八章 シャトリナ
シャトリナは交易によって発展した商業都市である。
旧レイザードの時代では、諸外国から多くの商人が訪れていたものだ。
カルファラの占領下となってから、一時その数は激減したものの、情勢が落ち着いてからは再び多くの商人が訪れるようになっている。
執政官一つで、町はルナンのようになったり、このシャトリナのようになったりもする。そういった点で見れば、シャトリナは幸運であると言えるだろう。
「ほらよ」
男は訝しんだ表情で剣を受け取り、刃をよく観察した。
刃毀れが直ったわけではない。よく使い込んでいた剣だったため傷も沢山ついていたが、それらがなくなったわけでもない。
男は疑わしそうな目つきで青年を見やった。
「見たところ、変化はないようだが?」
「試し斬りしてみな」
青年は男に木片を手渡した。かなり太めの木片である。これを斬るとなると、相当の腕力と技術が必要となる。刃毀れのしているこの剣で斬れるとは到底思えない。
男は躊躇った。
周囲の目もある。もし斬れなかった場合、自分の腕が未熟だなどと思われたらたまったものではない。
「心配すんな。もし斬れなかったら、そのときは俺の責任だ。もちろん金もいらん」
「いいだろう」
そこまで言われたらやらないわけにはいかない。男は木片を軽く上に投げると、剣を振り下ろした。剣はまるで豆腐を斬ったかのように、何の抵抗もなく木片を鮮やかに寸断した。
周囲で見ていた野次馬たちから、「おお~」と感嘆の声が上がった。が、一番驚いていたのは斬った本人である。
斬れ味が明らかに新品の剣を上回っている。名剣の領域に達しているだろう。
「まさか……こんなことが。お主、一体何をしたのだ?」
「企業秘密だ。それよりおっさん、いい腕してるじゃねぇか」
「む? まあ、な」
自分より明らかに年下の若造だが、褒められて妙に嬉しかった。
「では代金の10シルトだ。しかし、本当にこの値段でよいのか? 以前鍛冶屋に研ぎに出したときの三分の一もないが」
青年は差し出された銅貨を革袋に放り込むと、男に言った。
貨幣は国によって異なるが、金貨、銀貨、銅貨の三種類によって成り立っていることは、ほとんどの国で共通である。
ちなみにここレイザードでは、現在はカルファラの貨幣が使用されている。
カルファラの通貨単位は『シルト』。
1シルトは銅貨一枚。100シルトで銀貨一枚。そして10000シルトで金貨一枚である。
普段、庶民が日常的な買い物で使用するのは主に銅貨と銀貨。金貨は見かけること自体稀な貨幣である。
「さっきも言ったが、実際に研いでるわけじゃないし、効果も七日ぐらいしか続かねぇ。ただし七日以内なら、剣が折れない限り何度戦っても効果は持続する」
「持続期間を延ばしたりはできないのか?」
「できないわけじゃないが、商売にならねぇだろ」
「ふ、ふふはははは。確かにな」
あまりに正直かつストレートに言う青年が可笑しくて、男は声に出して笑った。
「七日後、まだこの町にいるのか?」
「さあな。もしいたら、また付与してやるよ」
「ああ、頼む」
男は去って行った。あの様子ではまた七日後にくるだろう。こんな感じで青年は、着々と金を稼いでいったのであった。
夕暮れになる頃には、革袋は銅貨と銀貨で一杯になっていた。三日前からの売上と合わせればかなりの額になる。しばらくは金に困ることはないだろう。
客足が一時途絶えたときを見計らって、青年はどっしりと重くなった革袋を片手に引っ提げ、露店が並ぶ大通りを後にした。
《んー……?》
それは宿屋に帰る途中のことだった。町の中央広場を歩いていたときのこと。奇妙な感覚が青年を襲った。それは昨日も感じた感覚だった。
上手く説明はできない。しいて言うなら、違和感のようなものだ。
昨日は捨て置いた。自分のいた世界との違いからくるものだと思ったからだ。
だがその感覚は、昨日よりもはっきりとしてあった。
《何だ……?》
以前にルナンを見ていたから余計にそう感じるのだろうが、シャトリナは確かに活気がある。
人々も圧政で苦しんでいるようには見えないし、一見平和そのものである。
しかし、何かがおかしい。青年にもはっきりとはわからないが、どこか違和感があるのだ。
《違和感……? いや違うな……逆だ》
違和感はあって当然なのだ。
自分はもともと違う世界からきたのだから、何もかもに違和感があって当たり前のはず。
しかし、だ。
《シャトリナ(ここ)には違和感がねえ……》
あの、腐敗した闇の世界と違和感がないということが、妙な話なのだ。
《何かあるな……》
青年は直感的に感じた。
活気に満ちた平和な町。その陰に、薄汚い邪悪な闇が隠れている。
恐らく、ろくなものではあるまい。
表に見えないもの、つまり意図的に見えなくされているものは、大概はそういうものである。
そして表が明るいほど、裏の闇は深い。
光が強いほど、影が濃くなるように。
☆ ★ ☆
露店が並ぶ通りから路地に入ると、一転して静かな空間が現れる。
網の目のように張り巡らされた高い塀は、まるで侵入者を拒むかのようにそびえている。
そんな、迷路のように入り組んだ裏通りを進んでいくこと約半日。廃屋と廃屋に挟まれるようにして建つ、一軒の小さな酒場。
「ここに……」
セリアはフードを深くかぶった状態でそこにいた。
ここを探し当てるのに三日かかった。青年と合流するまでまだ二日あるが、決して余裕があるわけではない。
シャトリナに到着して、宿屋で一休みした後、セリアは青年に別行動を提案したのだった。
何か確信めいた深い理由があったわけではない。ただ何となく、ここから先は青年の手を借りてはならないと思ったからだ。我ながら勝手な考えだと自覚していたが、青年は何も聞かず、ただ「おう」と言っただけであった。
「……よし」
セリアは意を決し、扉に手をかけた。
ゆっくりと控えめに扉を開けると、内側につけてあった鐘が、カランと鳴った。
中には、カウンターの奥にいる酒場のマスターを含めて男が四人。マスター以外は見たところ三十台前後である。
彼らはそれまで親しげに会話していたが、来店してきたセリアの姿を見ると会話をやめ、眉をひそめた。
当然の反応である。
身形こそ旅人だが、人目を引くには十分すぎる美貌のセリアである。男たちにしてみれば、そんな若い娘が一人で酒場に入ってくること自体妙であろう。
セリアは改めて店の中を見渡した。目的の人物の姿はない。
「誰かお探しかな?」
声をかけてきたのは、カウンターの奥にいるマスターであった。年齢は五十台前後といったところ。精悍な顔立ちをしている。
セリアはカウンターの前まで移動し、フードを脱いだ。流れるような金髪がさらりと零れた。
皆、目を丸くする中、セリアはマスターに尋ねた。
「マリベル=シュナイザーという人物をご存じですか?」
マスターはそれほどでもなかったが、残る三人の雰囲気が明らかに変わった。そのうちの一人が静かに立ち上がり、そっと扉の前に移動した。事実上セリアの背後をとる形である。
《…………》
セリアは警戒半分、呆れ半分であった。
男たちの行動は悪気があってのものではないだろうが、彼らのその態度がすでに、マリベルを知っていると語っているようなものだ。
「どちらにおられますか?」
「……」
マスターもまた、この少女がそれを悟ったことを見抜き、男たちの行動に内心舌打ちしていた。これで惚けて済ませることができなくなった。
「お嬢さん、名前は?」
「セリア。…………いえ、セリアシュリンと申します」
マスターは眉をひそめた。
レイザードの民ならば、その名を知らない者はいない。
レイザード王国第一王女セリアシュリン。二人の愚兄がいるがゆえに、民衆の、彼女に対する人気は圧倒的に高かったのである。
しかし普通に考えたなら、目の前のこの少女が本物であるはずがない。
顔立ちは確かに美しい。所作の一つ一つにも気品がある。しかし、一国の王女がこんな寂れた酒場に一人で足を運ぶだろうか。しかも旅の剣士の身形で。
本物ではない。本物であるはずがない。――しかし。
マスターは過去に一度だけ、セリアシュリン王女を目にしたことがあった。無論そのときは、王女は立派な身形だったが。
マスターは記憶の中の王女と、眼前の少女を照らし合わせた。
――似ている。が、それだけで本人と断定するわけにはいかない。
「証拠を、見せていただきたい。あなたが王女であるという証を」
「…………残念ながら証拠はありません。ですがご主人、マリベルならわかるでしょう。彼女に会わせてください。お願いします」
セリアは頭を下げた。その瞬間、マスターははっとした。
マスターの脳裏に浮かぶ幼き頃の王女の姿と、眼前の少女の姿が、寸分の狂いもなく重なった。
「……王女様」
マスターは感極まった面持ちでカウンターの奥から出てくると、その場に両膝をついた。他の男たちはマスターの態度に困惑し、顔を見合わせている。
「お立ちください。今の私に頭を下げられる資格などありません。二年もの間、職務を怠慢していた愚か者です」
冷ややかな口調で己を嘲るセリア。そんなセリアに、マスターが反論しようとしたそのときだった。
「やっときたの? 遅かったね」
ボーイソプラノの声がした。聞き覚えのある声に、セリアは声のした方を向いた。
「あ」
そこには、栗色の髪の少年がいた。
年齢はまだ十台の前半だろう。その華奢な体格の割りにやや大きめの服を着ており、見た目にもかなりぶかぶかである。
「アテル、お久しぶりですね」
「そんなことはどうでもいいからさ、母上が呼んでる」
「マリベルもいるのですか?」
そんなことを尋ねている内に、酒場の奥から一人の女が姿を現した。
妖艶な香り漂うその美女は、燃えるような赤い髪をしており、唇に微笑をたたえていた。
「マリベル……」
「はい、セリアシュリン様」
再会に多くの言葉はいらなかった。
それで十分だった。
「さて早速ですが、シナリオ創作のお手伝いを願えますか?」
「シナリオ? 一体何のです?」
不思議そうに言うセリアに、アテルが答えた。
「レイザード解放のだよ。そのためにきたんでしょ?」
セリアは意表をつかれたように立ち尽くしていたが、それも一瞬だった。すぐさま凛とした表情でマリベル、アテルに続き、酒場の奥へと入っていった。
もすは深刻なエラーから回復しました。
投稿を間違えて八章だけ別に投稿してしまった……。