新たな任務
「トサカ、喜べ。次の指令が下ったぞ!」
唐突にドアが開き、俺の寝室に鎧姿の上官が飛び込んできた。朝の修練の前の、束の間の俺だけの時間。ベッドの上でゴロゴロしていたときのことだった。
遠くからガシャガシャと鎧の音が近づいてきたので、唐突といってもベッドから起き上がり、背筋を正す猶予はあった。上官からの叱責かと、ビクついていたので、まずは一安心。
ラキリ=ロ=エステマグナという名のこの魔法騎士は、「勇者召喚儀式」の直後、魔族の襲撃から俺を守り城郭都市へ帰還するまで護衛してくれた、あの金髪美人だ。
この世界に転生して、しばらくは顔を合わせることもなかったが、紆余曲折あって現在は俺の上官として君臨している。
彼女は軍の中では兵隊50〜100人規模の単位を任される立場だったそうだ。しかしいまは、"勇者"である俺の指導や領主や教会からの指令を取り次いだり、"勇者"を中心に据えたグループの編成をしたり……、ということに加えて、この世界で右も左もわからない俺の面倒をみる役割も担ってくれている。
このラキリは完全にワーカーホリックだ。たっぷりと出世欲を抱えているようではあるが、なにより純粋に仕事と学びと訓練が好きなタイプ。いつ休んでいるんだろうと思う。訓練も遠征も彼女がスケジュールを管理しているのだが、"勇者"である俺に対しても同じペースで訓練や仕事を詰め込んでいくので、休まる時間が全然ない。
日が出ている間はずっと訓練。この世界に土日のような休みの概念はないらしく、軍隊や一部の職業においてのみ特別に6日に1日だけ休養に充てることができる日がある程度だ。
しかしラキリ曰く、休養の日は身体の治癒や体力の回復が主目的で、万全でなければ治療に専念するべきだし、勇者たるもの常に心身を鍛えておくべきだから毎回休養しているようでは腕がなまるとのことだ。なので実際には2、3回に1回程度くらいしか休みは取れていない。
前世での上司は悪意のあるパワハラをしてくるタイプだったけれど、今世での上司は笑顔で仕事をねじ込んでくるタイプのようです。上司・ラキリは仕事を取れたことが俺にとって心の底から喜ばしいことであると疑わず、溌剌とした表情で要旨を伝える。
「獅子退治だ。『三つ首の獅子』が、エルミロイの西の集落のいくつかを襲っているらしい。」
人型の化け物でなかったので、まずはよかった。人間に似た形の生き物を殺すのは、まだ抵抗がある。
「朝の修練は中止。出立の準備を行い、次の鐘までに正門前へ集合。以上だ。」
ラキリは言い終えると素早く踵を返し部屋を出ていった。ドアが閉まる前にはもう階段を駆け上がる足音が響いていた。鎧を着ているというのに、なんて軽快な足取りなんだ。
剣術の訓練が無くなった喜びを噛み締め、しばらくベッドでごろごろしている。まずい、このままだと寝てしまいそうだ。気合を入れて起き上がり身支度を済ませる。しばらく遠征はなかったから服の着方に少し手間取っていたところ、メイドさんに助けてもらえた。
メイドさんのおかげで正門には定刻前に到着。するとすでに仲間が1人いた。魔術師のヨル=ミレツバウムだった。遅刻しがちな彼女が先にいるのは珍しい。
「早いね、ヨル。」
「ああ。」
長椅子に腰掛け本を読んでいる。魔術に関する本だろう。視線を本から移さずに空返事だけしている。普段、正門を守っている兵士たちが休憩で使っている場所を彼女が占拠してしまっているので、門兵の人たちが周りに散ってしまっているようだった。申し訳なく思い、軽く会釈する。
ヨルは、いわゆるダークエルフだ。ヒュームより耳が長く、褐色の肌。メルトグラニア帝国にはエルフの国もあるらしいが、ユグラシフェルトではほとんど見かけない。エルフの国には色白のエルフしかいないらしいが、それ以外の土地で生まれたエルフは褐色の肌となるのだそうだ。多分に洩れず、この世界のエルフも数百年の寿命を持つものの、彼女は今年で16歳か17歳という。つまり、転生した俺の身体とは同い年くらいだ。
ヒュームが統治する隣国で生まれ、このユグラシフェルトへ移り住み、ほぼ独学で魔術を身に付けたあと、魔術兵として魔族との戦闘に参加。すさまじい戦果を上げていた様子がラキリの目にとまり、勇者パーティに加わった。
普段はユグラシフェルトの魔術研究院に入り浸り、魔術や、この世界での物理・化学といった学問の書物を読み漁っている。魔術師として彼女の才能は相当のものらしく、いくつかの論文や理論で帝国本領でも、名が知られるようになってきていると聞いた。
一定のリズムで厚手のページをめくっていた手が止まった。1冊、読み終えたようだ。次の本へ手を伸ばしながら、いま気づいたかのように俺のほうを向いた。
「そうだ、トサカ。君に渡すものがある。」
ヨルは護衛兵に目配せすると、護衛兵は手に持っていた包から布を取り出した。手に取ってみる。マントのようだった。
「何これ、マント? 」
どうも気が乗らない。
日本で社会人として生きていた記憶により、マントを着るのに抵抗があるのだろうか。いや、それよりも、ヨルの実験台にされ痛い目に遭った過去の経験が、俺の脳裏で警鐘を鳴らしているのだ。
「どうした? どう着るかわからないか?」
「いや、着方はわかるけど……。」
「そうか、なら着てみてくれ。」
促されても俺がマントを身に着けないでいるのを見かねて、ヨルはマントを奪い取ると無理やり俺に着せた。
軍から支給される衣類や武具と違って飾り気がなく、ぎりぎりみすぼらしく見えない程度のものだった。まあ下手に装飾が派手だとコスプレ感が出て気恥ずかしいのでまだマシだが。よし、1度は着てみたし効果を確認してさっさと脱ごう。考えてみたら、余計なことをするとまたラキリに何か言われそうな気がしてきた。
「おお、いい感じじゃないか。うんうん。まあでもあれだな……。今回はね。今回はいいかな。次に長期間遠征するときに使ってみるよ、ありがとう。」
そう言いながら外してみようとするが、留め具がうまく外れない。
「あれ、何だこれ、外れないんだけど。魔道具?」
「ああ。不干渉性魔素を使用者の個体魔素に変換する。位相変換を1回に抑えたので時差は感じないはずだが、そのぶん魔導熱には注意してくれ。」
勇者召喚儀式の特典として、俺は言語は習得済み状態でこの世界に転生した。
正確にはこの世界で生きていたロジェという少年の身体にインストールされて、その記憶や知識を引き継いでいる状態なのだが、要するに、彼女が何を言っているのかわからないのは、俺のせいでも、ロジェのせいでもない。こいつのせいだ。
「……つまりどういうことでしょうか、先生。」
このタイミングで、俺は今日、ヨルとはじめて目が合った。嬉しそうに、瞳が大きく見開かれている。
「ああ、そうだね、どこから話すか……。生き物や、その死骸の周りに漂っている魔素を利用するのは、自然分解するのを待つ必要があるとこの前教えたね?」
「変換時の魔力消費が大きいから、と。」
「そう。自然分解を待っていると、魔力干渉できる状態になるのに数日はかかる。力場の状況にもよるがね。――ところで、魔術師間の魔力供給が、現実的にはほぼ行われない理由は当然わかるね?」
「え? ……えーっと、同じ理屈で、魔力消費が大きいから……?」
「まあ、よろしい。現行の理論だと固有魔素と可干渉性魔素との変換を2回も行うからね。非常に効率が悪いわけだ。そして従来の研究では、生体の固有魔素を可干渉な状態にするのに、なぜ膨大な魔力が消費されるのかを解き明かし、固有魔素と可干渉魔素との変換効率を上げるという観点で論じられていた。」
ああ、まずい。ヨルは、魔術に関する話が始まると長い。これから長距離移動しようというタイミングで調子づいてしまうと、道中で延々と魔術に関する講釈を聞かされることになる。テンションが上ってしまう前に早いところ切り上げてしまおう。
「なるほど、このマントは魔素の自然分解を助けてくれるわけだ。なるほど、それでこんな便利な道具を――」
「違う、違う。わかってない。」
言い終わる前にヨルが言葉を遮って喋りだした。
「それは従来の方法論だ。いいか、なぜ経由する必要がある? なぜ直接使わない? そして、なぜ生体間での魔力のやりとりのみに執着するのだ? 私はこの問いの結果、まったく別の仮説を得た。空間内に残留する自然分解中の魔素と使用者の固有魔素との差分のみを変換し、使用者に自動的に魔力供給を行う。これによりトサカ、君はこれを着るだけで魔力切れの可能性を減らすことができる。」
立ち上がると、ダークエルフの魔術師は俺に近寄りながら、ますます早口でまくしたてた。
「――というより、たとえ魔力切れを起こしても、人間や魔族や、獣でもいい、とにかく死骸が近くにあればいいのだ。このマントは、残留魔素から自動的に魔力供給を行うよう作った素材を繊維状にまとめて織っている。いや、実際にはまだヒュームと獣類、竜類、あと虫にしか試してはいないが、理論上、似た種類の生き物ほど変換効率は良くなる。差分が少ないからね。ドワーフ、エルフあたりは高い変換効率となるし、魔族、――この分類の仕方は私の好みではないが、ゴブリン、オーガあたりは同等のはずだ。オークなど獣人種になってくるとやや変換効率が下がる見立てで、これは実証が必要だが、要するに戦場で死体が増えれば増えるほど、使用者の使うことができる魔力量は増えていくわけだね。特に君のように、1箇所に留まらず戦場を走り回るような兵科にはうってつけだろう。ところでこの魔道具は起きていても寝ていても性能に影響はない。使用者の魔力を少しずつ消費するものの、死体の……、ここでいう死体とは厳密には脳の生体反応が感知されなくなった時点と定義して実装していて、まあ、もちろんあまり大きい声では言えないが当然生体からの魔力供給も制限を解除すれば利用できるよう実装しているわけだが、制限を解除しない状況下においてでも、生命活動を停止した死体が十分な量、近くにありさえすれば、理論上従来の1/28弱の時間で魔力回復をすることができるわけだ。フフフ、これだけでもそれの価値は十分理解したと思うが、副次的にもう1つ。このマントは魔力消費をしていない状態でも、使用者に対して自動的に魔力供給を行い続ける。上限を超えて魔力を与え続けられると、知っての通り魔力量の上限が増えていくわけだからつまり、使用者の魔力総量はそのマントを着ているだけで増加することになるのだ。よかったな、トサカ。君の取り柄は魔力総量だ。君はその長所を更に伸ばす機会を得たということだ。」
息継ぎもおざなりに一気にしゃべっていたので少し息が切れているようだ。先生、ちょっと情報量が多すぎます。要は死体の周りに漂っている魔素を使って自分の魔力を回復するということか。後半別の話をしていたけど。
しかし、気になるのはその仕組みだ。死体の周りの魔素を使うというのはめんどくさい気がする。魔素と魔力についての講釈を続けようとするヨルの言葉を遮り、質問をする。
「ヨル、このマントがすごいのはわかった。だけど、死体の魔素を使うのは大丈夫なのか? 何というか、宗教的に。」
「……別に問題ないと思うが? まあ、気にするとしたら、それはラキリの仕事だろうね。」
帝国の国教にはタブーが少なくない。魔術研究もその影響でいくつか忌避される分野がある。死人の魔素を利用するというアイデアはいかにも戒律に触れそうだ。
以前、休みの日に街なかに出た際に、戒律の細かいルールを把握せず振る舞っていたら捕らえられてえらい目に遭った。トラウマだ。ヨルの作った魔道具は、その比ではないくらいヤバそうな気がする。
ヨルの様子を見るに、明らかに何らかの禁忌に触れるようだった。というか、なるほど。普段遅刻が多い彼女が、余裕たっぷりに一番乗りで集合場所にいた理由がいまわかった。ラキリやソフィアの目に触れさせないためだ。
下手に戒律違反をして怒られるのも嫌だ。それにこの前だって、こいつが作った試作品でひどい目にあったばかりだ。嫌だ嫌だ。いま脱ごう。即、脱ごう。
「……あれ、なんだこれ。脱げない。」
最初は留め具が堅いとか、複雑な形をしているからだとか思ったが、そうではない。留め具を力強く押したつもりでいたけれど、実際には指に指に力が入っていないようだった。
いや……、えっ? 指に力が入らないって何だ? どういうこと? そういう魔道具なのか?
あれ? そもそも何で俺はマントを外そうとしているんだっけ? ……外すの難しそうだし、脱がなくてもいいかも。最初は見た目がイマイチと思っていたけど、肌触りも良い気がしてきた。日除けにもなるのかも。
「よかった、気に入ってくれたようだね。」
そうか、なるほど。俺はこのマントを気に入っているのか。よかった。
「君はこの遠征中、ずっとこのマントを着けていくことになる。ああ、寝るときは毛布代わりにでもしてくれ。」
そうか、俺はこの遠征中ずっとこのマントを着て、寝るときには毛布代わりにするのか、よかった。
ヨルは気が済んだように再び椅子に座り再び本を読み始めた。遠征中、ずっと魔術の講釈を聞かされることにはならずに済みそうだ。ひとまずは安心して遠征に出発できる。
しかし……、ヨルの表情が気にかかる。何だこいつ、にやにや、へらへらしやがって。わかった。こいつまた俺に何か魔術をかけているな。今度は何だ? この前みたいに騙されないぞ。




