出立
「勇者さま、ご出征!」
ラッパの音と共に城門が開き、勇者パーティ4人が送り出された。エルミロイ要塞までは馬車で1日、今回は出発が遅かったので途中で夜営をはさみ次の日の昼には到着するだろう。野盗や獣や竜の討伐時、よく利用している軍事拠点のある土地だ。
商人ギルドで利用されている大型の幌馬車を改造し椅子が用意されてはいるが、俺はそこには座らない。俺の定位置は、馬車の前面、御者の後ろだ。いつものように手頃な箱に布を敷いて、正面の布を捲くって座る。これで遠くまで見通すことができる。
"勇者"として常に敵を警戒している……、というのは表向きだ。実際は乗り物酔いしてしまう性分なのでそうしている。エルミロイ要塞までの道は途中までは石畳で整備されているが、揺れがないわけではない。少なくても自動車に乗っているときのようなスムーズな移動ができる乗り物はこの世界にはないから、我慢するしかない。
現代日本で甘やかされていた俺にとって、この世界は我慢の連続だ。訓練の過酷さはいわずもがな。そのほか生活の細かな点で、前世での日本での生活が、いかに快適だったのかを思い知らされる。
例えば清潔さについて。下水道がちゃんと整備されていないので基本的に街の中は臭う。衛生面で不安だが、実際伝染病で多くの人命が失われるような厄災が十数年前に起こったりしているらしいので、改善すべきなんだろうなと思っている。トイレまわりの事情は、正直説明するのも気が滅入る。ウォシュレットが無いという次元では当然ない。風呂も3〜4日に1回くらいだ。汗が不快なので水浴びはしているものの冬場はお湯がなければきつい。
というように、この世界での生活面での不満を挙げようと思えばキリはないが、遠征時にはそのあたりがあまり気にならなくなるので、俺は遠征が好きだったりする。城壁の中にいる間は寝ても覚めても武術や魔術の訓練ばかりだけど、外の景色を眺めていると旅行やキャンプをしている気分になれる。ラキリは移動中に寝ていることが多く、ボーッとしていてもとやかく言われないし、空気もうまい。
革袋の水筒に手を伸ばしたところで、ソフィアと目があった。
「晴れてよかったですね。」
「そうだね。……ソフィアは、今日の遠征をいつ聞いた?」
「一昨日です。」
「ああ、やっぱりそっちが先か。俺は今朝だよ。軽んじられてるよな。"勇者"なのに。」
「今日は集会の日だったので、それで私の方には先に知らせてくれたのだと思いますよ。」
「そうか、集会、今日だったか。」
「そうなんです。なのでみんなにお仕事を押し付けてきてきちゃいました。」
ソフィアは遠くになった城郭を見ながら言った。
勇者パーティでの彼女の役割は回復士。治癒魔法や回復魔法を専門にしている。RPGふうにいうと僧侶やヒーラーと言い換えてもいいのかもしれない。普段はメルトグラニア国教の教会で修道士として修行中の身である一方、貴族や民衆を相手に怪我や病気の治療を行う回復士としての役割も担っている。
医療があまり発達していないこの世界で、身体の不全を治する能力は何物にも代えがたい価値を持つ。教会は病魔を退ける魔法・魔術の研究をする者に研究費や地位を与えたり、庇護下に置く孤児や捨て子の中から魔法の才能がある者にはその分野の教育を施し回復士として育てたりと、この分野の発展に注力している。それにより、怪我や病を治すことのできる者を抱えることで民衆からの支持を得て、貴族社会における権力を確かなものにしてきた。
教会で定期的に催される「集会」の場では、怪我や病に苦しむ人々に治療を施すセレモニーが行われており、教会お抱えの回復士たちはその場で能力を振るっているのだが、ソフィアは今日、集会には参加せずに勇者パーティの一因として化け物討伐の遠征に加わっているのだった。
集まった人々の治療に加わることができないからなのか、仲間の修道士たちの負担を気にかけているからなのか、ソフィアは浮かない顔をしていた。
治癒・回復についてはヨルも専門外で、従って俺もあまり教わってはいないが、ソフィアはその系統の魔法に秀でているため教会の中でも重用されている。
「1日くらい、ズラしてもよかったのにな。ラキリもせっかちだから。」
「あ、いえ、集会で力を使い切ってしまったら、もとに戻るのに4、5日はかかっちゃうので。」
「……なるほど。」
それで先にソフィアをおさえたのか。軍と教会の間でラキリも大変だからな、と仕事を終えた上司の寝姿に目を向ける。よくある話、国と教会は権力を二分しており、軍は国の管轄で、軍から教会への協力の依頼はそれなりの政治力がなければ難しいらしい。ラキリはとある理由から教会側にも顔が利くが、それでも面倒ではあったろうと想像できる。
「ここのところ平和だったのに。魔族側で何か動きがあったんでしょうか……。」
「山脈に火竜が現れたらしい。それで、そのあたりに住んでいる生き物が山を下りてきているんだと。」
「オルストロ山脈でも、ドラゴンは珍しい?」
不安そうな面持ちのソフィアに、ヨルが、本に目を落としながら答えた。
「竜類は別に珍しくない。ただ火竜がいると山火事になるからね。住処がなくなるから生き物が逃げ出すわけさ。普段は火山の周りにしかいないが……、近々噴火する山があるのかもしれない。」
「でも、今回の任務は、そのドラゴンの討伐ではないのですよね?」
「今回はね。」
ソフィアは安堵の息をついた。気持ちはわかる。ドラゴン討伐はいつも怪我人が出るし、俺も何度か死にかけた。ソフィアに治してもらったこともある。今回はその難易度ではなさそうだから気は楽だ。
「しかし、ラキリのことだ、その偵察も今回の任務に含まれるのかも。あまり危険すぎる任務だと教会の許可が下りないだろうし。なぜか偶然、いないはずの火竜に出くわしてしまうこともあるかもしれないね。」
ヨルの意地の悪い笑みに、ソフィアは取り繕った笑みを返していた。
ラキリの豪腕さを考えると否定できないからたちが悪い。せっかく気楽な遠征だと思っていい気分だったのに台無しにしてくれる。馬車の向かう方角に浮かぶ雲が、今回の遠征の結末を暗示しているようで余計に不安な心持ちになった。