倫理観の壁
外交団達の交流が始まって早1ヶ月
基本的にチュウグと行動を共にしていたクラウスはその日
ベルタも誘って夜ご飯に行こうと思い立ち、書庫へと立ち寄った
「今日のディナーは決まってる?」
扉をノックして開けると、ベルタはまだですと返事を返し
手に持っていた本を机に置いた
「さっき魚料理の話をしてたんです」
「え?魚?誰と?」
クイックが本棚の影から急に顔を出してきてクラウスは思わずひぅっと変な声を上げた
結局、クラウスはベルタ、チュウグ、クイックの3人を連れ
魚が美味しいお店へ来た
お店の名前は“キッチンシュトラント”
「ここの白身魚のムニエル美味しいですよ」
「ムニエル…?」
ネフロイトは土地柄、魚はメインの食材にはあまり上がらないが
この店はいつでも新鮮な魚料理を提供することで、一定のファンがいた
「君たち、いつの間に仲良くなったの?」
ベルタがクイックに、メニューを見せながら
これがどう美味しいとか細かく教えているのを見てクラウスは聞いた
「書庫に、人間から見た我々の本があると聞いて足繁く通っていたら
…ほら、このお嬢さんいつもいるだろう?」
「いえいえ、住んでませんって
スケイルメイトの本を代わりに読ませてもらってるんです
彼らの文字は難解で時間かかりますけど
そういう、クラウスさんだって
チュウグさんといつも一緒じゃないですか」
「領主様の側にいると色々な人間と知り合えますからな!」
「と言うことらしいよ」
なははとチュウグは大きな口を開いて笑う
「…最近ディオさんと一緒に居ないのは飽きちゃったんだと思ってた」
ベルタがちょっとした意地悪のつもりでクラウスに言うと彼は渋い顔をする
「ディオはさ、忙しいから
魔女狩もそうだけど、彼にも外交団の人を預けているでしょ?」
「ヴァリーとディオ殿は邸宅にいる時も常に一緒にいますなぁ
矢張り、同族同種同士通ずるところがあるのでしょう」
チュウグは運ばれてきたアクアパッツァの丸の白身魚を、フォークで刺し一口で全て食べようとして失敗する
「え、あの2人そんなずっと一緒にいるの?」
実はあの2人がレストランで、とても楽しそうに食事をしている様子をダイアンが見ており
ショックを受けた彼女が、ウォッカの瓶片手にくだまきながら
つらつらとクラウスにその事を話していた
「スケイルメイトの民が知ったら、みんな羨ましがるな」
クイックはムニエルを目の前に首を傾げるので
ベルタはナイフとフォークで食べ方を教えてあげる
「ヴァリーはスケイルメイトで現リーダーのノーブル様の近衛兵でしてね
戦闘のセンスは一級品、更にあの美貌
気立ても良く独身なので婚姻を申し込む男が絶えないのですよ」
「そう考えると、もしやのもしやがあるかも知れないな!
異性にあんな風に笑うヴァリーは初めて見る
同種で番えるというのは、大変素晴らしい事だ!!」
チュウグとクイックはお祝いは何にしようなどと先走ったことまで言い出す
「そっか、おじさんも
若い2人を応援しなきゃだな〜」
目の前のカルパッチョに視線を落とし、フォークで突くクラウスをベルタはじっと見つめた
その後は農作物や、互いの国の文献の話で大層盛り上がり
明日は、ベルタの農耕ゴーレム整備を見せてもらうという話になって解散となった
ディオの邸宅に戻っていく2人を見送った後
「もう遅いし、家まで送ろうか」
とクラウスはベルタに言い歩き出す
「久しぶりに魚を食べたなぁ
ソフィの所に行くと、色々出してくれるんだけど
うちは山に囲まれた海なし領だからねぇ」
お腹いっぱいになった?
と聞かれベルタは足りないと答える
「てか、結局ホルツマンさんもカルパッチョしか食べてないでしょ?
あれって前菜ですよ?
少食なのは知ってますけど、少なすぎですって」
お喋りをしながら、もうすっかり暗くなった果樹園の間の道を行き
閑静な住宅街へと差し掛かる
ここのアパートの一室にベルタは居を構えている
煉瓦造りのアパートの玄関先まで来て、それじゃあまた明日と
帰ろうとしたクラウスの服の裾をベルタは掴んだ
「ん?伸びちゃうよ、離してくれない?」
「せっかくここまで来たんだから寄ってって下さい
お茶くらい出しますから」
「ええっ…この時間に女の子の1人暮らしの部屋に入るのは流石に世間体が…
ボクこれでも男だし」
「はあ、ホルツマンさん…私から上がってかないかって言ってるんです
それに、今更じゃないですか?」
「うーん、そう言われるとね」
ベルタの部屋は1RDKのそう広くもない部屋
ダイニングキッチンの適当な椅子に座るように促された
良くないとは思いつつも、部屋を見渡す
良くも悪くも彼女らしく、あちこちに本が溢れていて
ゴーレムの図案と思われる紙が山のように積まれていた
そんな中にも、所々
可愛い小物やクッション、人形が置かれており
女の子らしさもちゃんとある
「これはすごい、本棚に収まりきらなくて
床に平積みされてるじゃない
よく床抜けないね…
というか、もっと大きな部屋を借りたら?」
「私、ここの他にアトリエとして大きな倉庫を借りてるの忘れました?
あ、少し時間いただくので
気になる本あったら読んでていいですよ」
そんな風に言われるので、クラウスは立ち上がり取り敢えず手近な本を手に取る
「…魔術書読んでもな」
ダイニングテーブル近くに平積みされている本は魔術書ばかりのようで
クラウスは本棚の方へ手を伸ばす
「小説があるな」
並んでいるものを一つ手に取り、そのあらすじを読んでみる
それは失恋の話のようだった
そういう気分ではないので、棚に戻そうと思った時
更に奥に本が置かれているのに気が付く
不思議に思い、そっと抜き取りその題名に目を剥いた
“年上男性の落とし方”
クラウスは見なかったことにして、素早く本を奥へと戻す
他にも奥に何冊か見えたが、闇を覗いた気分になった彼は席に戻った
キッチンで何かガチャガチャやってるベルタをチラッと見て
(あれ?これ危険なのはボクの方か?)
などと変に勘繰ってしまう
しばらくして、ベルタはクラウスの前に大皿をドンっと置く
「はい!ベルタ特製“もりもりサンドイッチ”召し上がれ!」
贅沢にバゲット一本を使用し、間には山のような野菜とハムが挟まれ
なんなら挟みすぎて溢れている
「わぁ…見ただけで吐きそう」
「は?それどういう意味?
私の作る料理は不味そうってか?」
「違う…違うよ、お腹いっぱいなんだってば
大体、君はお茶を出すって言ったよね」
「あんなカルパッチョで?
…いいから、食べて下さい
本当に美味しいから、後悔させないから」
クラウスは顔を顰めながら、サンドイッチを持ってみる
そして、正面を見て、横から見て皿に置いた
「ナイフとフォークもらえる?」
「…もう、こうやって食べるんですよ!」
ちゃっかり自分の分も用意していたベルタは
目の前のサンドイッチをグーで叩き潰し
ぺたんこにしてから大きな口でかぶりついた
この行為にクラウスは開いた口が塞がらない
「…いやー無理無理」
結局、文句を垂れるベルタを押し切り
半分に切った後、かなり具の量を減らしたサンドイッチをやっと一口食べることが出来た
「あ、本当だ…味はいいね
このソース好きだな」
「ふふん!そのソースは私の自家製です!」
機嫌を直した彼女は、クラウスが食べられないと半分にした残りの方も叩き潰し食べ始める
「…初めて会った時は、こんな子だとは思わなかったなぁ」
「私に何を求めてたんですか…」
「いや、何も?ただ、ほら…ね?」
ベルタと知り合ったのは割と最近のことである
彼女がネフロイトに来たのは3年前
ノロイーストの領主、ソフィからの紹介だった
「あなた、優秀な魔術師を捜していたでしょう?」
そう声を掛けて来たソフィは、王に魔術師の女の子を預けられたが
手に余るのでそちらで引き取ってくれないかと彼に相談してきたのだ
「エルカトルの若い貴族に滅茶苦茶にされてしまったらしくて
使い物になるかは分からないけど
師はあのバイロンよ
私の所はほら…意欲の高い女性が多いから、この子には合わないと思うのよ」
女性として同情はするけど、そんなの良くあることなのに
と言うソフィにモヤっとしたクラウスはベルタのことを引き受けた
出会った頃の彼女といえば、人と目を合わさず
若い男に怯えて部屋に引きこもってしまう、そんな女性であった
一年かけて、エマ達が心のケアをしたことで何とか魔術師として再起し今に至るのだ
「初めはボクのことも怖がってたでしょ?
それが男を家にあげられるようになるなんて」
「ホルツマンさんだけですよ
他の男の人は絶対家にあげません
…あなたは特別
私を若い女じゃなくて、ちゃんと魔術師として雇ってくれてるし」
あ、とクラウスは自分の口を手で押さえた
これは変な流れにしてしまったなと
自分の発言に後悔したが、もう遅い
「ホルツマンさん、私…」
なんと言って断ろう、どうすれば職場で気まずくならないだろうか
そんな事が頭の中をグルグルと回った
「ぷるぷるノームアイス食べたいです」
「…ん?」
「アイスだけじゃない、食べたい物がすごく沢山溜まってるんです
はっきり言います、ディオさんに妬いてました
あの人ばっかり贔屓しないで…
前みたいに私もご飯連れてって」
「…あぁ、うんそうだよね、ごめんね」
クラウスが自宅に向かって歩いていくのを窓から見下ろし見送ったベルタは
はぁ…と特大のため息を吐いて
本だらけのベッドの上に倒れ込む
「言える訳ない、言える訳ないじゃん…」
脈がないのは分かっている
彼女自身の倫理観としても、既婚の彼と不倫の道など歩みたくはない
「あーあ…あの人、さっさと結婚してワピチから出てってくれたらいいのに…」
ベルタは呪うような気持ちで唱えた




