表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

【オムニバスSS集】青過ぎる思春期の断片

私だけの特別な一冊

作者: 津籠睦月

 その本と出逢であったのは、全くの偶然ぐうぜんだった。

 いつも一緒に帰る友達が、その日たまたま委員会の仕事でおそくなって、時間をつぶすために何となく、図書室に寄ってみた。

 最新のラノベやマンガがそろっているわけでもないその図書室は、いつもほとんど人がいなくて、図書委員が手持ち無沙汰ぶさたにカウンターに座っているだけだった。

 

 幼いころは私も、図書室や図書館へ行くのが好きだった。

 まだ読んだことのない絵本を見つけては、ワクワクしながらページをめくっていた。

 だけど、小学校を卒業してから、だんだんと距離きょりができてきてしまった気がする。

 

 図書室にならぶ本の、絵が少なくなって、文字が小さく多くなって、ページ自体も分厚ぶあつくなっていくにつれ、気軽に手に取りづらくなっていった。

 読書が嫌いになったわけじゃない。むしろ、物語にひたるのは大好きだ。

 だけど……情報量が多く、ストーリーも複雑な小説は、読むのにそれなりの時間がかかる。

 そして私の時間は、小学生の時ほど自由には使えないのだ。

 

 いつ頃からか、手に取る本には慎重しんちょうになっていった。

 知っている作者の作品、映像化されて、ある程度ていどストーリーが分かっている作品、すでに人気のある有名な作品……。

 面白おもしろいものもあったけど、どこが面白いのか、よく分からないものもあった。

 面白くないものをつかんでしまうたびに、ますます本に対して慎重になった。

 

 皆が絶賛ぜっさんする本なのに、つまらないと感じてしまうと、「私には読書を味わう感性が無いんじゃないか」と不安になる。

 本を楽しめるのは、一部の、国語の能力がものすごく高い人たちだけの特権で、私なんかには、その面白さが分からないんじゃないかと、本に対して臆病おくびょうになる。

 最近では何となく、図書室に寄ることさえ少なくなってきていた。

 

 だから、その日、ひまつぶしとは言え図書室に立ち寄ったのは、ほんの気まぐれだった。

 久々に、本であふれたあの景色や、独特のにおいを味わってみたくなった――そんな、思い出めぐりのような感覚だった。

 

 せっかく寄ったのだから、とりあえず何か一冊でもページをめくってみようと思い立ち、本棚の片隅かたすみに、その本を見つけた。

 あまり手に取る人もいないのか、新品同然に綺麗きれいで、ぱりっとして……だけど紙の色だけが、ぼんやりとかすかに黄色がかった、ハードカバーの本。

 知っているタイトルの本でも、聞いたことのある作者の本でもなかった。

 どうしてその本を手に取る気になったのか、今となっては自分でも分からない。

 

 初めのうちは、全く真剣に読んでいなかった。

 つまらなかったら読むのをやめよう、くらいの、適当てきとうで、おざなりな読書。

 だけど……読み進めていくうちに、衝撃しょうげきに似た感覚におそわれた。これまでに読んだどんな本より、心臓を鷲掴わしづかみにされた。

 ……その本に描かれた主人公が、私にそっくりだったから。

 

 もちろん、立場や境遇きょうぐうの何もかもが似ているというわけじゃない。

 だけど、性格や、物の考え方が、不思議ふしぎなくらい私に似ていた。

 初めて出逢う登場人物キャラクターなのに、不思議なくらい、その心が理解できた。

 ひょっとして、この作者は私の知り合いか何かで、私のことをモデルにこの主人公を書いたんじゃないかと、ちょっとうたがってしまったくらいだ。

 

 もちろん、そんなことはあるはずがなくて、著者略歴ちょしゃりゃくれきで知ったその人は、私とは住んでいる場所もちがえば、接点がありそうな年齢ねんれいでもない。

 しかも、後で調べてみたところ、もうすでにこの世にいない人なのだと分かった。

 

 どうしてこんなに、私とそっくりな登場人物がいるんだろう、ひょっとしてこの作者も、私と同じ性格だったのかな……そんなことを考えながら、ページをめくった。

 

 私とそっくりな主人公の遭遇そうぐうする苦難くなんや試練は、他人事ひとごととは思えない。

 これまで読んだどんな本より、物語にのめり込んだ。「感情移入ってこういうことなのかな」と、初めてその本当の意味が分かった気がした。

 私は主人公と一体化して、読んでいる間だけ、主人公の人生を、自分の人生として“体感”していた。主人公が傷ついた時には、本当に、私まで苦しかった。

 心が痛過ぎて、ページをめくる手が止まることもあったくらいだ。

 だけど、先に進まずにもいられなかった。

 

 本を読むって、ただ文字を目で追うことじゃない。

 本の中には、世界があって、人がいて、様々な人生を生きている。

 その人生を、本を読んでいる間だけ、のぞき見ることができるんだ。

 

 その本が特別であればあるだけ、読み終わるのがしくなる。

 結末は知りたい。だけど、読み終わりたくない。

 この特別な時間を、終わらせてしまいたくない……そんな、複雑な心の境地きょうち

 私とそっくりな主人公の、その物語の結末を見届けた時、まるで私自身の人生も、一旦いったんまくを閉じたような、そんな奇妙な思いがした。

 読み終わっても、すぐには本から手を放せず、ぼーっと余韻よいんひたっていた。

 

 一度読んで、ストーリーを知ってしまえば、もう二度と読む気の起きなくなる本はある。

 だけど、そうじゃない本もある。

 あるふとした瞬間に、また読み返したくなる本はある。

 私にとっては、この本がそれだ。

 できれば私の部屋の本棚ほんだなに永久保存して、読みたい時に、いつでも読めるようにしておきたい。

 だけど、この本は、既に絶版になっていて、書店には並んでいない。市内の古本屋を何度(めぐ)ってみても、一度も出逢えたことはない。

 

 私にとって特別な本でも、他の人にとっては、そうじゃない。

 友達の誰にいても、この本のことを知っている子はいなかった。

 すすめても、興味を持ってくれた感じはしなかった。

 そうなのかも知れないと、ぼんやり理解する。

 あの主人公と同じ性格、同じ思考回路を持つ私じゃないと、この本をここまで特別には想えないのかも知れない。

 

 以前は、周りと違っていることが怖かった。

 皆と同じものを好きじゃないと怖くて、皆が好きじゃないものを好きなのは怖くて……思えば、自分の心を、無理に周りに合わせてきた。

 だけど、皆が知らない、興味を持たない物語でも、この本を好きじゃなくなることは、私にはできない。

 だって、私とそっくりな主人公の、この物語を捨てるということは、私自身を捨てることと同じな気がするから。

 きっと、どれほどこの本を読み込んでも、周りの子たちと、物語の内容で盛り上がることはできない。

 だけど……私だけが知っている、私だけが至福の楽しみを味わえる、そんな特別な物語があってもいいのかも知れない。

 それはきっと、私だけの贅沢ぜいたくだ。

 

 この本との出逢いは、きっと私の中の何かを変えた。

 何をどう変えたのかは分からない。

 だけど、この本と出逢っていなかったら、私はきっと、今とは全然違う心を持って、人生を歩んでいただろうと思う。

 

 この世界に、本の中とは言え、私と同じ(・・)人間がいるなんて思わなかった。

 自分と同じ(・・)心を持つ人間が、他にもいるって、素敵だ。ひとりじゃないって思える。

 本の中だけの人物で、現実では絶対に逢えないと分かっていても……何となく、私という存在が、この世界に認められているような、許されているような、そんな気持ちになる。

 本って、物語って、素敵だ。

 たとえ作り手が、もうこの世からいなくなってしまっても……十年も百年も前の物語だとしても、時を超え、場所を超え、物語の中にむ人物と、読み手の人間が、本を通じて出逢える。

 時には、現実にいる人間よりもずっと近く、友達のように心に寄りってくれる。

 

 あの日、たまたまこの図書室をおとずれ、気まぐれに手をばしてみなかったら、この本には出逢えなかった。

 私じゃない、“他のたくさんのだれか”にとっての一番じゃなくて、私にとっての……私にしか分からない“一番”。

 ランキングやオススメのコーナーを探しても見つからない、偶然ぐうぜんの奇跡によってしか出逢えなかった、特別な本。

 

 この本と出逢って以来、時々わざと気まぐれに、それまで読む気もなかった本に手を伸ばしてみる。

 やっぱり面白くないと思う本もあるけど、たまに、思いがけない“当たり”がある。

 この本ほどの“当たり”には、まだ出逢っていないけど、そんな“当たり”の本たちは、それまで知らなかった世界の面白さを、私に教えてくれる。

 気まぐれに手を伸ばさなかったら、一生知らずに終わったかも知れない世界を、私に教えてくれる。

 

 きっと私だけじゃなく、他の誰にでも、人生を変える特別な一冊はあるんだろうと思う。

 この世に星の数ほどある本たちの中、その一冊は、必要とされる人の手にれるのを、息をひそめて待っている。

 知らない町の図書館で、まだ行ったことのない本屋の本棚で、あるいは家の物置の中、ビニールひもでまとめられ、ほこりをかぶって……。

 だけど、その一冊と出逢えることなく人生を終える人も、きっといるんだろう。

 出逢っても、気づかずにスルーしてしまう人もいるんだろう。その人だけ(・・)の、本当に特別な一冊は、その人じゃない他の誰か(・・・・)にとっての特別な一冊ではないから。

 その出逢いは、誰にでも訪れる奇跡ではないのかも知れない。

 だけど、そんな奇跡のような確率で、もしその本とめぐり逢えたら……それをきっと、“運命の一冊”と呼ぶんだ。

 

 私の運命の一冊は、今は限られた期間だけしか手元に置いておけない。

 だけど、大人になって、行動範囲が今よりもっと広くなったら、いつかどこかの古書店で、この本を見つけ出したい。

 そして、私の分身のようなあの子のむ物語を、私の部屋の本棚に、大事にしまっておきたい。

 そうして、さみしい時、心のつかれた時、そっとページをめくる。

 それが私の、ささやかな夢だ。

 

 この学校にいる間、私はあと何度、この本に触れられるだろう。

 私が卒業した後、この本に触れてくれる子は、現れるのかな。

 私しか知らない特別感もいいけど、他の誰かに知って欲しい気持ちも、やっぱりある。

 私がこの物語に逢って感じたことを、他の誰かも感じてくれたらいいな。

 この本を、私と同じ気持ちで読んでくれる誰かがいたなら……私はもっと、ひとりじゃなくなるから。

 

 いつものように、図書室のカウンターにこの本を返して、しばしのお別れをする。

 だけど、きっとまた私は、この本に逢いに来る。

 初めて逢った、この場所に。私の、特別な一冊に。

Copyright(C) 2021 Mutsuki Tsugomori.All Right Reserved.

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ