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episode Ⅴ~4

5月。 新緑の季節。 個人的には一番好きな季節だ。

僕の自宅は勝どきにある。 一人暮らし。 この秋から冬には全線開通予定の都営地下鉄が自宅傍を通るはずで利便性も考慮し昨年引っ越してきた。 マンションは隅田川水域に面した場所で、物件を探す際 築地が近いということ、会社まで歩いていけるということ、そして川沿いから眺められる風景が気に入り 即入居した。 普段は清澄通りを月島方面へと向かい晴海通りへ。 それをオフィスのある銀座まで勝どき橋を渡り20~30分ほどかけて歩くが、たまには地下鉄日比谷線の築地駅から2駅を乗り継ぐ。

マロニエ通りを歩く通勤で微かに零れてくる朝日が新緑の鮮やかさを照らすのを見るのが好きだった。

今朝も この通りから零れる朝日がとても心地よい・・・通勤の朝だ。

そういえば、なぜだろう、この季節になると結衣のことを思い出す。 

遠い・・・今はもう遠い昔。 

月日とともに 結衣は少しずつ 確実に僕の記憶から遠ざかる。 心から好きだった人。

僕は今も彼女のことを忘れていないのか・・・愛しているのだろうか・・・。

だから僕はまだこうして一人なのだろうか・・・。

いや・・・違う。 僕は前に進んだ。 ただ彼女以上に愛せる女性にいまだ出会えていなかっただけだ。



「よっ! おっはよう!」

いきなり後ろから大きな声をかけられた。 あの女だ。

あいつが入社してからもうすぐ2ヶ月になろうとしている。 結局今年の新入社員は中途採用のこの女ひとりだった・・・よりによって。

まったく・・・せっかくの清々しい朝が台無しになった。

「なになに?

 朝から遠くを見つめちゃうような目をしちゃってさぁ・・・」

古谷奈緒。 25歳。

入社したての頃、いかにも どこかのお嬢様みたいな態度で仕事についていたのが功を奏したのか、認めざるを得ないその容姿の良さが幸いしてか、はたまた 元来この女に備わっているのだろう、誰にでも好かれるような愛想の良さのおかげで社の連中・・・男女問わず絶大な人気を獲得しているし、癪なのはまるで社会経験が無かったというのが嘘のように日々仕事面でも急速に成長を続け 仕事も完璧にこなすばかりか 仕事を与えてもプラスアルファの仕事をこなしてしまう。

肝心の“ 通訳 ”としての仕事も、悔しいけれど・・・さすが帰国子女。 ネイティブな英会話で 英語を話しているその姿は紛れも無くカッコ良いし、海外からの駐在員にも絶大な人気と誇るようになっていた。

少し大げさに言えば会社の顔、アイドル的な存在。 今ではもう何年もこの会社にいるかのような存在感まである。

天は やはり二物を与えるものなのか・・・。 

まさしくいまや彼女は僕のチームの顔だ。

しかし・・・

そんな彼女だが あからさまに どういうわけか僕にだけはその態度が 最初から違っていた。

普通に会話をしたかと思えば、突然機嫌が悪くなることもある。 そしてひとたび口論となればなにかと本気で突っかかってくる。 他の社内の奴等にはしおらしいくせに。

社内の人気度向上とは裏腹に 僕の中での好感度は日増しに下降線を辿る。

大体にして 朝からこの挨拶、しかも 一応は上司という立場の人間に向かってだ。

大体にして馴れ馴れしい。

「あのさぁ、朝っぱらから言いたくは無いけど・・・、

 お前、仮にもオレはお前の上司なんだぞ。

 口の利き方 って知らないの?

 朝 会ったらさ まずは“おはようございます”だろうが・・・」

・・・まだ話しているのに ツカツカと人の前を歩き 颯爽と追い越して行く。

『この野郎、人の話くらい聞けよ!』

「なぁ~んだ、朝からお説教?

 レイって意外に常識人なんだぁ」

さらにムカつく。 

『“ レイ ”って・・・あのなぁ・・・オレはお前の友達かよ!?』

コイツだけは僕のことを入社二日目から 馴れ馴れしくも“ レイ ”と呼んだ。

『なんか リーダーって柄でもないし・・・

 そうだ! 名前 レイジ だから レイ ね』 

唖然として言葉も返せなかった。

レイ なんて・・・そういえば昔 ニューヨークへ1年ほど滞在していた時に そう呼んだ男がいたな・・・いやいや、そんなことはこの女の問題と何も関係が無い。

いい加減 でかい説教でもしたくなる。

「あ~ ヤバイ! 遅刻しちゃうじゃんかぁ。

 まったくぅ」

『まったく?? 話しかけてきたのはお前だろうが!!』

自分の言いたいことをさっさと話したその“ 悪魔 ”は またいつものように僕のことなど無視して 会社へと走り出した。

『お前は“横山やすし”か!? ちっとは人の話を聞けよ!』

ヤバイ・・・こっちが遅刻しそうだ。



「おはよう、奈緒」 社内の隣のデスク、桐山静香。 あたしよりもひとつ年下だがしっかり者の女の子。

『えええ???

 アメリカからの帰国子女って聞いてたけどニューヨークに住んでたんだぁ・・・。

 いいなぁ、ニューヨークが故郷なんて・・・羨ましいなぁ』

そう言って人懐っこい笑顔を見せ 話してくれて以来公私共に仲良しだ。

入社日当日 今思い出しても忌々しいあの「挨拶」の日、心臓が張り裂けそうだったあたしは レイに連れられてこのチームのこのデスクに付いたその時、親切に優しく話しかけてくれた彼女にもの凄く助けられたし 以来 女のあたしが惚れるような静香に一目惚れをした。

実際 仕事に関しては静香がいなかったらあたしはこんなに早くこの仕事に順応などできなかっただろう。

そして 静香は本当に可愛い女の子で、今のあたしに無いもの・・・素直さや可愛らしさなど、すべてを残している女の子だった。

彼女は あたしの『失った 日本の時間』の先生にもなってくれたし、そしていつしか短時間の間にあたしたちは 互いのことを何でも話し合えるまでのベストフレンドになれた。

「おはよう」

「なになに、遠くから見てたけどぉ・・・今朝のマロニエ通り。

 レイジくんと仲良さそうにしちゃってさぁ・・・」

「えええ???

 やめてよぉ あんな奴。 カッコつけちゃってさ

 仲良くなんかしてないもん。

 それに 静香、あたしは結婚してるんだからね へんなこと言わないでよね」

嘘。

静香に言ってもらえたことが 少しだけ嬉しくて仕方なかった。

静香は 時折まるであたしのお姉さんみたいになる。 あたしは見せかけの大人だけど 彼女は本当の大人だなぁと感じることも多かった。

彼女には 啓吾も会わせた。 入社一週間目の最初の休日。

なんとなく、本能的に 啓吾に会わせなきゃ、そう思った。 そうすることであたしの中の もう一人のあたしが“ 制御 ”されるだろう。 そう思った。

『可愛い人だね』 啓吾はいつもの優しすぎる声でそう言った。

『良かったね、日本で友達ができて』 ・・・ごめんね、啓吾。

あたしの狡さに またあなたを利用した。

そして つい2日前のこと。

静香に誘われ ふたりで食事をしながら その席で、あたしは啓吾にも話していない“ あのこと ”を彼女に話した。 なんとなく静香にだったら話していいと思った。

でも ホントは誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない。 

誰にも話した事の無い、親にも話せなかった あたしの中の想い。

それもこれも、止まった時が動き出したせいだ。

そのことを話し、聞いた静香は驚いた。 当然だ。 あたし自身が 今一番驚いているのだから。

そして全てを聞き終えた彼女は 泣いていた。


あの頃、 “ 少女 ”だったあたしは、強く生きようとすればするほど孤独で、耐えられない辛さを味わった。

いつしかその孤独や辛さから逃れる術を知った。

あたしは自分が成熟していく過程で “ 女 ”としての特権・・・“ 女 ”という武器を使って、その孤独や辛さから逃げることを選んだ。 そうすることでどんなに心は孤独でも あたしの傍には常に誰かがいてくれるから。

あの街は 開かれた街であって、しかし人種差別が根強く残る街。 常に白人・・・特にイングランド系の移民を先祖に持つ生粋の白人が常に優位な場所。

その中でアジアの女は ある種の性の対象としては 興味をそそられる存在だったのだろう。 甘い言葉を囁き まだ“ 少女 ”だったあたしを通りすぎていった何人もの『外人』。

その中でも本当に好きになった男の子もいた。 しかし 好きになった男の子も そうではない男の子も 所詮彼らの人種差別は あたしを、東洋の女として性の対象 と求めていただけだと気づいた頃には あたしはもうどうしようもなくなっていた。

幻想を追い続けるのは疲れる。 ましてやどんなに待ってもそこにはあたしが本当に求めた人は 結局現れなかった。 あたしを救ってくれるのは “ 彼 ”しかいないと思っていたから。

そんな どうしようもない時に、優しくしてくれたのが啓吾だった。 出会ったのは親がマンハッタンで経営していた飲食店で、あたしは手伝いでウエイトレスをしていた時だった。 啓吾は 当時 ニューヨークに出向に来ていたビジネスマンだった。

同じ日本人。

そして 心の底から あたし という人間を求めてくれた人だと思えた。

惹かれた。 “ 彼 ”を忘れさせてくれるかもしれない・・・そう思って付き合った。

そして・・・結婚をした。

諦め と、期待。

しかし・・・。


「ねぇ 奈緒。

 どうしても話さないの?」

「え?

 ああ・・・あのことね。

 静香、絶対に秘密だからね、ね、お願い」

「・・・うん・・・奈緒がそれでいいなら・・・」

全てを聞き終え、静香はそう言った。

しかし、今更どうにかなるものではない。 時は流れた。

どんなに“ 彼 ”を想おうと求めようと、啓吾と結婚してしまった以上、何も変わらない。

なら・・・そばにいれるだけでいい。 そう自分にも言い聞かせた。

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