四章 星空の下で
「場所を変えるか」
しばらくの沈黙の後、青年が発した言葉がこれだった。
これ以上は人気のないところで話した方がいい。今までの会話も、店にいる者たちに聞こえているとは思えないが、それでも万が一ということもある。
無論、セリアに異存はなかった。
町をさらに奥へ入っていくと、ひらけた場所に出る。以前は多くの商人が夜でも露店を出していたものだが、近頃は昼間でも寂れている。夜はそれこそ、静寂に満ちた無人の空間であった。
広場にはいくつかベンチがあった。近くで見るとかなり錆びている。青年はその一つに腰を下ろした。
しかしセリアは周囲を見渡しながら、
「あの、ルイ、こう暗くては何者かが近づいてもわからないのでは?」
聞き耳を立てられては場所を変えた意味がない。
「心配すんな、よく見えてる。それに、俺に気づかれずに声の聞こえる範囲まで接近するなんざ不可能だ」
そう言い切られては仕方がない。それに、青年が言うからには本当なのだろう。セリアは納得して青年の隣に座った。
しばらく沈黙が流れた。
青年はじっと、夜空に煌く星々を見上げていた。
《すげぇな。宝石が浮いてるように見えるぜ。……俺がいた世界も、雲の上はあんな風になってんのかな……?》
何から何まで違う。自分がいた世界とこの世界。
《何で、こうまで違うかね……》
もしかしたら、元々はこの世界のようだったのだろうか。
もしそうなら、何が原因であんな風になってしまったのだろう。
《……俺が考えてもわかんねぇか》
青年は一頻り夜空を堪能した後、静かに言った。
「いくつか聞いてもいいか?」
「あ、はい。何でしょう?」
「お前、俺と最初に会ったとき、よくわからん連中に襲われてたが、何で狙われてたんだ?」
「それは、なぜと聞かれましても」
青年はさらに質問を続ける。
「あいつら、誰かに雇われたと言っていたが、心当たりは?」
「それは……」
セリアは答えに詰まった。
「傭兵とかいう仕事で怨みを買ったところで、あんな連中が狙ってくるとは思えん。お前一体、誰にどんな理由で狙われてんだ?」
「……」
再び沈黙が流れた。
セリアは動揺しながらも感嘆していた。
《この人は……本当に核心をついてくる。恐らく答えの想像もついているはず。それでも私の口から言わそうとする。……厳しい人だ》
セリアはしばらく下を向いていた。が、やがてそのまま小さく笑った。そうでもしないと言葉を紡げそうになかった。
青年には見えているのだろうか。その、見る者の身を切るような、切ない笑みが。
「私も、まさかあんな連中を送り込んでくるとは思ってもみませんでした。その……そこまでする人だとは……」
一呼吸置いて、セリアは続ける。
「私は五日前、王都マハランにいました。王に……父に会っていました。カルファラの属国となって二年、少しは変わっていることを期待していましたが、父は相変わらずでした。父は、今のレイザードがどういう状況にあるのかまったくわかっていません。高い税はもちろんのこと、略奪、人身売買と、カルファラは人道にすら反した行いを繰り返しています。ですからせめて、王として、すべきことをしてくれるよう進言したのです。ですがその結果……」
「殺し屋を送り込まれたのか」
セリアはうなずくことしかできなかった。両手をぎゅっと握り締め、こみ上げてくるものを必死に堪える。
少しでも零れたら最後、とめられる自信はない。
一人ならともかく、今日初めて会った青年の傍で失態を見せるわけにはいかない。
ポン。
背中に置かれた青年の手。
それが何とも優しくて、暖かくて、まるで包み込まれるようで。
「……うっく……っ、く……ひ……っ」
声とともに流れ出した熱き水は、頬を伝い、握り締めた拳に落ちる。
涙は後から後から流れ落ち、それにともない嗚咽も大きくなっていく。
しかしセリアは、それでも必死に堪えようとしていた。
が。
ポン、ポン。
青年の手がいとも容易く決壊させた。
セリアは泣いた。恥じらいなどかなぐり捨て、まるで子供のように大声で。
実の父親に殺し屋を差し向けられたのだ。そのショックは筆舌に尽くしがたいものがあろう。思えば道中、セリアはそんな素振りはまったく見せなかった。必死に隠していたに違いない。しかしどうやら、青年には勘付かれていたようである。
一人の少女として涙を流すセリアを、青年と満面の星空が静かにいつまでも見守っていた。