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prologue~2

その老人は そこ を動こうとはしなかった。

リバティ島のフェリー発着場から 遠くに聳えるマンハッタンと自由の女神を眺めていた。

白髪の目立つ髪にハンチング帽を乗せ、胸元はクリスマス最中でもキチっとタイを締めたスーツ姿、その上には遠めにもわかる上質のツイードのハーフピーコートを着ている 紳士 というのがピタリと当てはまるような品の良さそうなアジア人、中国人だろうか 韓国人だろうか、それとも日本人なのか・・・60歳はとうに超えているであろう老人だった。

そして、僕も同じように“ それ ”を眺めていたせいで 人の流れが自由の女神へと向いて行く中で、明らかに僕等二人は異質だ。 

そのせいもあっただろう、僕はつい老人に目を向けた。

とても感慨深げに“ それ ”を眺めては時々 笑みを浮かべている。

 

その紳士がこちらにも目を向ける。

目が合う。

その老人がアジア人という印象もあってか つい日本に居る時の感覚で僕は軽く会釈を向けた。

「やぁ、こんにちは」

よく通る低く澄んだ声。 日本語だった。

僕はほんの少しだけ面食らった。 それは このニューヨークのこのシーズンに、確かに日本人の観光客も多く目に付くが、だからと言って皆が皆日本語で挨拶など交わさない。 いや、交わせないでいる。 第一 アジア人だからといって日本人とは限らないし、この街ではむしろ今も昔も中国人や韓国人のほうが圧倒的にそのコミュニティーを持っている。

しかし その老人は まるで何の躊躇もせず僕に日本語で挨拶をくれたのだから。

「どうも・・・」

僕はそっけなく答える。

その言葉を交わしただけで、老人は自由の女神へと歩き出した。


現在 あの2001年の同時多発テロ以降 “ 自由の女神 ”への観光はある程度の制限がされてしまった。2004年7月までリバティ島への上陸自体が禁止されていたし、それ以降も台座部分の内部までの公開が再開はされたが、安全上の理由とのことで以前は昇れた頭部にある展望台の再開は見送られていた。

2009年7月、頭部の展望台はアメリカ独立記念日に合わせて、入場者数の制限付きながらも再開された。

しかし 今 結局はあの頭部にある展望台へは なかなか行けないのが現状だ。

僕は感慨深くその展望台を見上げていた。

“ あの場所から世界を見渡し、

  普段は 照れて言えなかった言葉を伝えることが夢だった。

  本当に愛した人にしか言えない言葉を 特別な人にだけ あの場所から言う・・・。

  願いは叶わなかったけれど・・・ ”



僕の生涯には2人の愛した人が存在していた。

初めて人を愛するという尊い想いと苦悩をくれた結衣は、共にこの街へ訪れる という約束をしたにもかかわらず その夢を果たすことも無く亡くなった。

代わりに結衣は その後 僕をこの街へと導いてくれた。

僕は この街で1年暮らした。

そして、結衣が導いてくれたこの街で僕はその後の人生を左右してくれた運命の女性と出会う。

奈緒。

しかし・・・。



「ここもテロ以降 警備が厳しくなりましたなぁ」

“ 自由の女神 ”像を眺めていると 背後から声をかけられた。

あの老人だった。

僕は日本語で答える。

「こんにちは・・・」

それ以上は何も言おうとはしない老人。

「あのぉ・・・どうして僕が日本人だと?」 何気ない会話。

間近で見る老人は やはりその生きてきた年輪を物語るかのような深いシワまれと穏やかな笑みが特徴的だった。

「会釈をしてくれたでしょう? 私を見かけたときに。

 その会釈がね、

 いかにも日本の会釈の仕方でしたから」

そうか・・・、アジア人とはいえ そのそれぞれの文化や歴史がもたらす美徳観念ともいうべきものが会釈には確かにあるのかもしれない。

「そうだったんですか」

「こちらへは観光ですかな?」

「多少趣旨は違いますが、ビジターであることに変わりは無いです」

「そうですか」

そんな会話を交わしている横を何人もの他民族の観光客等は通り過ぎていく。

「そうそう、失礼してしまった。

 申し遅れてしまいましたが 私は新見 と申します」

「こちらこそ、僕は藤田 と言います」

僕等は会話を交わしていた。 老人は自由の女神を眺めているだけだったし、僕もまた同じだったからだ。

「新見さんは観光ですか?」

「いえいえ、

 もうかれこれ何十年もこの街で暮らしてるんですよ」

不思議な空間だった。 ニューヨークで交わされる日本語の会話。

「妻を・・・」

「え?」

唐突に語りだした老人。

「いえね、妻を随分と昔に亡くしましてね。

 それ以来 ずっと一人でこの街で暮らしています。

 まぁ お若いあなたには ただのつまらない思い出話でしょうけどね、

 ・・・

 なんだか つい口走ってしまいました」

そう言いながら 目を細めて笑みを浮かべる老人。

僕はただ黙って聞いていた。

「妻がこの場所・・・あの展望台から眺める景色がお気に入りでしてね、

 生前は毎年 この季節、このイブの日に 

 自由の女神に訪れては 二人で展望台まで昇ったものでしたよ。

 毎年 妻にクリスマスにはここからの世界の景色を見せるというのが結婚当初からの約束でしてね。

 だから今もってクリスマスにはこの場所に来ている・・・

 まるで 忠犬ハチ公 みたいなお話でしょう?」

そこに佇んで 話をしながら優しく笑みを湛える新見老人は・・・なんだか凄く見えた。

僕は つい聞き入っていた。

「そうだったんですか・・・。

 あのぉ・・・

 失礼だとは思いますが奥様は 随分昔にお亡くなられた と話していましたが、

 もう随分と経つんですか?」

「そうですねぇ・・・もう40年になりますかな。

 なんだかんだとありつつも 私ももう70歳を超えましたから」

40年・・・。

40年もの間、この老人は毎年この場所を この季節に訪れているのか・・・。

そう思ったことが伝わったのか、老人は笑いながら言う。

「なに、今では毎年の行事みたいなモンですよ

 それに独り者の爺さんには こうして出歩くこと自体が少なくなる中で

 散歩にもなりますしな」 笑みを湛える。

なんて素敵な笑みを浮かべるのだろうか・・・その老人の顔に刻まれた一つ一つの深いシワが 異国で しかも伴侶を失った後40年もたった一人で暮らして それでもなお 生きてきた人の歴史のを語るようだった。

「40年ですか・・・それ以降はずっとお一人で・・・?」

「あはは、再婚の話は何度かありましたが それも縁がなかった。

 だから今も一人なのでしょうなぁ」

そう言いながらも老人の表情は 確かに今も亡くされた妻への愛に満ち溢れているようだった。

この老人は もしかしたら ずっと“ 一人 ”ではなかったのかもしれない。

いつ どんな時でも 最愛の人を失ってからもなお その伴侶と共に生きてきたのかもしれない。

「藤田さんは・・・お一人ですか?」

「はい。

 この旅行もひとりですが、身辺も 40歳を超えて なお ひとりものです」

続けて僕は 自由の女神とマンハッタンを眺めながら話していた。

「実は・・・今日は世界中で一番大切な女性と また出会う為の約束の日、

 そして ここはその 約束の場所 なんです」

「ほう・・・それはそれは」

新見老人は 優しく微笑む。

「あ、でも 絶対にその彼女には会うことは・・・

 ・・・もう無いんですけどね」

見ず知らずの、しかもたった今であったばかりの人間に・・・なぜだろう・・・、

僕は彼女のことを話しているようだ。

新見老人は ただ黙って僕の話を聞いていた。

僕は 自由の女神と 遠くに見えるマンハッタンを眺めた。

ニューヨーク、そして東京。

思い出がシンクロする。

しばらくの沈黙の後 彼は僕の表情を見つめていたようだ。

「藤田さんは・・・」

「はい」

「藤田さんは そのぉ・・・

 もう会うことは出来ない と知っていてなお、それでもここへ訪れたのですか?」

僕はしばらく沈黙した。

彼女の言葉、彼女の全て、それらが走馬灯のように心をぎる。

「そうですねぇ・・・

 たった一つの たった一度きりの 約束 でしたから」 

僕には自然に笑みが零れた。

彼女を想う時 僕は笑顔になれる。

「そうでしたか・・・」

またしばらくの沈黙。 

新見老人は どうして僕が大切な人に会えないのか、なぜ僕がその約束を果たそうとしているのか・・・何も聞かなかった。

ただ 話す僕の表情を見ていた。

そして・・・

「人生はいろいろとあるものです。

 まるで 波のように 楽しい時も辛い時も、

 時には自分がどうしてこの場所にいるのか、どうして生きているのか・・・

 それすら見失いそうな時があると思うんですよ」

僕は黙ってその言葉の続きを待っていた。

「今は何もかもが 思い出されると笑顔になれるようになりました」

・・・

「年老いてくると何もかもが優しい思い出に変わるもんです。

 それでも、苦しかった時や辛かった時代、

 そこに縛られたり 後悔するだけでなく 

 全てを受け止めて、全てを受け入れて、前を向いていければ 笑顔になれる。

 人生なんてそんなモンですよ。

 結局は 辛いことも楽しいことも受け止めて それでもいつでも前に進めたら、

 自分が死を迎える前には きっと神様はご褒美をくれる・・・。

 その時に一番幸せを感じるのじゃないですかねぇ」

そう言いながら穏やかな笑顔を浮かべる年老いた老人。

僕の何倍も辛いこともあっただろう、楽しいこともあったであろう人生。

それでも人は こんなにも優しい笑顔を浮かべられる。

「あはは、すみません なんだか偉そうなことを言ってしまいました。

 どうか 年寄りの戯言と聞き流してくださいな」

なんて幸せそうな笑顔なんだろう。

僕は前を向いて進んでいるのだろうか・・・、

それともこの旅で過去にとらわれて生きていくのだろうか・・・。

「藤田さんにとっては きっとそのお約束のお相手は 

 さぞ大切な人だったのでしょうなぁ」

僕は無言だった。

ただ心の中や 想いの向こうには奈緒がいた。

無言の僕に新見老人は言葉を続ける。

「いや・・

 言わんでもあなたを見ているとわかりますよ」

「どうしてですか?・・・」

「それは・・・

 あなたが 『もう会うことは無い』と話したにもかかわらず

 今 この場所に立っているからですよ」

そう言いながら彼は笑顔を向ける。

嬉しかった。 なぜだろう・・・。 ただ そう言ってもらえたことが嬉しかった。

「とても大切な人でした。

 新見さんの亡くされた奥様を思う気持ちには敵わないとは思いますが、

 僕にとっては この生涯を賭けてかけがえの無い存在でした」

新見老人はその僕の言葉を聴いて また優しく微笑んだ。

「さて・・・そろそろ私は戻りますかな」

「あ、すみません、なんだかお時間を頂戴してしまって」

恐縮する僕。

「いえ なに こちらこそ出会えてよかったですよ」

僕らは握手を交わした。

去っていく年老いたその老人の背中が、しかし とても強く 僕の目には映った。



突然の出会い。

たわいも無い会話。

しかし 僕は 新見老人の話した亡くされた奥様のために40年もの長き間 その大切な人との約束を果たすためこの場所を訪れていることの意味の深さと、

『人生はいろいろある・・・』という僕に向けられたと同時に、自身に向けられたその言葉に触れられただけでもここに来て良かったのだと思えた。

僕の人生・・・。

沢山の出来事が僕には起こった。

しかし、それは・・・今なら言える。

全ては奈緒に出逢うために運命に導かれてきたのだと。

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