44話 名前
いつもより早く休憩を貰ったアルバは冒険者ギルドから出て道の隅で全身鎧に身を包むリリアスと怪しげな仮面を被るシャルルと立ち話を行なっている。
その現場を、冒険者ギルド職員の女性達が玄関の円柱に隠れてコソコソ見守っていた。話を聞くには遠くて、3人の声は届かなかった。
『仕事はどうしたの？2人とも』
「全て片付けました！」
主人の質問に対して、敬礼するかの如くピシャッと返答する。
彼女達は久方振りのアルバを前にソワソワと落ち着かない様子だ。犬の尻尾があったなら、間違い無く左右に千切れんばかりに振られていたに違いない。
「アルバ様、何故城ではなく騎士の仮宿から通勤していらっしゃるのですか？」
「お兄様に会えなくて寂しかったです！」
アルバはアルバイト期間中、騎士の1人に頼んで冒険者ギルドから程近い集合住宅タイプの家を借りていた。
元々隠れアジトの様に使われていた為、狭いが住むには十分な居住で最低限必要な物は揃っている。しかもその騎士が差し入れをしてくれたので、食べる物にも困らなかった。
『馬車を使って通勤するなんて、貴族の人くらいしかしないらしいし、あまり悪目立ちしたくなかったんだ』
「しかし、至高のお兄様が城下で…」
『割と楽しめてるし、バイトの間は其処を使わせて貰うつもりだよ』
眩しいくらいの微笑みに、シャルルはもう何も言えなくなる。
アルバが城へ帰っていないと知った時の2人は世界が終わった様な様子で、血眼になって彼を探した。隠れアジトを貸している騎士に詰め寄り、それは何処なのかと脅して聞き出したなど口が裂けても言えない。
アルバは先程彼女達が受付に来ていた事を思い出したのか、『ところで2人は冒険者になるの？』と不思議そうに聞いて来た。
「いえ、我々はアルバ様の様子を見に来ただけですので…」
ブルクハルト王国でリリアスとシャルルの顔は広く知られている。その為2人は素性を隠して働くアルバの為に、素顔を隠して（リリアスに関しては完全武装で）会いに来たのだ。
本当は、普段見る事の出来ないギルドの制服姿の主人を隅から見守るだけで充分だと思っていたが、冒険者ギルドへ訪れるや否や身の程を弁えない愚物がアルバの胸倉を掴んでいるではないか。
問答無用で氷漬けにしようとするシャルルを、「アルバ様にはアルバ様のお考えがあるから、此処で下等生物を殺して騒ぎにする訳にはいかない。勿論我々の素性やアルバ様の正体が露見する事態は避けるべき」と唇を噛んだリリアスが何とか冷静さを取り戻させた。
頭では理解していても感情はコントロール出来なかったのか、2人とも殺気がダダ漏れでケリーは肝を冷やしていたが、首と身体が繋がってるだけでもマシだった。
『そっかぁ、2人は僕が心配だったんだね！』
アルバにとってはバイト先に友人が駆け付けてくれた、照れ臭いような嬉しいような、複雑な心境。
「あの…、はい。心配だったのは心配だったのですが…」
リリアスはチラリとギルド玄関の円柱の方を一瞥した。気付いてないとでも思っているのか、先程から女性職員が此方を覗いている。
「心配が的中したと申しますか…」
イライラと口角を上げて、微笑みを作るが腹の底は煮えていた。我が至高の御方に、あのような騒がしい発情したメス猫共を近付ける事が許せない。彼の赤縁眼鏡の貴重な姿を本当は誰にも見せたくない。
「そうですね、杞憂で終わらなかったのが残念です」
シャルも小さく溜め息を吐いた。我が尊きお兄様に、あのような烏滸がましい発情したメス犬共を近付ける事が許せない。彼の冒険者ギルドの制服姿は知的で、見る者を惹きつける。
リリアスとシャルル、彼女達は何処までも似た者同士だった。
『うん、助けてくれて有り難うね』
先程のBランク冒険者の件だと思ったのか、アルバがへにゃりと笑う。リリアス達が来てくれなかったら、確実に殴られて気絶でもしていた。
『ところで、ルカは？』
「あの子は…モンブロワ公国に忘れ物を取りに行ってます。彼女の足なので直ぐに戻ると思いますが」
『忘れ物かぁ。そう言えばあの時は、僕が勝手を言って連れて帰ってきちゃったもんね』
悪い事したなぁ、と肩を落とすアルバに、リリアスは胸の前で手をブンブン振った。
「とんでもありません！私の私情も入っているので」
私情が入った忘れ物とは何だろう？と小首を傾げたが、ララルカがリリアスのおつかいに出ている事は分かった。
「そう言えばお兄様、メルが会いたがってましたよ」
『メルが？』
聞けばメルディンがアルバに最近会えなくて荒れているとの事だ。訓練兵への扱きがより厳しいものになり、無事卒業して兵士として生き残る者が厳選されていると。
地獄の下積みをした彼らは後々近衛騎士団や竜騎士へ昇格する力を過分に秘めているが、何せ血反吐を吐く訓練だ。死人も少なくないらしい。
『死人は不味いねぇ。僕なんかと会えばメルが落ち着くのかは謎だけど…』
「なんか、などど…。メルディンはアルバ様を慕っているので、アルバ様が諌めれば必ず言う事を聞きます」
メルディンは今、地方の訓練兵の指導で王都の外にいる。
『メルの訓練かぁ』
一度見学したが凄まじいものだった。アルバの前だと張り切るメルディンに、訓練兵達がボコボコにされて、それでも立てと迫る彼は鬼に見えた。
あの小柄な少年の細腕の何処に巨大なハンマーを振り回す剛力が隠されているのかは不明だが、手加減していても訓練兵達を恐怖に陥れるには十分だったに違いない。
『リリス、メルはいつ頃戻る予定？』
「5日後には王都に帰還します」
『じゃぁ、疲れてたら悪いからその2日後くらいかなぁ。1週間後、もし暇だったら僕が借りてる部屋に来れるか聞いといてくれないかい？』
バイトは休みの予定だし、息抜きにお茶か、もしくは街の散策はどうかとアルバは思いを馳せる。（メルとお出掛け…楽しみだなぁ）
メルディンは外での仕事が多い分、五天王の中でも顔が広い人物だ。何せ国を護る竜騎士のトップ。
そんな人物が訓練兵に直々に指導し鍛えるのには理由がある。
メルディンの訓練は何せ容赦がない。死なない手合いの加減は心得ているが、例えば高い崖を手足で登らせる訓練をしている時などは誤って足を滑らせ落下してもメルディンは一切助けない。軽く一笑し「こんな所で死ぬようじゃ、アルバ様の盾にはなれないぞ、です」と捨て置くだけだ。
しかし、彼の地獄の様な訓練があれば、今後どんな訓練や実戦、過酷な状況に耐えうる忍耐と向上心が芽生える。
今の竜騎士や近衛騎士まで昇り詰めた彼らに、メルディンの扱き（可愛がり）があったからこそ今の自分が居ると言わしめる程だ。
鬼教官として教え方は基本スパルタだが、自らにも過酷な訓練を課しているため、やり遂げた兵士達からの信頼は厚い。
結果、国としての軍事力も格段に上がり、同じ地獄を網羅した兵士の士気も団結力も上がり、元々教官として国に仕えていたメルディンが今の五天王の地位に居るのもその功績が認められたからだ。
「それで…、その、アルバ様、お仕事の邪魔はしないので、暫く業務の様子を拝見させて頂いても宜しいでしょうか？」
恥じらう様にもじもじと、自らの人差し指同士を突き合う。普段の彼女なら可愛らしいと思うかもしれないが、今は全身鎧の逞しいフルプレートだ。
（……、）アルバは思った事は心にしまい込んで、『そうだなぁ、明日から2日休みだし、もう直ぐ終わるから一緒に城に帰るかい？』と提案してみる。喜んで賛同した2人は燥いだ様子でアルバの腕に手を絡め、ギルド職員の覗き見している者達に見せ付けた。
ただ、今の2人の格好は性別がハッキリしない為牽制になったかは謎である。
「誰なのでしょう？あの2人は」
「友達？随分親しげだったけど」
「彼女かなぁ…シロくん仕事の時以外ぽやーっとしてるから、悪い女に騙されちゃいそう」
先程から様子を見ていた女性ギルド職員達は、アルバが親しげに話す冒険者（？）に興味津々だった。ギルドの玄関に並んだ円柱に隠れて重なるように様子を見ている。
「あのケリーさんを黙らせちゃうなんて、きっと名のある実力者ね…」
「全身鎧見た？あれきっと魔法金属のアダマンタイトよ」
「本当！？そんな純度の金属…」
ミスリルより硬度な金属はオリハルコン、アダマンタイト、緋緋色金などでこれらは鉱石などとは異なり魔力で生成するしかない金属な事から魔法金属と呼ばれる。精製するにも高度な技術と能力が必要で、限られた者しか創り出すことは出来ない。
「シロくん、そんな凄い友達が居るのかしら？」
「何者なんだろう？」
「この前聞いたらただの市民だって言ってたらしいわよ」
3人はきゃいきゃいと噂話に花を咲かせた。
「そう言えば、シルビアが飲食スペースでしつこく絡まれた時さり気無く助けてくれたんだって〜」
「えー！」
「他の男達も見習って欲しいわよ」
やれやれと左右に首を振って、肩を竦める。冒険者の中には気性の荒い者や自意識過剰な者、自己顕示欲が強い者など問題児は沢山おり、ギルド職員受付の彼女達は執拗に口説かれたり言い寄られたりする事もしばしばある。
コミュニケーション能力に長けた彼女達は、通常は自分で程良く断ったりするが、中には空気の読めない荒くれ者も居るのだ。
「シロくんずっと此処で働いてくれないかしら？」
それは職員の誰もが望んでいる事だった。そろそろハイジが、本人に直接粉を掛けに行くかもしれない。
「あ！手繋いでる！」
「え？引っ張られてるだけじゃない？」
「〜〜先輩方ッ！！」
アルバに注目していた女性職員達の肩が跳ね、声がした方に注意を向ける。そこには頬を膨らませたクレアが立っていた。
「休憩でもないのに、いつまでもこんな所にいないで下さいッ！」
「なぁんだ、クーちゃんか」
「固い事言うな、クー。それよりクーこそ気になってるんじゃないの？シロくんとあの2人の冒険者！」
クレアは肩を組まれ先輩職員に膨らませた頬を指で突かれる。一瞬アルバの方に視線を移した彼女は、「良いから皆さん！戻って仕事して下さい！」と3人の背中を押した。
軽くブーイングがあったが、先輩達はそう言いながらも業務に戻って行く。
残ったクレアは浮かない表情で、もう1度だけアルバの方を見た。親密そうに腕を絡める全身鎧と怪しげな魔導師がアルバと此方に戻って来る所だった。
先程、声を荒げるケリーとアルバの間に2人が乱入した際、アルバが呟いた彼女達の名前が何時迄もクレアの耳に残っていた。
