潜在的な願望
秋風に秋特有の花の香りが乗り
頬を冷たい風が撫でていく
クラウスは小さく寒っと独り言を漏らし、風から身を守るように腕組みをした
これからの時期ネフロイトでは、スノームースの辛く厳しい冬を乗り越えるための準備が始まる
秋の収穫で採れた果物や野菜を保存食へと加工したり、冬場の為の薪を確保する為に森へ出かけたりと
とにかく領民達は忙しくなる時期である
逆に冬になってしまえば
一部の特殊な作物や温室を除いて、殆どの畑が機能しなくなるので
それまでの辛抱といえばそうなのだが…
庁舎は冬場だからと言って休みになるようなことはない
むしろ、場合によっては冬場に生活が立ち行かなくなってしまった人々への支援など
重要な仕事をしなくてはならないので
運営を続けるための準備に追われていた
薪集めは大体がベルタとゴーレム、男性職員達で毎年倉庫5つ分貯め込む
ネフロイトの南側にはイスパの森と呼ばれる大変豊かな密林があるので
ここで管理の一環として毎年木を切り出していくのだ
更にロベルトが率いる、戦闘可能な職員達は
厳しい冬の間に食料を求め凶暴かつ活性化する魔物への対策と、食肉の確保へと立ち回り
その他の職員達は、通常業務に農家への手伝いが加わるのだ
ホルツマン邸の冬支度はエドアルドを筆頭に使用人達に任せてあったが
それとは別に、ネフロイトの木こりから冬を越せるだけの薪を買い付け
それらを庭の離れへと運ばせた
クラウスが少し前にレティシアと離婚し彼女達がこの建物から引っ越して行ったのを知っている木こりは
少し不思議そうにはしたものの
言われた通りに一冬分の薪を運びこんだ
同じように食料なども手配する
その日の庁舎の業務を終えたクラウスが帰る頃には既に日は暮れており
気温も日中よりも寒くなってくる
秋の中盤とはいえ、この頃のスノームースの気温は10度を下回ることもザラにある
ワピチは盆地であるため、積雪は少ないが
代わりに乾燥し他領よりも寒くなりがちだ
「うぅん、もうマフラーや手袋が必要だな」
クラウスは息を吹きかけ擦った手を握りポケットへしまい、足早に自宅を目指した
自宅へ辿り着くと先ず邸宅の方へ入り
娘達や使用人に帰宅を知らせ
彼はシェフが用意した料理をバスケットに入れ、再び外へと出た
目指すのは庭を少し歩いたところにある、あの離れの家である
かじかむ手で鍵を開け、中へ「ただいま」と声をかけながら入る
「クラウスさん!おかえりなさい!」
部屋から飛び出して来たのはディオだ
彼は犬のようにクラウスの元に駆け寄ると
彼を抱きしめ、愛おしそうに頬擦りをした
「変な感じだ、君の方が温かいなんて」
「部屋を暖めておきましたから」
シェフから預かった料理をディオに渡し、クラウスは着ていたコートを玄関のハンガーラックに掛けた
「どう?変わりはないかな?」
「はい、特には…まだ時間掛かりますよ
気長にのんびり待ってて大丈夫です」
食卓に預かった料理を並べながらクラウスの質問に返すディオは
困ったような笑いを浮かべている
「んー…ほら、普通は産まれるまで気を遣うものでしょう?」
「ふふ、あの子も多分人間じゃないですから」
「君の方はもういいの?」
「全く痛くない訳じゃないですけど
生活に支障はないし、大丈夫ですね」
笑顔で言いながらディオの座る椅子には、お尻を労わる円座クッションが置かれている
「…ちょっと見て来ていい?」
「あはは…!朝と何も変わらないですって」
先に食べてていいからと
クラウスはディオに言い、寝室の方へ小走り駆けていく
そして、そっと扉を開き中の様子を伺いながら、室内灯が消されて薄暗い室内に入って行った
キングサイズのベッドの横にヒヨコ電球で照らされたベビーベッドが置いてある
その柵の中で湿ったタオルや毛布、布団に埋もれるようにラグビーボールよりも二回りくらい小さな楕円形の卵が一つ置いてあった
「…君はいつ生まれてきてくれるんでちゅか〜?」
卵を眺めながら赤ちゃん言葉でニコニコ話しかけるクラウスはそっと卵の表面を撫でる
鳥の卵とは異なり、殻は硬くはない
柔らかくサラリとした膜のようである
「クラウスさん、ご飯冷めちゃいます」
「ああ、うん」
「クラウスさん」
「…先に食べてていいよ?」
「クラウスさん!!」
叫びにも似たディオの呼び掛けに
クラウスは目を見開いた
眼前には平常心を欠いたディオの顔があり
更に彼の奥にはエマやベルタ、エドアルドなど…沢山の人の姿がある
状況が飲み込めないクラウスは酷く困惑した様子で、え?え?と身体を起こし辺りを見渡した
「な、え…?これはどういうこと?」
「クラウスさん…!ああっ良かった…!!」
ディオはクラウスの手を握り泣き出してしまった
「えぇ…どうしたの!?」
「ホルホルぅ、あなたったらぁ10日も眠ったままだったのよぉ」
・
・
・
もうクラウスは大丈夫だと分かったベルタを含む庁舎の職員や使用人達は部屋を出ていきエマとディオが残った
そして、一体何が起こっていたのかを知ることになる
「ディオちゃんが持ち帰ってぇ、温室で育てた植物の果実を食べたのねぇ」
時はクラウスが長い眠りに着く前の夜
庭師から植物の話を聞きき、果実を数個回収して邸宅に戻った彼は
予期せぬ人物からの突然の手紙に、持っていたソレを棚に開き忘れてしまった
しかも、間の悪いことに
クラウスが置き忘れたソレをテレーゼが見つけてしまう
「テレーゼちゃんったらぁ
最近お菓子を作るのにハマってるんですってぇ…
それで見つけた果物でパウンドケーキを作っちゃったのねぇ」
「ああっ!!夕食の後にあの子が持ってきた…!」
彼女が持ってきたパウンドケーキを、何の疑いも持たずに食べたクラウスやコリーン、使用人達は
抗いがたい眠気に襲われ、全員ベッドに移動しそのまま眠り続けることになったのだ
「あなただけポーションの効きが悪くてねぇ…
起こすのに時間が掛かっちゃったわぁ」
そして今日、改良を重ね完成させたポーションを使用したところ
2分に1回はしていた呼吸が、完全に無呼吸状態になってしまい
堪らずディオはクラウスの名前を叫んでいたという事だった
「そうだったの…ディオ、おいで」
目を赤くしたディオはクラウスを見上げたが
「えっと…」と困ったように言い淀んだ
「まぁ!お邪魔よねぇ!!
ごめんなさぁい、“アレ”については
また明日にでもゆっくり話しましょぉ!」
エマはそう言うと部屋を出て行ってしまった
「…ディオ」
ディオは部屋の扉の方を気にしながら
クラウスに近づいて来て、彼の差し出した手のひらに頬を寄せた
「…クラウスさんの手…さっきまで
…冷たかったんですよ…」
「えぇ、それって本当?」
クラウスとしては、普通に一晩寝たくらいの感覚であるのだ
すると、ディオは両手で持っていた物をクラウスに差し出し
クラウスはそれを見て、ひぇっ!と声を上げた
そう…尻尾である
ディオの尻尾は再び自切してしまっていた
「ご、ごめんね…心配かけて…」
「大丈夫です…結果的に貴方が無事なら」
そういいディオはクラウスを抱きしめた
「…君が暖かく感じるよ」
「クラウスさんが冷たいんです」
不意にクラウスの脳裏に
ほんの少し前に見ていた夢の中の彼が思い起こさられた
「ディオ…君って卵を産んだりしないよね?」
急にそんな事を言われ面食らったディオだが、おかしそうに笑った
「はははっ何言ってるんですか!
俺は男ですよ!確かめたじゃないですか!」
「そ、そうだよね…!
本当何言ってるんだろうな!」
とんでもない夢を見てしまったと
クラウスは恥ずかしさのあまり手で顔を覆うのだった




