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魔皇伝  作者: もす
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九章 闇のにおい

 真夜中。

 昼間とは打って変わった、静寂に満ちたシャトリナがあった。

 人の往来はまったくない。

 そんなシャトリナの通りを、闇に溶け込むようにして動く一つの影があった。


――青年である。


 宿に帰って一眠りした後、先ほど感じた違和感がやはり気になって、夜のシャトリナに繰り出してきたのである。

 

「それにしても、誰もいねぇな」


 露店はもちろんのこと、人っ子一人見当たらない。

 昼間の賑わいからすれば、酔っ払いの一人や二人、ふらふらと歩いていてもおかしくはないのだが……。


 

 涼しげな夜風が吹き抜けていった。


「……」


 それは、ほんの微々たるものだった。

 注意していなければ、まず気づかなかっただろう。


 その……闇のにおいに。


 ただの死臭や腐敗臭などではない。そんな生易しいにおいではない。

 もっと禍々しく、邪悪なにおい。

 この命溢れる世界で、そのにおいは酷く臭う。

 青年が元いた世界では馴染み深いにおい。それをこの世界で感じ取ったため、違和感となって表れたのだ。


「気にいらねぇな」


 青年は言った。

 先ほどから後ろをつけてきている連中に聞こえるように。


「――なぁ、おい」


 青年はゆっくりと、静かに振り返った。




         ☆          ★          ☆ 




 マリベルとアテルに先導され、酒場の奥から螺旋状の階段を下りて行くと、薄暗い部屋に出た。

 木製のタルが沢山並んでいる。恐らく中身は酒だろう。

 そこを通り過ぎると小さなテーブルがあって、背もたれのない椅子がいくつか置かれていた。


「小汚い場所で申し訳ありませんが、おかけください」


 マリベルに促され、セリアは椅子に腰かけた。

 それを確認してから向かい側にマリベルが座り、その隣にアテルがちょこんと座った。


 しばらく、沈黙が流れた。


 セリアとマリベルは互いを見据え、そんな二人をアテルが交互に見やっている。


「よくぞ」


 先に口を開いたのはマリベルだった。


「よくぞ、お戻りくださいました」


 セリアは静かに頭を振った。


「二年も無駄に過ごしました」

「我々がそれを望んだのです。二年前姫様は、イリウス様の計らいで国外へ逃れられました。当時は何分、事は急を要していましたので、詳しくご説明することができなかったのです。国外へ逃げていただいた理由はただ一つ、姫様の身に危険が迫っていると判断したからです」

「なぜ……私だけが逃げなくてはならなかったのです?」

「それはイリウス様からお聞きになられた方がいいでしょう。私が言えることは、二年前の動乱はいまだ深い闇を抱えているということです。安易に触れては取り返しのつかないことになりかねません」


 二年前の動乱。

 つまりセルベス王に対する反乱とカルファラの侵攻。

 マリベルの言う通り、セリア自身、あの動乱には何か裏があると感じていた。

 何しろよくわからないことが多い。

 最も不可解なことを一つ挙げるとすれば、セルベスが現在も王位に就いている点である。

 あの反乱は、セルベス政権に対するクーデターであった。

 そしてそれは、成功したのだ。

 カルファラが侵攻してきたことでうやむやになってしまっているが、本来ならセルベスは討ち取られていて不思議はないのである。

 カルファラとの間に何らかの密約が交わされたのかもしれないが、どうもよくわからない。



「ところで姫様、一つお聞きしたいことがあるのですが」


 マリベルが切り出した。


「何です?」

「実は幾日か前に、王都で姫様を見かけたという情報があったのですが、もしや王都に行かれましたか?」


 セリアは一瞬、事実を言うべきか迷った。

 二年間留守にしていたとはいえ、王族である自分が王都へ行き父親に会うこと自体は、何ら不思議なことではない。

 しかし、それが原因で二度も命を狙われたことは確かなのだ。

 青年と巡り会わなければ間違いなく死んでいただろう。

 ありのままを話して無理に心配をかけることもないのではないか。


 が。


《……正直に話した方がいい、か》



「父に会っていました」

「……やはり、そうでしたか」


 マリベルの表情がやや険しくなった。


「何か問題でも?」

「……敵にあなたという存在が知られてしまいました。もちろん、いずれは知られることです。ですが、そのときはなるべく遅い方がよかった」


 と、マリベルはすっと椅子から立ち上がった。


「姫様、もはや時間に猶予はありません。今すぐイリウス様のもとへ急ぎましょう。敵に姫様の存在が知られている以上、ここも安全とは言えません」


 以前、自分を狙いにきた連中がまたくるというのか。 

 確かにすでに二度襲われている。三度目がないなどという保証はどこにもない。

 ということは……。


《ここに留まると迷惑がかかる、か》


「わかりました。すぐにでも――」


 そのときだった。

 微かだがセリアの耳に、ガラスが割れるような音が聞こえてきたのだ。

 マリベルとアテルにも聞こえたらしく、三人は揃って上を見上げた。


「……」


 上は酒場だ。コップの一つや二つ、割れることもあろう。


 しかし。

 しかしだ……。


 セリアはゆっくりと、静かに椅子から立ち上がった。アテルもそれに倣う。


 どうも嫌な予感がする。

 得体の知れない不安が、ぞわりと背筋を這い上がってくる。


――何かが起こっている。


 殺気や敵の気配を感じたわけではない。

 言うなればただの勘。

 だが、されど勘。

 勘は単なる当てずっぽうではない。

 勘とは即ち第六感的な感覚。

 目、耳、鼻、舌、肌。

 これらで感じることはできないが、何となくわかるといった感覚。


 曖昧ではあるが、戦士ならば心得ている。

 事戦闘において、その勘がどれほど重要になるのかを。



「見てまいります」


 マリベルが言った。


「待ってください。私も行きます」

「いいえ、姫様はここでお待ちください。ただ、私が二分経っても戻らない場合、そこの扉から外へ。しばらく歩けば、地上へ出られます」


 マリベルは、奥にある扉に目配せした。


「マリベル。また私に、逃げろと言うのですか」

「姫様、あなたはレイザードの最後の希望なのです。だからあなたを死なせるわけにはいきません。あなたを守るためなら、私やアテルは喜んでこの身を捧げます」

「私は……そんなことをしてほしくはありません」

「姫様の意思に関係なく、王族は守られるべき存在なのです。――でも私やアテルは、姫様だから守るんですよ?」


 マリベルは満足げに微笑み、静かに歩き出した。

 まるで、未練なく死地に赴く戦士のような、そんな様。


「マリベル!」


 セリアは堪らず後を追おうとした。

 二度と会えなくなるような気がしてならなかったのだ。


 が。


「だめっ!」


 その小さな身体で、両手を一杯に伸ばして、アテルが立ちはだかった。


「アテル……」


 セリアは驚いていた。同時に、気圧されてもいた。

 穢れなき澄んだ瞳に宿るは、確固たる決意の光。

 揺るぎない強き意思。


「…………わかりました、従いましょう。アテル、道案内を頼めますか?」

「うん、ついてきて」


 アテルを先頭に、二人は部屋を後にした。

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