火竜討伐 (3)
ベッドの中にいることがわかった。
この感覚は覚えがある。この世界に来て、最初のうちは何度も死にかけた。治癒魔法と回復魔法のおかげで命拾いし、記憶が飛んでベッドの上で目を覚ます。最近は味わうことのなくなっていた、あの感覚。
口の中が乾いていて、ねばついている。今回は数日間、眠っていたようだ。舌を動かして歯の形を確かめてみる。上顎の右側、奥から2番目の歯の内側には突起がある。ロジェの身体だ。日本にいたときの身体ではない。
最初のうちは目を覚ますたびに、この世界のことは「プ◯ウスに突っ込まれて昏睡状態となった俺が埼玉の病院のベッドの中で見ている夢だった」ということを期待していた。しかし、いまは夢ではないことが確認できて安堵したのを感じた。
目を開くと、見たことがない天井。ユグラシフェルトの城郭の中ではないようだ。首を起こしてみる。円形のテントの中に俺はいた。
俺は――、ロジェの身体と、その中にいる俺は、ひとまず助かったようだ。ラキリとソフィアは転移魔法で離脱したからおそらく無事だろう。問題はヨルだ。1人だけ取り残されていはしなかったか。
ベッドの上で上体を起こしたところで、テントの中に人が控えていたことに気付いた。兵装でも、回復士の装いでもない。ずいぶん若く見えるが、軍医だろうか。
「そのまま。急に動くと貧血が心配ですので、ゆっくり起きてください。」
「あ、はい。ヨル……、ミレツバウム魔術兵は?」
「ご無事ですよ、ご安心ください。そのほかの皆さまも。それより痛みはありませんか? 痛み止めの薬の用意もありますが。」
「痛みはない、……です。喉が乾いているので、水はありますか?」
軍医は俺に、ベッドの上から動かないよう念を押してテントの外へ出ていった。すぐに布団をめくり脚を見てみる。くっついていた。きちんと感覚もあるし、動きもする。痛みはなく、腕の骨もくっついているようだ。
とりあえず、俺は助かったようだ。しかし、軍医は無事だと言っていたが、ヨルはあの状況でどうやって脱出しただろうか。あのオーガは、いままで見たどの魔族よりも、ソニタリオスよりも、ドラゴンよりも強かった。オーガがあれだけ強くなることもあるのか。いくらヨルでも、あれに勝つのは不可能だ。生きているのなら戦って勝ったわけではないだろう。
気を失う前に見ていたヨルの様子を思い浮かべる。腰を抜かしていた彼女が、手負いの俺を連れて離脱するために何かできたようには思えない。誰が俺を連れ帰った?
疑問はもう1つ。俺自身、胴体を真っ二つにされた状態から回復できていることについてだ。この世界に来てから、回復魔法は何度も見てきた。自分は使えないまでも、どの程度なら実現できるか、実現ができないか、おおよそはわかる。手足をくっつけるだけでも、相当な能力を持っていなければ不可能だ。まして、胴体が完全に両断された状態からもとに戻すのは、いくらソフィアでも難しいはずだが……。
なぜ俺は、わざわざそんな疑念を抱いてしまったかというと、テントの中の様子に違和感があったからだった。
最初は言語化できなかったが、いまわかった。まず室内の家具の様式や装飾だ。この世界に来てから見たことのない形。もう1つは、旗や紋章の類が一切ないことだ。軍でも教会でも、それぞれがどちら側に属しているのかを示す印を掲げているはずだが、このテントの中には1つもない。
ヨルは、いやラキリもソフィアも、本当に助かったのだろか。そしてこの場は本当に安全なのか。
ベッドから起き上がり、裸足のままテントの入口へ向かう。魔力感知はあまり得意ではないが、テントが内外の魔力を遮断していることはわかった。外の気配が少しもわからない。夜間侵攻など隠密行動の際に用いられれる類の魔術が施されているようだ。通常は外側に対してのみ作動させるはずの術式をなぜ内側にも働かせているのか。やはり何かがおかしい。
入り口に近づいたところで、外に人の気配があることに気付いた。複数人、会話をしている。戻るべきか。外の様子に耳を澄ませる。
ヨルの声だ。誰かと会話をしている様子、……というよりも、魔術について一方的に喋っている様子だ。よかった。無事なようだ。テントの入口から外に出てみる。
「... xxxx xxx xxxxxx xx xxxxxx xx xxxx, x xxxxxxxxx xx xxxx xx xx!」
ヨルは、俺の知らない言葉をしゃべっていた。
「xx x xxxxxxx xxxx xx! xx x xxxxx xxxxxxx xxxxxxxxx xxxxxx xxxx. xxxxxx, xxxxx, xxxx xxxx, xx.」
いや、違う。何をしゃべっているかは理解できないが知っている。これは、魔族の言葉だ。
「xxx xxx xxxxxxxx, xx xxxxxx xxxx xxxxxx xxxxxxxxxx xxxx. xxxxxxxxx xxx xxxxxx xx xxx xxxxxx xxx xxxxxxx xxxxx xxxxxx, x xxxxxxx, xxxxxxxxx, xxxxxx. xxxx xx xxxxxxx xx. xxxxxx xxxxx xxxxx xxx xxxxxxxx xxxxxx x xxxxxxx, xxxxxxxx ... ん?」
外は夜だった。かがり火に照らされた3体の魔族が、そこにはいた。全員の視線が俺へと向けられ、視線を追うようにヨルが振り返った。
「……ああ、やっと目が覚めたか、トサカ。」
三つ目の男が身を乗り出している。角の生えた女が短剣を抜いた。
魔族、敵だ!
「待て! 待て待て待て! 問題ない、やめろ。」
何だ、待て、だって?
「トサカ、やめろ。危害を加えるつもりはない。」
ヨルの言葉に耳を疑う。俺に、やめろと言ったか? 何をやめろと?
「魔力を抑えろ。この場にいる全員、敵ではない。やめろ。」
無意識に魔力を開放していたのに気付いた。3体の魔族と、テントの左右から魔族が2体、顔を出している。くそ、魔族が集まってくる。
肉食獣の頭の大男が、声を荒げた。
「全員動くな! 剣を納めろ! 客人に無礼だ。」
最初は帝国公用語、そして同じ調子で魔族の言葉を続ける。
角の生えた女が短剣を腰の鞘に納めると、大男はまっすぐに、その獣の顔を俺に向けた。ヒトでいう笑みのような表情を浮かべていることがわかった。落ち着いた様子で腰を下ろたまま、動く様子はない。
「不作法をお許しください。ミレツバウム殿の仰るとおり当方に害意はございません。」
魔力感知。周囲に10前後の気配がある。が、いずれもこちらに飛びかかってくる様子はない。
その魔族の輪の中に座っているヨルへ目を向ける。魔族に囲まれているというのに、なぜこんなにも落ち着いている? とりあえず、気を落ち着かせて、無意識に放出してしまっていた魔力の出力を抑えながら考える。
……。
やはり、いや、しかし、まさか。
一番考えたくない可能性を、最初に思いついてしまった。別の可能性を探したが、魔族相手に魔族の言葉を巧みに操るヨルの姿を見てしまった俺は、最初に思い描いた結論以外には何も見つけることができなかった。
「裏切っていたのか、ヨル。」
ヨルは表情を変えず、ゆっくり髪をかき上げた。
「そういうわけではない。君は、誤解をしている。」
「誤解? お前……。」
この期に及んで、言い逃れをしようとしている。
「どうして! いつから?」
「いや、だから、そうじゃないったら……。」
ヨルは視線を俺から反らしたままだ。
あの日、ドラゴン討伐の遠征で出くわしたオーガ。あの強さだ。魔族の中でも相当な手練れだろう。なぜヒュームの領域である山脈のこちら側で出くわすことになったのか。なぜヨルは死なずに済んだのか。ヨルが魔族側のスパイであったのなら説明はつくのかもしれない。
ほとんどヒュームしかいない帝国領内で、周囲からヨルに向けられた視線を俺は見てきた。国教会から目の敵にされ、異質な者として遠巻きに浴びせられている視線。城郭の外、遠征時に訪れた村々で、自らヨルに近づこうとする者はいなかった。ヨルの周りには、いつも人がいなかった。
敵意を持っていなかったとしても、異物としての扱いを受けている様子を何度も目にした。同じエルフたちからは、明らかに忌避されてもいた。ソニタリオス=グラディオを倒したときもそうだ。とどめを刺すきっかけをつくったのはヨルだったのに、ほとんど評価されず、むしろ使用した魔術が戒律に触れることをあげつらわれて、研究材料を奪われてもいた。
ヒューム側を見限り、魔族側に寝返ったとしても無理からぬことなのかもしれない。
だとしたら俺が生かされているのはなぜだ。
ヨルが、俺の助命を願ったのか。だとしたら、まだヨルは敵ではないかもしれない。どうにか、連れて逃げ帰るべきか。俺1人だけでこの場を離脱するべきか……。
「おお、目が覚めたようだな!」
不意に暗闇の中から声をかけられ、俺の思考は中断した。足音だけで大柄だとわかる。ドスドスと近づいてくる。
「病み上がりとは思えぬ覇気だ。身体に障りはないな?」
ヨルを除く周囲の人間のすべてが、頭を垂れている。かがり火の前に現れたのはオーガだった。全身の毛が逆立つのを感じた。俺の身体を真っ二つに割いたオーガが、そこにはいた。
「おい、何か食うものと酒を持って来い。」
「殿下、酒はまだ……。」
「ん、ああ、そうか。まあ座れ、座れ。」
ヨルに目を向けると、腰掛けを顎で指していた。何、座れと? いやいやいや。ちょっと待ってくれ。
「おい、何だ? 言葉は通じているだろう? ヒュームの言葉だぞ。」
「言葉は……、わかる。」
「そうか、なら座れ。誰もお前を取って食おうとなんかしない。」
どうすべきか迷っていると、不意に、目の前に杯が差し出された。
「あの、お水です。」
水を取りに行ったヒュームの軍医だった。とりあえず受け取って口をつける。喉が乾いていたので飲み干してから、毒の警戒をすべきだったかもと気付いた。




