五章 希望の朝
翌朝、青年が起き出したときには、すでに宿にセリアの姿はなかった、もしやと思い町に出てみると、案の定、広場にセリアの姿はあった。
青年が近づくと、セリアはそれに気づき、軽く一礼して微笑んだ。
どこか吹っ切れたような、そんな笑みであった。
「おはようございます」
「おう」
青年は軽く手を上げた。
と、セリアはやや恥ずかしそうに頬を赤く染め、
「あの、昨日は、見苦しいところをお見せしまして」
「気にすんな。それより飯と宿、ごちそーさん」
「それこそお気になさらず」
「しかしなぁ、いつまでも払ってもらうわけにはいかんしな……。何か、金になることはないもんかね……」
ふーむ、と考え始めた青年だったが、ふと、セリアが腰に提げている剣に目を留めた。しばらくそれをじーっと見つめた後、
「その剣、見せてもらってもいいか?」
「剣、ですか?」
「おう、ちょっと思いついたことがあってな」
「わかりました。どうぞ」
「ん」
セリアから剣を受け取った青年は、全体を注意深く観察するように見渡した後、徐に鞘から抜いた。
傷一つない刀身が、朝日を反射してぎらんと光る。
騎士が扱うような長剣と比べると細身で威力に欠けるが、その分重さが軽く、非力な者でも扱いやすく作られている。
「風、火、水、雷、どれが好きだ?」
「はい?」
セリアは目を丸くして聞き返した。いきなり何を言うのかと思った。
「どれが好きだ?」
「は、はあ……。えっと……風、ですね」
「ん、風ね」
すると青年は、人差し指と中指を、ゆっくりと刃の腹に滑らせた。セリアには、いや誰の目にも、青年は刃をただなぞっただけに見えるだろう。
しかし、青年の目にはしっかりと映っていた。己の指から溢れ出た緑色に輝く光の粒子が、鋭く煌く刃に染み込んでいく様が。
「……ま、こんなもんだろ。これ以上は剣がもたん。……ほれ」
「あ、ありがとうございます」
とりあえず礼を言って、返された剣をまじまじと見つめるセリア。
しかし変化は見受けられない。
「地面に向けて軽く振ってみろ」
セリアは言われるまま、地面に向けて剣を振った。
「あ、ちょっと強い」
「え?」
しかし時すでに遅く、振り下ろされた剣は止まらない。
――刹那。
轟!!
爆音と衝撃が同時にきた。セリアを中心として、ぐわりと風が巻き起こった。突風のようなそれは、風塵を巻き上げながら周囲に拡散していく。
「……」
セリアは爆心地で剣を振り下ろした体勢のまま硬直していた。
「あ……あ……ぁ……」
口から漏れるのは意味を成さぬ言葉ばかり。
《な……何だ、今のは……? ――剣から……剣から何かが出た……。そ、そう……風だ。剣から風が…………ってそんな馬鹿な……》
セリアはゆっくりと、機械のような動きで下を見た。
刃から放たれた風によって地面は大きく抉られ、その破壊力を雄弁に物語っていた。
「は……はは……」
不気味な笑い声を上げ始めたセリア。
何やら危険な香りがする。
危ない。非常に危ない。
「おいセリア、戻ってこい戻ってこい!」
青年は慌てて、違う世界に旅立ちかけていたセリアを呼び戻した。
☆ ★ ☆
とりあえず一息ついたセリアは、落着きを取り戻し、今し方の現象の説明を青年から受けていた。
青年曰く、魔力と呼ばれる力を剣に宿したのだそうな。魔力には風・火・水・雷の四つの属性があり、セリアは風を選択したから風の魔力が剣に宿っているという。どのような効果があるかと言えば、今体験した通りである。まる。
「魔力とは何です……?」
色々、とにかく色々聞きたいことはあったが、セリアはとりあえずそれを尋ねた。聞き慣れない言葉だということもあるが、その言葉が持つ響きは、魔術を嗜んでいないセリアでさえ、魔道の香りを感じたのだ。
「あー、そこからだろうな。さてどう説明したものか……。ふむ……よし、見せてやろう。魔力ってのは、まあ簡単に言えば力なんだが、こればっかりは口で説明するより見た方が早いな」
青年は右手を軽く差し出した。セリアはそれを凝視する。
「普通は一部の例外を除いて目には映らねぇ。が、濃度を高めれば大抵見えるようになる。見てろ」
青年の手のひらが、否、その周囲の空間が歪み始めた。
まだ目には映らないが、セリアは、何かが傾注《けいちゅう》しているらしいことはわかった。何か、とてつもないエネルギーのようなものが、青年の手のひらに集っているのだ。
そして。
「あ」
ついにセリアの目に、赤く光る小さな粒子が映った。それは青年の手のひらから、溢れるようにして次々と出現している。
「本来、魔力《カーラ》は無色透明だ。それを四つの属性のいずれかに変換して濃度を高めることで目に見えるようになる。風は緑、火は赤、水は青、雷は紫ってな具合にな。後俺の意思が揃えば炎が現れるってわけだ」
青年は右手に集った力を霧散させた。瞬き一つの間に手のひらから魔力が消える。青年の体内に戻ったのだろう。
「これは、やはり魔術ですか?」
しかし青年は眉をひそめた。
「何だそれは? 俺がいた世界じゃ魔法って呼ばれてる」
青年は顎に手を当てて考える素振りを見せた。
「――ふぅん、魔術か。もしかしたら似たような力がこの世界にもあるのかもしれねぇな」
そいつぁ困った、と青年。
「?」
はて、何が困ったのだろう、と疑問の表情を浮かべるセリア。
「いやな、これで商売でもしようかと思ったんだが、似たような力があるんならもうやってる奴が沢山いるだろう」
と青年。
しかしセリアは、青年とはまったく違う予感を感じていた。
「……ルイ」
「んー?」
青年は、せっかく思いついた方法だったのに、と少しがっかりしている。
「それ、商売になりますよ」
「なるにはなるだろうけどな、商売敵がいっぱいいるなんざ面倒くさい」
「そんなものいませんよ。ルイ、あなたにとっては当り前のことかもしれませんが、そんな芸当ができる魔術師なんか聞いたこともありません。特殊な力を備えた剣、この世界では魔剣と言いますが、あなたはそれをわずか数秒で作ってしまったのですよ?」
セリアは青年に詰め寄った。
「なります。商売になります」
「お、おう。そうか?」
「大きな町へ行きましょう。ここから北へ数日行けばシャトリナという町があります。そこでなら客も多く呼び込めます」
「それは構わねぇけどな、お前はレイザード解放を第一に考えろよ? たった二人じゃ解放はできんぞ? 言っとくが、俺は確かに手伝うと言ったが、国を解放するのはあくまでセリア、お前だ」
するとセリアは力強くうなずいた。
「もちろんです。シャトリナにはお会いしたい方がいます。私はその方に、我が志に賛同してくれるよう呼びかけるつもりです」
一点の曇りもない目であった。
《大丈夫みてぇだな》
「よっしゃ。そのシャトリナって町に行くか。お前は同志を集めに。俺は金を稼ぎに。……って、俺志低いなぁおい」
セリアはしばらく堪えていたが、それでも我慢できず、とうとう吹き出してしまった。青年もまた、そんなセリアにつられるように笑い出した。
静かな朝の町に、二人の笑い声が響いていた。