episode Ⅲ(ニューヨーク)~10
日曜日。 とてもよく晴れた秋のマンハッタン。 やがてもうすぐ冬が訪れる。
この街で2度目の冬。
僕は丸い外壁が見事に復元されたクリントン砦の前にいた。
ニューヨークベイから吹く抜ける風がとても心地よい。 その向こうには自由の女神が見える。
ロウアーマンハッタンのバッテリーパーク。 なっちゃんと待ち合わせだった。
少女のたっての希望で今日は少女とデートだ。
「お兄ちゃん、今度ちゃんとデートしてよね。
子供として じゃなく、ちゃんとレディーとして扱ってよ」
「ニューヨークにせっかくいるんだから お兄ちゃんと自由の女神へ昇りたい」
それが少女からのデートの条件だった。
自由の女神 か・・・。
いつだったか 結衣もふたりで昇りたいと話していたはずだ。
僕は少女が望むデートを了承し、今ここにいる。
少女と知り合ってから僕は いつも笑顔を貰っていたような気がする。
荒んだ僕の心をとても純粋な気持ちへと戻させてくれるなっちゃん。
その出会いもまたとても大切な出来事だった。
結衣。
オレは沢山の人に支えられながら生きているよ。
その中でも君は優しく 強く いつも僕を見守ってくれた。
誰よりも本当のオレを理解してくれていた。
君が本当に僕に望んだものは夢を実現させることでも売れることでもなかったんだよな。
好きな人のそばにいて、ただその人を心から想い、そして歌う僕に触れていたかったんだよな。
売れるかどうかなんて君には関係のなかったことだったんだよな。
なのにオレは・・・。
売れたい、売れれば君が喜んでくれるとばかり思っていた。 君と幸せになれると信じていた。
今 君の望んだこの街に僕はいて、ひとりになり、そして 大切な人たちに出会った。
その人たちのために何かを残してあげたいと歌ったよ。
そこには偽りも 計算もなかった。
結局は それこそがオレの歌う意味、真実だったことに気付いたよ。
結衣・・・ありがとう。
しばらくは・・・もう君に会えなくなるけど・・・心配しないで。
もう ゆっくり休んでくれよ。
オレはオレのままで ちゃんと生きていくから・・・。
バッテリーパークのどこからか歌が流れる。
一人で行くには道があまりに寂しすぎて、
先が見えない道程にあなたが立ち止まってしまう時、
そして、愛は運命と力を手に入れた者にしか訪れないとあなたが悲嘆にくれている時、
思い出して、
真冬のどんな深い雪の下にも種が埋まっている。
それは、春になれば暖かい太陽の光を受けて、花開く薔薇になる。
『The Rose』
女優ベッド・ミドラーがあの伝説のロッカー、ジャニス・ジョプリンをモデルにしたとされる映画で主演し そして歌われた曲だ。
瞳を閉じ その歌に聞き入る。
「おにいちゃん・・・」
突然声をかけられた。
なっちゃんがとても艶やかなブルーのワンピースに白のカーディガン姿で パークの椅子に腰をかけていた僕の横に立っていた。
ドキッ とさせられた。
それはなにも 突然声をかけられたからだけではない、今まで見たことのない14歳の少女らしさと可憐さを装ったなっちゃんがそこにいたからだ。
いつもまるで男の子のような格好、ともすれば少年のような格好。
そして痩せていることもあり 余計にある意味で女性を感じさせない体型。
それが・・・出会った頃よりもはるかに高い目線を向けなければならないほど背も伸びているような気がする。 早い速度で成長していくのがこの年頃の女性なのか。
長い髪を「お母さんに 結ってもらったの」と話し アップにしたなっちゃんは少女から少しだけ大人の少女へと変わっていた。
ブルーのワンピースが秋のマンハッタンを射す光に照らされて とてもよく似合っていたし、この少女にはなによりも およそ不釣合いなほど 強さというか、そういったものが瞳の奥に宿っている。
痩せて 華奢な彼女、か細い腕、小さな胸に抱え続けてきたであろうこの街に来てからの痛みさえ、少女は自分の強さにすっかりと変えているのだ。
「へぇ~、なっちゃんも大人になったんだねぇ
出会った頃が少し前なのに背も伸びてるんじゃない?」
「うん、お兄ちゃんと出会った頃からするともう5センチも伸びてるんじゃないかなぁ。
ねぇねぇ もっと背が伸びたらさぁ
お兄ちゃんの彼女 みたいに、みんな ふたりを見てくれるかなぁ?」
「あ~、それは無理だな。
だってなっちゃんはまだまだ子供だしさ、
ちなみに 兄弟 としてならみんな見てくれると思うよ」
仏頂面のなっちゃんがとても可愛いかった。
「さっきさぁ 結衣さんのこと考えてた?
ほら、あたしを待っててくれてた間・・・」
リバティ島に向かうフェリーの風の中でなっちゃんが話す。
なんだ、しっかりと見られていたんだ。
「ああ、そうだね。
結衣に さよなら を言ってたよ」
「え?」
「うん、さよならをね。
だってさぁ もう いい加減天国に“ 帰して ”あげないと結衣が可哀想じゃん。
いつまでもオレなんかに引き連りまわされてさ。
だから もうしばらく逢えなくなるよ って さよなら をね」
「うん・・・
そっかぁ・・・」
何故かとても淋しそうに そして少しだけ嬉しそうになっちゃんが微笑む。
リバティ島で見上げる自由の女神は本当に威風堂々としたものだった。
高さ93mのそれはまさしくこの街の希望だ。
「ねぇ おにいちゃん、中に入ろう?」
そのとき不意に結衣のことが思い浮かんだ。
なぜだろう・・・
僕はなっちゃんに
「あ、なっちゃん ごめんね。
やっぱ、中に入るの・・・今は遠慮しとくよ、オレ 高所恐怖症だしさ」
「え~ 嘘!
いつもエンパイヤとか昇ってるくせに・・・どうしてぇ?」
「うん・・・なんとなくね」
間違いなく結衣のことを思い出した。
それからしばらくふて腐れたように文句を言う少女に僕は、
「なっちゃん、
王冠までいくのは 本当に好きな人とだけ昇ってみたいんだ。
前に 結衣とそういう事を話したことがあった。
今 結衣はもうこの世にはいないし
この先 オレに好きな人が出来るかどうかもわからないけど、
ごめんね、なっちゃん、そんな人が現れた時 もう一度この街に、この場所に来て
その人と二人で一緒にこの街を眺めてみたい」
どうしてそんな行動をとったのか、どうしてこんなことを口走っているのか、自分でもわけがわからなかった。
ただ・・・なんとなく 今はこの場所に上るべきじゃないって気がしたし、それに何故か僕にはまた何度かこの街に来るという予感めいたものがその時芽生えた。
そしてその時には僕の隣にいるであろう 結衣以上の存在の人がいる と感じていた。
なっちゃんは物凄く不機嫌そうな顔をし、散々文句を話した後、それでも
「うん わかったぁ。
でも・・・ここまで来て昇らない人はきっと世界中でお兄ちゃんだけだと思うよ」
と ふて腐れた。
「アハハ、そうかもね。 でも それもオレらしくていいんじゃない?」
少女の膨れっ面を見ていて僕は、なっちゃんがとても愛らしく感じられた。
リバティ島を後にして 僕らはブロードウェイを歩き トリニティ教会を眺め ワールドトレードセンターの近くでランチを取り 僕らはチャイナタウン、リトルイタリーへと向かった。
その間も 少女の要望で 片時も握った手を離さずにいた、手を繋いで歩いた。
リトルイタリーでは なっちゃんの大好物だというティラミスを食べ、バワリーを歩き、サウス・ストリート・シーポートまで。
つい最近ここは大規模な再開発が施工されブロックに分かれた地区を持ち 地域の町並みを保存したミュージアムが立ち並ぶ、そのショップでは少女の買い物に付き合わされた。
沢山の買い物をしては僕はまるで執事のように買い物袋を持った。
レストランで少し早目のディナーを取った。
その間も彼女は絶え間なく沢山のこの街での出来事や これまでのことを面白おかしく話してくれた。
それはまるで これまでの自分史だ。 そしてその自分史を僕に忘れて欲しくないとでも言うように話しているのが伝わってくる。
もう僕が日本へ帰るということをこの娘は認識している。
「ブルックリンブリッジから眺めるマンハッタンが観たい!
ね、おにいちゃん、橋を歩こう?」
「いいけどさぁ、君が今更マンハッタンが観たい なんて、変じゃねぇ?」
「いいの! お兄ちゃんと一緒に観たいんだから!」
そう言うと そそくさと彼女は走り出していた。
もう夜だというのに 相変わらずこの街は眠らない。
ブルックリンブリッジを少女と二人で歩きながら、僕はこの街へと最初に足を踏み入れたあの冷蔵庫の中のような冬の寒さを思い出していた。
今、ここから見える景色はあの頃とは何も変わらないだろう。
しかし その光は絶望の光から 希望の光へと見えている。
イーストリバーから両サイドに広がるマンハッタン。
遠くにはミッドタウンのビルがお行儀よく並んでいる。
ロウアーマンハッタンのビルの夜景、港に並ぶ船たち。
全てが光り輝いているこの時間のマンハッタンの夜景の中に、沢山の喜びと悲しみと虚像と群像が交差し そして今日も僕らは生きている。
「ニューヨークは・・・最初 嫌いだったけど、今はこの街が好きになってきたよ」
そう話す僕の横で本当に楽しそうに 繋いだ手を 腕を振りながら必死で僕の歩調に合わせながら歩く少女。
その少女が 突然歩くのを止め、それまでとはまるで違う寂しそうな声で僕に問う。
「もう日本に帰るんだよね?」




