六章 刺客、再び
ルナンを出て三日目の晩、青年とセリアは川べりで野宿していた。
ルナンから直接シャトリナへ街道は繋がっていない。シャトリナへ行くには、一度東へ向かい、そして改めて北へ向かう必要がある。
ところが。
面倒くさいから真っ直ぐ突っ切るぞ。
セリアも依存はなかった。魔物と遭遇する危険性が格段に増すが、風の魔力が宿った剣と青年がいれば無問題である。むしろ自分たちに遭遇した魔物の方に同情の念を送るべきだろう。
街道沿いに行けばいくつか町があるので寝床と食料に困ることはないが、その分シャトリナへ到着するのは数日後になる。
現状はそれほど切羽詰まっているわけではないが、それでもゆっくりはしていられない。シャトリナへ到着するのが早いに越したことはないのだ。
しかし、二人が眠りについた真夜中、それは起こった。
この川は、西に大きく広がる森の傍を流れている。その闇に満ちた森の中から、何者かが二人に迫りつつあった。
気配を殺し、地面の上をまるで滑るような動きで近づいてくる。
物音をまったく立てない練磨された技術。
数日前セリアを襲撃した者たちとは格が違う。
普通の人間ならばたとえ枕元であっても聞こえまい。
もし聞こえるものがいるとすれば、それは獣や魔物の類。あるいは、人知を超越した存在である。
曲者たちは静止した。
タイミングを見計らっているのだろう。
やがて一人が静かに腕を上げ、小さく振り下ろした。
それを合図に、曲者たちは一斉に二人に飛びかかった。
――刹那。
白刃が光った。
「ぐあ!」
悲鳴はセリアではない。無論青年でもない。
抜き放たれた剣が生んだは不可視なる風の刃。それが、飛びかかってきた曲者の一人に命中したのだ。
凄まじい威力であった。飛びかかってきた曲者は反対に吹き飛ばされ、大木に激突して絶命した。
「何だと!」
この女は何をした? なぜ離れたところで振るわれた一太刀が当たるのか。
曲者全員が同じ疑問を抱いた。
疑問は判断力を鈍らせ隙を呼ぶ。もともと曲者は、二人に飛びかかったため空中にいるのである。空中ではいかなる人間だろうと身動きはとれない。そこでさらに生じた隙は致命的であった。
「はあっ!」
セリアは剣を振り下ろした。生み出された風刃が曲者をとらえる。曲者は声もなく吹っ飛び、地面に激しく叩きつけられて動かなくなった。
ここへきて、流石に曲者たちも我に返った。
着地するや否や、すかさず後方へ大きく飛び退り、距離をとる。奇襲をかけたつもりが逆に待ち伏せを食らい、正体不明の技で二人がやられた。
ありえないことだった。
とはいえ、こちらはまだ五人残っている。敵はたったの二人。依然としてこちらが優位な状況に変わりはない。
問題は、例の妙な技。どうやら間合いの外でも斬撃を食らうらしい。どのようなからくりかはわからないが、ようは太刀筋を見切ればいいのである。
すでに二度見ている。見切れない速度ではない。
曲者たちは一瞬で互いに目配せした。勝負は次の一太刀の直後。たとえ誰かが倒れようと構わず突き進み、殺る。
一方セリアは、何とも複雑な心境にあった。
《こんな剣使っていいのだろうか?》
無論、風の刃のことである。しかし使わなければ恐らく勝てないだろう。この曲者たちは数日前の連中より数段強い。しかもそれが後五人もいるのだ。使わない選択肢はない。
《複雑だ……》
このようにセリアの心中は揺れ動き、まったく集中できていなかったのである。しかし言い換えれば、それだけ余裕があるということに他ならない。
とそこで、セリアはあることを思いついた。
《ひょっとして、私の意思で風刃のコントロールができたりはしないのだろうか?》
いいことを思いついた。これは聞いてみない手はない。
「ルイ」
しかしいつの間にか、青年はセリアの隣から姿を消していた。
「ルイ?」
どこへ行ったんだろう、と辺りを見渡すセリア。そんな隙だらけのセリアを曲者たちが見逃すはずもなく、ここだとばかりに一斉に襲いかかった。
男は少し離れたところから、我が目を疑いながら戦況を見ていた。
失敗するはずはないのだ。
気配を殺し、闇に紛れて目標をしとめる。
ミスはなかった。完璧だった。
唯一にして最大の誤算は、あの女が使う妙な技。
魔術かと思えば、女が振るっているのはただの剣。断じて魔術ではない。魔術師の自分がそう言うのだから間違いはない。
では、あれは一体何だ?
混乱をきたした男は、風のように接近してきた人物に気づかなかった。
「よお」
「!」
男ははっとした。何よりここまで接近されても声がかかるまで気づかなかったことに驚いた。が、死線を何度もくぐりぬけてきた男である。内心の動揺を表に出さず、青年を鋭く睨んだ。
「お前は戦わねぇのか?」
「貴様こそ、女一人に戦わせておいていいのか?」
「まあ、そういうわけにはいかねぇだろうな。だから、ここにきた」
「ふっ……ほざきおるわ」
すると男は、胸の前で両手を近づけた。
始まりは、コォォォという奇妙な息吹だった。一定の間隔を保って、二、三その呼吸が続いた。ただの深呼吸ではない。まるで魂魄を絞り出すかのような呼気である。次いで、男は低く厳かな声を紡ぎ出した。発せられるその声は、まるで呪文のような闇の響きを孕んでいた。
《何だ、この言葉は……?》
男が紡ぐ言葉はすべて、青年には理解できないものだった。しかしなぜか、本能に訴えかけるものがあった。
《……魔力、だと?》
魔力は目には映らない。それは青年とて例外ではない。しかしその存在を感じとることはできる。男の両手の間には、間違いなく魔力の気配が集っていた。
男の両手の間を中心に、空間の歪みが生じていた。強力なエネルギーが密集しなければこうはならない。
そしてその歪みは、青年がよく知っている現象だった。
間違いない。その空間の歪みは、魔法を発動する際、高密度に集約した魔力によって歪んでいるように見える現象だ。
《……なるほどな、そういうことか》
青年は薄く笑みを浮かべた。からくりは理解できた。
《魔術か……。よくできてやがる》
そのとき、男の両手に集った魔力に変化が生じた。
青年にはすべて見えていた。それまで無色透明だった魔力が、赤く変化していくその様が。
《変換までするのか。こいつぁ見事なもんだな》
出現したのは紅の炎。周囲の闇を掻き消して燦然と輝いている。炎はさらに自ら凝縮し、握り拳程度の炎球となった。
「食らえいっ!」
男はまさに全霊を賭す勢いで炎球を放った。炎球は火の粉を振り撒きながら、闇を切り裂いて迫りくる。
「ふん、焼け死ぬがいいわ、小僧!」
男はすでに勝ち誇った笑みを浮かべている。青年が焼け死ぬ様をすでに思い描いているのだろう。
《さて、食らっても何ともないんだが、どうするかね。このおっさん、相当頑張って作ってたみたいだしな……当たっといた方がいいんか? それも面倒くさいなぁおい》
男が聞いたらショックで寝込みそうなことを考えつつ、結局青年が選んだ行動は次の通りである。
「そらよ」
難なく平手打ちで跳ね返した。
「はあ?っ! ぐああっ!」
男は自ら頑張って作り出した炎球をまともに食らい、燃え尽きた。
青年がセリアのもとへ戻ると、そちらもすでに決着がついていた。
場には七つの躯が転がっている。
「ルイ」
セリアが青年を見つけ、駆け寄ってくる。その表情は、どこかすっきりしないといった風がよく表れていた
《あー、まあ、そうだろうな》
青年はすぐに合点がいった。
セリアにしてみれば、自分の力で勝ったというより、剣の力で勝った感じがしたことだろう。剣士として生活してきたセリアからすれば、素直に納得できないところがあるのは当然である。
「実はお話があるのですが」
「それは後だ。とりあえずここから離れよか。話なら歩きながらでもできるだろ?」
「あ、はい」
二人は歩き出した。その姿は、すぐに闇に紛れて見えなくなった。