episode Ⅴ~16
夕べは結局 奈緒に連絡は付かなかった。 出張に出ていた旦那の、その帰宅予定時刻よりも早くに帰っていることなど夢にも思わず、また静香からの連絡を受けることも無く彼女は携帯の電源を落としたままに自宅に到着し、居るはずの無い彼を目の前にして驚いたに違いないだろうし、・・・『何か』があったに違いない。 彼女が出社してきたら、さり気なく聞いてみるつもりだった。 しかし彼女の出社を待ち受けるはずで1時間前に出社した僕よりも先に、社内には彼女の姿があった。
「おはよう」
社内には まだ僕と奈緒のふたりだけだった。 声をかけながら彼女の表情を見た。
「おはよう。
レイ、どうしたの? こんなに早くに出社なんて。 驚いたぁ・・・」
彼女のその表情はいつもと変わらないような気がした。
「お前さぁ・・・そんなことよりも・・・。
夕べは大丈夫だったのかよ?
オレもお前と居るあいだ ずっと携帯の電源を切ってたからマズかったけど、
お前も携帯の電源 切ってたんだろ? しかもずっと・・・。
台場で別れてすぐに静香から連絡もらって折り返したんだけど・・・」
「あ、なぁ~んだ、そのことね」
笑顔で話している奈緒。
「『なぁ~んだ』って・・・。 お前さぁ・・・」
「全然大丈夫。 上手く立ち回ったから」
陽気にVサインまで出して笑顔の奈緒。
「上手く って・・・。 そんなわけ・・・」
「おはよう!」 静香が、他の何名かの社員と共に出社してきた。
そうだった・・・。 今日は週明けで 早く出社してくる人間が多いのだ。
僕と奈緒の話は中断せざるをえなかった。 静香がすれ違いざまに僕に話しかける。
「昨日の件の話の最中だった?」
「あ・・・ああ・・・。 でもほとんど話せてないよ」
「だったら あたしに任せて」
そう言うとディスクに付くなり静香は奈緒に話しかける。
「奈緒、おはよう。 ちょっといい?」
ふたりはオフィスをあとにした。
僕は 仕方なくディスクの上のパソコンの電源を入れ まだ就業時間には早いが仕事に取り掛かることにした。
メールのチェック。
仕事のメールに紛れて、彼女からのメールがあった。 送信日付が今朝になっている。
『おはよう!
お台場の夜は楽しかったねぇ。
あのね、これから先も、ふたりでいれなくて淋しくなったり、
なにか辛くて悲しくなったら・・・あの夜の事を思い出そうね。
レイのこと あたし 大好きだよ。 ずっと、ずっとね。
そうそう、静香からTEL あったよね?
あの件は気にしないで。
全然 大丈夫だったし、旦那にも レイとのことはバレていないから。
奈緒』
そのうち 午前中は週明けということもあり、僕は見る見る間に仕事に追われた。
彼女とは仕事以外のことで話す暇も無く 打ち合わせやら資料の作成やチェックやらであっという間に午前中が過ぎ去った。
あの後、奈緒と静香はどんな話をしたのだろう。 本当に彼女は大丈夫だったのだろうか。
たまにディスク越しに彼女と合う視線。 普段と変わらぬ彼女。
この後、ランチにでも誘い、話したいと思っていた。 しかし いざランチの時間に彼女の姿はもうオフィスに無かった。
携帯を鳴らしてみたが保留にされる。
静香の携帯を鳴らしてみる。
「もしもし・・・」
繋がる。
「よっ、今 もう飯?」
「そうだけど。 奈緒も一緒だよ」
「そっか・・・」
「あ、ごめん・・・またあとでね」
そう言うと電話を一方的に切られた。
なんなんだ?
午後になっても奈緒の対応も普通だった。 しかし・・・いつもは一日に複数届くはずの奈緒からのメールは 今日はあの朝に届いていたメール以降、一通も無い。
奈緒にメールを打っておく。
『この前 本当に大丈夫だった?
何かあったらすぐ話してくれよ」
静香にもメールを打っておく。
「この前の古谷の件だけど・・・
その後 話はどうなっているの? 知ってたら返答をください。」
社内メールを使って送る静香へのメール。
社内メールだから必ず読むだろうし、返信してくれるはずだ。
そうこうしているうちに僕のほうの仕事がかなり忙しくなってきた。
予定されていた来客。 社内ミーティング。 席に着けばメールの対応・・・。
そんな時 部長に呼ばれた。
「藤田、ちょっといいか?」
奈緒のことで頭がいっぱいだった僕は つい彼女との事を聞かれるのではないか と心配になったりもしたが・・・
「ミーティングルームにすぐに来てくれ」
「何か資料必要ですか?」
「いや なにもいらんよ」
何も要らないミーティング・・・なんだろう。
「失礼します、あれ? ミーティングってオレと部長だけで?すか・・・」
「悪いな、忙しいところ・・・ところで この時間の予定は大丈夫なのか?」
「16時からマーチャンダイジング・チームと打ち合わせが入ってますけど、
ミーティング自体は この後その一件だけです」
「そうか。
いや・・・実はな、CEOとマイケルの確執が・・・
お前もそれがあるのは知ってるだろ?・・・それが今 かなり酷くなっている」
「・・・」
「今期の初めにCEOが立ち上げた例のマーチャンダイジングプロジェクトの件は
お前も知ってるな?
マーチャンダイジングの再構築の件だ」
当然知っていた。
前年期の決算内容を踏まえ今期 本国から派遣されているスタッフを通して本社にCEOはある提案を行い、現在その協議に入っている。
外資系アパレル企業である僕らの、商品の主な仕入先は親会社のある アメリカ本土の仕入れ先やまた本社が開発・生産・仕入れた商品を、そのまま受け取るだけの仕組みが多い。 よって、この日本法人としてのマーチャンダイジングは 実質 日本法人としてオリジナル商品を開発することも、ましてや仕入れを独自なものにすることも ほんのごく一部を除いてはほとんど無いが現状だった。
日本市場に進出してきた頃はその戦略が功を奏して、商品自体ももてはやされたものだ。
しかし今は、この国の、『現状の市場』と、『アメリカの市場』とがマッチングしていないことのほうが多く、それがこの1~2年、日本法人の売上にかなりの影響を及ぼすようになり、日本法人としては赤字決算になっている。
それを CEOは 商品の何割かを 本国からの商品供給を辞め、日本法人独自の市場や商品の開拓、マーチャンダイジングの再構築を行い、日本にあったビジネスモデルを再構築して行こう という提案だ。
僕ら日本人側のスタッフから言わせれば 当然のビジネスモデルのはずが、とりわけ外資というしがらみや、ことにマーチャンダイジング(仕入)に関して これまでのルートを絶っても日本独自のルートを築き上げる ということは、本社の仕入やそれらにかかわる諸々のビジネスにも影響を及ぼしかねないということで、その提案自体 かなりの難色を持たれ 今も審議中だった。
僕はこれまで 販売企画部所属ということもあり、間接的にこの協議に参加はしていないが、実は奈緒はよくそのミーティングに 本国スタッフと日本人協議メンバーとのミーティングに 通訳 としてよく借り出されていたし、また同僚のマーチャンダイジング・チームの今田はまさにその協議の中枢として参加していたこともあり、現状や協議内容には内通している。
「それが どうしたんですか?」
「次回のミーティングから 藤田、お前も参加しろ。
販促企画部としての参加ではなく、CEO付としての参加だ。
お前 このプロジェクトの内容を、今田はじめマーチャンダイジング・チームや、
それに通訳で参加している古谷からもいろいろ報告を受けているだろう?
途中参加としては かなり事情にも精通しているだろうしな。
そういうことで、先ほど CEOから
直接お前をこのプロジェクトに参加させる旨の要請があった」
また、なんでオレなんかに・・・。
ということは この提案は相当に揉めてるということか・・・。
要するにこういうことだ。
この会社は 海外からのスタッフに対し、どこかで遠慮している部分が 社員・体質共に多くある。 当然だ。 海外のスタッフと仲良くしていかなければ自分の出世や立場も危うくなる。 それがいつの間にか 仲良く の度を通り越し、今では まるで飼い犬のような立場をとる人間・・・とりわけ幹部連中・・・が多い。
その中にあって 僕はといえばマイケルはじめ 常に海外のスタッフとは論争になる。
飼い犬になるくらいなら 自分の意見や納得できないものは たとえ論争になっても話すべきだと思っているからだ。 そして僕は やはり海外スタッフや 一部日本人スタッフの間では『厄介者扱い』されている。
CEOとしては停滞している現状を打破したい ということなのか。
「そのミーティング参加の拒否権っていうのは オレにはないんッスよね?」
僕は笑いながら 一応はこのプロジェクト抵抗してみる。
「まぁ・・・そうだな。
どうだ? 現状の仕事プラスアルファの仕事になってしまうだろうし
ましてや 相当困難が予想される協議・・・仕事だ。
この先 相当量の仕事をこなさないといけなくなるが・・・やれそうか?」
今田の顔が浮かんだ。
そして奈緒の顔も。
「拒否権が無い、しかもCEOからの直接の指名でしょ?
・・・やりますよ」
部長が笑う。
「お前なぁ・・・。
いいのか? 二つ返事で引き受けて。
無理なら 断ってくれてもいいぞ。
なんなら CEOにはこっち・・・
販売企画部として お前の参加を拒否することも出来るんだぞ」
「いや・・・やりますよ。 第一、今田んとこも今のままじゃ厳しいでしょうし、
商品、つまりはそれが売れなければ
オレ等の販売企画部や営業部だっていずれはだめになるでしょう?」
「そうか。 わかった。
CEOには伝えておくよ。 今後 CEOのサポートを頼むな。
まぁ、お前なら物怖じなどするはずもないし大丈夫だろうが」
その後多少の打ち合わせをしてミーティングは30分ほどで終了した。
「そうそう、藤田。
もうひとつだけ いいか?」
「はい」
「古谷 と お前のことだ。
何を言いたいか・・・なんとなくわかるな? これ以上言わないぞ」
部長は 奈緒のこと とも、僕のこと とも言わなかった。 ふたりのことと言った。 なにを言いたいのか なんとなくわかった。
そうか・・・やはり社内には薄々感づいている者もいて当然だ。
「それは仕事のことですか? 個人的なことですか?」
「個人的なことだ」
「はい」
「お前は頭も良いし、仕事も出来る。 周りからの信頼も厚い。
おまけに昔の・・・
お前がミュージシャンだった事もあってうちの女性社員からの人気はかなり高い。
わかるな 言いたいこと。
そして彼女は 既婚者だ」
さすがだ。 部長は知っている ということだ。
「周りに騒がれる前に・・・遊びなら やめろ」
・・・
「今はまだ“ 噂 ”の段階で済んでいるから良いが・・・」
「オレ・・・遊びじゃないッすから・・・古谷のこと・・・」
「おい!?」
「だからって今後どうするとか まだわかんないですけど・・・
遊びじゃないって事だけ知ってもらったらいいです」
・・・
部長が僕の目を見る。
「わかった。
ただ 本当に問題沙汰だけはやめてくれ。
これまで女のことでお前に浮いた話が無かったのが不思議なくらいだが
そんな話が出たと思ったら 既婚者 しかもあの古谷だ。
お前も知ってるだろうが 彼女は男性陣からの人気も高いし 仕事もできる、
そして何よりあのマイケルはじめ海外スタッフからの信頼も厚いし、
ましてや通訳としても活躍中だ。 しかし既婚者だからな。
お前の評価もそうだが、彼女の評価も下げたくない。 いいな、心配かけんでくれよ」
「はい。 すみません、ご心配頂いて」
結局その日僕は 以降仕事に追われてしまい、奈緒とは連絡を取ることができなかったし、最後に社内で見かけたときは今田とのミーティング前だった。 20時。やっと落ち着いて席に戻ったときには奈緒はもういなかった。 メールも無い。 静香も退社したあとだった。
今田とは 次回ミーティングからの僕のプロジェクト参加の件を了承してもらい、今後共同での進行に前向きな話ができた。 仕事がますます忙しくなる。
帰るときには23時を過ぎていた。
帰りの電車の中で 奈緒からメールが携帯に届いた。
『今日は逢って話したいこと沢山あったんだけどね
あたしも レイも忙しかったねぇ。 すれ違いばかりでごめんね。
うちに着いたら電話ください。
今日はひとりだから何時でも大丈夫よ。
お願いします』




