episode Ⅴ~14-2
「うわぁ・・・ここのレストランも やっぱり景色が凄く綺麗だねぇ」
ホテルの3階のテラスから望む東京は僕らの目線とほぼ同じ高さで輝いていた。 見下ろすわけでもなく見上げるわけでもなく 僕らと同じ位置にある東京がまるで宝石のように輝いている。
そしてドレスの奈緒は その長い髪を束ね 細い首から肩にかけてのラインを露にしている。 夜景よりも僕は彼女に釘付けになりそうだった。
「そうだね」
席に着き、徐々に運ばれてくるであろう食事を前に 奈緒はテーブルの上に肘をつき手を組み合わせ本当に楽しそうな笑顔だ。
「レイ・・・ありがとう」
「なにが?
このホテルや食事のこと?
だったら素直に言うよ、オレのボーナスが吹っ飛びそうなくらい 今日は奮発してる」
奈緒が本当に楽しそうに しかしとても上品に微笑んだ。
「ホントだね。
いつものレイからは想像付かなかったなぁ。
こんなホテルのこんなレストハウスを予約してくれるなんてさ」
舌をペロッと出し、いたずらっ子のような表情。
「あ、お前、それ 軽蔑だぞ。
っていうかさぁ、ほら、いつも台場で逢うとこのホテル目に止まるだろ?
一度入ってみたくてさぁ・・・」
「誰とでも良かった? それ?
ここに来るってこと・・・」
僕は躊躇無く返す。
「いや。 奈緒とだから来たいと思ったよ」
奈緒が俯きながら次の言葉を待っているかのように。
「素直に言うよ。
恥ずかしくなってまた すぐに言えなくなりそうだから」
今なら言える。
誰にも・・・結衣にさえ面と向かっては言えなかった言葉。
「奈緒を愛してるから」
顔を上げ 僕を、そしてその奥の東京を見る奈緒。
少しばかりの沈黙の後、
「うん・・・ありがとう」
そう呟いた彼女は 今までに出逢ったことの無いような表情を僕に向けた。
それは 本当に宝石のように輝いている表情の彼女が目の前に居た。
ひと通り食事が運ばれ 僕らはフランスの“ ヴァル ド ロワール ”ワインを飲みながら仕事のことや笑い話、僕自身の話、これまでの歩みや、いつも通りたわいも無い話で それでも沢山笑い合いながら話した。
奈緒は僕の話に、時には子供のように笑い 時にはまるで自分のことのように嘆いた。
僕の目の前に奈緒は 何度見ても綺麗で 僕の全てを釘付けにした。
ディナーを終え、部屋に戻る時にそれは突然鳴り響いた。
奈緒の携帯。
「ちょっと待ってて。
先に部屋に戻ってていいからね」
そのコールが おそらくは“ 彼 ”からのものであることはわかっていた。
僕は部屋に戻ることにだけ意識を集中し、エレベーターが上昇するその途中で降りる奈緒を見送った。
あらためて、広い部屋だ。
僕は部屋に併設されたテラスへと移る。
夏の 浜から吹き抜ける夜の風が心地良かった。
奈緒は ここに戻ってくるだろうか・・・。
今夜ここにいてくれるだろうか・・・。
そんなことしか頭に浮かばない僕は なんて卑屈なんだろうと思う。
そんな時だ、部屋の呼び出しのチャイムが鳴る。
ドキドキしていた。 このまま奈緒が帰ることになったとしても、それは既婚者である彼女だから仕方が無い そう思おうとしていた。
ノブを開く。
「ごめんね。
・・・啓吾からだった。
普通の・・・留守の無事を確認する電話。
でも大丈夫だったからね、ちゃんと騙せた」
そう笑顔を向けるが、その笑顔が本心ではないことくらい僕にも想像が付いた。
嘘をつく彼女は苦しそうだ。
「少しワイン 飲みすぎたのかなぁ・・・。
酔っちゃった」
そう呟き、今にも崩れ落ちそうに奈緒は僕に凭れてきた。
震えている。
伝わる、奈緒の痛みが。
「奈緒・・・無理しなくてもいいんだ。 オレなら 一人でここに残ったって平気だから」
泣いているのがわかった。
震える声で彼女が 呟く。
「ううん、ごめんね、泣いたりして。
でもね、泣いてるのは 電話のせいでもレイのせいでもない。
あたし自身の問題だから・・・」
僕は無意識に彼女を抱き寄せるその手に力がこもっていた。
“ 苦しめてるのは・・・オレだ・・・ ”
「レイが さっきあたしのことアイシテルって言ってくれたでしょ?
凄く嬉しかった。
あたしはレイのその想いの何十倍も レイのことが好きなの。
だから・・・今 泣いてるのは電話のせいじゃない。
そう言ってくれたレイと こうしてふたりっきりで居れることが嬉しいだけ」
それでも僕は言葉を選びながら 続けた。
「けど・・・奈緒・・・
お前、電話で旦那さんから何か言われた とか、
たとえば静香んちにって言ってたことで なにか・・・言われたんじゃないか?」
彼女はゆっくりと僕の腕から離れる。 そして笑顔を向けた。
「ホントに大丈夫。 ばれてないよ。
ただね・・・」
「ただ?・・・」
僕の瞳を直視してくるその奈緒の瞳はとても澄んでいる。
「今は嘘 付けたけど、今日 こうしてレイと二人で過ごすことで、
この先は もう 嘘つけないかもって思ったよ。
もうだめだ あたし・・・。
レイのこと きっとバレると思う。
ううん、レイが悪いんじゃないの、
それくらいレイのことが好きで仕方が無い自分に・・・、
啓吾からの電話で 更に気付いちゃったから」
突然背伸びしてキスをしてくる。
「お前・・・なんだよ、人がちゃんと話聞いてやってんのに・・・」
まるでいたずらっ子だった。
「アハハ、ごめんごめん。
だって レイの目見てたら 凄く可愛いんだもん」
「お前さぁ・・・。
仮にもお前とは8つも歳が離れてるいい大人に向かって可愛いとは・・・」
「でもね レイ。
本当にレイは悪くないよ。
旦那との事は・・・多くは語れないけど・・・
でももう無理なの あたし達。
だからってふたりの関係が悪くなるのはレイのせいってことじゃないよ。
レイはね・・・レイはいつでもあたしが一番苦しい時に助けてくれる人なの。
笑わせてくれたり、怒ったり、出逢ってからずっと 凄く助けられてる。
旦那のことで悩んでいても レイといると笑顔に戻れるの」
僕はただ黙って聞いた。 ただ彼女の瞳を見つめながら。
「レイといるとね、子供のときのあたしに帰れる、ピュアな自分に戻れる。
レイのこと好きだって気付いてから 自分でも驚いたよ、
“ あ、あたしってこんなに素直だったっけ? ”ってね。
でも旦那といるとこうじゃない。
いつも自分を作ってる、あたしは 彼の理想のあたしを作ってるの。
今は・・・旦那もそれを感じてる・・・」
・・・
静かだった。 そしてこんなにも長く彼女の瞳を見つめることはおそらくは初めてだろう。
「いつからだろう・・・あたし・・・
自分の心を上手くごまかせるようになったのは・・・。
大人になるにつれて あたしはあたしじゃなくなっていったの。
本当の奈緒はね 甘えん坊だし淋しがりやだし わがままだし勝気だし・・・」
「オレといる時のお前はそうだよ・・・」
「アハハ、そうだねぇ、レイといる時のあたしが本当のあたし。
でも それが レイ以外の人に上手く表現できなくなっちゃったくらい
臆病で・・・怖がりで・・・。
だからいつの間にか自分を上手く人に見せることを覚えたの」
「ああ、知ってる」
僕は 彼女の多くを知らない。 それでもふたりで過ごす時間が増えるに連れて、不思議なものだ、本当の彼女が どれだけ痛みを抱えて生きてきたのかを おそらくは恋する二人にしか通じ得ない何かで 彼女のことを誰よりも知っている。
それは・・・たぶん・・・奈緒の生きてきた過程は まるで僕の生きて来た過程にちかいからだ。 そう感じるものが彼女にはいくつもあった。
今 こうして笑顔で話しながらも奈緒は震えている。 何かを恐れている。
旦那さんなのか・・・それとも何か僕に言えない“ 過去 ”なのか・・・。
「奈緒、十分お前の気持ちは・・・多くを話さなくてもオレには伝わるから。
本当になにもかも怖くなくなって、嫌になって・・・、泣き出しそうになったら、
またこうしていつでも話してくれていいから。
今は ただ自分を責めることもしないで。
今は ただオレの傍にいてくれるなら それでいい」
頭を撫でる。 柔らかい髪。
『なんだ? この感覚は??』
ふと・・・彼女の髪を撫でながら 僕は不思議な・・・懐かしさが蘇るような・・・感覚に落ちた。
奈緒の手を初めて握った時や あの映画の時 腕にしがみつかれた時に感じた妙な感覚・・・『懐かしさ』 という感覚だ。
「うん・・・ありがとう。
あのね・・・
あたしね・・・」
「なに?」
「あたしね まだレイに言ってない言葉があるんだよ」
「なんだよ それ・・・素直じゃねぇなぁ。 今更 隠すの?」
さっきまでの崩れそうな奈緒は今はいない。 そこに居たのは まるで子供が甘えてくるような愛くるしい表情の奈緒。
「ううん、悪いことじゃないよ。
本当は 今 言いたくて言いたくてどうしようもない言葉なんだけど・・・
まぁ・・・いつか言えるでしょ・・・きっと」
自分に言い聞かせるように笑顔で頷いている。
「ったく・・・言いかけて止めんなよな。
じゃぁ その言葉 その“ いつか ”まで あえて待つよ、
っていうか、その言葉が聞けるまで 奈緒の傍にいるよ」
「うん・・・、待っててね」




