episode Ⅴ~7
あの試写会の日以来 あたしの心は収拾がつかなくなり始めた。
かろうじて自制心を保てているのはおそらく自分が結婚しているという事・・・啓吾の存在がそうさせてくれていると思い込んでいる。
『遅すぎたんだ・・・再会が・・・』
常に自分にそう言い聞かせていたし、どんなに 今以上のものを彼に求めていてもそれは叶わないと思っている。
ただそばにいれるだけでいい、こんなにも彼に会うことを長く待っていたのだから・・・。
デスクに向かい あたしはいつものように週末に予定されているマイケルはじめ海外スタッフと日本人スタッフとの社内ミーティング資料の作成をしていた時だ。
PCに社内メールを告げる案内。
何気なくメールサーバーを開けた。
それはいつものように 彼から届く仕事に対するメールだった。
『これが現実だ。
あたし個人に向けたメールだったらどんなに嬉しいだろう・・・』
ふと彼のいる席に目を向けると つい今まで座っていた彼の姿がない。
『コーヒーでも飲みにいってるのかなぁ・・』
そのメールの内容を確認した。
いつものように仕事の指示とスケジュールの調整を告げる内容。
そして・・・?
?
『・・・PS・・・?』
画面スクロールしていく。
『そういえば・・・この前の試写、お疲れさん。 楽しかったよなぁ。
古谷の、いつもと違う一面を見せてもらって 戸惑った。
もう少しはオレの前でも 他の奴らと同じように・・・、
いつも突っかかってばかりじゃなくて あの日のように素直に接してくれると助かる。
脹れっ面してる 古谷より 試写会の時のほうが・・・良かったから』
それだけの短い“PS”だった。
それでもあたしは今にも倒れそうだった。 そして何度もその“ PS ”を読み返し、一人でニヤニヤしてしまう。 勝手に笑みがこぼれる。
何度も何度もその部分のメールを読み返した。
隣の席にいた静香がこちらを覗き込んでいたことすら気付かなかった。
「ねぇ 奈緒ぉ・・・あんた 顔が赤いよ? 熱でもあるんじゃないの?」
静香にそう言われても、あたしは込み上げてくる嬉しさを堪え切れずにいた。
「なんでもない。 気にしないで」
「気にしないで って・・・。 ねぇ 大丈夫?」
静香にだけは自慢したくなって 彼が席にいないことをいいことに ついこの前の試写会のことや届いたメールを見せた。
静香は 話の内容とメールを確認したうえで ふたりにだけしか聞こえないような小声で言う。
「ちょっ・・・ちょっとぉ! なにこれ?
社内の女性人に対してこんなメール・・レイジくんがくれたことなんか無いよぉ・・・
いいなぁ・・・あたしだってこんなメール もらったこと無いのに ずるい!」
少し羨ましいそうに話す静香を見て あたしの嬉しさは更に増した。
『オレ・・・何であんなメール・・・流しちゃったんだろう??』
テラスでコーヒーを飲みながら考えた。 とても彼女の顔の見れる席になど居れなくて オフィスを出た。
自分でも意外だったし、ただ いつものように仕事を依頼するだけのメールのつもりで書いたはずが・・・。
先週のあの試写会以来 どうしても彼女の一挙手一頭足が 気になって仕方なくなってきた。
それは・・・例えばこうだ。 彼女が、水色が好きだという話を聞く。 すると その後 たとえばプランタン銀座の前を通ったとしよう、そこに 水色を基調としたマネキンに飾られた洋服がある。 するとそのマネキンは彼女を思い出させる。
また、彼女が僕の横を通り抜けたとしよう。 彼女のほのかに香る その香りについ反応してしまう。
そんな風な感じで あの試写会以来 あの悪魔のような女のことが頭から離れなくなっていた。 だからつい余計なことをメールに書いてしまった。
「ねぇ、奈緒ぉ・・・
やっぱりレイジくんに 例のこと 話したら?
そしたらきっと いくら今まで忘れていたとしてもさぁ、
きっと 思い出してくれると思うよ。
このままじゃぁ 奈緒 可哀想だよ・・・そばにいれるだけでいいなんて。
せっかく出会えたのに・・・」
「ううん、いいの。 ありがとう。
でもね それ 話したところで何にも変わんないしさ、あたしは結婚しちゃったんだし。
遅すぎただけだよ」
そのメールを貰った日のランチ。 コーヒーを飲みながらの静香と会話の途中だった。
「で・・・
何が変わんねぇわけ?」
突然席の後ろから彼に声を掛けられた。
「レイジくん! いつから後ろに居たのぉ?」 静香が大声で聞き返す。
「いつから居たのぉ? って たった今だよ、なんだよ、居ちゃ悪いのか?
しかし・・・お前ら ホント 仲良いなぁ。 いつも一緒だもんな。
あのさ・・・古谷・・・いいかな? ちょっと・・・」
え?・・・あたし?? なんで??
「桐山・・・少し彼女と仕事のことで話したいんだけど・・・席外して貰っていい?」
「あ・・・うん・・・いいよ・・・ここ 座る?」
「悪いなぁ 今度 コーヒー奢るよ」
静香がお店を出るまでの間 彼は通り一遍等に先ほどのメール内容、その仕事部分を説明していた。
いきなりその話が途切れたかと思うと彼が 物凄く照れくさそうに、しかしクールを装って話し始めた。
「この前・・・っつうかさ・・・メール・・・悪かったなぁ。
なんかオレ 変なこと書いちゃって・・・」
あたしを見ないで話し出す彼。 本当は照れくさいくせに・・・。 優しい瞳がそこにあった。
“ あの頃 ”の彼が 今またここにいる。
「ううん・・・大丈夫・・・」
「あのさ・・・仕事の話じゃないんだけど・・・ちょっとお願いがあるんだけど・・・」
お願い?
「はぁ・・・なに?」
「いや・・・そのぉ・・・みんながお前を呼んでるみたいに・・・
オレもそう呼んでいいかなぁ・・・」
「ええ? なんて? っていうか なんで?」
そんなお願いか!? という思い。
「ほら、 奈緒ちゃん ってみんな呼んでんだろ? 部長も他のリーダーも・・・
オレだけ お前の上司なのに他と呼び方違うって なんかさ・・・。
だから その・・・オレもそう呼ぶことにしたから」
真顔で話す彼。 そんなことイチイチお願いしなくてもいいようなことなのに。
笑えた。
「なんか・・・可笑しい」
「ったく・・・なんで笑うんだよ。
お前だってオレのこと 勝手に レイ って呼んでんじゃん」
彼が少しふてくされたように横を向く。
「じゃぁ・・・奈緒 って呼んで? 静香もそう呼んでるし」
「それはさすがにさぁ 変じゃねぇ? 仮にも上司と部下・・・」
「あ~ そうなんだぁ~ なら呼びたくなければ 今までどおり 古谷さん でどうぞ」
「なんだよそれ?
まぁいいや。 名前なんかさ 適当に呼ぶからさ・・・」
本当に可笑しい。 彼はまるで子供のようだった。
「そんなことはどうでも良くて・・・。
あ・・・あのさぁ・・・今度ランチ 食いに行こうぜ・・・ふたりで・・・」
時が止まったくらいの感覚。
「お前がさぁ 結婚している事は わかってるし・・・。
別に変な意味で誘ってるんじゃなくてさ。
ほら 会社の上司と部下としてさ・・・コミュニケーションとるのも大切かなぁって。
・・・って・・・なんでお前 目に涙浮かべてんの? ゴミでも目に入った?」
レイに言われて気がついた。 あたしはかすかに涙を浮かべていたのだ。
嬉しかった。 ただレイとこうして二人で居れる時間。 そして誘ってくれたこと。
なんだか夢のようだった。
彼女をランチへと誘ったその後はさらに自己嫌悪に陥った。
考えれば考えるほど メールといい、食事に誘うなどという行為といい、どうしてあんな行動をとってしまったのか・・・、いや 正確にはとろうとしてとった行動なんかではなかったことが 自己嫌悪のもとだった。 古谷は会社の一員でも有り、部下でもある。 まして既婚者。
全ては あの試写会の夜から始まったんだ。
あの日以来 僕はあいつのことを“ 女 ”として意識してしまっている。
女性とのこういった部分について、僕はまるで20歳のままだった。
勿論、これまでにも女性から言い寄られたことはある。 結衣以降 付き合った女性もいる。 しかし そのどちらも僕からのアプローチではなかったし、ましてや社内の人間でもなかった。 付き合った女性とも長くは続かなかった。
結衣のことがあって以来、僕はいつしか恋愛に対して臆病になっていた。 彼女達はミュージシャン時代の僕を求めているということに気付いていたからだ。
“ 今 ”よりも 過去の僕を見つめていた。 結局僕は自分自身がたどってきた過程の中の“ 作られた藤田レイジ ”と戦う羽目になる。
『本当は オレはみんなが思うほどいい人じゃない・・・、
唄を辞めたのも結局は自分のわがままだったのかもしれないのに美化されている。
今を見てくれ!』
そんな思いが常に付きまとった。 だから今だに独り者だ。
そんな中で、古谷は出会ってきたどの女性とも違った。
あいつは はじめから僕に否定的だった。 僕の格好を貶し、僕の仕事に対しては肯定的でも、僕の人となりに対してはほんの些細なことでいつも口論。
実はそれが僕の彼女に対する関心を引き寄せていったことは間違いないのかもしれない。
そんな関係を、あいつが入社してから既に3ヶ月近く。 その一方で僕は彼女と話していたり、口論の場であって不思議な感覚を見出していた。
それは・・・懐かしさ だ。
恋愛に至る過程を あいつに対する意識の変化に見出し それを懐かしいと思うのか、はたまた違う感覚なのか・・・。 それはわからない。 ただ あいつとはたった3ヶ月の出会いというよりも、なにか・・・こう・・・昔から知っているような関係のような 一種独特との分け隔て無さが 会話や態度に存在していた。を憶えるのだ。
僕には弟はいるが、妹はいない。 あいつと話す時 次第に僕は、可愛い妹がいればきっとこんな風に貶しあいながら兄弟として楽しく過ごせたんじゃないのだろうか・・・、まるで彼女とのやりとりはそれに近いものがあり、時々ウザくはなるけれど意外に楽しみだしていた自分もいた。
それでも、厄介なことに 彼女は綺麗だった。 綺麗とは人それぞれ その価値観は違うだろう。 しかし、あいつは 万人が認めるほどの綺麗さだった。 それが妹以上の存在という感覚にさせてしまっていたのだろうし、あの試写会の夜以降の今回のメールやランチの誘いへと行動を駆り立ててしまったのだ。
つまるところ 僕はいつしか彼女を 気になる存在 と認識していった。
しかし・・・、
『オレは なにをしてんだろう・・・』
ため息の出る時間が続いた。
そんなこととは裏腹に 僕はあいつをランチへ誘った翌日、早速行動に移していた。
翌日のランチ、あいつと二人っきりで 職場からは離れた数寄屋橋の交差点の裏手に位置するイタリアンの店でランチをとることにした。
「美味いだろ? ここのパスタ。 ここのトマトソースがまた最高なんだ。
それに、意外にみんな知らないけどこの店、料理は上手いし リーズナブルだし」
店は 会社からの距離が微妙に遠からず近からずで、社の人間でランチに利用する奴はほとんど居ない、僕にとっては穴場のようなランチの場所で、誰にも会いたくない時のランチはここですることにしていた。 店内はレンガを貴重とした内装の 落ち着いた感じのイタリアンの店。
「うん、美味しい!
あたし トマトソース大好きだからさ ここの味はオーケイだね。
レイ あたしの好みの味 よく知ってるじゃん!」
彼女は満面の笑みをたたえて まるで子供のようにパスタを口に運びながら 会社のことや 桐山とのことを面白おかしく話しながら その様子は まるで子供がはしゃぐようだった。
誘ってよかった。 また彼女の新たな一面に接することができたような気がする。
「あのさぁ、お前の好みの味 って・・・知るかよ そんなの。
しかしここの店の料理は・・・オレ 本場のイタリアなんか行ったことないけどさ、
昔 ニューヨークのリトルイタリーで食べたことのある
イタリアンに近いような気がして好きなんだ。
あ、そう言えばさぁ お前 ニューヨークに住んでたんだろ?」
それまで陽気に たわいも無いことをベラベラと話していた彼女が急に黙ったように感じたような気がした。
「うん・・・住んでたよ、ニューヨーク。 それが?」
「実はさ オレも昔 ニューヨークで1年ほど暮らしたことあるんだぜ」
「うん、知ってる」
何か憮然として受け答えをする彼女のその手が 口に運ぼうともしないのにパスタをぐるぐるとフォークに巻きつけているだけだった。
「そっか、 っていうか、桐山から聞いたか・・・ニューヨークのこと」
「うん」
会話が途切れた。 一瞬の静寂。
「で、どうだった? レイにとってニューヨークは?」
「そりゃぁ エキサイティングな街だったさ、
もっとも もう10年以上も前のことだけどなぁ」
なんだか彼女の様子がこの話題になってから一変したように感じる。 気のせいか・・・。
彼女は落ち着かないような素振りだ。
「レイは・・・レイは その頃のことやニューヨークでの生活で、何を一番憶えてるの?」
「そうだなぁ・・・ともかく冬は寒かったなぁ。
ちょうど渡米したのが真冬の時期でさぁ。
あの頃オレはいろいろと悩んでた時期で、
最初は友達も居なくて 世界中でたった一人だと思っていたよ。
それでも沢山の出会いと
そして何よりも 街そのものからいろんなものを教えてもらった気がするよ。
懐かしいなぁ ニューヨーク・・・」
「・・・」
「そういえばさ・・・あの頃変な外人と
そうそう 現地で暮らす日本人の家族とも知り合って・・・
いろいろ助けてもらったなぁ・・・
どうしてるかなぁ みんな・・・。
東京に戻ってからは、
めまぐるしく変わった時間の中で次第に連絡も取らなくなっちゃったけど。
今じゃ、知り合った人の顔なんかウッスラとしか思い出せなくなっちゃったし、
どうしてるかなぁ・・・」
「・・・
その人たちの名前とか 住所とかさ それも忘れちゃったの?」
「ああ・・・戻ってきた直後は勿論手紙のやり取りはあったし、
届け物なんかもしたりしてたんだけど・・・。
その後 オレも引越しを繰り返し、3年経った頃かなぁ、一度手紙を送ったんだけど、
オレの知ってた住所にはもう住んで無かったみたいで手紙も返ってきたしな。
それに、彼らの手紙なんかも 引越しの繰り返しでどっか無くなっちゃって。
今じゃ 微かな記憶のみ。
なんだったっけなぁ・・・あの外人・・・確か・・・ニックとか言う奴で・・・、
画家だったんだよな。
日本人の家族のことは・・・
綺麗なお母さんと可愛い少女、あとはやんちゃな弟が居て、
ご主人は日本食レストランのオーナーシェフだったなぁ・・・。
でも あとの思い出は 断片は残ってるけど・・・。
・・・アハハ 忘れちゃったよ、なにせもう10年も前の話だし」
突然 彼女が仕事に戻る準備をしはじめた。
また食後のドリンクも届いていないし パスタも残ったままだというのに。
「先 仕事 戻るね。
ご馳走様。
もうランチ 誘わなくて 良いから・・・」
席を立つ彼女。 なんだ? なぜか物凄く怒っているようだった。
「おい・・・ちょっ・・・ちょっと待てよ!」
「うるさい! ちゃんとお金払ってきてね!」
そう言うと そそくさと店を出て行ってしまった。
なんなんだ!? あの女・・・。僕は完全にあっけに取られていた。
まるで つかめない女だ・・・。




