episode Ⅴ~17
「ごめんね、こんな遅い時間に・・・」
携帯の向こうから彼女の声。
今日も そしてつい最近も聞いた声のはずなのに・・・その声が遠く感じる。
「大丈夫なの? こんな時間に・・・」
「うん・・・」
「奈緒・・・お前さぁ・・・」
深夜にかけた電話。 旦那さんが傍にいれば当然通じるはずの無い電話。 そしてそのいない理由を話さない奈緒。
大丈夫なわけなどがない。
「折れそうだよ・・・お前の声・・・」
今にも音を立てて崩れそうな静寂が携帯に流れる。
「今 この電話をする前にさ・・・悪い・・・。
静香に電話して・・・この前のこと、旦那さんとの事 聞いたよ」
彼女からのメールが届いてすぐに 僕は 駅を降りてマンションまでの帰り道に静香に電話をしていた。
『奈緒ねぇ・・・旦那さんと喧嘩になったんだって。
旦那さんが予定を早めてあの日 帰ってたでしょ。
奈緒はずっと携帯の電源切ったままでさぁ。
旦那さんからはあたしに電話あるし。
奈緒とは連絡取れなかったし・・・。
結局怪しまれちゃって喧嘩になったって・・・。
ごめんね、あたしのせいで』
予感は的中だった。
静香のせいなんかじゃない。 悪いのは・・・僕だ。
『旦那さんは レイジくんのこと ウスウス感ずいてたみたいだよ。
奈緒には今回の件、レイジくんには言うな って言われたけど・・・。
それでね、奈緒 旦那さんに問い詰められて・・・
それで酷く 旦那さんのほうから一方的に口論になったらしく・・・。
奈緒 泣いてた。
レイジくん、どうすんの?』
「奈緒・・・もう 嘘は付かなくていいよ。
お前が苦しんでいるのは お前のせいなんかじゃない。
オレのせいだ、既婚者であるお前の状況も考えずにいたんだ。
結局オレは自分のことしか考えてなくて行動しちゃったからさ。
ソコに引きずりこんでしまった・・・相手・・・オレが悪いんだ。」
ともかく今は 何かを奈緒に伝えたい。
自分でも良くわからないが 今はただ正直に自分の気持ちを話す以外に無い。
「ふたりの生活があって・・・奈緒が苦しんでるならさぁ・・・」
「あのね・・・」
迷いながら話している僕に 優しい・・・本当に優しい声で奈緒が話しかける。
「あたしね・・・
ニューヨークにいた頃・・・ あたしがまだ小さかった時にね、
あたしの人生の中で一生大切な人と出逢ったの」
「なんだよ、急に・・・。
全然関係の無い話かよ・・・オレはお前のこと心配してんだぜ」
「いいの・・・聞いて」
その声が とても優しい。
「とっても大切な人で あたしの初恋の相手だったんだよ その人。
その人のことは一生忘れることの無い出会いだったなぁ。
あたしはまだ小さくて 幼くて、 ニューヨークという街にも慣れなくて・・・。
その人と出会う前は いっつもさぁ・・・ひとりぼっちだったんだぁ。
誰も知っている人もいなくて 英語もまだちゃんと話せなくて」
ニューヨークの街でひとり佇む奈緒の姿が見える。
「日本に帰りたいと何度も思ったし、帰れないんだったら死にたいとも思ったよ。
こんな場所に連れてきたお父さんやお母さんを恨んだし。
学校ではいじめられるしね」
ニューヨーク・・・僕のイメージするのは真冬のマンハッタン。
風が刺すように痛い街。
「でもその人に出会えて あたしね、ニューヨークに移住して 初めて生きようと思った。
どんなに辛くても 自分らしさ を忘れずに
前に進むことが本当の強さなんだよ って、
その人は言葉じゃなくて生き方で教えてくれたの。
その時 あたしは本当にその人のように強く生きたい!
どんな時でも自分らしくありたい! って思った。
同時に あたしはその人に恋をしたの。
でもね・・・その人はある日 あたしの前からいなくなった。
『強く生きて』と言い残してね。
その後のあたしは、前にも話したと思うけど
結局その人との約束を果たすことができなかったなぁ。
そのうちに 逃げ方だけをさぁ 要領よく覚えちゃって、どうしようもないよねぇ」
人はひとりでなんか生きられない。
どんなに強くても誰かがいて 支えあって生きていけるんだよ 奈緒。
「レイと出逢ってね、レイの正直な生き方がとっても大好きで・・・。
そのニューヨークで出会った人との頃を、
その時の 自分に正直に生きたいと思った時のことを感じた。
何度も失敗して、何度も逃げてきて・・・。
だから今は・・・レイと出会って レイのあたしに対する気持ちを知って
あたしも自分の気持ちに気付いた今は もう自分の気持ちから逃げたくない。
正直に生きてみたい」
意思。 言葉にその強さが感じられた。
「うん・・・わかるよ」
「旦那とはこれから沢山のことを話し合わなきゃいけないと思う。
勿論 レイともね。
あたしがどんなに強くレイのことを思ったって、
レイが本気じゃなきゃ レイに迷惑かけちゃうし あたしも傷つくと思う。
そして旦那は・・・
とってもプライドの高い人だから もっと傷つくと思う」
「ああ・・」
「これから先のレイとの関係も未来のことだからホントは何もわからないの。
旦那と本当に別れることができるかも 今はわからない。
愛は無いけど 情があるのは確かだもん。
でも ちゃんと向き合って レイとあたしの未来を一歩ずつ前に進んでみたい」
強さの中に繊細な脆さもある。 でも 奈緒は前に進もうとしている。
「あたし・・・もう逃げないんだ。
だから レイも逃げないで。
あたしを本当に好きなら あたしだけを見て、今のあたしを受け止めて。
旦那のことは考えないで。
結婚していることも考えないで。
レイの正直な気持ちをいつでも見せて欲しいの。
じゃなきゃ あたしが壊れそうになるから」
とても柔らかな声。 しかし芯はとても強い。
自分に正直に生きる。 それが彼女の見出した答えなんだ。
まるで、“ あの頃・・・20代の頃の自分 ”がそうであったように。
「・・・わかった。
それがお前が出した答えなら。
でも・・・」
「でも?」
「オレはきっと旦那さんのことや 第一にお前のことを考えるよ。
それに・・・」
「それに?」
「いずれ 先にオレがお前に振られるかもしれないしなぁ」
おどけてみせる。
「あ、それは有りかもね。
レイが余程酷い事をあたしにしたら だけどね」
今日初めて奈緒が笑った。 ふたりは笑いあう。
「ねぇ、レイ・・・」
「なに・・・?」
「今日のレイが聞きたいことの答えになってなかったかもしれないけれど・・・」
「だから なに・・・??」
「この前ふたりで過ごした時間はあたし ずっと忘れないよ。
手を繋いで ふたりの時間を繋ぎあったことも、
ふたりで歩いた街も、そして 笑い合えたことも。
ふたりで居る時に何の不安も戸惑いも無かった。
何があってもレイはあたしにとって一生忘れない、大切な人」
「アハハ、そうお前が思ってたことも知ってたよ。
お前がどんなにオレを思ってるか ね」
「馬ぁ~鹿!」
いつもの奈緒の声。
離れた距離が縮まる思いがした。
「レイ。
あたしね レイのために生まれてきたんだって思ってる。
大好きだよ」
その後 おやすみを言い、電話を切った後 僕はシャワーを浴びた。
奈緒は 今 本当は辛いだろう。 彼女を苦しめているのは間違いなく僕だ。
しかし、僕はもう後戻りするつもりは無い。
彼女を失いたくない。 それが今の僕の答えだ。
奈緒が苦しむなら 僕も共に苦しもう。
ふと 奈緒が電話で話していたことを思い出していた。
ニューヨークかぁ・・・。
小さかった頃の奈緒かぁ・・・どんな女の子だったんだろう?
そして きっと無邪気で愛くるしかったに違いなかった彼女の人生に現れた大切な人かぁ。
初恋の人って言ってったって・・・。
・・・
まてよ?・・・いや・・・まさか・・・。
ふと あの頃のニューヨークの、あの少女のことが思い浮かんだ。
いや・・・ありえない。 こんな偶然なんかが あるわけが無い。
でも・・・。
なっちゃん!?・・・奈緒が・・・まさか・・・。
直感的に思い出されたあの頃が鮮明に蘇ってくる。
奈緒は なっちゃんなのか??
いや・・・そんなはずは・・・でも・・・あの頃のなっちゃんの年齢を思い出せ!
記憶が定かではない。 しかし・・・あの頃のなっちゃんの年齢が13・4歳だとして、年月を重ねていたとしたら・・・おそらく今の奈緒の年齢と相当近いかもしれない。
でもかりに奈緒があの少女だとしても・・・今の奈緒はあまりにも綺麗過ぎる。
あの頃の、なっちゃんなら 可愛くなっているはずだろう。
そうだ・・・あの頃の写真・・・あの頃の写真なんて僕には一枚も無い。 写真は撮ったが全てあの日本人の家族のカメラだったり あの頃のあの友人だった外人のカメラだった。 僕に残されてる写真といえばあのニューヨークでのライブの時の写真だけだ。
あの時の写真は?
マサ!・・・そうだ、マサが持ってるはずだ。 それに! 確かあのライブの後 あの日本人家族や友人だった外人とも一緒に写真を撮ったものがあったはずだ!
にしても・・・あの頃のなっちゃんの顔の記憶が不鮮明だった。
奈緒がなっちゃん・・・いや・・・信じられない・・・。
本当にまだ幼かった 無邪気で素直な少女・・・。
しかし・・・仮に奈緒が『なっちゃん』だとしたら 彼女のほうから再会できた時に言うはずだろうし。
いや・・・それ以前に こんな偶然などあるのだろうか?
どんなに記憶を辿ってみても どうも不鮮明でしかない。
まぁ いいさ。 今度 マサにあの頃の写真がまだあるか確かめてみよう。
マサとは今度のライブの打ち合せで今週末に会うことになっているし。
『今日は ビジネスホテルにでも泊まるよ・・・。
とても帰る気になんかなれないよ・・・少し時間と距離を置かせてくれないか?』
啓吾は、仕事中に『今日は帰らない』とメールを送ってきた。
広い部屋。 こんなにもレイのことを好きなのに・・・啓吾がいない部屋にいて今 自分がしている事の重さに気付く。
涙が溢れてきた。
やっと出会えた人なのに。
ただ レイを愛しているだけなのに。
あたしは 啓吾を苦しめている。
結局あたしはあたしのわがままで啓吾を振り回してるんだ。
レイのように強く生きたい・・・自分の心に嘘をつきたくないだけなのに・・・。
なぜ いつも誰かを傷つけてしまう・・・。
そう思うと ただ 涙が溢れてくる。
それでも泣きながらあたしは決めていた。
啓吾と・・・向き合おう。
そして レイとも向き合おう。




