52話 討伐大会②
通常、大森林とは深部へ行く程、魔物のランクも上がり苦戦を強いられるものだ。しかし今のアルタナ大森林は魔物の縄張りはぐちゃぐちゃで、入り乱れている。
緑の煙弾が上がった辺りに到着すると、冒険者ギルドの人間と冒険者が沢山のオークに囲まれていた。
肌色の巨体に邪悪な目、大きな口から牙が覗いているその姿にアルバは生唾を飲み込む。
アルバ達に気付いた絶望的な顔をしていた彼らは「増援だ!」と湧いて、剣を握る手に力が篭る。
「シロくん、此処に隠れてるんだ」
『はい…』
アルバを草叢に押し込めて、組合職員は助太刀に入った。魔法を使う元冒険者が【火球】を放ち、オークの絶叫が響く。
包囲網が崩れた其処にもう1人が斬り込み、瞬く間に畳み掛けていった。囲まれていた冒険者も陣形を立て直し、職員と共に持ち堪える。
「助かった、礼を言う」
「いや、あの数はな。大丈夫か?」
組合職員同士で話し込む横で、アルバも仕事をした。5人の冒険者パーティーは自らのポーションとエーテルの小瓶を飲み干し続行するとの事だ。
「魔獣が多いな…」
「嗚呼、普通の森じゃない。用心しろよ」
互いに肩を叩いて武運を祈る。
彼らと笑顔で別れ、残されたアルバ達は討伐したオークを見下ろした。
「オーク肉美味いんだよなぁ、睾丸も素材として高く売れるし」
「諦めろ」
名残惜しそうに振り返る元冒険者は、もう1人に宥められながらアルバの元に戻って来る。
『凄く強いんですね、2人とも』
以前は剣士と魔術師だったのだろう、2人の闘いは見事だった。連携が取れており、無駄な動きがない。
「はは、まぁ、前はAランク冒険者としてやってたからな」
「実戦は久々だが鈍ってなくて何よりさ」
アルバは戦士に憧れる少年の様な瞳で、2人の闘いに魅入っていた。自分はどれくらい努力すれば2人みたいに戦える様になるのだろう、と遠い道程を眩しそうに見る。
すると森の深部で赤い煙弾が打ち上がった。
「赤だ!」
「シロくん、青色の信号弾を彼方に向けて撃ってくれ!直ぐに向かおう」
赤の煙弾は緊急事態の徴集だ。それに呼応する様に辺りから青色の煙が上がる。
アルバも遅れて上空の赤い線に向けて信号弾を発射した。
「シロくんは少し隠れていてくれないか?上位魔物との遭遇か負傷者の発生かもしれない」
「比較的近いし問題なければ直ぐ戻って来るからな!」
『あ、じゃあ…!』
アルバは3本のポーションを組合職員に渡し、手を振って見送る。2人と別れた途端、アルバは少し心細くなった。
自らは足手纏いである事は分かっていたし、本気を出した彼らについて行ける自信もない。オークが今にも息を吹き返し動き出すかもしれない、とある筈もない恐怖に駆られてその場から少し離れた。
暫く歩いて息を吐いた彼は木の木陰に身を寄せて腰を降ろして幹に凭れた。
すると突然、凭れた木が途中からバッサリと伐採され此方に倒れて来るではないか。
『…!』
何が起こったのか分からないまま、地面を転がって迫り来る巨木を避ける。大きな音を立てて倒れた木は他の木々を薙ぎ倒し、土と葉っぱを舞い上がらせた。
『…何だ?』
目を凝らして気配を探ると、倒された木の方から誰かが歩いてくる。
「はっは、上手く避けやがったな!」
大剣を肩に担いで、此方に近付いて来る男は冒険者だろうか?姿勢を低くしたまま、アルバは先程まで凭れていた木を見遣った。
もしも自分が立っていたなら、きっとこの巨木の様に一刀両断されていたのだろうか、と青くなる。
「やっと見つけたぜテメー!」
唾を飛ばして此方に怒号を上げる凶悪な顔付きの男に、ゆっくり立ち上がった後埃を払って少し考える素振りをした後『…誰だっけ?』と正直に聞いた。
それを聞いて青筋を立てる冒険者の男は、鼻息荒くアルバに詰め寄る。
「忘れてんじゃねーぞッ!?ケリー・ローデンバッグだ!!」
『ごめんよ、冒険者を毎日何千人と見てたから、よっぽど印象に残ってないと覚えてないよ』
「ッ…嗚呼、そうかよ!俺とのいざこざは印象にも残らねぇ取るに足らない事だったって言いたい訳だなっ!?」
『え?違うよ、何か怒ってる?僕が何かしてしまったなら謝るね』
情け無く困った様にへにゃりと笑う青年に、ケリーは頭に血が昇った。
「馬鹿にしてんのかテメーはぁッ!?」
『えー…?馬鹿になんてしてないよ』
ケリーにとってこの温度差が我慢ならない。自らはあの日からずっと腹底を弱火で炙られるかの様な怒りを溜めていたにも関わらず、彼は己の名前さえ覚えていないと言う。
「プレートの再発行で冒険者ギルドに行ったろうが!?」
『再発行…?嗚呼、胸倉掴んで来た人か!』
やっと思い出した彼はポンと手を叩いた。
「あの騒動で腕が折れちまってなぁ…!」
今は大会に参加する為に例のローブの男に治癒して貰ったが、彼が声を掛けて来なければケリーは未だに骨折したままだ。
そもそもこの白髪の眼鏡がさっさと再発行していてくれたらそんな目に遭わずに済んだ。
入国料もプレートさえあれば払い戻されていたと言うのに、彼は金貨3枚だと言って譲らなかった。
アルバはリリアスとシャルルが乱入した一件を思い出し、腕を掴んだ彼女の凄まじい怪力に身を震わせる。
『あれ?プレートの再発行したのかい?』
ケリーの首に掛かるタグは鋼の輝きを放っていた。確かにタグで冒険者である事とランクが確認出来なければ大会の参加登録が出来ない。
アルバの言葉を聞いたケリーがクツクツと笑う。
「はっ、一昨日良い話を持ち掛けられてなぁ。再発行したのさ。俺はこの大会が終わったらAランク昇格だ…!」
一昨日、酒屋で会った怪しい男との取引は2つあった。1つはアルバの情報の提示により、腕の治癒を行う事。
これはもう取引済みで、ケリーにとっては彼らが信用に値するか品定めする為のものだった。怪しいローブの男が提案した、2つ目の取引の為に。
「テメーをこれで八つ裂きにすれば、プラチナプレートが手に入る…ッ!!」
ケリーが懐から取り出したのは、禍々しい光を内に秘めたクリスタルだった。普通の鉱石とは違う輝きにアルバが訝る。
「出でよ、俺の従僕!偉大なる力を示せッ!!」
クリスタルの光が解き放たれ、アルバは目を細めた。次に彼を襲ったのは空に昇る火柱と、とんでもない熱風。それを吸い込めば肺が焼けてしまうのではと錯覚する程に熱い。
禍々しい炎に身を包んだ化け物がアルバを見下ろしていた。獅子の様に勇ましい顔に、続く巨大な角。腕にも炎を纏い、鋭い爪で地面を引っ掻く。
「は、はははッ!すげぇ!魔獣イフリートか!?とんでもねぇ物くれたじゃねぇかアイツ!」
火の粉が熱風に煽られ辺りに舞った。
内包する光を失ったクリスタルを地面に捨てて、「コイツが居れば俺は大会でも優勝出来る!最高だッ!」と両手を広げて感激するケリーを前に、アルバは一歩後方に下がる。
(熱い…ッ!)近くに居るだけで汗が出た。焼かれた空気を吸わぬ様に腕で口元を抑える。
「行け!俺様の従僕ッ!!」
アルバを指差しそう言い放った彼は、直ぐに従魔が襲い掛かり息絶えるだろう白髪の眼鏡の青年に同情して嘲った。
しかし、いつまでもイフリートはその場に立ち尽くしたままでケリーの命令に従おうとしない。怪訝そうに顔を歪めてもう一度命令しようとした時、彼が見たのはイフリートの巨大な足の裏だった。
「な…ッ!?ぐぴゃ」
そのまま踏み潰され、肺を押され可笑しな声が漏れる。脚に纏う炎が引火し、ケリーは瞬く間に燃え上がった。
圧死したのかもう動かない彼の惨たらしい最期を見届ける。
彼が誰に唆されたのかは知らないが、哀れな男だ。何処か他人事の様に考えていたが、次は間違い無くアルバの番だった。
イフリートは炎の中にギラギラと光る目を彼に向け、大きな咆哮を上げて無防備なアルバに飛び掛かり鋭い大爪が迫る。(死ぬならベッドの上が良かったなぁ)
「ッ…シロ!!」
『レティッ!?』
横からレティシアが飛び出して爪を剣で弾き飛ばし、アルバは難を逃れた。体勢を崩されたイフリートは思わぬ新手に距離を取り、鎧に身を包む彼女を観察する。
「どう言う事!?こんな大魔獣が居るなんてっ!?」
剣を構えながらアルバと巨大な化け物の間に入った彼女は叫んだ。
『いや、何か…冒険者に召喚されて』
説明が上手く出来ない彼は頬を掻いてブツブツ言う。召喚と言う単語に眉を寄せたレティシアは、イフリートの足元に転がるクリスタルと炭と化した人間だったモノに視線を走らせた。
『それより、どしたの?こんな所で』
「凄まじい火柱が上がったから何事かと見に来たのよ。まさかシロが襲われてるなんて!」
彼女は森の深部に向かう途中に仲間と逸れて、とは口にしなかった。
『そっか、有り難うレティ』
鋭い爪に斬り刻まれて炎に焼かれて死ぬ所だった彼は屈託の無い笑みを浮かべる。
レティシアはそれを見て不覚にもときめいてしまい、そんな場合じゃ無いと自らを律する。
「お礼は助かってからよ!大魔獣イフリートなんて…闘った事がないわ…ッ!」
熱気に汗を流して、慎重に間合いを計った。聖剣に白い光を纏わせて、魔力で限界まで強化する。
油断出来ない強大な敵だからこそ、最初から全力を持って相手をする。【身体強化】【身状加速】得意とする補助魔法の緩衝を受け、彼女の眼光が鋭くなった。
「ガァアァッ!!」
「はあぁッ…」
イフリートが剛腕を持ち上げレティシアに向けて跳躍する。対するレティシアも地面を蹴って、剣先を炎に包まれた化け物に向けた。
交差する、刹那よりも短い時間の中で彼女は3度化け物の身体を斬り付け、振り抜かれた太い腕を避ける。
レティシアの髪が数本、切れて空中を舞った。木の上に着地した彼女は肩で息をする。イフリートは身体に刻まれた傷を嘆くかの様に吠えて、その場に高く飛躍した。
「ちょっとちょっと!」
掌に莫大な魔力を圧縮し巨大な炎の球を出現させる。下級魔法の【火球】の比ではない。
其方が野球ボールならば此方はバレーボール並みに大きな炎の球体がレティシア目掛けて投げ付けられた。
間一髪で避けた彼女が居た所には消し炭になってしまった木々の根本だけが残されている。魔法が消えるその瞬間まで樹木を焼き尽くした火球の通り道が奥まで続いていた。
「本当に化け物並みの威力ね…」
嫌な汗を掻いているレティシアの目前に気づけば黒爪が迫っていた。
「ッぁあ…!」
反射的に受け止めたが体勢を大きく崩される。横薙ぎに吹き飛ばされ、受け身を取らなければ大ダメージは間違いない。
「きゃッ!!」
『…ッ!』
小高い絶壁にぶつかる筈が、アルバに抱き止められた。しかし勢いは殺し切れずに彼は背中から崖に激突する。
痛みを押し殺す様なくぐもった声が彼の喉から漏れた。頭を守ってくれていた大きな手が彼女から零れ落ちる。
「シロ!?なんて無茶を…!」
『ッてて…』
背中の激痛に顔を歪める彼は、肩に落ちた小石を払った。対してレティシアは爪を弾いた際の手の痺れしかダメージは無い。
「魔術師としてはシロに及ばないけど、剣士としては私の方が強いわッ!接近戦に割り込むなんて死にたいの!?」
『勿論、死にたく無いよ』
「なら…、」
如何して身を投げる様な事を。彼女は自己紹介の際に自らが剣聖だと名乗ってない事を悔いた。(今からでも遅くないわ)レティシアが本名を名乗ると、大概の者が離れていった。
剣聖の名はそれ程に重く、畏怖を与えるには十分で現在の4人の仲間と出会えた事は彼女にとって奇跡に近かった。英雄譚を聞くのは良いが、それに巻き込まれるのは御免だと言わんばかりに遠去かって行く友人は数多く居た。
目を瞑っていた彼女は、意を決した様に息を吸う。
『目の前で誰かが傷付くのってあまり見たくないからね』
「…っ」
それは彼女の存在意義でもある。苦しむ人を救う為に剣聖として生きる事を決めたのだから。
『レティが僕より強いのも分かってる。でも戦いがいくら強くても、女の子は女の子だからね』
「女の、子…」
『男って生き物は幾つになっても、女の子には良いトコ見せたいって事さ』
微笑むアルバは、俯いて両手に顔を埋めてしまったレティシアに変な事を言ったか心配になった。
生まれて1度でも、女の子扱いして貰った事があっただろうか。家族にさえ密かな趣味だった刺繍を取り上げられ、代わりに持って来られたのは英雄譚が綴られた本と素振り用の木刀。
剣聖の家系だと分かると表情の端に浮かぶ侮蔑、関わりたくないと明らかに物語っていた。誰も彼女自身を見てくれなかった。
(私は、)本当は魔物に立ち向かうにも勇気を奮い起こしていて、剣聖として剣を振るう時は失敗出来ないプレッシャーに押し潰されそうだ。
一族随一と持て囃される精霊の加護持ちでも、剣に愛された存在であっても、レティシアはそれらの前にただの女の子だった。




