17話 呼び出し
僕が目覚めると、既にニコは居なかった。盛大な欠伸をして伸びをしていると、ローブがずり落ちる。地面が固くて寝苦しかったのか、少し背中が痛かった。
僕はローブを上から羽織り、2畳ほどの空間から出る。外はすっかり明るくて、昨日は気付かなかったが結構人が居た。
『ふわあぁ…』
歩きながら一瞥してみると、色々な人が居る。成人してそうだが身の丈が極端に小さい人、顔に大きな腫瘍がある人、背が2mを超え見上げねばならない人。
蛇の様な鱗に覆われた少年、腕が背中からもう2本生えた女性。
背の高いテントの檻にはライオンの様な熊の様な、毛むくじゃらの魔獣が唸り声を上げていた。
『うわぁ、これは怖いなぁ』
魔獣使いの調教師でも居るのだろうか、大きな魔獣の檻は一つじゃない。
「シロ」
『うわぁ!?』
後ろから声を掛けられて、僕は驚きで肩が飛び跳ねた。振り返ればニコが此方を見上げていて、ホッと息を吐く。
『おはよう、ニコ。後ろから急に声を掛けないで欲しいなぁ』
「シロ、早くする」
『え?何?』
ニコはローブを引いて、人が1番集まる一角に僕を連れてきた。大きなテントが連なってて、脚をロープで固定してある。
テーブルやパイプ椅子も並べてあって、がやがやとトレーの食べ物に食い付いていた。簡易な食堂の中央に人が列を成し、皆がトレーを持って自分の順番を待っている。
ニコは慣れた様子でトレーを持って、1枚を僕に渡した。顎で此処に並べ、と最後尾を差されそれに従う。
ステンレスのボコボコの歪んだ器に、野菜屑の入った薄い色のスープが入れられトレーに乗せてくれる。後は少し茶色くなった林檎の切れ端と、冷凍の物と思われるパンだ。刑務所の様な食事に苦笑しながら、僕はニコと席に着く。
「此処では食事はこれだけ。必ず来る」
『へぇ、1日1回なんだね』
「パンは残しておくと良い」
ニコは誰にも見られないように注意深く、パンをポケットに隠した。
「見付かると、盗られる」
『弱肉強食だなぁ』
「シロ、弱そう。注意する」
『努力するよ…』
僕は味がしないスープに口を付ける。うん、当然ながら城の料理の方が何百倍も美味しいかな。
「ショーに出て、売れっ子になるともっと美味しい物食べれる」
『ふーん…。此処のは最下層の食事って事か』
一応パンの味も確かめてみるけど、スポンジみたいな味だ。
「だから皆、技を磨く。美味しい物、お腹一杯なりたい」
『ニコはショーに出るの?』
ニコは首を横に振って「出ない」と一言。スープを味わう様にちびちび飲んでいる。髪が左右に跳ねてるから子猫みたいだ。
「出れるのはほんの一部の人。凄い特技、ある」
『僕は特技も無いけどなぁ』
「シロ、目、特別」
僕は複雑な心境でスープとパンを平らげる。味は兎も角、食べれない事はない食事だ。林檎は…どうするかな。
『ニコ、林檎食べる?』
「……」
またジッと此方を窺うような、ニコの瞳。(慣れてきたよ)へらへら笑ってニコのトレーに僕の分の林檎を乗せた。
『君の方が育ち盛りだからね』
「……、育ち盛り?」
『大きくなるって事』
ニコはトレーの林檎と僕の顔を視線で往復して、納得したのか齧り始める。僕はそれを頬杖を突いてニコニコ見て、食事を終えた。
太陽が1番高い位置の頃、ニコが再び僕を呼びに来る。僕は先程知り合った、半身が馬のような脚を持つ少女と別れニコの後に続いた。
「誰?」
『ん?何か、歌を歌ってる子。良い子だったよ』
「……」
ニコは無表情だが感情が無い訳では無い。珍しく少し不機嫌そうに僕を引っ張る。
「こっち」
テントの配置のせいで、入り組んだ道の奥まった所に案内された。其処は井戸のポンプを囲んで数人の男達が行水する、むさ苦しい場所。
「陽があるうちに済ました方が良い。夜は寒くなる」
『なるほど、』
するとニコは躊躇い無く服を脱ぎ始め、僕は突然の事に呆気に取られる。
『に、ニコ!?女の子のはないの!?』
(まさかの混浴!?)確かにニコはまだ子供であまり関係無いのかもしれないけど、あまりに突拍子が無い。
「ある。でも昔からこっち」
『そ、そうなんだ…』
ニコは桶に水を入れるとそれを頭から被った。豪快って言うか、漢らしいと言うか…。
「よし。終わり」
『ちょっと待ってニコさん』
「何…」
『ちょっと、其処に座ろうか』
水を被って終わりって、ワイルドにも程がないかい?僕はニコをバスチェアー用の折り畳み式の簡易椅子に座らせて、腕捲りをした。
此処の物は全部共同の物らしいので干してあったタオルを拝借し井戸水で洗う。それを何も気にした様子のないニコの局部に掛けた。(いや、ロリコンのオジサンとか居るかもしれないし)
『シャンプーってある?』
「これ。全身洗える」
何かの粘液が入った瓶をニコが指差し、僕は怖々匂いを嗅いだ。うーん、変な匂いはしない。でもフローラルな香りも感じなかった。
隣の人がそれを使って、髪を泡立ててるのを見ると本当に全身に使えるようだ。僕は手に粘液を取り出し、少し泡立ててみる。
そしてニコの濡れた髪に付け、頭皮から髪全体を包んだ。指の腹でしゃくしゃくと洗うと、ニコは気持ち良さそうに目を瞑る。
『何処か痒い所はない?』
「ない」
顔に掛からないように注意しながら井戸水で泡を流し、次に身体を洗った。念の為彼女の身体を人目から隠す様にさり気無く僕が壁になる。
ニコの身体は肋骨が浮き出る程に痩せていて、その至る所に傷があった。
『痛くないかい?』
「ない」
淡々と言って見せるが、背中の痣にタオルを当てた時に身体がビクつくのを僕は見逃さなかった。
洗って綺麗になったニコをローブで包んで、僕は彼女を抱き抱えるようにして服を洗濯する所を教えて貰う。
今日は良い天気だし、夕方迄には着れるようになるだろう。
其処は噴水の跡地みたいな水場で、辛うじて水がチョロチョロ流れていた。彼女の服を全部洗濯板で洗い、固く絞って持って帰る。
近くの物干しに干そうとしたら、ニコが「盗られる」と心配した為だ。物騒な所だなぁ、と眉をハの字にして洗濯物を小脇に抱え、ニコは前で抱っこする。彼女のスリッパのような履き潰した靴も一緒に洗濯したからだ。
「……」
ニコに与えられた2畳くらいのフリースペースの布を1度取っ払い、そのロープに彼女の服と靴を干す。
『夕方には乾くと思うから、それまで悪いんだけどそのローブのまま居てくれる?』
「分かった」
素直にコクンと頷かれ、拍子抜けした。
「シロ、お風呂は」
『そうだなぁ、夜にでも使わせて貰おうかな』
「寒くなる」
『ちょっとくらい平気だよ』
僕は明るく笑って、天気の良い空を見上げる。(そう言えば、エリザとリジー元気かなぁ)
夕方にはニコの衣類が乾き、僕はローブを受け取ってお風呂に向かった。その途中で見覚えの有る強面の大男に「おい、待て」と呼び止められる。
(嫌ですけど)当然僕にそんな事を言う度胸も無く、言われた通り脚を止めた。
「親父が呼んでる。来い」
『今ちょっと忙しいんだよなぁ…。って、あはは、冗談』
ジロリと睨まれ、へらへら笑う。案内されたのはやっぱり、長方形の玩具箱の中だ。部屋に入ると同時に、葉巻の煙に巻かれて激しく咽せた。
『ゲホッ…』
「ふふ、ごめんよ。煙たかったかな?」
モレルは優雅な仕草で葉巻の端を切って見せ「君が体調を悪くすると大変だ」なんて嘯く。相変わらずごちゃごちゃした場所で、色んなアンティークに混ざって羊皮紙や羽ペンが散らかっていた。
「座りたまえ」
『立ってても良い?』
「ふふ、良いとも」
態とらしい微笑みも、舐めるような這いずる視線も不快に感じる。僕はそんな素振りは出さない様にしながら、愛想笑いを浮かべておいた。
「あの子と仲良くしてくれてるみたいだね」
『…ニコの事?』
「名前を、…そうかね」
モレルの口が綺麗な弧を描く。髭を弄りながら、何事か考えていた。
『それで、何か僕に用かな?』
この不気味な男の前に少しでも居たくなくて、本題を急く。後ろの男があからさまな僕に文句を投げようとするが、モレルが「良い良い」と機嫌良さそうに留めた。
「君に何の説明もして無かった事を思い出してね。呼び出して貰ったんだよ」
『説明?』
「此処の事さ」
『大体はニコに聞いたよ』
何を今更、なんて口が裂けても言えないが。
「あの子が知ってるのはほんの一部なんだよ。それに子供だから誤解があるかもしれないしね」
悪寒が走る猫撫で声に、僕は顔が歪むのを堪えた。模型の馬車を弄りながら、静かに深呼吸を繰り返す。
「此処はちょっとした出し物をしていてね。モレルの玩具箱って劇団名だ」
フリークショーでしょう?隠さなくても良いよ。
「此処は実力主義な部分があってね。才能を持っていたり、努力をした役者ほど、良い暮らしが出来るんだ。個室も与えられるし、食事も豪華になる!だから皆切磋琢磨して、技を磨けるんだ」
『そうなんだね』
物は言い様だなぁ。この男の腹を見る限り、困窮してる訳ではあるまい。しかし、此処の底辺は最低限の衣食住しか提供されていない。
だから今日会った連中は生きる為に必死で芸を磨いていた。ニコが言うには無理をして亡くなる者も少なくないらしい。
「そう!だから君がショーに出る様になったら今の暮らしとも直ぐ脱却出来る。後数日の辛抱だよ」
『そっかぁ』
「君は絶対スターになる!その素質は計り知れない!良いかい?君はその身体と、声をふんだんに使ってお客を喜ばせるんだ。それだけで良い。将来は此処の看板役者だ!」
僕が思うに、彼らは僕の脱走を恐れて魔力封じの指輪は取らない。ルビーアイの者は恐るべき魔力を持つ、と言う誇大広告が効いて取れないのだ。
取った瞬間、魔法を使われて殺されたんじゃ商売どころじゃ無いからね。無理に魔力を使えと言われない、これは僕にとって僥倖だった。ただ、そんな身で何をしろって言うのだろう。
「私達が君に出会えたのは幸運だった!」
人を拐かせておいて、よくもまぁいけしゃあしゃあと口が回るものだ。
「将来に、乾杯しよう!」
『いや、良いよ』
「美味しい料理もあるんだ」
『要らないかな』
「何て慎ましい子だ!…父さんは嬉しいよ」
態とらしく目を潤ませ、感動した演技。(君の方が、役者に向いてる)これは飴と鞭だろうか?1度最悪な状況に突き落として精神を擦り減らせ、その状況を恰も彼が救い出す泣ける台本。
彼を心の拠り所にするように仕向けられてる気がする。ただ、僕は不幸体質過ぎて変な経験値だけはあった。モレルを父と錯覚するほど心が参ってないし、甘い餌を吊られても取りに行くのが面倒臭い。
「じゃぁ、これだけは飲んでくれ。君の身体が心配なんだ。飲めば、よく眠れる」
彼が差し出したのは紙に包まれた、玉薬の様だ。彼は甲斐甲斐しく世話を焼いてゴブレットに水を注ぐ。
「飲むと良い」
『有り難う、』
紙を解いて玉薬を口に含み、水を飲んだ。僕の喉がしっかり動くのを見たモレルがニィと口角を上げる。
「困った事があれば、またおいで」
『分かった』
出口から外に出るが、部屋の甘ったるい匂いが身体に纏わりついて気持ちが悪かった。早く風呂で流してしまおう。(その前に…)
僕は飲み水が溜められた樽があるテントに寄り、口の中の錠剤を地面に飛ばした。水で口を濯ぎ、これも吐き出す。
誰がこんな、得体の知れない薬を飲むか。僕は足早にその場を去り、誰も居ない井戸ポンプで沐浴を行った。




