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91話 もう1人のルビーアイ



 大迷宮連邦国、270階層。

 

「何ぃ!?バフォメットがやられただって!?」


 チョンチョンの知らせにハーピーは耳を疑った。

 彼らは同族の視界を共有する事が出来る。大迷宮全域に監視役として配備されていた彼らが言うなら真実だろう。


「しかも大迷宮の殆どが消えちまったなんて…信じられる訳がないさね」


「しかし、250階層より上に居た同族とコンタクトが取れません。一瞬にして消えてしまったとしか」


 ハーピーは唸った。


「バフォメット様もブルクハルトの魔王に吹き飛ばされて見失ってしまい、見付けた時には既に…」


 凄惨な死体を思い出し、チョンチョンは言葉を切る。

 青い顔で沈黙した彼に「呼び戻すんだ」と唐突に告げた。意味が掴めず見上げる首に、ハーピーは甲高く怒鳴る。


「ガグを呼び戻すんだ!バフォメットが殺られたって事はもう直ぐそこまで来てるって事さね!ヒヒラドでも良いから奴を此処に連れて来るように言うんだ!奴はトロいから適当な所でもたついてるだろうさ」


 死神が近付いて来ているような、得体の知れない怖気が彼女を襲っていた。喉を大鎌で撫でられていると錯覚する程の漠然とした緊張感に兢々としている。

 命じられたチョンチョンは言われた通り、彼らの近くに居る同族に念話を送る。

 

 魔王会議でバルトロメイに殺された兄に変わり、幹部位を賜った弟のガグ。新参者の彼に与えられた250階層は既に跡形も無い。

 彼女の言う通り下層で準備に手間取っていたガグを、ヒヒラドが連れて来た。


「どうしタのだ?俺は迎え討つ準備をしナくては…」


「この鈍間のろまッ!奴は直ぐ其処まで来てる…!」


 呑気な事を言う縦口の怪物を叱咤する。


 バフォメットが殺られた。奴は光物が好きな魔術オタクだが、決して弱い訳ではない。扱う魔法は一級品だし魔力量も相当なものだ。

 

 胸騒ぎがする。


「ヒヒラド、チュパカブラも連れて来るんだ。此処で奴の息の根を確実に止めるよ」


「…分ガッダ…」


 油の塊がズブズブと音を立てて地面に沈んだ。


 すると『あれ?』と聞き慣れない声に揃ってそちらを見た。

 白髪の青年がひょっこり顔を出しハーピーの階層に足を踏み入れる。


 そこは腐臭が漂う洞窟だった。魔物の骨が散乱し、踏むとパキッと嫌な音がする。腐肉もあり、蛆に塗れ不衛生な場所だ。大鼠が走り、蠅が行き交う。


 歩いて来る男はとても、大国を統べる魔王とは思えない。飄々としていて、奸悪な階層に対して『うわぁ…』と情け無い声を漏らしている。

 しかし何処か油断出来ない気配は感じた。


『…フェラーリオに用があるんだけど』


「無礼者め!敬称をツけろ!」


 ガグが怒号を上げると、白髪の青年は手を顎に添えて思案に耽る。


『やっぱり、君、あの時会ったよね?』


「は?」

 

 意味が分からない。ガグにブルクハルトの魔王に接触した記憶は無かった。


『…再生能力?蜥蜴の尻尾みたいなモノかな?』


 如何やら兄と自分を勘違いしているようだ。「ーー俺は」と弟だと明かそうとしたその言葉をハーピーが遮る。


「そうさ!コイツは不死身なんだ…!」


「!?」


 驚きつつ彼女を見ると、合わせろと暗に視線で指示された。


「アンタに勝ち目は無いんだよ!分かったらさっさと慈悲を乞うんだ!自分から首を差し出すんだよ!」


 不死身と聞いて銷魂しない者など居ない。とんだハッタリだが、ガグの存在は丁度良い。

 バルトロメイに殺された筈の彼が、また目の前でピンピンしているのだ。魔王と言えどたじろくに違いない。


 ハーピーは明確には言葉に出来ない不安があった。少しでも彼に動揺を与えて、隙を作り確実に仕留めたい。


 アルバは単に魔種族個人の見分けが付かないだけだが、興味深そうにガグを見ていた。


『不死身かぁ。RPGの知識だと身体の何処かに核がある、とか弱点があるとか、そんな感じかな?』


 他人事のような、気の抜ける声。


『ガス抜きには丁度良いね』


 ハーピーの期待した反応ではない。微笑みを浮かべたワインレッドの双眸が此方を見た。その瞬間、嘗て無い惧れを感じる。笑っている筈なのに凶悪で、大鎌が振り上げられた幻覚を見た。


 気付いた時には、横に居た筈のガグの姿が無かった。ブルクハルトの魔王も忽然と消えている。

 (何処に行った…)彼らを探して見回すと、遥か後方に2人を見付けた。


 アルバラードが、頭の潰れたガグを見下ろしていた。彼の頭部を跨いで顔を覗き込む格好で、再生するのをまだかと待っている様子だった。


『…あれ?』


 いくら待っても再生されない頭部に、魔王は困った顔で此方を振り返る。


『蜥蜴の尻尾みたく、治るんじゃないの?』


「…っ」


 まさか、瞬殺されるとは思ってもみなかった。

 虚偽が明らかになってしまった焦燥感に苛まれる。


『…調子が悪い時もあるのかな?治ったらもう何度か踏み潰そうと思っていたのだけど』


 まだビクビク跳ねる身体に目をやり、一向に始まらない自己再生を憂う。彼は消化不良というように頭を掻いた。


『まぁいっか。…さぁ、後は君だけかい?』


 死刑宣告をされたのだと誤認する。


 身体が動かなかった。動けば、そのまま殺されてしまいそうで動けなかった。目も逸らせない。

 大迷宮でもこれ程畏怖する事など滅多に無かった。初めて狩られる側に回って、弱者の気持ちが理解出来た気がする。


「あーはっはっハ!オレが来たからにはもう安心だゾ!」


 死を覚悟したハーピーには吉報だった。ヒヒラドがチュパカブラを連れて来てくれた。場違いな程に明るい高笑いが階層に響く。

 岩の上で仁王立ちする空気を読まない登場に、今回ばかりは泣きたくなった。


「油断しない方が良いよ!コイツは得体が知れないッ!ガグを一瞬で殺しやがったのさ!」


 アルバから飛び退き距離を取ったハーピーが叫ぶ。


「分かっタ!はは、ブルクハルトの魔王よ!オレは大迷宮連邦国、幹部位第1位!チュパカブラ!オレのルビーアイの魔力に平伏すが良イ!!」


『え?』


 渾身の格好良いポーズを決めて与えられた役職を公言した。


 チュパカブラの目はルビーアイと言われればそんな気もしてくるカメレオンのような目。眼球が強靭な円錐状のまぶたに保護され大きく出突している。それ全体が赤く、宝石のように見えなくもない。


『驚いた。君はルビーアイなの?』


「そうダ!オレこそ長い魔歴の中でも3人目の宝石眼に選ばれた男!」


 岩陰に隠れたハーピーは「チュパカブラ!最初から全力で叩き潰した方が良い!」と警告した。

 それを聞いた彼は尤もらしく「ほォ?」と目を細めてみせる。


 ハーピーがあれ程怯えている姿は初めて見た。それだけでもブルクハルトの魔王は余程の実力者なのだと推察出来る。

 出し惜しみするのは愚かだと判断し、懐から瓶を取り出す。中には赤い液体が揺れていた。


「オレは血ヲ飲む事で更に強くなる事が出来ル!」


 アルバはチュパカブラが血を飲むのをただ見ていた。


 幹部位第1位の所以。彼は他者の血液を啜る事で力を増幅させる。その実力は他の幹部を大きく引き離す。

 普段の調子が黙認されているのも、フェラーリオの悩みの種になろうと、彼の強さが認められているからこそだ。


 チュパカブラの身体が膨れ上がった。筋肉が隆起しみるみるうちに発達する。骨格すら変貌し肥大して、禍々しい闇の空気を纏っていた。


「はははハははッ!!」


 響く哄笑は気分の高揚を示している。

 瓶を落とし、踏み砕いた。


「はは、ははハひひッ!あの女の血は最高ダぁ!これ程力が溢れて来ルとは!オレは最強だ、最強ダッ最強だァアッ!!」


『…』


 ーーリリアスの血。


 チュパカブラは血液を摂取する事で更に強靭になるが、その血が強者のものであればある程効果は絶大だ。今の彼はバフォメットの魔力量をも凌駕している。

 岩陰で身を縮込めていたハーピーは、差した希望に喜びを噛み締めた。


「もっと抜いておくべキだった!濃厚で甘美な味だ…っははハ、あははハはふべらッーー!?」


 凄まじい衝撃に語尾が揺れる。殴られ、真横へ吹き飛ばされた。

 体勢を整えようと地面を探す。勢いが殺せないまま、次は腹部に膝蹴りを受け高々と突き上げられた。


「ぐぶ…ッ、!?」


 全く見えない。

 空中で待ち構えていたアルバの踵が背中にめり込む。そのまま地面に向かって猛スピードで落下した。


 その時ハーピーは、急降下するチュパカブラへ雷光が後続するのが見えた。先程の目で追えぬ動きの謎を、唐突に理解する。奴は雷の速さで動く事が可能。雷魔法を操るのではなく、奴自身が雷そのものだ。


ドカァアアッ!


 地が震える。土埃が立ち込める。

 落下したチュパカブラを中心に大きな窪みが出来た。


 自分の身に何が起こったのか把握出来ないままの彼は、息も絶え絶えに近付いて来た男を見る。


『丈夫だね』


「き、貴様ハ…」


『…』


 深みのあるワインレッドの瞳が、彼を見下ろしていた。艶やかで美しいルビーが目に嵌め込まれていると見紛う。白髪の青年のその眼光は危険に満ちていて、それでいて目が離せない。

 (宝石…緋色ノ眼…この眼は、正しく)その冷淡な光に竦み上がる。


 自分は弱者だったのか。いや、フェラーリオの右腕を語れる位には強かった筈だ。少なくともこの白髪の男が現れるまでは、確かに強かった筈だ。


 彼の自信は瓦解した。ホンモノを前にして、粉々に砕け散った。


 アルバは大きく膨張したチュパカブラの首を掴み上げた。両足に力が入らない彼の代わりに、無理矢理立たせてやる。


『…ルビーアイの君には、もっと別の形で会いたかったなぁ』


 独り言を言い終わった後、激しく放電した。青白い電撃が彼とチュパカブラを包む。バリバリと周りを巻き込みながら、稲妻が走った。生き物が焼ける嫌な匂いが漂う。

 

 雷光が収まり、恐々とハーピーが様子を窺う。僅かに顔を出して同胞の安否を確認した。

 チュパカブラは黒く焦げ、ピクリとも動かない。


 魔王が彼を打ち捨てたと同時に悪寒が走る。咄嗟にその場から離れようと、羽ばたいた。


『…逃げてしまうのかい?』


 すぐ近くで悍ましい声がする。汗が噴き出し、それ以上動けなくなった。

 ブルクハルトの魔王が、ハーピーの両羽を掴んでいる。振り向けない。


『そろそろフェラーリオの所に行きたいんだ。階段を降りるのも疲れた。近道があるなら教えて欲しいのだけど』


「……ッ」


『…まぁ、嫌なら仕方ないね』


「いえッ!ご案内します!ご案内しますとも、このあたくしめが…!」


 利用価値が無いと分かれば殺される。幹部位第1位のチュパカブラもまるで赤子のように嬲られた。第2位の彼女では、到底敵わない。

 愛想笑いを浮かべ、ハーピーは少しでも長生きが出来る道を選ぶ。


「ヒヒラド!」


 呼ばれて出てきたのは液状でドロドロ糸を引く物体。


「アルバラード様を、フェラーリオ様の元へ運ぶんだ」


「……分ガッダ…。ブェラーリオ様ハ闘技ノ間ニイラッジャル」


『…君も来てくれるよね?』

 

 思わぬ発言にハーピーは戸惑った。有無言わさぬ空気に「え、いや…はは。…勿論ですとも」と頬が引き攣る。ーー逃げられない。そう悟ったのだった。



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