アンナリーゼを
俺は、雪の降った日からずっと考えていた。
アンナの婚約についてだ。
父から聞かされたのは、「隣国のアンバー公爵家との政略結婚が正式に決まった」であった。
俺は、ずっと殿下の妃になるのだと思っていた。
幼い頃から、そのように言われてきたのだ。
それなのに、アンナは……
あの日、アンナの家をたずねないわけにはいかなかった。
そして、アンナを責めずにはいられなかった。
俺の心が、叫んでいたんだ……
あの日を思い出す。
「君は、暢気なものだね……
婚約の話は、その分だとまだ聞いていないというわけか?」
「婚約の話?誰の?」
「アンナのだよ!
僕は……
…………俺は、アンナが殿下と婚約するものだと思っていた。
父からも王太子妃の候補だと聞いていたから……
なのに、どうして…………
………………ローズディアなんだ?アンバーなんだ?
なぁ、アンナ……なんとか、なんとかいえ!!」
アンナを責めるのは、間違っている。
心のどこかでは、分かっているのだ。
わかっていても……
アンナが戸惑っているのを思い出す。
そして、そのあとは少し諦めたような、ホッとしたような顔になっていた。
「ハリー、婚約の話、聞いたのね。
私のところには、まだ正式に通知は来ていないのだけど……
宰相様からハリーが聞いたのなら、正式に決まったようね。
よかった……」
「よかった……?
いいわけがない!
さっきの口ぶりからすると知っていたということか……?
なぁ、アンナ!?」
「少し落ち着いて!
知っていたわ、もちろん。
自分のことですもの知らないわけがない。
それに、これは私が望んだことよ!!」
アンナが望んだこと?
それは、どういうことだろうか?
殿下は、それで納得したのか?
何故、納得できる?
「アンナ!」
思わず、アンナの両腕を掴んで叫んでしまった。
もう、わけがわからない。
そのあとエリザベスとともにアンナの『予知夢』の話を聞いた。
ただただ、驚いた。
戦争だって?
戦争で犠牲を少なくするための政略結婚だって?
戦争なんて、他の誰かに任せればいいじゃないか!
アンナが、犠牲になるのは間違っている!
俺の心の中は、荒れていた。
アンナが、こんなものを抱えていたのか……
そして、去年のジョージアとの卒業式は、この政略結婚がうまくいくための布石だったんじゃないかと思えると、腹がたってきた。
暖炉の前で小さくなるアンナを抱きしめた。
腹は立ったが、弱音を吐くことのないアンナは震えているように見えたからだ。
「アンナ……その未来に、俺は必要か……?
……俺は、今、アンナが必要だよ……」
「私は、私のいない未来に、ハリーが必要なの。
今じゃない!」
拒絶される。
抱きしめた俺は、アンナが自分の腕の中から逃げていくことなんて思ってもいなかった。
ショックだった……
アンナの言い分もわかる気がしてきた。
でも、アンナに俺の側にいてほしい……
ん……
殿下じゃなくて……
俺が……
俺が、アンナに側にいて…………!
アンナの側にいたかったのは、他の誰でもなく俺自身だった。
そんなことすら、見落としていたのか……
それじゃあ、アンナには、伝わらないだろう。
そして、頑固なアンナは、今更ゆるがないだろう。
それでも、アンナと共に……
「俺は、アンナに近くにいてほしい。
殿下と3人、いつも近くいるんだと思っていたんだ……
なのに、こんな急に……」
「……ごめん、ハリー。
私は、小さい頃から決めていたことだったけど、
ハリーにとって急すぎたよね……
でも、すぐに行くわけでもないし、アンバー領へ行ったとしても
私は私で、殿下とハリーの幼馴染だよ?
呼んでくれれば、すぐ飛んでくるし……」
そうは言っても、もう無理だろう。
今みたいに、自由奔放に振る舞えるのは、俺たちが子供でいられたからだ。
手を繋ぎ、ハグをし、ふざけあえる。
そんな時間は、もう終わりを告げるときが迫っているのだ。
これからは、そういうわけにはいかない。
俺は公爵として、そして、アンナには公爵夫人としての立場ができてしまう。
決めたことだからと言われても、納得ができない……
今、気づいたのだから……
俺が、アンナを好きだと……
愛しているのだと……
サシャが、部屋に入ってきた。
サシャは、すべて知っているのだろう。
だから、ジョージアが卒業式でアンナのエスコートをすることに協力的だったわけだ。
ジョージアにあんまり印象はなかった。
卒業式でのエスコートや祝賀会でのアンナとのダンス、『赤薔薇の称号』取得のときにアンナにキスをしたこと。
すべて同じ日だ。
あとは、外見がやたら美丈夫だってことくらいだ。
少し華奢な雰囲気ではあるが、背も高く銀の髪がサラサラとしている。
物静かそうで、落ち着いた空気をまとっていると思っていた。
そして、何より、すでに婚約者候補がいるという事実だ。
それを踏まえても、アンナが幸せになれるとは思わなかった……
サシャの言葉を聞くまでは、アンナを想っているとはとても思えなかった。
「青薔薇の花言葉は、我が国では、『不可能』、『存在しないもの』って言われてるんだ。
今、ローズディアでは、青薔薇が存在している。
アンバーのお屋敷では、すでに咲いているらしいよ?
ちなみに……
『一目惚れ』、『夢かなう』、『奇跡』とローズディアでは、花言葉が変わっているんだ。
ジョージアはね、アンナに何故、青薔薇のドレスと宝飾品を贈ったか、
ヘンリー様ならわかったい?」
「教えてもらった日に、アンナのこと聞いたんだ。
これ、内緒って言われているから、ジョージアには秘密にね!
『アンナに一目惚れ』
『卒業式のパートナーになってもらうっていう夢が叶った』
『アンナと一緒に過ごせる奇跡』
だそうだよ」
「主にサファイアは、『誠実』って意味をいうんだけどね、『一途な想い』って意味も
もつんだ。
ジョージアは、本当にアンナを大事に想ってるみたいだね。
狙ってやってるんだから……」
驚きだった。
卒業式の日、アンナは、青い薔薇を丸々纏っていた。
ドレスはもちろん、ピアス、髪飾り、ネックレス、ブレスレット。
それは、ジョージアの想いそのものではないか……
自分は、13年という月日を一緒にいたのに、アンナへの想いは、今、気づいたものに対し、
きっと入学式の前日に会ったときだったのだろう。
「ヘンリー様のこと、本当に小さいころから大好きだと思うよ。」
サシャの言葉を疑った。
アンナは、俺を?殿下ではなく?
なら、なぜ、ジョージアを選んだのか……
ますますわからなくなる。
「その理由とは?」
すかさず、サシャに聞く。
アンナに聞いても答えないだろうが、サシャなら答えてくれるだろう。
「これは、僕の予想なんだけどね、さっきの話で伏せられている部分があるんだ。
僕たちにもね。
たぶん、それってヘンリー様の死じゃないかな?」
「僕の死?」
「そう。
ヘンリー様が思うより、アンナのヘンリー様への愛情は、そうとう重い愛情だよ。
僕たちにも語ってくれていないんだから……ね。
たぶん、ヘンリー様の死に様を予知したんじゃないかな?
家族や友人が死ぬとは言ってたから……」
俺が死ぬ……?
予知したという戦争で?
アンナと共にあれるなら……それでも構わないと思う。
でも、アンナはそれをよしとしなかったのだ。
俺が死ぬから、死なない未来のためにということか……?
ますますわからない。
俺の知っているアンナなら、きっと、最後のときまで一緒に戦ってくれるだろう。
違うのか……?
俺が死ぬことが、アンナにはたえられないのか……
アンナのほうが後に死ぬのか……?
わからない。
アンナがいなくなることすら考えたことがなかった俺には……
アンナが何に絶望したのか……
『ハニーローズが私の子供なの!
その戦争を終わらせてくれるって信じてる。
あの子を手助けしてあげてほしいの……』
ハニーローズとは、なんなのだろう。
アンナが生まなければ、二度と生まれないと言っていた。
ジョージアの血筋も途絶えるということなのだろうか?
わからない…………
なぁ、アンナ……
俺は、アンナを手放したくない。
『僕の姫様』