家を奪われた少女
私が芳子さんと出会ったのは1937年。当時私は13才でした。
「捕まえたぞ泥棒!!」
「痛い!!離して!!」
私は孤児です。孤児院で他の身寄りのない子供達と暮らしていました。皆私の弟や妹のようなものです。しかし日本軍が大陸まで進行し私達の暮らす孤児院は日本軍の宿泊所になり私達は橋の下で宿無し生活を送っていました。
私達は学校も通っていない子供。読み書きもすこししかできません。当然仕事も見つからず私達は畑や八百屋から野菜を盗んでその日その日を食い繋いでいました。
「黙れ!!盗人。」
しかし八百屋に盗みに入ったところを運悪く店主に見つかり走って逃げましたが追い付かれ捕まってしまったのです。
「離して下さい!!」
「さあ、店に来てもらおうか!!」
無理矢理腕を掴まれ連れて行かれそうになった。その時です。
「その手を離せ!!」
1人の軍人が八百屋の手を掴んでました。
「なんだ?日本軍か。」
「弱い者苛めか?」
「軍人さん、こいつはうちの商品を盗んだ泥棒なんですよ。」
「商品はいくらだ?」
軍人が尋ねる。
「いくらだと聞いているんだ!!」
軍人が商品の値段を支払うと八百屋は去っていきました。その場には私と軍人の二人だけが残されました。
「僕は川島芳子。君は?」
軍人は自分の名前を名乗ると私に名前を尋ねます。これが芳子さんとの出会いでした。
「音苺花です。」
「苺花ちゃんか。まず人の物を取ったらいけないのは分かるよな?」
「それ、日本軍であるあなたが言いますか?」
私は溜まっていた日本軍への恨み辛みを一気に吐き出していた。日本軍に住んでいた孤児院を焼かれた事、仲間達と橋の下で暮らしていた事、そして仕事も見つからず盗んだ食料を皆で分け合って食い繋いで来たこと。
「これも全部日本軍のせいだ!!あんた達が私達の住む場所を奪った!!人の物を取ってるのはお互い様だろ!!」
私は気付くと芳子さんに向かって大声で叫んでいた。
「さあ、お食べ。」
そのまま芳子さんは私を中華料理店に連れてきました。目の前には見たこともない料理が並べられてます。3日間何も口に入れてなかった私は目の前の料理を素手で掴もうとします。
「待って」
芳子さんは私を制止します。
「これを使って。」
芳子さんは私に細長く先が丸いくなってるものを持たせてくれました。
「これはれんげと言ってこうやって使うんだよ。」
芳子さんの手が私に触れ皿の上のお米を口に運んでくれます。
「美味しい。」
「良かった。頑張って作った甲斐があった。」
「芳子さんが作ったのですか?」
「そうだよ。」
この中華料理店は芳子さんの店でした。働いているのは皆退役軍人で芳子さんの部下だそうです。
その後芳子さんは日本軍の横暴を謝罪してくれました。自分が日本軍を止めていれば私達が家を失うことはなかったと。
「僕の責任だ。本当にすまなかった。」
孤児院の仲間の事を話すと芳子さんが里親を探してくれました。私はそのまま芳子さんの店で働く事になりました。