凱旋 (3)
診療室の奥の方の個室。久々にソフィアと会うことができた。やっとだ。直前にイリストリアとラキリのやり合いを見せられてどっと疲れた。せめてソフィアとの会話で精神的にも回復させてもらおう。そのために、俺は鋼の精神でさせてくれるほうのメイドさんとの交流試合をしばらく中止して、どうしてものときだけ、基礎練をささーっとしてもらってるくらいにセーブしているのだ。
「何か、あったんですか? ラキリも診療室の方たちも。疲れているようでしたけど。」
さすがソフィア。特に回復士のとして修めた魔術を使っているわけではないと思うが、よく気付く。俺は待合室で見ていたことをかいつまんで話した。
「……みんなもっと仲良くできたらいいのに。」
本当にそう。いいこと言うぜ、ソフィアさん。本当に、もっとみんなが仲良くしてくれれば。帝国軍と国教会も。辺境領と帝都も他の国も。魔族とヒュームも仲良くしてくれればいいのに。その一言が実現できればそれだけで全部解決できるのに。
「ソフィアは、イリストリアから何か言われたりはしていない?」
「私?」
ソフィアは、きょとんとした表情で思い出しながら話す。
「イリストリアさんとは、2回……、しか会ったことないですけど。でもとてもいい人でしたよ。私が知らないことをいっぱい教えてくれて。やっぱり、帝都でちゃんと学んだ方はすごいです。」
イリストリアが回復士を贔屓しているからか、とも思ったが、おそらく違う。あいつこの前、俺に会ったときも、今回も、2回もソフィアの名前を忘れたフリをしていた。絶対にわざとだ。ソフィアの実力を考えると意識しているのは間違いないから、嫌味のひとつふたつ、というか100個くらい言っていておかしくないはずなのに。
……そうか、ソフィアがそれを嫌味と受け取っていないのかも。呑気というか、鈍感というか。
田舎の山村で育ったソフィアは、都会の貴族同士で交わされる回りくどいネチネチ攻撃が効いていないのではないのかもしれない。何を言われても気付いていなければ無敵だし、反応を示さなければ相手に手応えを与えることもない。
「それで……、えっと、そうそう。腕の具合はどうですか? 痛みや、動かしにくさとか……。」
「全然! むしろ包帯と固定具がなくてもいいんじゃないか、って思うくらい。」
「駄目ですよ、勝手に取ったりしたら。」
「わかってるよ、そんなことしないったら。」
俺は固定具にかかっている魔術を解除する。そのあとはソフィアの仕事だ。留め金を外して、外側の包帯を外し、内側に巻かれている魔術布も外していく。魔術布は、魔術の効能を持続的に発動させるための魔術具で、やわらかく包むことができるため回復士たちがよく使っているのを見る。そのほかには古い魔術具の劣化を防ぐために巻いていたり。ソニタリオス=グラディオとの戦いで破損した聖盾も、司教から渡された時点では魔術布でぐるぐる巻にされていた。
ソフィアは魔術布の様子を見て、すこしほっとしたような表情を浮かべた。
ソフィアの治癒と回復の魔術のレベルはユグラシフェルトでも屈指らしい。そして医術。この国では医療の現場において治癒魔法と回復魔法が特権的な地位を占めていて、人体に直接触ったり、まして血に触れるような行為は下賤とされてきた。だから特に、日本でいう外科はほとんど発達していない。しかしソフィアは人体の内部、臓器がどのように機能しているか、骨格や筋肉がどのように機能しているかを、この世界の水準においてよく理解しているらしい。これにより魔力を無駄に消費せずより多くの人を救うことができるそうだ。
魔術布は、魔術の心得がなくても扱うことのできる初歩的な治療方法であり、完治に時間を要するため魔術の技量が向上していくと使わなくなっていく者も多いらしい。しかし今回、ラキリと俺が受けた太刀傷の治療には、この魔術布がずいぶん役に立った。
ソニタリオスを倒した直後、腹を割かれていたラキリと、右腕を切り落とされていた俺は、それぞれソフィアの治癒魔法で安全圏へ達したように思われた。しかし、しばらくすると俺の結合していたはずの右腕は地面に落ち、ラキリの腹の傷は再び開いた。いまになって判明していることだが、ソニタリオスが振るっていた剣には、そういう魔術がかかっていたとのことだ。つまりその刀身に触れた傷口の回復を阻害する呪いのような魔術。妖刀とか魔剣といった類の魔術具なのだろう。俺の中では勝手に「魔剣」と呼んでいる。
戦場で、何度か魔術を施されてもしばらくすると傷口は開いた。そのたびにソフィアは、ラキリと俺を完治させるも、魔術により再び傷口は開く。ソフィアの魔力量にも限りがあり、怪我人はラキリと俺以外にも無数にいた。敵を倒してなお、絶望が訪れたかに見えた。
そんな状況下で彼女が試したのがこの魔術布だった。まず治癒魔法をかけて傷を完治させてから、魔術布を巻く。これにより魔剣の呪いでじわじわと傷が開こうとしても、魔術布の効果が切れるまで端から治癒していくことができるようになった。
最初は1日に何度も魔術布を交換する必要があったが、いまでは2日に1度のペースでよくなっている。そして。
「まだ、余剰効果があります。やっと半分、ここまで回復できた。いちおう、しばらくは替えておくけど。もうすこし経つと、布を替えなくてもよくなるかもしれないし、診察の間隔を空けてもよくなるかも。」
「よかった。……でも少し残念だな。」
「また訓練が嫌だ、とか言うんじゃないですか? もう、本当にラキリに言いつけちゃいますよ。」
「いや、それもあるけど。……ここのところよく会ってたから、さびしくなるな、と思って。」
「え……。」
あ、不意に本音が出てしまった。
「え、えへへ。実は私も、おんなじこと、思ってました。」
おっと、マジで! ということは両思いなんじゃん。付き合っちゃえばいいじゃん。
「ヨルには会えてないけど、ラキリも、トサカも、みんないつも忙しそうだから……。」
ああ、なるほど、そっちですか。……いやしかし俺はここであきらめるようなタイプの人間ではない。いくときにはいくタイプの人間なのだ。「あそこで押しとけばいけてた」という後悔を、俺は前世で何回してきた? 今世での俺は違う。いまの俺はやるといったらやる男だ。
「ははは、まあ、確かにね……。……で、でも俺の方は、ソフィアからラキリに言ってくれたらもう少しゆとりが生まれるかもしれないけど。そしたら顔合わす機会は増やせるし。」
「もう、そればっかり。その手には乗りませんよ。」
笑いながら、ソフィアは手際よく回復師としての作業を続けている。彼女は俺の右腕の傷跡を観察して言った。あれ……、手応えがまるでない。なんだこれ。単に訓練をサボろうとしているだけだと思われた? 違う、そうじゃないんだ、ソフィア。
「やっぱり、時間がかかると跡が残っちゃいますね。」
「いいよ別に。くっついたんだから。」
「もうしばらくして、落ち着いたら、私がちゃんと治します。しばらくは、……ちょっと無理そうですけど。」
ソフィアは新しい魔術布を俺の腕に巻き直して、その上から包帯を巻いて、固定具を取り付けた。最後に魔術により接着するのは俺が行い、元通りとなった。共同作業を終えて、手持ち無沙汰になった。何というか、完全に機会を逸した感があるな……。
ソフィアを見ると、すでに次の作業である魔術布の点検へと移っていた。魔術布に視線を落とすソフィア。こころなしか少しだけいつもと違うような気がした。何か、何か言わなければ。
「ソフィア、もしかして疲れてる?」
言いながら、言葉のチョイスを間違えたと俺は思った。しかしそんなことよりも、ソフィアの様子が、やはりいつもと違うことが俺は気になった。
「え? そんなこと、ない……。……。少しだけ、です。」
明るい表情をこちらへ向けてはいたが、どうも弱々しく見えた。
そうだ。ソフィアは、ラキリと俺だけではなく、ソニタリオスとの戦いで負傷した兵士たちの治療も、戦後ずっと行っているのだ。もともとこの国では休息日は全員に与えられているわけではないが、軍人や修道士たちには許されている。何日だろう、ソフィアが休み無しで働いているのは。
だけど、「少しは休んだらどう?」とかそんな言葉は何の意味もない。人命がかかっているのだ。もしかしたらイリストリアみたいな性格なら喜ばれるのかもしれないが、ソフィアはきっと休めと言われても休まない。
ブラック企業に務めていたとき同じように土日祝日もなく、深夜残業を繰り返していた同僚に声をかけたら「何もできないなら話しかけるな」とキレられてしまった。そのあと仲直りはできたが、何もできないのに声だけかけてもかえって相手の負担になることはある。
なんと言ったらいいのかがわからず、黙ってしまっていると、ソフィアが言葉をつないだ。
「……今日は7人、亡くなりました。」
ソフィアは作業の手を止めずに続ける。
「……昨日は10人。……一昨日は4人。……その前は17人。……その前は3人、です。」
ソフィアが口にしたのは、ただの数ではない。確かめるように、丁寧に、そして淡々と並べていったその数。それは彼女の目の前で失われてしまった命を指していた。
おそらく彼女の頭の中にはもっと何日も前の数も記憶されてしまっているだろう。彼女の沈痛な面持ちから、それがわかった。
俺たちは戦場から帰ってきたらずっと療養して、魔術の訓練はあったが休んでいるようなもので、日常に戻ったといっても過言ではない暮らしをしていた。しかしソフィアがいる場所ではいまだに毎日、何人も死んでいて、彼女はずっと目の当たりにし続けているのだった。
ソフィアは、まだ、戦場にいた。
「……。」
何も言えない。何と言っていいかわからない。でも、何か、言ってあげなければ。そうやって結局何も言葉をかけられずにいたせいで、結局、ソフィアが言葉を継ぐことになってしまった。
「私がっ……。」
ソフィアの目は、涙でいっぱいになっていた。
「私にもっと、もっと力があれば。私が……、もっと、うまくできれば。しっ……、……死なずに、済んだ人が大勢……、たくさんいるんです。」
ソフィアが、俺の前で明るく振る舞っていてくれていたから、……いやそのせいではなく、彼女が無理をしていことに、俺が気が付かなかったからだ。
おそらくソフィアほどの腕があれば、救おうと思えばその日は魔術を行使した全員の命を救えるはず。だけど魔力の量には限りがあり1日では回復しない。ということは、ソフィアは戦争が終わってから毎日、今日救える命の数と、明日救える命の数を天秤にかけて、それが本当に正しい選択だったのかにずっと悩まされながら、休みなく働いてきたことになる。
「明日まで大丈夫だと思って途中で治療を止めて、後回しにした人が、次の日には……、ということも、何度も……、何度だってあります。」
涙は、もうずっと、ぽたぽたと、ソフィアの膝に落ちていた。当然彼女は、俺以外の別の誰かを救うことになるかもしれない魔術布が、自分の涙で汚れて効力が弱まってしまわないように机の上に置いている。
「私が……っ、私が、間違えたのが悪いのに。私が、間違えなければ、生きていたのに! 私なんかが……。」
「ソフィア、大丈夫。俺がバカだった。」
ソフィアと目が合う。だけど罪悪感からか、不甲斐なさからなのか、目を直視し続けられなかった。
「ごめん。すまない。……そんなふうに苦しんでたなんて、俺は知らなかったんだ。気付かなかった。」
話を聞くまでもなかった。俺は、答えを知っていた。もっと早く思いつけば、彼女をこんなに苦しめることはなかったのに。要は、ソフィアが苦しんでいるのは魔力の量だけの問題なのだ。魔力の量が足りない人が目の前にいるときどういう手段があるのか俺は知っている。
俺は、ヨルからもらった、ソフィア用の魔力供給のための魔術具を取り出す。一見、薬師や回復士の持っている軟膏を保存するための入れ物。当然、修道士である彼女でも身につけて、怪しまれない類の持ち物。
金属製の入れ物の蓋を取り外し、その裏面の文様を見せるだけで十分だった。魔術の素養のあるソフィア。そして少し前までヨルのその術式が施された魔術具を身に付けていたソフィアは、俺が手にしているものが何なのかをすぐに理解したようだ。
「俺なら、渡せる。ソフィアが必要なだけの魔力を。」
ヨルが、自身の研究の成果をみすみすすべて手放すわけがないのだ。魔術訓練の折、俺はヨルから渡されていた。ソフィアに渡していてくれと。俺はここぞというタイミングで渡すために、ずっと、ソフィアに渡さずにいた。2日に1度、顔を合わせるときには必ず持ってきていたのに。ソフィアがこんなに苦しんでいるとは知らずに。ずっと、……自分のことだけを考えていた。
金属製の蓋を介してソフィアの肩、首元に手をかざす。魔力の通り道ができたのを俺は感じ取ることができた。
魔力供給は、相互に合意があればとてもスムーズだった。エルミロイ要塞防衛戦の折、ヨルが無理やり実行したものとは違い何も苦しいことはなかった。流量を抑えて魔導熱に気をつければ、回復魔法をかける必要がないくらい、負担なく済ませることができた。
魔力供給が終わってすぐに、ソフィアは自身が扱える魔力の量を実感したようだった。そして今度は声をあげて泣いた。
その場で何度「ありがとう」と言われたか、わからない。でもそれは彼女が目の前で取りこぼしていった、俺のせいで救えなかった人の数にはたぶん足りない。
「ごめん、こんな簡単なことに気が付かなくて。俺、バカみたいに魔力だけはあるからさ。何だったら毎日でも。」
ソフィアの声は、個室の外まで聞こえていたらしい。外から診療室の回復士が入ってきた。治癒魔法や回復魔法に長けた者の常として、すぐに俺とソフィアを診て、俺とソフィアの魔力が混ざっていることに気付いた。
魔力供給が、国教の戒律にも、そして戦略上重要な"勇者"からの魔力供給はおそらく軍規にも違反している。そんなことはソフィアも俺も、そして回復士の彼も、重々承知していた。
魔力が混ざってしまう行為はそう多くはない。彼は一瞬戸惑ったように見えたが、すぐに事情を察したらしい。そして黙認してくれた。彼はソフィアと違って、回復士ではあったが修道士ではなかった。
そして何より、国教会の回復士たち。その次の日から急に死者の数が極端に減ったこと、ソフィアの魔力量が翌日には全回復していること、そしてソフィア自身を少し診れば、複数の魔力が混ざっていることに気が付かないはずがなかった。しかし、ソフィアもおれも、誰からも咎められることはなかった。
このとき俺たちに対する咎めがなかったことについて、たまたま運が良かったからだとか、ソフィアの才能ゆえだとか、彼女が聖女扱いされているからだとか、"勇者パーティ"だから特別扱いしてもらっているのだとか、俺はそういうふうに思っていて、もはやあまり深く考えていなかった。誰かから、とやかく言われたとしても誰にも文句を言わせない。そういった向こう見ずな覚悟だけは決まっていた。
あとで知ることになるのだが、このときヨルも、ラキリも、イリストリアも、フィリビオンさんも、それぞれが表や裏で動いてくれていて、ソフィアと俺が実行しようとしたことの助けとなっていたらしい。俺がそのことを知るのは、ずいぶん先のことになる。
数日後、魔力供給に関する技術の利用や研究については特例として一時的に認められ、ソフィアだけでなく多くの回復士たちが魔力供給を受ける体制が整うことになった。負傷した兵士たちや、回復士たちにとっての戦争終結はもう少し先の話。だが、もうすぐだ。
結果として、ソニタリオス=グラディオとユグラシフェルト辺境領との戦争における死者数が、戦争に参加したうちの4分の1を超えることはなく、戦後重篤な障害を負った者がいなかったのはこの日があったからだといえるだろう。




