彼の首を飛ばそうと一歩前に出たディオを止めた
「使徒の威を借り、私腹を肥やす逆賊よ
本来なら裁判にかけて大衆の前に吊るす予定だったが
君は3度ボクの番いを貶めた」
静かにいい、突き刺した剣を右にゆっくりと捻る
「ぐぅっああああっ…!やめっ止めてくれ!」
「使徒様に助けを乞うといい
どうしたんだい?使徒に祈りたまえよ
ほら、早くしないとその無駄を蓄えたお腹に空いた穴が広がっちゃうよ?」
「ゆ、許してくれっ私が悪かっ…悪かった!」
エーゴンは悲鳴をあげながら助けを求めたが彼は止めなかった
剣を一回転させた後、勢いよく抜き去り
刀身に着いた血液を払うように振る
「…やれやれ、血まで脂っこくて嫌になっちゃうな」
エーゴンは腹部を押さえながら
溢れ出る自らの血液の池にゆっくりと横たわった
「掃除は教会の者にさせよう
ボクらの仕事は終わりだ、戻るよディオ」
名前を呼ばれハッとしたディオに
クラウスはいつもの柔和な顔で帰ろうと言った
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庁舎で本日の炊き出しを手伝うディオの
どこか落ち着かない様子に気が付いたのはジェシカだった
彼女はネフロイト庁舎の職員の中で、エマの次に長い人物であり穏やかだが芯の通った中年の女性だ
「どこか具合が悪い?」
そっと周りに聞こえない声で話しかけられディオの目が泳ぐ
「あっ…いえ…大丈夫です…」
「そう?何かあるなら
どうにかなってしまう前に言うの
それは貴方の為でもあるけど、周りの為でもあるわ」
領民達へ食事が行き渡り
ディオも自分の分を貰う、ふと…目の前に
1人で炊き出しを食べるジェシカを見つけて
さっきの言葉を思い出した彼は彼女の元まで歩いて行った
「…あの…」
「空いてるわよ」
了解を得たので隣に腰を下ろす
「…追い出された教会の人達は…どうなっちゃったんでしょうか…」
ディオは湯気がたつ食事に視線を落とし
小さくジェシカに問いかけた
「さあ…ただこの街には居られないわね
エーゴンは安全な建物に自分の仲間だけをそこに置き、助けを求めてきた領民達には使徒の加護を受けるためには献上品が必要と言って貢がせていたようですし」
「…こ、こんなみんな大変な時に…?」
「ええ、こんな時にもですよ」
クラウスとしては、災害を乗り越え
雨風凌げる安全な建物である教会にノロイーストから受け入れた者だけに限らず
被災した乳児とその母達を住まわせるつもりであった
これについて、今日までクラウス自ら足を運び何度も協議をしていた経緯がある
そして、クラウス側はエーゴン達に単に出て行けと言っていた訳でもなく
教会の代わりになる住居も手配していた
エーゴンの率いる教会側がこれを受け入れれば、使徒崇拝については禁止しても
完全にネフロイトから追い出すつもりも無かったのだという
「本来、教会は困った人々を救う場所ですからね…エーゴンが私物化したので
今回はこういう残念な結果になってしまいました」
「…そう…なんですね…」
「腑に落ちませんか?」
「あっ…いえ…そういう訳では…」
腑に落ちないというより
ディオはクラウスが躊躇なくエーゴンを刺し殺したのに驚いていた
ディオの前では優しいばかりのクラウスなので、ああいう姿を想像できなかったというのが正しいだろう
「…殺しは…俺の方が慣れてると思って…
クラウスさんの手を汚させてしまいました…」
「ああ、エーゴンの事ね
貴方に手を出させなかったのは
貴方を守る為だと思いますよ
理由がなんであれ、獣人である貴方が
教会の人間を殺したら…教会側につけ入る隙を与えるようなものでしょう」
「…あ…」
「本当に、あの人は…
気に入った子をとことん甘やかす癖
どうにかならないかしらね」
食事を終えたディオはクラウスがまだ仕事をしている執務室へ足を運んだ
そこでは眼鏡を掛けたクラウスが机に向かって何かの書類を前に難しい顔をしていた
「…クラウスさん」
「んー、ディオどうしたの?」
ぱっと顔を上げた彼はいつも優しいクラウスである
「…何か問題でもありましたか?」
「問題は山積みだねぇ
今日の事をエドリック王に報告したら怒られちゃったよ、ははは!」
エーゴンの方が先にクラウスの命を狙ったので
完全な正統防衛が成立するのだが
この事が思いの外早く、他の使徒信者達に伝わったようで
各地にあった火種が燃え始めたとかないとか…
「ボクが何もしなくったって
過激派は結局何かしら理由をつけて
デモなりなんなり起こすと思うんだけどね
きっかけを与えたっていうのかな
はー面倒臭い…だから宗教は嫌いだよ」
クラウスは眼鏡を外して机に置き、ぐっと背伸びをした
「…帰ろうか、ここじゃ君に抱きつけないし」
「…!そ、そういう事!!
言うのよくないです!!」
「はは、へーきへーき
誰にも聞かれてないから」
クラウスはそんな風に笑いながら帰り支度を始めた
今日、あの時エーゴンを殺さずに捕縛することは簡単だった筈だ
しかし、おそらく獣人である自分の名誉のために人を殺した目の前の最愛の人
そんな彼の愛情に報いらなければと、ディオは強く心に誓うのだ




