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魔皇伝  作者: もす
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十四章 来訪者

「危険です」


 青年のことを話した結果、イリウスの感想がそれだった。マリベルは無言で難しい顔をしている。唯一アテルが、大人二人が考え込むその様子を、きょとんとした表情で見比べていた。何が危険なの? といった感じだ。


「その……ルイと仰いましたか、その人物が殿下の命の恩人だということはよくわかりました。このことに関しては、どれだけ礼を尽くしても尽くしきれません。ですが、それだけで信用に足りる人物かどうかを判断するのは早計かと思われます。極端な話、刺客の可能性も否めない」


 セリアに近づくために、偶然を装ってセリアを助けた。その可能性がないと言い切ることは確かに難しいだろう。

 しかし、セリアには確信があった。

「もし仮にルイが刺客であるなら、私はもうこの世にはいません。私がいまここに生きているという事実が、彼が刺客ではないことの証です」

「……しかし、仮に刺客ではなかったとしても、その者の情報があまりにも不足しています。名前以外、すべてが不明では信用のしようがありません。殿下には申し訳ありませんが、その者とはもうお会いにならない方がよろしいかと……」


 イリウスとて悪気があるわけではない。イリウスはイリウスで最善を考えている。だからこそ、危険分子の可能性がある芽は、早めに摘んでおきたいのだ。

 とそこで、しばらく熟考していたマリベルが、静かに口を開いた。


「姫様、私は姫様のご判断を信じたく思います」

「僕も」


 イリウスは二人の方を向いた。


「二人とも、正体のわからない者を味方に加えることがどれだけ危険か、わからないわけではないだろう?」

「勿論、イリウス様の仰ることは最もなことだと思います。そのご判断は、確かに最善の判断でしょう」

「だったらなぜ――」

「では逆にお聞きしますが、イリウス様は姫様を信用されていないのですか?」

「――何?」

「その、ルイという青年を信用するかしないかを今決めることも早計でしょう。とにかく会ってみないことにはわかりません。ですが、姫様が信用しておられる人物ですから、信じるに値する相手ではないでしょうか?」

「……」


 イリウスは小さく呻いた。

 痛いところをつかれた。


「昨夜、我々は姫様に忠誠を誓ったはずです。それならば、主君の判断を信じて戦うことが我らの務めではないでしょうか? ――ただ、確かに危険ではあります。しかし、まずは会ってみましょう。その上で我々が危険と判断したなら、そのときは姫様、御再考願います」


 イリウスはまだ、やや不服そうであったが、やがて納得したように静かに頷いた。


「我が侭を言って申し訳ありません。ですが、会えばわかると思います」

「わかりました。それでその若者は今どちらに?」

「もうすぐここへ来ると思います」

「この屋敷にですか?」

「ええ、この町にきてすぐに別行動をとったのですが、そのときに私が頼んだのです」


 本当は今朝、部屋で約束したのだが、それを正直に言うと色々と面倒なことになりそうなので適当に誤魔化したセリアである。


《そういえばお金を稼ぐと言っていたけれど、ちゃんと稼げたのだろうか……》


 今朝の様子からすると、空腹で困ってる感じはしなかったが。


「ねえ、あの話しなくていいの?」


 アテルが、母親の服を引っ張りながら尋ねた。マリベルは、確認を求めるようにイリウスを見やった。イリウスは小さく頷くことでそれに応えた。


「率直に申し上げますが、姫様は二種類の敵にお命を狙われています。まず一つは、昨晩この屋敷の近くで襲撃してきた者たちですが、彼らはファルナス王子の手の者とみて間違いないでしょう」

「……兄上、ですか」


 何とも言えない、寂寞とした表情を浮かべたセリアである。

 昔からファルナスとジラードの両王子は、セリアと仲が悪かった。というより、二人が一方的にセリアを嫌っていた。諸侯や民から人気のあったセリアは、二人の王子にとって煙たい存在以外の何物でもなかったのだ。


「しかし、こうも大胆な手を打ってくるとはな……」


 イリウスが言った。


「私が邪魔だったのでしょう」

「彼らにとっては、確かにそうかもしれません。ですが殿下、あなたは現に王族の直系であり、第三位の王位継承権の持ち主なのです。そのあなたを闇討ちし、何事もなかったかことにするには、並大抵の手腕では不可能です。死体でも見つかろうものならまず無理です。かと言って堂々と討伐するには、大義名分が必要です。例えば反乱軍の首謀者としての汚名を着せる、といった具合にです」


 セリアははっとした。

 もしや自分が国外へ逃げなければならなかった理由というのは……。


「もしやイリウス殿が二年前、私を国外に逃がしたのは」

「ええ、そういった動きが出てきてからでは遅いので、私の父上がレジスタンスを組織する前に国外に逃げていただいたのです。いくら何でも、いないはずの人物に罪を着せることはできませんから」

「そう……だったのですか」

「それよりも殿下、問題はもう一つの敵の方です。あなたを闇討ちし、何事もなかったことにできるだけの力を持った組織が動いているのです」

「何度か私を狙ってきた者たちですか?」

「そうです。私も、マリベルから聞いたときは耳を疑いました。まさか、あんな連中が動いているとは……」

「それは、何者ですか?」

「それは――」


 と、そのときだった。


 トントン。


「お取り込み中のところ失礼いたします。イリウス様、お客人が見えておりますが、いかがいたしましょう?」


 ネハイルの声であった。


「ふむ、どうやら例の青年がきたようですね」

「ここまで来てもらいます?」


 と、マリベル。


「いや、我々から行こう」


 四人は部屋を後にした。



 ネハイルに先導されるようにして、屋敷の入口へやってきた四人であった。


「それでは、お開けします」


 ネハイルが扉に手をかけた、まさにそのときだった。


「ん?」


 マリベルが疑問の声を上げた。続いてアテルが眉をひそめる。

 二人には微かだが声が聞こえていた。それは二人が魔術師だからこそ聞こえたと言っていいだろう。


「呪文……?」


 マリベルのその言葉から一瞬遅れて、セリアは扉の向こうに何か気配のようなものを感じた。

 人の気配ではなく、何というか、そう、まるでエネルギーのような、そんな気配。

 セリアの右手が、自分でも気づかない内に、剣に伸びていった。


《何だ……?》


 何かがおかしい。何かが、危険だと告げている……。


《――危険? ルイがきているのになぜ? ――わからない。どういうことだ……?》


 頭の理解が追いつかない。

 しかし、身体はわかっていた。

 いつの間にか自分の右手が、剣の柄を握っていることが何よりの証拠ではないか。


 セリアは理解した。


《……そうか、そういうことか》



――ルイじゃない。



「伏せろ!」


 セリアが叫んだ刹那、凄まじい衝撃波が扉を吹き飛ばした。マリベル、アテル、そしてイリウスは、セリアの声に反射的に身を屈めた。自分のわずか数センチ隣を、無残な姿となった扉が飛んで行ったときには、さすがにセリアも冷やりとした。


「姫様!」

「殿下!」


「無事です」


 マリベルとイリウスの声に、セリアは静かに短く答えた。言動の一つが、致命的な隙を生み出すこともある。

 いつでも抜刀できる体勢にあったセリアであったが、扉があった場所に佇んでいるその者を見た瞬間、全身が総毛だった。


 その者は、黒一色の装束に身を包んでいた。背は高く、一見ひょろっとした印象を受けるが、それは身体から無駄なものを極限にまで削ぎ落としたからであろう。蝋のような血色のない肌には、何やら不可解な紋様が記され、気味の悪さを際立たせていた。そして、一切の感情が読み取れない双眸は、異様なほどにぎょろっと剥き、セリアたちを映していた。


 セリアはの全身を強烈な震えが襲った。

 できることなら、今すぐにでも剣を抜き、飛びかかっていきたい。しかしそんなことをすれば最後、確実に殺される。飛びかかる前からそんな光景が浮かぶようでは話にならない。

 歯を強く噛み締め、震えと衝動を諌める。


 誰一人喋らない。――否。言葉を発せるような空気ではない。まるで空間そのものが凍りついているかのようだ。呼吸をするのさえ体力を使う。


 と。


「くっ……」


 イリウスが小さく呻き、膝をついてしまった。

 当然だ。イリウスは武人ではない。戦闘訓練を受けているわけではないのだ。むしろこの耐え難い威圧感の中で、よく今まで持ったものだ。恐らく、主を守らねばならないという忠誠心が力となったのだろう。


 時間にしてほんの数秒であったが、セリアたちにとっては数時間にも及ぶ体感時間であった。


「!」


 その者はゆっくりとした動作で右手を掲げた。次いで一瞬だが、得体の知れない響きを孕んだ言葉が発せられた。マリベルが言っていた『呪文』であろう。

 すると、先ほど感じたエネルギーの気配がその掌に傾注していく。それに伴って掌周辺の空間が陽炎のように歪んでいった。

 魔術の発動を見たことがないセリアではない。二年も傭兵をしていれば、魔術師と戦うことは幾度となくあった。

 しかし、今目の前の敵が発動させようとしている魔術は、セリアが今までに戦ってきた魔術師たちのそれとは格が違う。


《――まずい……っ!》


 焦燥高まるセリアの隣から呪文が聞こえたのはそのときだった。


「――結界防壁(アブソリュート)!」


 不可視なる壁がマリベルを中心として円形状に展開された。セリアは力強い波動を感じた。しかし安心する暇もなく、襲撃者の掌から凄絶な衝撃波が放たれた。

 目に見えなくともわかる。それはまさに激烈な力の奔流であった。全てを飲み込まんと、まるで津波のように襲い来る。

 衝撃波はマリベルが張った結界に激突し、両者の魔術は一瞬拮抗したかに見えた。

 しかしすぐに。


「くっ……!」


 マリベルが苦しげな表情を浮かべた。


《強い……》


 魔術の強弱は、一般的には呪文の長さで決まると言ってよい。故に術の威力を上げるためには、長い間呪文を唱えなければならない。しかし実際には、それだけでは説明がつかない部分もある。例えば二人の魔術師が同じ時間呪文を唱え、同じ魔術を放ったとしても、その威力が同じとは限らない。そういった形で表れる差は資質として見なされているのが現状であるが、要は解明されていないのである。


 襲撃者が唱えた呪文は一瞬だった。しかし、にも拘らずこの威力。


《結界が、持たない……っっ!》


 自分で張った結界だ。どれだけの攻撃を防げるのかは熟知している。

 襲撃者が放った術は、この結界の耐久力を軽く上回っていた。


《これほどの魔術師……もしや……っ》


 ある答えに辿り着いた途端、マリベルが見せた一瞬の動揺。その瞬間、襲撃者が放った魔術の威力が跳ね上がった。


「なっ!?」


 衝撃波はいとも簡単に結界を打ち砕き、マリベルに炸裂した。咄嗟に両腕を交差したマリベルだったが、衝撃波によって大きく弾き飛ばされ床に叩きつけられた。


「母上!」


 アテルが駆け寄った。

 マリベルは激痛に顔を歪めていたが、意識を失ってはいなかった。しかし立ち上がることはできず、身を起こすのが精一杯のようだ。


「母上……」


 こんなに弱った母を見るのは初めてなのだろう。アテルは心配そうに母の腕を握っている。

 そんな二人の背後から、呪文が聞こえた。

 アテルははっとして振り向く。

 襲撃者が再び、マリベルに向けて術を放とうとしていた。

 その目に一切の躊躇いはない。無慈悲に、ただ淡々と、まるで機械作業のようにこちらを殺そうとしている。


「……アテル、逃げなさい……」

「でもっ」

「私が、時間を稼ぎます。だからその間に、早く……」

「そ、そんなの……」


 アテルが躊躇ったのも無理はない。マリベルは立ち上がることすらできないほどに弱っているのだ。この状態では満足に術を行使することなどできようはずがない。

 アテルとて魔術師だ。それぐらいのことは見ればわかる。

 しかし、もしも今、マリベルに残された手段の中で、時間を稼ぐ方法があるとすれば……。


「やだ」


 その声は、幼子が駄々をこねるようなものではなかった。言葉自体は子供っぽいところがあるが、それに込められた意思の強さはマリベルでさえはっとするほどだ。

 

「アテル……」


 アテルはゆっくりと歩き出していた。

 

――母を守るために。


 結果的にその行動が、吉と出た。




《アテルが危ない……!》


 術がアテルに向けて放たれようとしたそのとき、セリアは無意識の内に剣を抜き放っていた。

 抜刀とともに振るわれた剣が風の刃を生み出し、襲撃者を猛襲する。

 狙うは急所。当たれば確実に命はない。仮に急所から外れたとしても、かなりの重傷を負うことは間違いない。

 しかしである。

 襲撃者は巧みに身を反らし、風刃を躱してしまった。


《太刀筋を見切られた……?》


 恐らく、この剣の情報がすでに伝わっていたのだろう。しかし情報だけあっても、そこに腕が伴わなければこうはならない。

 魔術の腕前はマリベルを凌ぎ、そしてセリアの太刀筋を一瞬で見切れるだけの眼力。間違いなく剣士としても一流である。


――打つ手がない。


 しかも今の攻撃によって、襲撃者の攻撃対象がアテルからセリアへと変わっていた。


「くっ」


 魔術を嗜まないセリアにとって、魔術を防ぐ術はない。

 生き残るには躱すしかない。


《躱す……? 躱せるのか? この距離で……》


 果たして自分に、そこまでの身体能力があるのか?


 戸惑うセリアに、襲撃者は容赦なく魔術を放った。

 苛烈にして甚大な力はまるで荒れ狂う龍のようにうねり、それが幾重にも重なり膨大な波となって押し寄せる。

 躱せる隙など、どこにもなかった。


《ルイ……っ》

 

――その瞬間、セリアの視界に二つの影が飛び込んできた。

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