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episode Ⅴ~11

彼女が変わった。

それは、まるでこれまでとは別人のように行動的 且つ積極的大胆に 僕に対する想いを態度で出すようになった。

それは 例えば出社時。 進んで彼女から声をかけてきた。 それも決まって『レイ』と呼びながら。

午前は 『一緒にランチに行こう!』 と必ずメールが届く。 ただし それは静香を交えてだったが ともかく僕らは決まってランチを共にするようになった。

午後になると 僕がコーヒーブレイクに出かけようと社の横の喫茶店へ行くと そこには決まって彼女と誰かがいた。

メールは頻繁に届くようになり、たわいもない内容だが 必ず文面の最後には決まってサインが振ってある、『Love・・・・Nao』と。 

そんなある夜、まだ社に残り残業をこなしていた僕の携帯に彼女からのコールが入る。

「残業?」

話すのが楽しくて仕方のない といったような弾んだ声の彼女の声。

「ああ、今夜は終電になりそうかなぁ」

「例のマイケルとのミーティング資料の作成?」

今度の週末、僕はCEOからの指示でミーティングを控えていた。

今後の社の、というよりは日本法人としての業務スタンスをより明確なものへと変えるためのミーティング。 当然のことながら奈緒も通訳として同席予定だった。

「そうだね、ところでどうしたの? こんな時間に・・・」

僕のディスクの目の前にある掛け時計はすでに22時を廻っていた。 この部屋に残っているのはすでに僕一人だった。

「レイがね、奈緒の声が聞きたい~ って想ってるって なんか思ったの。

 だから電話してあげた」

自分のことを いつも名前で呼ぶ彼女が愛おしいとさえ感じられるこの頃。

「なんだよ それ」

と言いつつも、彼女の感じたその思いは図星だった。 一人でいる時はつい彼女のことを考えてしまう自分がいる。

「やっぱり想ってたんだぁ・・・奈緒もね・・・レイともっともっと話したい」

複雑な思いが僕を掠める。

「あのさぁ・・・お前・・・旦那さんは・・・そのぉ・・・どうしてんの?」

彼女が僕にこうして声をかけてくるたびに、その想いを伝えてくるたびに、嬉しい反面 その思いは日増しに大きくなっていた。 避けては通れない問題だ。

「うん、今日はね レイと同じで終電で帰る って言ってた。

 だから大丈夫だよ」

「そっか・・・」

「レイ、あたしのことや 啓吾のことは気にしないでよ」

そう言われても やはり気になるものは気になる。

「レイは勿論、社の人は知らないと思うけどさ、

 実はね あたしたちね、全然上手くいってないんだぁ」

まさか・・・。 社内のうわさでは彼女の生活環境は誰もがうらやむほどの環境だと聞いているし、勿論彼女の旦那さんの事も多少なりとも耳に入っている。

その話を総合すると とても夫婦間が上手くはいっていないなど思えない。

「会社の人や 静香から聞いてると思うけど・・・

 あたしの旦那がどんな会社にいて どうやってあたしたち結婚したか。

 どんな男が旦那なのか・・・」

「・・・うん・・・静香からも聞いてるし、社内でもある程度は話にもなってるし・・・」

「裕福な生活で、旦那は商社の管理職で、まるで絵に描いた何とかのような暮らしで、

 夫婦間も上手くいっている って話でしょ?

 でもね・・・

 例えば 寝る時は別々の部屋だし、彼は仕事一筋で 互いにすれ違いばかり。

 それに・・・」

「それに・・・?」

「セックスも もうあまりしてないんだ。

 彼にされるときは もう半分レイプ気味に犯されてる」

そう言うと彼女は まるで子供のようにはしゃいだ声での笑った。

「お前さぁ・・・夫婦間のそっちの問題とか、普通 言うか? 他の男に」

彼女は笑い続けている。

「でもさ、ホント 最近は 結婚してよかったのかなぁ って後悔する時もあるんだ。

 いろいろ大変なのよねぇ、彼みたいなプライドの塊みたいな人の嫁ってさぁ。

 あたしは結局 啓吾にとって 彼自身のステイタスを上げるための、

 道具に過ぎなかったんじゃないかって感じることのほうが多いよ・・・」

「そんなことは無いだろう?」

少しだけ沈黙の時間が流れる。

彼女が既婚者であることは あの日の夜の電話・・・告白し 告白されてからも、確かに心のどこかでいつも気になっていた。

既婚者に 本来 そういうことを言うべきではないだろうし、また彼女も応えるべきでは無かったのかもしれない。 

僕にとって 結衣以降、初めて自らが求めた女性、それが彼女だった。

だからこそ、結衣が亡くなった後のような思いをしたくないと感じた。

あの頃 歌でその思いを伝えていれば 言葉に出さなくてもそれでいい なんて思っていた。 そして僕は彼女を失い、何度も後悔を抱いた。 あの時こうしていればよかった、あの時こう話していればよかったと。

好きなら好きと ただ伝えたかった。 それは彼女のことを考えた行動ではなかった。

しかし、彼女は その想いに 同じような答えをくれた。

正直、彼女が本心か好きだと告白してくれたかどうかもわからなかった。 からかわれているだけかもしれないとも疑った。 33歳の独身の男をからかっているだけだとも思ったし、また これまで僕を求めた女性のように、どこかで聞きつけてきたかもしれない 過去の僕を探しているのかもしれないとも思った。

ただ 彼女から告白されてのこの数日の彼女を見る時、彼女と話している時、その表情 その瞳には 僕だけを真っ直ぐ見つめる彼女の瞳があった。

素直に僕は 彼女に告白し 彼女から告白された今のこの状況を受け入れることにしたし、これから先 二人がどうなろうと、今はこうして話せているだけでいいとさえ思える。

彼女を抱くことも無いかもしれないし、付き合うことも無いかもしれないけれど、それでもいい。 既婚者である彼女に これ以上の関係を望むことのほうが夢のような話だったから。

「明日ね・・・

 ランチ ふたりっきりで食べよ。 ね、いいよね?」

長い沈黙の後 彼女が話す。

「ああ・・・って、おい、ふたりで かよ??」

最近ではほぼ毎日のように僕らはランチを共にしたけれど それでも ふたりっきりで というのはなかったし、いつも彼女の隣には桐山静香がいたから この言葉に僕は驚いた。

「なによぉ・・・。 奈緒とふたりでランチは嫌なわけ?」

膨れっ面で話しているだろうその表情が目に浮かぶような声。

彼女はまるで子供のようだ。 無邪気に そして素直に僕に話しかけてくる。

「なわけ ねぇだろう、嬉しいよ」

「じゃぁ 明日 お昼前にメールするね」

はしゃぐ彼女。 

「オーケイ」

「電話 もう切るね・・・残業頑張って。

 毎日 どんな時間もレイの事 考えてるよ・・・大好き」

「ありがとう・・・奈緒・・・」

少しだけの沈黙・・・。

「あ・・・今 もしかしたら初めて 奈緒 って呼んでくれたね。

 嬉しい ありがとう、もっともっと これからは 奈緒 って呼んでね」

「ったく ウゼぇよ」

「あはは、照れるな レイ! じゃぁ またね」



僕らは社内では常に部下と上司を演じ 暗黙の了解でそれは完璧にこなした。 それとは反比例し 互いのフリーメールボックスは 常に彼女とのメールで溢れていた。 仕事の愚痴や まさにリアルタイムで綴られる社内での出来事。 みんなで行ったランチの話や 内緒でふたりでとったランチのこと。 互いについての事。 同じ社内で 同じ部署にいても、席も離れていれば互いの立場も違うのだが 僕らはまるで会話をするように1日に何通もメールをやり取りした。

ふたりっきりの初めてのランチの後、そのメールのやり取りが少し変化した。 それまでの彼女は 自分のことや ことその結婚生活に関しては、具体的にその生活に触れることは決して無かったが以前話していたように、夫婦関係が決して順風ではないことの内容の多くを知らされることが多くなった。 総じて それは旦那さんと奈緒の価値観の違いだと感じた。

仕事が何よりも最優先で これまで失敗したことなど無い人生を送ってきた旦那、そして非常にプライドの高い男なのだということがなんとなく伺えた。 かたや奈緒はどうもそうではないらしい。 あまり自分の過去のことを多く語ろうとはしない彼女は それでも旦那とはまるで違う生き方をしてきたようだ。

人もうらやむような夫婦が 実はまるでその価値観に相違があり、歩んできた道も大きく隔たりがあるのでは 共同生活するうえでは難しいのかもしれないと感じた。

また 彼女は何故か自らの過去を話すことは皆無に等しかった。

たとえば、結婚する前のことや たとえばそれまでのボーイフレンドのこと、ニューヨークでどんな生活を送っていたのか、友達のことや 家族のこと・・・僕は奈緒の過去のほとんどを何も知らなかった。 そのことについて話すことを 彼女自身何か触れて欲しくないような・・・そんな雰囲気を漂わせていた。

奈緒の過去について僕が触れたときが合った。 

『辛い時期が多かったから あまり話したいくないんだぁ・・・』

本当に辛そうな苦笑いを浮かべてそう話した彼女に触れて以来、僕は 以降無理に聞こうとはしなかった。 その時に彼女はこう言った。

『レイ・・・ありがと、無理に聞かないでね

 いつか話せる時がくると思うから・・・その時に必ず話すね』

そう言いつつも ニューヨークの“ 風景 ”や人気のあるショップ、よく出かけた通りなど 断片的なことはよく話してくれた。

つまり、僕が知っている彼女とは7歳から、結婚をして旦那さんと日本に帰国するまでニューヨークに住んでいた ということと、旦那さんに愛されることだけを願って 必死の覚悟で帰国し結婚した彼女の孤独感と、現在の夫婦間が上手く行っていないということだけだった。

奈緒は僕に対しては おもにミュージシャンを辞めて以降現在に至るまでの話をよく聞かれた。 勿論その時代の話をすることもあったが。 

普通 僕に接する人間のほとんどは あの時代・・・ミュージシャン時代の話をよく聞きたがるものだが彼女は違っていた。 しかし それが ある意味僕には心地良かった。 歌を歌っていた頃の僕はまるで何もわかっていないグリーンボーイだった。 確かに華やかな世界にいた事は確かだし否定もしない。 しかし僕にとっては それ以降の現在に至るまでの自分のほうが 思い返せば苦労した分生きている という実感もあった。 仕事の話やミュージシャン以降の僕自身のことを聞いてくれる奈緒は 僕にとって 歌意外の部分でも僕を認めてくれる存在のような気がして少し嬉しかった。

いつしか僕らは仕事の無い週末を除くほぼ毎日を共に過ごした。

ただ・・・彼女とは仕事終わりの夜にふたりっきりで逢うというような 恋人同士のようなことは決して無かった。 僕らは 互いに恋愛感情を持ち そして社内でこっそりメールをやり取りしたり、銀座で人目を避けて会社のある場所より程遠いソニービル裏のみゆき通りで待ち合わせをしてはランチをとったり。 また普段はほぼ定時で仕事を終える彼女から 自宅への最寄り駅を降りマンションまで向かう帰りがけの世田谷から届く携帯へのコール、それが今のふたりの“ デート ”だった。

それでも僕らは幸せだ。

人目を避けて待ち合わせをするとき彼女は まるでかくれんぼをしている子供のような瞳で 同じく人目を避けて待ち合わせ場所へと向かう僕を街の中から探し、見つけた時は少女のような瞳と溢れんばかりの笑顔を向けて僕へと駆け寄ってくる。 そしていつでも彼女はまるでそれが当たり前のように手を繋ぐ。

奈緒はまるで僕とふたりきりでいると子供のようだ。

普段の社内にいる彼女とはまるで正反対の顔を僕にだけ見せてくれる。

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