145話 祭り
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数週間後、ブルクハルトで大規模な祭りが執り行われた。
街中が装飾されパレードは竜騎士が中心になって大通りを練り歩いている。街の人々は列を成して歓声を上げ盛り上がっていた。
商業地区から様々な飲食店が露店を出店し商売に精を出す。広場では陽気な音楽が流れ、人々は人種関係なく手を取って踊っていた。
この祭りは何を祝ったものなのかが明確にされないままだったが、人々は雰囲気に呑まれていた。
また一台、貴族の馬車が王城へ向かっていく。
王直々の招待があった貴族なのだと噂されていた。ブルクハルト王国の魔王、アルバラード・ベノン・ディル・ジルクギール=ブルクハルトは近頃機嫌が良い。入城した貴族たちには、きっと大層な褒美が渡されるものだと人々は囁いていた。
王城に向かう黒光りする四頭馬車の中で、辺境に領地を持つケインツェル・ウィンターソンは街の様子を窓から覗いて呟く。
「ふむ、この王都でこの規模の祭りを開催するとは…」
栗色の真ん中分けの髪に口髭を生やした中年の貴族は、卑しい目で祭りの費用を目算した。
「ふふ、王陛下の財力は底知れないですね、お父様」
向かいに座るのはドレス姿の若い娘。彼女はウィンターソン家の長女、マチルダだ。父親譲りの栗色の髪をゆるく巻いて、紅を引き、華美な装飾で着飾っている。
「それが全てお前のモノになると思うと素晴らしいな」
「気が早いですわ。…まぁ、彼が私のお眼鏡にかなえば良いのですけど」
皮肉を込めた微笑みを浮かべるマチルダは、小さく吐息した。その後不満そうに頬杖をつき、眉根を歪める。
「でもお父様、私は醜いキュクロプスなど願い下げです。本当に容姿は申し分ないのでしょうね?」
「嗚呼。情報によれば魔種族ではなく、人の姿をしているらしい」
彼は何度招待状を出そうが、ウィンターソン家が主催する宴には出席した事がない。ケインツェルはブルクハルトの魔王を見た事がなかった。
「人の姿、ではなく、顔は整っているのかと聞いているのです!」
「それは…」
父が口籠ると、マチルダは目尻を吊り上げる。
「もう!冴えない男でしたら愛人でも作りますからね」
王から祭りに招待されたケインツェルは、この機会に娘との縁談を薦めようとしていた。
父親から見てもマチルダは美しい容姿をしている。彼女は例え魔王だろうとも簡単に心を射止めるに違いない。現に、彼女への縁談は絶えず、ひっきりなしにやってくる。
自らより貧しい者に愛娘を渡す訳にはいかない。やはり、最愛の娘を惜しみなく嫁がせられるのは、この国の王以外他にない。
彼は魔歴上でも4人目の宝石眼に選ばれた者。魔力も莫大で、財力や軍事力、どれをとっても申し分ない。ただ一つ、娘を結婚させるのに気掛かりだったのは、彼の性格だ。
冷酷で無慈悲。女子供にも情け容赦ない所業は貴族の間でも有名だった。
しかし、最近はその形を潜め穏やかに過ごしていると確証を得て、ケインツェルはやっと決意したのだ。
馬の蹄が地を叩く。2人は期待を膨らませ、城門を潜った。
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城の前は群衆で溢れている。今日の祭りは王が主催した事もあって、珍しくも彼が国民の前で魔術を披露する貴重な機会だ。
恐怖で支配していた頃とは違い、慈悲深き統治者として名が広がりつつある自国の魔王は希少なルビーアイの持ち主。その瞳を一目でも見たいと人々が押し寄せていた。
「ちょと、ごめんなさい!通して!」
群衆の中に、レティシアの姿があった。
祭り一色に彩られた街で、魔王が民衆の前に姿を見せると噂を聞いて、居ても立っても居られず飛び出してきたのだ。
人が多いのと、方向音痴が災いして仲間とは逸れてしまっている。
「いきなり祭り事をするなんて…」
一体何を考えているのか分からない。しかし、ブルクハルトの魔王の顔を確認するチャンスだった。
討伐大会で見た冷たい目を思い出して慄然とする。
だが以前の自分とは違う。技を磨き力をつけてS級に昇格もした。あの時はただ震える事しか出来なかったが、今は違う。
かの者の首に刃を突き付ける事だってできる。
レティシアは自らを鼓舞して、紙吹雪が舞う中、拳を握った。
すると、前方で人が話している声が耳についた。
「陛下のご尊顔をとうとう見れるのか…!」
感極まっているのは人間だ。モンブロワ公国の者なのか、彼らは魔王を崇拝していると聞いた事がある。
レティシアが場所を移そうとすると、「しかし…噂は本当なのだろうか…」と隣の男が表情を曇らせた。
「五天王統括のリリアス様だろ?」
「嗚呼。王陛下に無礼を働いたとかで、舌を抜かれたとか」
「俺は手足を折って地下牢に幽閉されたって聞いたぞ?」
「!」
レティシアは「どういう事!?」と男たちの肩を掴んだ。
「なんだ、知らないのかお嬢ちゃん。家臣の1人が王の逆鱗に触れたんだそうだ」
「リリアス様は陛下が王に即位される前からの腹心だと聞いてたんだがなぁ…」
討伐大会で会った黒髪の女だ。五天王統括、リリアス・カルラデルガルド。
忠誠心の塊のような彼女でさえも、魔王にとっては…。(なんて非道な!)自らに仕える家臣を何とも思っていない。
それが国民に向けられたらと思うと寒気がする。暫く大人しいからといって、やはり油断はできない。
周囲が一斉に歓声を上げる。彼女は驚いて巨大な王城を見上げた。
城の大窓が開き、ルーフバルコニーに人影が揺れる。日差しを手で遮り、目を凝らした。
豆粒くらいの姿。一般人ならば、目を凝らしたところで遠く離れた彼の顔は判別できない。
太陽を反射する眩しいほどの白髪は後方に撫で付けられ、正装を身に纏う姿は一瞬誰か分からなかった。
普段は穏やかに微笑んでいるのに、今日は凍てつく瞳で民衆を見下ろしている。
「シ、ロ…?」
彼女のよく知る人物と酷似していた。
初めて見る表情。何故、彼が王城に居るのかが分からない。
目を見開き、硬直したレティシアはただ見ている事しか出来なかった。頭が真っ白で、思考を放棄している。
すると、魔王の上空に大きな魔法陣が展開された。幾重にも重なる、見た事のない術式。
群衆が騒ぐ。指をさして、口を開けて、王が行使する魔術に刮目した。
光の剣が上空に顕現している。それは、城前の広場に集まった人の数を上回る物量だ。
空を見上げていた誰かが呟く。
「嘘だろう…?」
嫌な予感が加速する。放心していたレティシアは、真っ青になり剣を抜いた。
なんの前触れもなく、それらは街に降り注ぐ。突然のことに誰も動けなかった。
しかし、降って来た刃は頭上3メートルのところで光の粒となって消滅した。雪のように美しい光が降ってくる。
その粒子は拳の大きさに膨れ、水球となる。
小さな子供が水球を触ろうとすると、それは形を変えて動き出した。キラキラと宝石のように輝く水の魚が、至る所で自由に泳ぎ始めた。
精巧な作りの魚は鱗まで再現されている。
人々は演出だとホッとして、莫大な魔力を持つからこそできる所業に拍手した。一部では腰を抜かして座り込んでしまっている者もいる。
「話に聞く、アメリア・メイダールから街を救った最初の大魔法じゃないか…?」
「それを再現して下さったのか!」
「すごい…なんて人並外れた魔力…」
「王陛下…!」「王陛下!」「王陛下ッ!」
波紋が広がるように喝采に包まれた。
祭りの催しだと理解したレティシアは胸を撫で下ろし、剣を鞘におさめる。光に透けた美しい鮮魚は、全て魔王が作り出したものだ。
感嘆する気にもなれず、吐き気さえする。
「…はぁ、はぁ」
一瞬、魔王が街の人々を皆殺しにすると思った。青年がそんな事をする筈がないと思っていても、あの眼差しを目にしたら最悪が過った。それ程に、レティシアが知る彼とはかけ離れている。
「本当に、シロなの…?」
何も語らず、ただ街を見渡して風を受けている魔王と呼ばれる青年を見上げる。
何かの間違いだと思いたかった。
「シロが…ブルクハルトの 魔王…?」
動悸が激しい。異常に喉が渇く。
頭を駆ける彼との思い出が儚く崩れていった。
「確かめないと…」
少女は意を決して、聳え立つ王城へ足を向けた。




