十八章 バルトの騎士
セルディオス侯爵が兵を挙げた。
この事実は瞬く間にレイザード国内に広まり、諸侯たちを震撼させた。
基本的に貴族は、己の治める領地内に火の粉が降りかからない限り、滅多なことでは動かない。ほんの目と鼻の先で紛争が起ころうが、自分の領内でなければ他人事なのだ。
しかし、今回ばかりはそうも言っていられない。というのも、イリウスは単なる紛争を起こしたわけではない。自国を解放せんと立ち上がったのだ。言い方を変えれば反逆である。であるならば、沈黙を守ってばかりもいられない。反逆に対して何もしないということは、その行動に賛同していると取られても文句は言えないのだ。
しかし、仮に挙兵したのがイリウスでなければ、諸侯の中にはいち早く兵を挙げ、反逆者を討伐しようとした者もいただろう。が、冷静沈着で尚且つ、カルファラを全面的に支持すらしてきた男が反旗を翻したのだ。
――これは何かある。
誰もがそう思った。
だからこそ諸侯たちは、慎重にならざるを得なかった。
したがって、彼らが何かしらの反応を示せるまでには、今しばらくの時間を要したのである。
☆ ★ ☆
「出陣はせん」
グラムドは簡潔明瞭に、己の意向を告げた。
「まあ、そうでしょうな。それしかありますまい」
同意を示したのは、五十前後と思しき男であった。名をジクルドという。バルト騎士団の副団長を任されている男である。
白髪交じりの髪を首の後ろで一括りにし、戦場で失ったであろう右目には眼帯がなされ、彼の猛者としての風格を際立たせている。
「ジクルドはわしと同じ意見のようだが、他の者は? ――サディン、お主はどうだ?」
「は……」
グラムドに話を振られたサディンは、まだ若い男であった。恐らく三十路を過ぎた程度であろう。グラムドやジクルドと比べると小柄の優男である。とても戦場で剣を振るうようには見えない。
「セルディオス卿の私兵のみでは、ブエティノ卿にはまず勝てませぬ。しかし我々が参戦すれば、やってやれぬこともないでしょう」
サディンは冷静に戦況を見極める目を持っている。
敵を侮ることはないし、自らを過剰評価することもない。
「ならばお主は、侯爵の呼びかけに応えると言うのか?」
サディンは首を横に振り、否定の意を示した。
「仮の話をしたまででございます。我らが参戦したところで、国を解放することはできませぬ。故に、静観がよろしいかと」
国を解放するということは、セルベス政権を打ち倒し、カルファラを追い払うということ。後者はともかく前者を実現させるためには、絶対に必要な存在が現時点では欠けている。
王位を継承する存在。
現王を倒した後、王冠をかぶる資格がある者。
単に継承権を持っていればいいというわけではない。
王たる資質を備えていなければ。
「もし、あの方がいれば、あるいは――」
「サディン」
グラムドの嗜めるような声に、サディンは静かに頭を下げ、口を閉ざした。
すると、それまでサディンの隣で黙していた女騎士が、静かに顔を上げた。
燃えるような赤い髪の美女である。年齢は、見たところサディンよりも幾分若い。恐らく二十代の半ばであろう。顔立ちは凛々しく、すっきりと通った目鼻立ちは知性を感じさせ、力強い眼光には意志の強さが見て取れる。まさに、男装の麗人といった言葉が相応しかろう。
女騎士はグラムドに視線を向けた。
「団長、私からいくつかよろしいですか?」
紡がれたのは、やや低めの魅力的な声であった。
「何だ? レスティーナ」
普段の会議ではあまり口を出すことがない彼女にしては、珍しいことであった。
「セルディオス卿が今この時期に挙兵したのは、あの方が帰ってこられたから、ということは考えられませんか?」
つまり、王たる資質を備えた者が帰ってきた、と。
確かにそう考えれば辻褄が合うが、希望的観測であることは否めない。
「……ふむ」
レスティーナはさらに続ける。
「これは個人的な伝手からの情報ですが、どうやらここ最近、レイザード国内で妙な者たちが目撃されているらしいのです」
「妙な者だと?」
レスティーナは静かに頷く。
「恐らく、死神の手かと」
グラムドだけではない。ジクルドもサディンも、一瞬で目つきが険しくなった。場の空気が一気に張り詰めたが、レスティーナは意に介さず続ける。
「ご承知のように、死神の手に暗殺を依頼するには、莫大な資金が必要です。民衆はおろか並の貴族でさえ、おいそれと払えるような額ではない。……それこそ、国が雇うこともあるほどの組織です」
「……」
グラムドの視線は厳しい。
並みの人間なら委縮しているだろう。
そんなグラムドの視線を、レスティーナは真っ向から受け止めている。
「レスティーナ、何が言いたい?」
痺れを切らしたようにジクルドが問うた。
レスティーナは一瞬ジクルドを見やるが、すぐにまたグラムドに視線を戻した。
「ここからは仮の話になりますが……」
レスティーナは一息つき、続きを話し始めた。
「もし死神の手を雇ったのがレイザード王家だったとしたら……どう思われます? 一体誰が狙われているのでしょう? 莫大な資金を費やしてまで、消さねばならない人物とは?」
「待て、レスティーナ」
グラムドの制止に、レスティーナは口を閉ざした。
「お主は、あの方が戻ってこられたという情報でも掴んでいるのか?」
「……いえ、そこまでは」
「ならばこの話は終わりだ。我らは仮の話で動くわけにはいかん」
敵とて馬鹿ではない。不審な動きをすれば即座に排除される。
話を切り上げようとしたグラムドに、レスティーナは問うた。
「では仮でないとしたら?」
全員の視線がグラムドに集中する。
名将グラムドの表情に迷いはなく、その口端には小さな笑みすら浮かべ、彼は言った。
「そのときは、セリアシュリン殿下を我らが王とし、敵を撃滅するのみだ。――我らが身命を賭して、な」
一同、さも当然とばかりに、悠然と笑うのみであった。