episode Ⅴ~9
藤田レイジは あたしがずっと待ち望んだ人だ。
14歳の時、初めてニューヨークで彼と出会った、あの日からあたしは彼のことを忘れずにいた。
初めて好きになった異性。
22歳の大人だった彼は、日本でトップミュージシャンとして活躍していた存在で、あたしにとってはまるで雲の上のような存在だった。 それでも当時のあたしは彼に恋をした、初恋だった。 彼が滞在していた1年の間、その半分は彼と過ごした時間だった。 彼はまだ小さな少女に、生きる喜びや希望、悲しみや切なさを その生き方を通して教えてくれた。 なによりも当時のあたしをまるで妹のように可愛がってくれた。 一目で恋に落ちたあたしは、彼と過ごす中で益々彼を好きになった。
そんな彼がニューヨークを離れる際に あたしに約束してくれたこと。
『またニューヨークに戻ってくる』
その言葉を信じた。
もうひとつ。
『君ならなにがあっても絶対に大丈夫だって オレは信じてるよ。
強く 自分を信じて 家族を信じて これから好きになる人を信じて生きるんだ』
誰よりも あたしという人間を信じてくれた。
彼が日本に戻ってからも あたしの家族との手紙のやり取りはあった。
そして、彼が日本の芸能界をやめたという時、あたしの家族に1通の手紙とラストライブを収めたビデオが届いた。
その手紙には 自分が自分であり続けるために、この世界(芸能界)には残らない と決意が示されていた。
『それでもどこかで歌っているだろうし、
歌わなくても、自分は生き続ける限り、生きること自体が自分のロックのあり方だ』
と書かれ、あの時 母はその手紙を読み 彼から送られてきたライブ映像を見ながら、彼の誠実さ、真っ直ぐさ故の人間性が彼をあの世界(芸能界)の中にだけ閉じ込め切れなかったのだと目を細めて笑顔であたしに話してくれた。
以来、何度かの手紙のやり取りはあったものの、まずあたし達家族が引越しをした。
幸いにも父親が経営していた日本食レストランが当時のブームに乗りビジネスとしてかなりの成功を収め店舗を拡大移転し、それに伴いあたし達家族はそれまで住んでいたニューヨーク市内からニュージャージーに移り住んだ。 おそらくはそのことが原因で彼からの手紙は届かなくなった。
あたしは何度か彼にエアメールを送ったものの、彼もそれまで住んでいた場所から引っ越していたのだろう、手紙は届くことは無くいつも返送されてきた。
そうして連絡は途絶えたものの、あたしは彼を忘れることが出来なかった。
生涯彼だけを愛せる、そう信じて疑わなかった。
それほど彼はあたしにとって生きる全てだった。
その後あたしはいくつもの挫折を繰り返すたびに彼を求め 彼の言葉を信じ、彼と約束したことを守ろうとしたが、結局 彼があたしに望んだような生き方は出来なかった。
諦めた。 彼のことは何度も忘れようとした。
それでも忘れられなかった。
そんな時啓吾と知り合い、あたしは結婚をした。
啓吾は 彼とはま逆の人間だった。
啓吾の家族はもともと官僚が多いこともあり、小さい頃からエリートとして歩んできたし、大学も都内の有名私立大学をトップクラスの成績で卒業し、半ばスカウトされるように現在の商社に就職をし、異例の若さで出世していたし、いつも自信に満ち溢れ、欲しいものは何でも手にしてきただろう人生だ。
そんな人と結婚をし、幸せに暮らすのもまたいいのかなぁ と自分を納得させた上での結婚だった。 あのまま ニューヨークで死んだような日々を送るよりは、マシだった。
勿論 彼を愛した。 彼に導かれるまま彼に愛情を注ぎ、彼の求める女性になろうとした。
結婚後、確かにあたしは彼・・・藤田レイジのことを忘れる日も多くなりかけていた。
あの日までは・・・。
それは、結婚後日本に住みだしてしばらく経った出来事だ。
結婚式も挙げなかったあたし達は、啓吾の発案で会社関係や身内のみを集めて結婚お披露目パーティーを催した。
その席で交わされていた啓吾と 会社の上司との会話を聞いてしまったのだ。
要するに啓吾は、あたしさえも その出世の材料として選んだのだ。
綺麗といわれる事、英語がネイティブに話せること、仮にもアメリカ、ニューヨークでは世界的にも知られていた大学を卒業していたこと、だからあたしを好きになり、あたしという人間さえ彼にとっては 彼の出世を彩る一部として見られていたということを。
それでなくても啓吾は自宅に居る時間が極端に少なかった。
10数年ぶりに日本に戻ってきたあたしにとって 何よりも必要だったのは啓吾の出世ではない、啓吾がそばに居て 愛してくれることだった。
どんなに愛情を費やしても 彼の前では仕事には適わなかった。 彼は何よりも仕事を愛し、野望を持っていたし、それが彼の全てだった。
そうして あたしの心は徐々に彼から離れていった。
あるのは 愛ではなくて、情へと変わっていった。
そんな時 あたしを支えてくれたのは やはり彼、藤田レイジだった。
彼の言葉、彼の音楽、彼との写真や思い出が壊れそうな心を支えてくれた。
『君ならなにがあっても絶対に大丈夫』
もう二度と会えないとわかっていて、それでもあたしは彼を待ち望んだ。
そして・・・あれから11年。
運命とは皮肉なものだ。
あれほど願っていた 彼との再会。 しかも残酷なほどの運命は同じ会社で働くことになった。 彼があたしの上司として。
全ては 時が遅かった。
彼は あたしの事をすっかり忘れていた。
いや 忘れていたわけではないのだろう、少女だった頃のあたしと 今のあたしとではその外見も そして性格も 何もかもが変わったし、あたしは あの頃彼に約束したように 確かに綺麗になったと思う。
大人の女に変わったのだ、彼が気付かないのは無理も無いことなのかもしれない。
それでも・・・思い出して欲しかった。 あの少女があたしだということを。
彼と再会したあたしは それまで以上に苦悩した。
今も彼を愛しているということに 自分自身が気づいてしまったからだ。
それでも 決して自分の思いだけは伝えまいとした。
それは どんなに否定しようとも、どんなに過去に戻りたいと願っても、今あたしは啓吾と結婚をしているという事実。
そして会社の上司と部下という関係。
あたしと藤田レイジの先に未来は無いと思っていた。
なのに・・・伝えてしまったんだ・・・自分の想いを。
そして 彼からも好きだといってもらえた。
今 あたしはどうすればいいの?




