エルミロイ要塞防衛戦 (6)
土塊が落ちる音が、逃げ込んだ地面のくぼみの中から聞こえた。地表では死体の焼ける匂いが漂っている。
「あの槍も魔術か? 投げてきたやつは何だ?」
「わからない。ただ、槍に滞留していた魔力の印象は獣人だ。おそらく力任せに投擲しただけだと思う。」
「獣人……。」
いうまでもなく俺の出番だが、嫌になる。ヨルのせいで魔力が半分以下となっているこの状況で、あんな敵との戦闘をしなければならないとは……。ヨルは我関せずといった風に、自身の衣服の裾を破り、継ぎ目から半分に割れてしまった黒板をグルグル巻きにしている。
「このあたりに、もう使えそうなしかけはないよな。罠とか。」
「地面の液状化以外の術式は仕込んでいない。そしてそれはもう使用した。」
くそ、実力勝負か。真正面から戦うしかない。……いや、敵が1人とは限らない。本陣側からの援護もあり得る。であれば、今のうちに1対1で仕留めておいたほうがまだいい、はず。北側の陣地の生き残りが、やつ以外にもいるならまた話は変わるのかもしれないが。
「俺は出る。ヨル、援護を頼む。その前に周囲の索敵――」
ヨルを見ると鼻血を拭っているところだった。
「動けるか?」
「ん……、問題ない。索敵は行った。周辺の敵はやつだけだ。ほかに生体反応はあるが、無視していい。」
「敵の探知は任せるぞ、ヨル。」
そのまま、くぼみから抜け出し地表に出る。前面に防壁を展開。前世の漫画知識から、すこし斜めに傾けて衝撃を受け流すよう工夫する。ヨルやラキリが扱える半球状の防壁を、俺はまだ習得していない。
焼けた地上の先に目を向ける。いた。1つの巨体が、大斧を携えてこちらに向かっている。何か獣の背中に乗っていることがわかる。移動が速い。
遠距離攻撃をしかけるか? いや、さっきの爆破で死ななかったやつだ。意味がない。至近距離での立ち会いでなければ、俺たちには殺すことができない。いやそれも、俺の剣や槍の能力がやつを上回っていればの話だ。
相手の身体が大きい。槍を使いたいところだが……、前面に落ちている。
周囲の索敵はヨルに任せた。向こうが何かしかけてこないか注意を払いながら槍を拾う。このまま待ち受けていていいのか? 何かしなければいけないんじゃないのか? そう自問したが、答えは出ないまま、敵はすぐそこまで到達した。
一足飛びでちょうど届くかどうか、俺の間合いのギリギリ外で敵は立ち止まった。巨大な猪のような獣の背から降り、地面に立つ。目測で2トルーブ、――2.5メートル程度だ。獣人の頭部は牛で、太く長い立派な角が2本生えている。鎧の装飾の具合からも、獣人がただの一兵卒でないことはわかる。牛の獣人は、手に握っていた大斧を逆さにして地面に突き刺すと、こちらに向かって大声でなにか言葉を発した。魔族の言葉だ。
「ヨル、何を喋っているかわかるか?」
獣人は同じフレーズをあと1回、発した。
「……決闘を望む、と。」
ああ、くそ。ラキリから聞いたとおりだ。魔族の風習として、戦場での勝敗の決着をつける際、決闘という手段が用いられることが珍しくなく、今回もその可能性があると伝えられていた。いくつか条件を伝えられ、その範囲内なら決闘に応じることを許可すると。許可って……。別に俺は闘いたいわけではない。
こちらが返事をする前に、向こうが別の言葉を重ねてきた。
「やつが勝てば要塞を明け渡せと言っている。負ければ軍を引かせると。……しかし、この要求は飲めない。要塞を渡すわけにはいかない。」
お前が言うなといいたいが、事前の作戦会議の通りだ。やつが勝った場合、というのは俺が死んだ場合のことなので、正直要塞がどうなろうと知ったことではないが。
「条件は飲めないと、伝えてくれ。」
「いや、戦うのは"勇者"だ。君が伝えろ。」
「はあ? 俺、魔族の言葉とか知らないんだけど。」
「帝国の公用語でいい。向こうも話せないまでも、意味はわかるはず。敵本陣からもこちらの様子をうかがっている。"勇者"として相応に振る舞えよ。」
何だろう、何でヨルが、通訳を避けて俺に喋らせようとしているのかわからない。責任逃れか? めんどくさい。こんなときまで何だ。しかしこんなところで喧嘩をしていても仕方がない。ヨルに従い、俺が帝国公用語で伝える。大声で。本当に通じるのか?
牛の獣人は、すこし考えて再び言葉を投げかけてきた。ヨルが翻訳する。
「勝敗に関わらず、互いに手を引くのはいかがか、と。」
まあこれは飲める条件だろう。しかし――。
「わざわざ俺とあいつが殺し合いをする意味は何だ? ここで互いに手を引けばいいじゃないか。」
「向こうとしては負けても1人失うだけだ。"勇者"を打ち取る好機と考えているのだろうね。」
嫌な過大評価だ。俺にそんな価値はない。答えを考えあぐねていると、向こうから更に言葉を投げかけられた。
「決闘を受けなければ本陣を前進させる、と言っている。」
受けるしか、選択肢がない。ヨルは早く答えろ、と言わんばかりに俺の顔を見てくる。くそ、何だこいつ。生贄にされているように感じられて癪だ。それにヨルが「それは私の役割ではありません」という態度を終始一貫していることに腹が立つ。
しかしやるしかない。帝国公用語で受ける旨を返答した。伝わっただろうか。決闘ってどうやって始まるんだ? という疑問は、敵がこちらに向かって1歩、2歩と踏み出す姿を見て解消された。大斧の握りや姿勢が、明らかに戦闘態勢に入っている。
戦闘の最中、急に会話が始まり何だか間延びしたなと感じていたが、敵が迫る1歩ごとにかき消えた。すさまじい殺気。
ああ、これは本気のやつだ。気合を入れなければ死ぬ。集中しなければ死ぬ。呆けて先手を逃したのは仕方がない。次だ。
集中しろ。
集中しろ。
とうに間合いには入っている。槍に魔力を込める。
牛の獣人は、振りかぶっていた大斧を振り下ろす。凄まじい初撃。ビリビリと、大気が揺れるようだ。全身の毛が一気に逆立つ。
空いた脇腹を刺す――、が疾い。軽く身をよじって払われ、大斧がすでにそこまで迫っていて、躱す。
後ろへ跳躍。間合いを取ろうとするが……。くそっ、全然間合いが広がらない。同じ疾さで、牛の獣人の巨躯が迫る。大斧の重さと纏った魔力の激しさを見るに、これは武器で受けるとおそらく壊れる。だから身をよじって逃げているが、このままだといつまでもこいつの主導権だ。
様子見とか、そんな悠長なことをいっていられない。ここで勝負に出る。敵の斧は避けずに魔術防壁を展開し、全力の槍で、敵の甲冑の隙間を狙い突き刺す! しかし敵は焦った様子もなく、前に避けた。意表を突いたつもりだったが、相手は戦い慣れている。
巨体の割に動きが素早い。相当な重量のある大斧を、難なく扱っている。攻撃の一手一手が、実に嫌な疾さと場所とタイミングで打ち込まれる。
こちらも何度か攻めて出ているが、敵の攻勢は揺るがない。槍の刀身をあまり避けようとしていないのだ。少々であれば身体が傷ついても構わない、というような攻め方だ。ぞっとする。命が惜しくないのか。牛の頭を持った化け物の巨体が、とにかく前に前に迫ってくる。このままだと押し切られる……!
素手に魔力を込める。大斧の猛襲を避けながら、溜めて、溜めて、一点に集中。くそっ、隙がない。まだ……、まだだ……。
避けながら、脚がもつれて体勢を崩してしまった。くそっ、手の魔力操作に意識が集中しすぎた!
焦りながら体勢は立て直すことが辛うじてできたが、相手の目には僥倖と映ったのだろう、大きく振りかぶった斧の一撃を叩き落とされた。
よし、偶然だが隙ができた! 魔力を集約していた右手で、巨躯の胴体を思い切り殴りつける。俺の拳は、敵の鎧を歪めて割って、胸部を直接に殴りつけることができた。命中だ!
しかしすぐに、斧と、角と、そして膝蹴りまで合わせて反撃してくる。斧と角は避けることができたが、膝は食らってしまった。一瞬、呼吸が止まる。攻撃が重い……!
ただ、右手には敵の肋骨を折った感触はあった。複数本だ。これでひるんでくれればあとは攻勢に出ることができる。相手の膝蹴りによる呼吸の乱れが整わないまま、槍の刺突を繰り出す。
巨体の猛攻はまだ止まらず、こちらから攻撃をしかけても、やはり前に前に攻めてくる。こちらの呼吸が整うのと、向こうの呼吸が整うのはほぼ同時で、互いに相手に致命傷を与えることはできなかった。嫌な敵だ。逡巡も、ひるみもまるでない。俺よりも重いダメージを与えたのは確かなはずだが。
大斧という武器に不釣り合いに、敵の間合いが近い。牛の頭の化け物は俺に向かって前に、前に、前に、とにかく踏み込んでくる。これだけ間合いが詰まっているなら槍はもういい。剣に持ち替える。
足元から向こうへ回り込みながら、剣を抜いた。
とにかく姿勢を立て直すまでのあいだ、距離を取り時間を稼ぎたかったので長い距離を跳躍したつもりだったが、大斧の猛攻はそれでも追従してきた。少しでもつまづいれば斬撃を受けていただろう。
抜いた剣でそのまま斬りかかる。槍から剣に持ち替えたことで、敵は一瞬リズムを崩したように見えた。好機と思い、懐に入り込む。このまま一気に、と考え攻勢に出たが、敵はあっという間にこちらのリズムに合わせて立て直してきた。期待した隙は生じず、そのまま攻防が続く。
呼吸を置けない。敵の隙を突くなんていう余裕はまったくない。敵のほうが武芸の実力は上手だ。悔しいとも思わない。経験が違う。このまま斧と剣を交えていたら、いずれこちらの隙を突かれて殺される……。
何かないか。魔術は使う間がない。いや、使うことはできるだろうが、俺の練度だと威力が全然足りない。ヨルのあの爆撃を凌いだやつだ。下手に魔術攻撃を繰り出しても、こいつなら、魔術防壁がなくても、素で身体にまとっている魔力だけで力が減衰し、大したダメージは与えられないだろう。
……そうか。俺に魔術を使わせないために、敵はこれだけ攻勢に出ているのか。敵の攻撃の意図がやっと読めた。
しかしそれは買いかぶりだ。俺はまだ武器を振るって動き回りながら、まともな魔術攻撃を繰り出すことはできない。ラキリとは違う。
だが、その誤解をどうにか使えないか。相手の警戒を、意識を、過大評価した"勇者"の姿を、うまく使って――。
そのときだった。
突然、敵が咳き込み血を吐いた。大斧に隙が生じる。都合よく、斧は相手巨躯の向こうにあった。
やっと生じた好機! 喉を狙い、剣を振り上げる。敵が身を捩って躱し、喉への攻撃は空振りに終わった。
敵の隙はもう、なくなった。俺は後ろに引き、敵との間合いを取るように再び逃げの一手となる。
しかしだ。その前に、一瞬だけ生じていた隙の間に、俺は引き際に斧を握る腕に深い一太刀を浴びせることに成功していた。
大斧の猛追に、わかりやすく影響がでている。重さは相変わらずだが、手数は確実に減った。
これにより、ようやく胸部を殴ったダメージが確認できた。敵の動きに何も変化がなかったので、骨を折った感触は錯覚かとも考え始めていたが、よかった。
牛の獣人の気迫は一層激しくなったが、肋骨の負傷を確認できたいま、俺の獣人に対する恐れは少しだけ軽減して頭も冷静になった。やるべきことはわかっている。ここが大事だ。勝とうと躍起になることはない。負けないことが重要だ。
守りに徹していれば、再び隙が生じるはず。そのたびに一手ずつ確実に決めれば勝てる。もう余計なことは考えなくていい。
想定通り、牛の獣人の攻撃の勢いは次第に衰えた。疲れも蓄積したのかもしれない。
再度血を吐いた。さっきよりも大量に。動きが鈍ったその隙に、首筋に深い一太刀を入れた。傷口から血が吹き出す。獣人は最期の猛攻に出たが、こちらは防御に徹したので攻撃を受けることはなかった。動くたびに血が吹き出て、弱っていく様子が手に取るようにわかる。
距離を取る。まともに組み合う義理もない。首から血を吹き出す牛の獣人は、それでも俺を追いかけてくる。さっきまでは間合いを詰められていたが、いまはもう、十分に逃げ切れる。
と、敵がよろけて膝から崩れ落ちた。もういいだろう。斧の斬撃はすでに精彩を欠いている。大きく空振りとなった懐へ潜り込み、首を刎ねる。
牛の頭は宙を飛び、首のない巨体は大斧を振るった勢いそのままに回転しながら仰向けに倒れた。
倒れた胴体は、尾と脚が痙攣している。
しばらく様子を見る。もちろん死体の近くからは十分に距離を取ってだ。頭と胴体を両方視界に入れている。首のない死体に後ろから襲われるなんていうヘマはもうしない。
十分に、時間をおいて、動かなくなった胴体の胸部、鎧に穴を開けた箇所に剣を突き立てる。『竜は二度殺せ』だ。ラキリ教官の教えの通り。何らかの魔術が作動している様子もない。牛の獣人の命は確実に断った。
川の向こうの敵の本陣に目を向ける。向こうには目立った動きはない。
「あっ!」
ここで思い出す。やつが乗っていた猪のような獣だ。ヨルの爆撃魔法を生き残ったのは、あの獣も同じだ。まずい、意識を向けていなかった。
遠くに控えていた獣の方へ急いで目を向けると、向こうもこちらを見ていた。再び臨戦態勢となり剣を構える。
すると獣は俺から視線を外し、川の向こうの敵本陣の方向へ小走りに駆けていった。
……あれ? もしかして絶妙なタイミングで、あの獣に襲われていたら、俺は負けていたのか? いやいや、ヨルが見張っていたはずだからそれは大丈夫か。……それにあの大きさの獣が近づいてきたら、さすがに俺だって気付くだろう。たぶん。うん。
ああ、ラキリが近くにいなくてよかった。また説教を食らうところだった。鬼教官に見られている気がして要塞に目を向ける。要塞側もとくに問題ないようだ。ワイバーンの姿もない。敵本陣の様子を警戒しながら遠目に見ていると、約束通り山脈の方へと撤退していく様子だった。
魔族を相手にした初の戦闘と、初の1対1の闘い――、「決闘」はこのような幕引きだった。
魔族はヒューム側でいわれるほど残虐非道な印象を受けず、むしろ牛の獣人の振る舞いには「敵ながら天晴」とでもいいたくなるような武人としての精神を感じた。得体の知れない敵として恐怖心が大きかったし、不気味にも感じていたが、案外そこまで恐怖する必要はないのかもしれない。ヒュームを相手にする戦争と同じようにこなしていけばよさそうだという見通しが立った。
そしてもう1つ。ラキリ教官の指導は毎日滅茶苦茶しんどいけれど、魔族相手に十分通じることがわかった。ヨルも、いろいろムカつくことはあるものの魔術師としての技量は頼りになるし、魔術の先生としてもまあ間違いはないだろう、と思えた。
いまのまま2人――、というよりもラキリに従い鍛えていけば、もちろん大変だけど魔族や、魔王にもいつかは勝てるんだろうな、と。先が見えなかった日々の訓練の成果を実感できて希望が持てたし、俺の実力がなかったために死なせてしまったロズワールとキルステンや、ドラゴンに対するトラウマからも、すこし解放されたように思えた。
夜が明けていく景色の中で、俺はようやくこの世界での生き方に確信を持てた気がした。このまま帝国軍の中で、ラキリに従い訓練を続ければ。
しかしそれが思い違いであったことを俺は知ることになる。
誰かに従って努力していれば安心だとか、確実だとか、そんな間の抜けた考えは、どの世界でも通用するものではない。
メルトグラニア帝国暦462年、統一魔王歴でいうと791年。ユグラシフェルトに召喚された勇者・トサカ=ノヴォルが帝国を去ることになってしまう、しばらく前のできごとだった。




