80話 弟
「…出てこないならボクがーー…」
「リオン坊ちゃんお止め下さい。魔力の使用はイーダ坊ちゃんから止められている筈ですよ」
魔力を目に込め【看破】しようとしたリオンメルクーアくんを、ランドルフさんは止めた。如何やら彼も【遮断】の対象に入れる事で僕達が見えるようにしたみたいだ。
幼い少年と目が合う。見た感じ12、3歳くらいかな。
「……なんだ…誰かと思ったら【鮮血】じゃないか」
僕への眼差しが鋭い警戒に変わった。子供だと思ったけど、纏う雰囲気は王族のソレだ。圧倒的な存在感と凄みを感じる。
『やぁ、リオンメルクーアくん』
好かれてないみたいだけど、笑顔で挨拶しておこう。
「……如何やら聞いた話は本当だったみたいだね。記憶が全部無くなっちゃったんだって?それは…、…ハッ!災難だったな」
イーダから聞いたのかな?可愛い顔に嘲りを浮かべ、僕に対して嫌悪丸出しだ。身に覚えのない敵意に、困ったように笑って彼が居る休憩所に足を踏み入れた。
「…っ、なに…」
『え、暇だったら話し相手になって貰おうと思って』
僕が怒ると思っていたのか、リオンメルクーアくんは防備を固めている。怪訝そうにジロリと睨まれ、距離を取って座る位置をずらした。
『あれ?君怪我してるの?』
「……」
サッと隠された腕には確かに包帯が巻かれている。
「…実は先程話した火事で怪我をなさったのは他でもないリオン坊ちゃんなのです」
「爺や」
僕に話して欲しくなかったのか、リオンメルクーアくんはおっかない視線を執事に送る。謝罪をして口を噤み、ランドルフさんは一歩下がった。
『大丈夫かい?』
「……」
『火傷かな…まだ痛むの?』
「……」
『名前長いからリオンくんじゃ駄目?』
「……」
リオンくんは仏頂面でそっぽを向いたままだ。頬杖を突いて僕が覗き込むと嫌そうに顔を歪める。
思春期真っ只中なのかな?難しい年頃だよね。
『ねぇ、魔力を使うのを止められてるってーー』
「だああぁあ!五月蝿いなぁもぅッ!」
我慢の限界といった様子で両手をテーブルに突き、元気に怒鳴る。やっと反応してくれたのが嬉しくてニコニコしてしまう。
「調子が狂うよ全く…!」
ストンと椅子に座り直したリオンくんは、憤慨しながら腕を組む。眉間に皺が寄って頗る機嫌が悪いのが伝わってきた。
「君、そんなんで生きていけるの?」
『え?』
「え?じゃないよ。呑気に蝶に見惚れる奴なんて他の魔王が放っておかないでしょ」
何故、蝶々に気を取られてるのがバレた。
「…今のうちに田舎にでも引っ込んだら?魔王引退して畑でも耕していなよ…!」
『それ良いかもしれないね!僕より優れた統治者に任せて、隠居生活も悪くない…』
田舎に家を建てて毎日畑に出て自給自足の生活…。
危険な生活とは無縁の農民な僕は、畑で野菜の収穫に励むんだ。
朝食の用意をしてくれてる人は紛れもなく僕の奥さんでーー…。
振り返った女性は僕の仕事着に鼻を埋めるリリスだった。ハァハァしながら紅潮する彼女は悔しいけど色っぽい。
「ご飯は?」とズボンを引っ張るのはルカとシャル。
出稼ぎに出ていたメルの帰宅。
「こんにちは、お裾分けです」眩しい笑顔で家宅侵入を繰り返すユーリ。
床で欠伸をして寝転がるノヴァ。
毎日遊びに来るエリザとリジー。メイドさん達。
呆れながら彼女達を監視するペトラさん。
ちゃぶ台の下で丸まるニコ。
竜騎士と近衛騎士も加わる。
妄想に城の人達が次々に乱入してくる。(あれ?)思い描いた穏やかな理想となんか違うなぁ。
可笑しい…。これでは僕に平穏なんてちっとも訪れない気がする。
『はは…やっぱり……今のなしね』
「…なにが?」
『僕は、自分で思ってる以上に…今の居場所が心地良いのだと思う』
「……あっそ」
イーダの弟はツンと素っ気ない。ただ、彼が皮肉を言う時は態と奸悪な言葉を使っていて、何かを隠しているみたいだ。僕に怒って欲しくて憎まれ口を叩いている、気がする。
「…はぁ、」
溜め息を吐かれた。
「…何処で貰ったのかは知らないけど、ボクの知らない所で死なれたら喜ぶ事も出来ない」
リオンくんは僕の額を指でツンと突く。その途端僕の身体を蝕んでいた頭痛と疲労などの症状が嘘のように消え去った。
『あれ?』
「……」
何事も無かった様子で、持っていた本を読み始める。
『有り難う!凄く楽になったよ』
「…別に」
イーダも傷をあっと言う間に治すけど、彼も凄い。これが才能に恵まれた人の力なのだろうか。
『…そう言えばイーダに魔法は使わないように言われてたんじゃ』
「お前何も知らないんだな」
呆れ馬鹿にした顔。(その顔イーダによく似てるね)
「他の魔導師と違って、俺達が治癒の時に使うのは神聖力なんだ」
『神聖力?』
「魔力とは別に体内を流れる力さ。これが使えないと聖騎士にもなれない」
つまり、魔力とは別の力で治してくれたって事か。
神聖力は女神イザベラへの信仰心により発生する力らしい。血筋や個人の才能も力に密接に関わってくる。
聖王国は女神を崇拝する宗教国家だ。神聖力を授かる事は、女神から加護を授与される事と同義。
『兎に角有り難い力って事だね』
「…馬鹿にはこれ以上何を説明しても無駄かな」
ハンと鼻を鳴らして、幼い顔で見下してくる。小憎らしいが、ぐうの音も出ない。
「おいおい、こんな所で何してるんだ?」
いつの間にか休憩所の入り口にイーダが居た。彼はランドルフさんに「ご苦労だった」と労った後、お茶と菓子を運んで欲しいと伝える。
お辞儀をした有能な執事は彼と入れ違いに中庭を出た。
イーダが椅子に座り「で?2人で何の話をしていたんだ?」と興味津々で瞬きする。
「それが…聞いて下さい兄上!アルバラードさんが神聖力をご存知なかったのでご説明したのです」
!?
「しかしボクの説明が下手だったのか、彼の脳味噌の容量が少ないのか理解して頂けなかったみたいで…」
誰!?思わずリオンくんを二度見した。今の彼はきょるるんっとか、しゃららんっとかその辺りの効果音が似合う。
先程とは全く別の甘ったるい声で、兄のイーダへ熱い眼差しを向けていた。(ショタのブラコン…)可愛い子ぶった瞳は潤み、あざとくシュンと肩を落とす。
あれだけ僕へ剥き出しにしていた敵意も形を潜めていた。
「ははは、アルバは他国の者だし仕方ないだろう。俺達の国の思想なんかを呉々も押し付けるなよ?」
「はい兄上!」
頭を撫でられ無邪気な笑顔。そんな顔が出来るなら、僕への嘲笑は…。
「しかし…お前達仲が良かったか?」
「改めてアルバラードさんと話してみると、凄く話しやすい方でした!今までお話しなかったのが勿体無いくらいです!」
あっれーー…?もはや別人だ。それを聞いたイーダは嬉しそうに「そうか」と弟を撫で回す。彼が面倒見が良いのは、歳の離れた幼い弟が居るからかもね。
『ねぇ、何で彼は魔力を使っちゃいけないの?』
不思議に思っていた事をイーダに尋ねてみる。リオンくんは、兄に見えないように僕を睨んだ。猫が威嚇するみたいに身を丸めてギラギラと血走った目をしている。
僕の問い掛けにイーダは複雑そうに微笑んだ。
「…リオンはあまり身体が強くなくてな。魔力の消費は望ましくないんだ。外での運動も制限がある」
そういえば、もう日中にも関わらずリオンくんは寝衣だ。
「……ボクは大丈夫ですよ兄上。此処には兄上がいらっしゃいますから」
身体が弱いのは事実なのだろうが、はたして彼の本性は天使か悪魔か。類稀な演技力にブルリと背筋が寒くなった。
「アルバ、体調はどうだ?」
『ん?嗚呼、リオンくんがさっき治してくれたんだ』
「とてもお辛そうでしたので…」
いやいや。もっと物騒な事言ってたじゃん!勝手に死なれたらこっちは喜べない、みたいな事!(子供ってコワイ!)
イーダは天使みたいな弟くんを褒めてニコニコしている。
ランドルフさんが戻って来て、用意した紅茶と茶菓子を配ってくれた。お腹が減っていた僕は遠慮なくクッキーを頂く。
『イーダの力で、リオンくんの傷は治せないのかい?』
「…嗚呼、如何やら特殊な火傷みたいでな。俺の神聖力では無理だった」
イーダの力でも癒せない傷ってあるんだ。
「兄上、そんな顔なさらないで下さい!ボクは本当に大丈夫ですから」
心配掛けまいとする少年は、服の上から腕を摩る。眉をハの字にして強がっていた彼の表情に翳りが見えた。俯いたリオンくんの口から「…それに、これは…」と小さな声が漏れ出る。
あー…、なんだか訳ありっぽいな。火遊びしたのがリオンくん自身で言えなかったりするのだろうか。
上品な花の味がする紅茶を飲みながら、リオンくんの曇る表情を盗み見る。他国の事なので僕が首を突っ込んで掻き回すのも良くなさそうだ。僕の予想や勘なんてアテにならないしね。
僕はチョコレートが掛かったクッキーを口に運び、贅沢な味に頬を緩めた。
「…、アルバ」
『何?』
「お前は子供か」
伸ばされた親指に口元を拭われる。それをイーダが舌で舐めるものだから一瞬何をされたのか分からなかった。(チョコ付いてた?)手間が掛かる弟分で申し訳ないですね。
今度は注意しながらクッキーを頬張っていると、何処からともなく殺気を感じた。
リオンくんが此方を般若の形相で睨んでいるのだ。彼が僕を敵視する理由が明確になった。(この、ブラコン!)うんうん、大丈夫だよ。イーダを弟の君から盗ったりしないよ。そんな思いを込めてへらへら笑って見せる。
「…!リオン、如何やら時間みたいだぞ」
「えー!?せっかく兄上と一緒に居るのに」
「部屋を抜ける時、ジュークに何か言って出て来たか?」
「う、…いえ」
気不味そうに視線が宙を舞う。
「ジュークが探してる。早く安心させてやれ」
イーダの【探知】レーダーにでも引っ掛かったかな?
リオンくんは唇を尖らせ不服そうにしている。兄と離れ難いのか本の背表紙を撫でた。離愁漂う雰囲気に、彼が本当にイーダの事が好きなのが分かる。
「魔王会議が終わるまでは、あまりエメラルド宮を出るな。出るならジュークを随伴させるんだ」
イーダにしては余裕の無い言い方だ。
すると、中庭に変わった瞳孔の向きの従者が入って来た。黒い髪に黄色い瞳、山羊のように横向きの瞳孔が特徴的な印象を受けるジュークだ。
彼が僕達を見付けるのに時間は掛からなかった。息を切らして休憩所を覗き、【遮断】を突破する。
「リオン様、探しました」
「うん、ごめん」
ジュークは僕を視界に入れると目を見開いた。兄弟水入らずの場に居るのは宜しくなかったみたいだ。
リオンくんは本を抱えて従者の催促に応じる。
「…では、兄上。それと…アルバラードさん。またね」
小悪魔的な笑みを残して、リオンくんは休憩所を出た。猫被りの彼に手を振って見送った僕は美味しい紅茶を飲み干す。
「リオンの事は他の魔王には言うなよ?」
『うん?』
「俺の唯一の弱点だ」
『…って、ソレ。僕には言って良いのかい?』
無用心過ぎやしませんか。するとイーダはフッと笑った。
「アルバは…まぁ、信用してるからな。もともと紹介もしていたし」
…そう言われて悪い気はしないけどさ。
「食い終わったら部屋に戻れ。昼飯の準備をしてある」
『本当?元気になったからか、お腹が減っちゃってさ』
「沢山食って沢山寝とけ。後、要るもんはランドルフに言ってくれ。また夜に様子を見に行くから、少しは大人しくしておけよ?」
僕は元気良く返事をして、ランドルフさんに紅茶のおかわりを貰った。




