8話 泥棒猫
朝食を終えた後、ずっと会いたかったリリスと対面する。僕は執務室みたいな部屋の中央にあるデスクの椅子に腰を下ろし、リリスはその向かい側で背筋をピンと伸ばして立っていた。
因みに僕の後ろにはエリザが控えている。
『やぁ、久し振りだねリリス』
「はい、アルバ様!ご無沙汰しております!」
僕の言葉に満面の笑みで返答してくるリリスは、昨夜外の仕事から帰って来た筈なのに一切疲れを感じさせない。
ユーリに聞いた話では、隣国の偉い人が催すパーティーに招かれていた僕の代わりに出席して、体面を守ってくれたらしかった。
『パーティーはどうだった?楽しめたかな?』
「はい。至高なるアルバ様の代役として責務を果たして参りました」
『うん、有り難うね』
「お礼など…!主人の為に働く事こそ我々の存在価値です!」
うーん、他の五天王の皆もだけど、リリスは愛国心に満ち過ぎじゃないかな?勿論、僕は助かるけど、頑張り過ぎて身体を壊さないか心配になる。
『昨日帰って来たばかりなのに、呼んじゃってごめんね』
「そんな事は…!」
『それでさ、少し確認したい事があるんだ』
「何なりと仰って下さい」
リリスはその場で即座に跪き、椅子に座って引きつる僕を見上げた。『いいよ、リリス!楽にして!』と焦って声を掛けると、可愛らしく小首を傾げて「はい…」と立ち上がる。
『簡単な確認と、今後についての話し合いなんだ。そうだな…、そこに座ろう』
近くの黒革の上品なソファを指差し、其方に移った。長くなりそうだからエリザに飲み物を頼み、でもリリスがいつまでも座らないので『どうしたの?座って』と声を掛ける。
すると「し、失礼致します…」と照れながら僕の隣に腰を下ろした。(あれ?向かいにって意味だったんだけど…)まぁいっか。
『まず、幾つかの確認ね』
「はい」
『まず、この国の在り方って何なのかな?』
「アルバ様が何不自由する事なく世の中を満喫し、贅の限りを尽くせるよう搾取される為にあります」
美しい笑顔でとんでも無い事を言う。
『…逆らう人が居たら?』
「己の愚行を後悔するまで拷問の限りを尽くし、最期は王都の広場にて見せしめとして公開処刑を行います。勿論、親、子供、兄弟、伴侶、恋人もです。目を背けたくなるように惨たらしい処刑方法を選び、死体は暫く城下に宙吊りにして烏の餌にするのも…」
『うん、ダメだね』
「失礼致しました!我らが主人がいらっしゃる城の周りに腐った肉塊を転がす訳にはいきませんよね!では、城内の従魔がお腹を空かせているので其方へ回します」
『いや、違うから』
根本的な考え方が違う。僕は如何したものかと内心頭を抱えていた。
『リリス、今後の方針についてなんだけど…なんて言ったら良いのかなぁ。…僕は恐怖による支配は求めてない』
「な…っ」
『理想論を言うと、ブルクハルトに居る人達には皆幸せになって貰いたいって思ってるよ』
横に居るリリスにしっかり伝わるようにヴァイオレット色の綺麗な瞳を見詰める。
『僕の為の国を造るんじゃなくて、国民の為の国を造るべきだと思うんだよね』
リリスの瞳が困惑してか微かに揺れていた。ごめんね、勝手を言って。でも分かって欲しいなぁ。
『勿論、僕に仕えてくれてる君達も大事だよ』
リリスにユーリ、シャル、ガルム、メルディンの僕へ向ける尊奉に満ちた顔を思い出して、僕みたいな取り柄のないただの人間(今は魔族らしいけど)が王様になって本当に申し訳ないと心の中で土下座した。
そこで横からおずおずと紅茶と、果実水をテーブルに置いたエリザも視界に入り『勿論、エリザや他のメイドさんたちも』と付け加える。
『だから、皆で国が今より尚良くなるように頑張ってみない?』
恐る恐るリリスを見ると、俯いていて表情を窺い知る事が出来ない。(うーん、困ったな)勝手を言うなと叱咤されるか、もう付いていけないと呆れているのか…、どちらにしろ僕への信頼は崩れた。
今までの建国を頑張ってきたリリスにとって、酷な要望だよなぁ。
僕は途方に暮れてエリザに視線を移した。
『え、エリザ!?泣いてるの?』
エリザは大粒の涙を流し、唇を固く閉じて嗚咽を我慢している。僕は吃驚して身を乗り出し、あたふたと箱ティッシュを探すがそんな物はない。
フと、歩く時は常に腕に掛けていたよく分からない服の一部が目に入り彼女に使う?って感じで差し出してみた。
「いけま、…せん!…王陛下の…っお召し物で…私など下賤の者の…」
『大丈夫大丈夫、床に付けない様にちゃんと持ってたから。汚くないと思うよ、多分』
「そんな…っ、むぎゅ!」
僕はエリザの涙でぐしゃぐしゃの顔をシルクのように柔らかな布で拭ってやる。こんなヨクワカラン布も出来る事はあるんだなぁ。(本来の使い方は多分こうじゃない)
『いきなりどしたの?』
「いえ…、王陛下が、その」
え?僕のせいなの?
「五天王の皆様に続き私達メイドにまで、そんな気遣いをして頂いていると知って…感極まってしまって…」
『そりゃぁ、メイドさん達もこの城に住んでるんだし家族みたいなものだよ』
「なんて、御寛大な…っ」
また涙がぼろぼろ溢れてきて、僕は乱暴にならないよう頬に布を滑らせる。
『エリザが紅茶飲んで良いよ。落ち着くと思うし』
すると、エリザは「と、とんでも御座いませんっ」と両手を胸の前で振った。
そして僕の横を見た途端、血の気が引いて真っ青になり、勢い良く後ろに下がっていく。ホントどしたの?
「アルバ様…」
静かに名前を呼ばれて、リリスの方を向いた。彼女の膝の上に置かれた両手が、ぷるぷると震えている。
『うん?』
「アルバ様、アルバ様…っ!」
『う、うん?』
名前を連呼されるままに返事をしてみたが、ガバッと僕を見上げたリリスの様子はまるで肉食獣のようだった。
紫色の瞳がギラギラしていて、少し息が荒い気がする。
『ははは…リリスもどしたの?』
いつもの癖で眉はハの字になり口角は締まりなく緩む。へらへら情け無い顔で笑っているが、内心は穏やかではなかった。
至近距離で美人な女性がハァハァしてる異常な状況に、頭の回転が遅いのだ。
僕はお尻の位置をズラして彼女と距離をとろうとした…が、リリスがソファの背凭れを掴み彼女の膝が乗り上げて来た為行き場を失った。
「嗚呼…、何て慈悲深いアルバ様…っ!我々取るに足らない存在を大事と…」
君もそれで固まってたのか!
「このリリアス・カルラデルガルド、この身は爪先から髪の毛先、その1本に至るまでアルバ様のものです!はぁ、…は…心からお慕いしております…っ」
それで、何でこんなに身の危険を感じるのだろう?
僕はジリジリ追い詰められる草食動物みたいにソファの上で身動ぎし、肩甲骨に横にあったクッションが当たった。
「メイド風情の為にその身のお召し物を汚されるなんて…、それに名前を、その麗しい声で呼んで…、嗚呼…っ」
今の格好は、ソファの上でまるで僕がリリスに押し倒されてるみたいだ。全力で押し返そうとしてるけど彼女は見かけによらず凄い力で、あろう事か脚の間に身を滑り込ませてくる。
肘で何とか持ち堪えていた身体を軽く押され、クッションに頭が埋まった。
「私も女なので、目の前でそのような事をされては嫉妬してしまいます…っ」
『リリス、ちょ…』
「アルバ様が、悪いのですっ…髪が月白色に変わったあの日から、こんなにお優しく接して下さって、我慢していたのに!はぁっ…はぁ、」
紅潮したリリスが舌舐めずりをし、その妖艶な様に心臓が変な動きをする。(いかんいかん、)
「無慈悲なアルバ様も素敵でしたが、…慈悲深く無防備でいらっしゃる今のアルバ様もとても素敵です!」
うっとりと話す彼女の声は僕の耳には入ってこない。鎖骨を撫でる白く細い指に意識を向けない事で必死だった。
今日の僕の服はバスローブみたいなタイプの衣装なので、上半身はほぼ裸に近い。
下腹部を撫でていた手が肋骨まで這い上がり、平仮名ののの字を描いている。
(…っ、)僕はその細い手首を掴んで抵抗し、リリスは逆に僕のその手を拐い指に口付けた。
「アルバ様、この無駄の無い引き締まった身体…、細く骨張った指、その赤い瞳で見つめられた女はきっとその魅力に惹き込まれてしまいます…っ」
『リリスさん、落ち着こうか』
「落ち着けません!」
『ほら、国をどうするかの話をしないと』
「アルバ様の御決定に異議がある者が、この国に居る訳が御座いませんっ…勿論私は全面的に賛成です!」
その、僕が真っ直ぐと言ったら右の道でもなく左の道でもなく、断崖絶壁を削って掘ってでも真っ直ぐに行ってしまう全面的な信頼が心配なんだ。
しかし、言質は取ったし身の安全が1番だ。
『良かった、なら解決だ。図書室へ行ってくるね』
「こんなチャンス2度と無いかもしれません!哀れな下僕に情けを掛けると思ってこのまま!」
『ぅわ、…ちょ、何処触ってんの!?エリザ!エリザ助けて!』
「リリアス様ぁっ…」
「貴女は黙ってて頂戴っこの泥棒猫…!」
暴走気味のリリスは知らせを受けたシャルとユーリに拘束されて連れて行かれた。僕の貞操は守られた。