episode Ⅲ(ニューヨーク)~3
ニックとの“ ライン ”は日増しに強くなった。
凍てつくマンハッタンで、そのラインは凍り付いていた僕の心に微かな暖かさをもたらしていることだけは確かだった。
僕らは週のほとんどの夜を出会ったバーで共に時間を過ごしたし、ジョークを交わしながら互いの心の中をさらけ出せるまで親交を深めた。
彼は真冬のニューヨークにあっても、いつでも長年着古したようなトレンチ・コートを羽織ってやってくる。
真冬だというのに多少不釣合いなその格好がどうしてなのか?と僕が質問すると
「どうだい? まるでハンフリー・ボガードみたいだろ?
随分と昔のアクターだけど オレの一番のお気に入りの俳優さ」
そう話しては少しおどけながらハードボイルドを気取り、それでも少年のような笑顔を見せた。 つまらないと思える“ こだわり ”、しかし 誰にだって一つや二つ そんなこだわりがあって良いだろうし、無けりゃ そいつはつまらない男かもしれない。
自称“ 画家 ”だと話す彼に ある時僕は
「君の作品を見せてくれよ」 と頼んだ。
翌日彼はバーへ白紙の画用紙と『ビレッジボイス』紙を持ってやってきた。
「いいかい、レイ。
これがオレの作品さ」
そう自慢げに言いながら彼は『ビレッジボイス』を手で千切り出した。
そして粉々になったニューズペーパーを無造作に次々へと真っ白な画用紙に貼っていく。
無数の文字、記事中の写真、引き裂かれたビルディング、そんなものをいかにも楽しげに 時には辛そうな顔で感情の赴くままその画用紙に貼って見せた。
一見 無茶苦茶に、なんの決まりごとも無く貼られていくような動作だが、しかしそれは違っていた。
引き裂かれたものの中から、写真や記事をものの見事にチョイスしながら貼られていた。
例えば、事件。 例えば死亡記事。 例えばルームメートを募集している活字。
彼にとってこの街の その日の気になる出来事を あえて引き裂き貼られている。
「レイ、この意味が君にわかるかい?
いいかい?レイ・・・
この引き裂かれたビレッジボイスそのものが僕にとってのニューヨークさ。
そしてそれを貼ったこのキャンバスそのものがオレのアートそのものなんだよ」
真っ白のキャンバスと 情報の詰まったニューズペーパーの屑。
それがニックの作品。
・・・。
悪くはない。
彼と過ごしていると僕はこの街でも“ 普通の人間 ”に戻れたような気がしていた。
いや、何も彼が変人というわけではないし、そういう僕もいたってノーマルだ。
ただ、日本での過剰とも思われた人気と騒がれ方。
それに順ずるようにプライベートも何もなかったあの喧騒を考えれば、彼と過ごすこの時間は まともな人間で入れるような気がした。
この国では僕は有名ミュージシャンでもなければ なんでもないただひとりの“ 男 ”だ。彼には 僕が日本でミュージシャンとして活動していることを話していたし、所謂 パパラッチ達に追い回されるほどの人気があるアーティストだと話したが 彼はこういった。
「そいつは凄い。
ただ 君はアーティストである前に 一人の人間だろう?
そして一人の人間としてのアーティストなんだろう?
だったら この街ではみんながアーティストさ、
生きていれば それはみんなアーティストさ」
「みんなが?」
「そうさ、生きる という意味においては それぞれが何かを想像し、
それぞれが苦悩を抱え
そして それでも自分の存在をなにかで示しながら生きている。
まさにアーティストだよ」
そういって 軽くウィンクをして見せた。
春になり ある日 珍しく僕は チェルシーにある、まともなレストランで食事をしていた。
もうこの街特有に無数に存在する“デリ”で調達する料理には飽き飽きしていたし、コリアンの経営するドラッグストアで買うコンビーフにもウンザリしていた。
たまにはまともな食事をしなければ。
久しぶりのディナーと呼べるディナーを楽しんでいると ドアーの向こうからとても綺麗なアジア人であろう・・・30代前半くらいか・・・いかにも和服の似合いそうな女性が小学生高学年くらいの女の子と 小学生低学年ほどの男の子を連れて 同じくディナーを取るべくレストランに入り そして僕のすぐ後方の席へと座った。
子供が その女性に 聞き慣れたはずの言葉なのに この街では妙な違和感のある日本語を話していた。
その日本語を聞いた時、僕が日本語を話しているわけでもないのに、なぜか少し気恥ずかしいような なんともいえない不思議な感覚になる。
しかし、どうだ、この多民族都市のマンハッタンで同じ日本人同士が隣り合わせの席でディナーを共にする、不思議なものだ。
突然 僕は背中越しにその綺麗な女性に話しかけられた。
「こんばんは、失礼かとは思いますが・・・あなた 日本人?」 英語で聞かれた。
「ええ、ミセス。 日本人です。
観光ではないんですけど ほんの少し滞在しようと思って
単身で 今イーストビレッジのあたりに住んでいます」
英語で返す僕。
改めてその女性と向き合う・・・綺麗な大人の女性だった。
またその女性の綺麗さを受け継いだのか そばにいる女の子も愛くるしく可愛らしい子だった。
「やっぱり。 なんとなくそのような感じがしたの。
よかったら 一緒に食事を取りませんか?
この街で同じ日本人の方とこうして話せるなんてきっと何かのご縁でしょう」
今度は日本語で話しかけられた。
「それに・・・」
彼女は僕の格好を見ていた。
「観光でもなくおひとりで滞在しているなら・・・きっとお食事も大変でしょうから」
その日の僕の格好ときたら着古したライダースジャケットに 相変わらずボロボロになりかけたジーンズにブーツ。 おそらくあまりの格好の酷さに なんとなく貧しさを感じたのかもしれない。
「ありがとうございます。ミセス・・・」
「中谷 です」
「ミセス・中谷、いえ、中谷さん ありがとう。
本当は物凄く貧乏滞在中で、いつもはデリは僕のキッチンなんだけど
今日は久しぶりのまともなディナーなんです。
そんな食事の時間を同じ日本人同士で過ごせるなんて嬉しい限りです」
懐かしかった。
他愛もない会話。 しかし懐かしさもあって 僕等はつい同じテーブルで食事を共にしようという言葉に甘えた。
この街に来たばかりの頃の荒れていた心のままの僕だったら こんな風には出来なかっただろう。 改めて ニックがくれた“ ライン ”を繋ぐ ということに感謝だ。
それに この日の僕は なぜだか日本語で話していることが、心を落ち着かせていた。
僕らは食事をしながら 互いのことを少しずつ話した。
僕の仕事のこと、ニューヨークに滞在する訳を、日本のマスコミやつい追われてしまう仕事から逃げてきたのだと話した。 しかし 結衣のことには触れなかった。
中谷さんは 家族で8年前に渡米し、暮らしていること。 旦那さんは縁もゆかりも無いこの国に渡米し、自身で日本食レストランのオーナーシェフとして開業、現在やっと軌道に乗ってきたことなどを教えてくれた。
取り留めなく続く会話。 ニックとはまた別の 穏やかな“ ライン ”を持たせてもらっている。
その日の別れ際、僕らは次のディナーの約束をするまで親しくなった。 異国の地での同じ人種という“ 繋がり~ライン ”だ。
そして僕らは次第に月に2・3度、多い時は一週間に2回は 彼等のご好意に甘えて営業終了後のご夫妻の経営するレストランで その家族と共に食事を重ねるようになった。
僕らはかなりの速さで親しくなっていった。
『これが同じ民族の“ 繋がり ”なのだろうか・・・』 そんなことを考えていた。
あれほど嫌っていた“ 東京 ”さえ少しずつ懐かしさを覚えていた。
その子供達とは特に親しくなった。
子供は嫌いではなかったし、中でも少女のほうとは特に親しくなった。
実は、僕は語学には多少自信を持ってこの街に来たのだが、やはり日本人の“ それ ”でしかなかった。 ニックとは 彼があえて意識をし スローに話してくれていたし、僕のでたらめなそれも理解を示してくれていたが、やはり街では 僕の英語では通じないことも多々あった。
そんな僕の語学力に気付いてか はたまた不憫に思ったのか、ご夫妻のご好意で、日中多少なりとも時間のある少女が僕の相手をしてくれるようになった。
いわば僕の専属通訳みたいな存在。
そして、彼女はまだ小さいのに ネイティブな英語を話していた。
後に知ったことだが 初めて少女を見かけた時 僕は小学生くらいだろうと思っていたが実は14歳ということも知った。
いつも長い髪を後ろで束ねていた。 身長は140センチ足らず。 お母さん譲りの 端正な顔立ちをした とても愛くるしい少女だった。
彼女はみんなに 『なっちゃん』 と呼ばれていたせいで 僕もそう呼ぶようになった。
ちなみに 本当の名前は? と彼女に聞くと彼女は 『教えない』 といつも決まって言う。 だから僕は彼女にもご夫妻にも聞こうとはしなかった。 名前なんてどうでもいい。
ご夫妻の話ではとても人見知りする娘だということだったが、何故か僕には初めからなついてくれた。
なっちゃんは学校が終わった後など 僕のアパートメントに立ち寄っては マンハッタンを案内してくれたり 英語を教えてくれたり、そんな付き合いをするようになった。
『この娘 少し変わってるから・・・レイジさんさえ良ければお相手してあげて、
同じ日本人として話してもらえるだけで、この娘も少しは心を開くかもしれないし・・・』
そう話された時 正直僕にはどんな意味なのかわからなかった。
しかし 断る理由もないし 退屈しのぎにはなる・・・その程度に考えて 会うことも英語を教えてもらうことも、一緒に街を歩くことも気にはならなかった。
何度か接しているうちに 僕は少女の中に、なにか自分と同じ・・・同じものを感じた。 それは・・・“ 孤独感 ”。
ある日の夕食の席で、僕は夫人にそのことを話してみた。
そうして聞かされた事実はこうだ。
親に連れられて僅か7歳で、わけもわからずこの街に来た小さな少女は、実は今もこの街に住みたくて住んでいるわけではないということ。
少女は 渡米してきたばかりの家庭の事情もあって普通の市民が通う 一般的な学校に通わされたらしい。
しかしそれは 英語も満足に話せなかった少女にとって過酷な条件でしかなかった。 当然ながらこの国の言語も満足に話せないアジアの娘は日本のそれとはまた違う たちの悪い『いじめ』にあってきたのだという。
いつしか少女は自らの殻に閉じこもり、ただひたすらに耐えた。
英語をネイティブに話せるようになった数年経った頃には少女に対するいじめは少なくなっていても、少女自身の心の傷は消えなかったのだろう。
少女は、この街で孤独を抱えたままなのだ。
それでも少女は必死でこの街で戦ってきたのだろう。
誰にも心を開こうとはせず、口を開けば日本に帰りたい との思い・・・親にも反発するだけの今があるのだと夫人は泣きながら教えてくれた。
僕は その少女の気持ちがわからないでもなかった。
居場所を探して戦い続けた日々。
僕はあのマスコミや、自分自身の葛藤する心と戦っていた日々を少女のそれにダブらせていた。
「普段は あまり心を開こうとはしないあの子が・・・。
レイジさんと出会ってから あなたの日本での音楽活動について調べようとしたり、
あなたのことを話して それで親子の会話が成り立つことが多くなったの。
だから あなたさえよろしければ と思って、お相手をしていただこうと・・・」
なるほど。 それが僕の専属通訳の割り当てられた本当の理由だった。
「きっと あの子、レイジさんを好きになったのかもね。
初恋 ってことになるのかしら」
そう話しながら 笑顔を浮かべた中谷夫人には 苦悩を重ねてきた一人娘への安堵感と、期待感が滲んでいた。
以来、僕はその小さな少女に興味をもって接した。
なっちゃんとは 待ち合わせをして“ デート ”したりすることが多くなった。
僕の知らない“ 楽しいニューヨーク ”。 それを少女は教えてくれた。
少女は無邪気だった。 時には恥ずかしがる僕の手を繋いでは街の中を歩く。
「どうせ 兄弟 にしかみえないよね?」
そう言っては子供らしい純真な笑顔を見せる少女。
21歳の男と14歳の少女、不思議な関係の始まりだった。
やがて春の日差しが夏のそれへと変わりだした頃には、結衣のこと、そして音楽のこと、ミュージシャンとしての苦悩、そしてこの街に住み その中で生まれた自分自身の葛藤など、今までなかなか話せずにいたことをご夫妻やなっちゃんにも話せるようになっていた。
全てを話せるようになった僕に ご夫妻やなっちゃんは 時には優しく 時には厳しい言葉をかけながらも まるで僕を今まで以上に家族の一員であるかのごとく迎え入れてくれた。
ある時 中谷夫人が(しずえさん というのだが)僕についてこんな話をしてくれた。
「レイジさんは自分で傷ついたり また人を傷つけてきた分
同じように 人の痛みもわかろうとしてしまうのじゃないかと思う。
痛み を知っている分だけ 余計にね。
もっと 人のことより自分のこと考えて生きなきゃ駄目よ。
自分がどうしたいのか・・・一番大切な答えを探すためにもね。
だって、あなたは結衣さんとは違って 今を生きているんだから
結衣さんは残念ながらその答えを見つけることなく 星になってしまったけど。
レイジさんは その分も生き続けなきゃいけない。
そして自分にしかできない、生きるための答えを見つけて欲しいというのが
結衣さんの願いだったのではないのかしら」
忘れていた。 この街に来た理由を。
そうだ・・・僕は全てをやり直すためにこの街を選んだ。
結衣が出来なかった 生き続ける ということの為、そして自分を取り戻すために。




