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143話 救世主


◆◇◆◇◆◇


 その夜、悲劇が起こった。

 

 真夜中、リリアスはメイドのペトラによって起こされ目が覚める。訳が分からないまま外套を羽織らされ、身支度を整えられた。

 周囲が慌ただしく、怒号が飛び交う。深夜にも関わらず、窓の外はぼんやり赤いコントラスト。火の粉によって、火災が発生していると気付いた。


「火事なの?」


「ッ、いえ…とにかくお逃げ下さい!」


 突然、屋敷全体が揺れ立っていられなくなる。ペトラに庇われ身を低くした。

 揺れがおさまると、リリアスは覚束ない足取りで窓を開ける。今何が起こっているのか知りたかった。


 テラスから身を乗り出すと、熱風が吹き抜けた。リリアスの黒髪を巻き上げ、熱気が肌を舐める。


 一階から押し寄せる熱に喉が渇く。下は火の海で、屋敷の北側は崩落していた。蝙蝠の翼を持つ魔物が、兵士を食い荒らしているのが見える。


 街も至る所から火の手が上がり、魔物が人を襲っていた。


 屋敷の上空を、ハーピーが旋回している。その鋭い鉤爪に使用人が捕まっており、脱しようともがいていた。

 恐怖心を嘲笑い、魔物は高度の高い位置から彼を落とした。絶叫が鼓膜を突き、堪らず目を背ける。


 恐る恐る視線を戻すと、使用人は天へ向けて張り出た尖塔に深々と刺さり絶命していた。


「ぁ…あ…ッ」


 リリアスは恐怖のどん底に突き落とされた。強烈な血の匂いに頭がくらくらする。


 六角柱の巨大な塔が街を踏み荒らす。ムカデのような足が時計塔や家屋を破壊しながら押し進んでいた。


「【動く塔】…!?」


 アメリア・メイダールの城がこんなところに。


 実際に見る城は本で見た挿絵より禍々しく、城と言うより巨大な塔だった。四階建ての屋敷より背が高く、地面に近い下部が太い。

 根元に蠢く肌色の腐肉が纏わりつき、それは幾つもの悲痛な表情をした顔が浮かび上がっていた。

 塔に続く階段が入り口まで伸びている。その周囲は鋭い棘に囲まれており、まるで荊棘に守られているようだった。


 建物を破壊する度に腐肉が削れ落ち、悪辣な魔物が生成されていく。


 街を荒らし回る怪物たちと戦う兵士の姿が見える。父が連れて来た騎士も一丸となって街の人々を守っていた。


 屋敷の敷地に侵入した魔獣も、滞在していた兵士によって一掃されていく。その中に彼女の父が混じって指揮をとっていた。


「お父様…!」


「いけませんお嬢様ッ!」


 父の元に駆け付けようとしたリリアスを、ペトラは抱き止めた。


「当主様から、奥様とお嬢様たちは街の外に逃すよう仰せつかっております!」


「この現状を見て逃げろと言うの!?」


「そうですッ!逃げて下さい!」


 リリアスが幼い頃から専属メイドとして仕えていたペトラの願いも同じだった。リリアスは聡明で賢い。街を出ても何とかして生きていけるだろう。


 メイダールの城が通った跡地は悲惨だ。魔物が我が物顔で跋扈する街へ成り果てる。

 今はそんな危険地帯から逃れられる最後のチャンスだった。


「うわあああッ!」


「!」


 兵士の叫び声。


「ペトラはララルカをお願い!あの子を何としても連れ出して!」


「お嬢様ッ!」


 少女はペトラの制止を振り切って部屋を飛び出した。階段を駆け降りて、裸足のまま庭園へ走る。


「お父様…!」


「リリア!逃げろと言ったのに…!」


 魔物との戦闘で父親は腕を負傷していた。迷いなくネグリジェを裂いたリリアスはそれで腕をきつく縛って止血する。


 彼らが対峙していたのは三つ首の火(ドラゴン)だ。


 身の丈は裕に8メートルを超えている。漆黒の角を持ち、赤色の鱗が全身を覆っていた。食事に興じていたのだろう爪や牙には生々しい血痕が付着している。


 高々と咆哮を上げる龍は勢い良く火を吹いた。怪物の鱗は刃を通さず傷一つ付かない。魔術を放っても効果は薄く、それぞれバラバラに動く首に苦戦していた。


 俊敏な巨体を振り回し、兵士たちを次々に薙ぎ倒していく。剣を折られ戦意を喪失した若者が背を向け逃げ出した。


 逃亡した兵士に3メートル以上のヒルのような魔物が襲い掛かり、顔に吸い付かれる。

 この街のどこにも逃げ場はないのだと見せつけられた気さえした。


「――まぁ、それが貴方の噂の娘かしら?」


 庭園の木を潜り近付いて来る女が一人。赤色の髪にエメラルド色の双眼を持つ、この地獄のような背景に相応しくないドレス姿の淑女だ。

 女は黒い扇で口元を隠しており、猫のように縦に伸びた瞳孔がこちらを見下ろしている。


 アメリア・メイダール。


 その場に居た者の身の毛が粟立つ。龍が攻撃を止めて、歩いてくるアメリアに尻尾を振った。


「本当に…噂に違わぬ少女のようね。後数年もしたら素敵な淑女になるでしょう」


 細められた目は邪悪で、リリアスは息を呑む。


「フローリアの血を引いている、というのも本当かもしれないわね」


 フローリア族は数年前、アメリアによって根絶やしにされている。彼女が精霊族の美貌に嫉妬して皆殺しにしたと専らの噂だった。


「…リリアを殺す事が貴様の目的か!?」


「いいえ、違うわ。殺すのは結果であって目的ではないの」


「――どういう…」


 アメリアは扇を閉じて唇で綺麗な弧を描く。その赤い唇に舌が這った。


「美しい女の血を浴びれば、私の肌が綺麗になるの!」


 恍惚として自らの頬に手を添える。アメリアは少女たちの血を浴びるのが好きだった。そうすると肌が美しく輝き心が満たされたのだ。

 ワイングラスに生き血を注ぎ、飲むのを日課にしている。それが彼女の美の秘訣だった。


 フローリア族は、そうして皆殺しにされた。


 幼いリリアスに女の手が伸びる。「さぁ、こちらにいらっしゃい」とまるで子猫を招くように気軽な声。


 ガキィイイン!


「お、お父様…!」


 父は剣を横薙ぎに払い、邪悪な女の手を遠ざけてくれた。扇で剣を受けたアメリアは興味深そうな顔をする。


「へぇ、渡さないつもりね」


「当たり前だッ!」


「そう…。中には喜んで娘を捧げる親も居るのに、意外だったわ」


 顔を歪めて笑うこの女に、慈悲を期待しても無駄だ。戦わなければ奪われる。


 これまで冒険者ギルドに所属する者が何人彼女に挑んで無惨に殺されたか。S級でさえ討伐できない邪悪な存在を前に、切先が震える。

 

「化け物め…!総員ッ!アメリア・メイダールの首を打ち取れ!」


 リリアスの父の言葉を受けて兵士から鬨が上がった。


 剣を構えて駆け出す男たちを前に、アメリアは微笑む。


 火(ドラゴン)がひと鳴きすると、彼女を守るように炎の槍が整列した。それは瞬時に発射され、男たちを次々に穿つ。傷口が燃えて、負傷者から悲鳴が上がった。


「…くっ」


「お父様…!」


 勇猛に龍の首を狙った一太刀は難なく尾に阻まれた。そのまま振り上げられ弾かれると、父の剣は回転しながら前方に落下する。


「あら、しっかり持っていないと」


 嘲笑ってからアメリアは剣を拾い上げ、柄から切先へ視線を向けた。


「良いことを考えたわ!この剣貰っても宜しくて?」


「は …?」


「これで娘の手足を切り落としていくのも楽しそうだわ」


「貴様…!」


 無邪気で無垢な少女のように、歯を見せて笑う彼女の悍ましさ。


 甲高い哄笑の後、閃光が走り視界が真っ赤になる。


 リリアスの父の首が飛ばされていた。血飛沫が、ネグリジェに雨のように降り注ぐ。


「お父様あぁあッ!」


 悲鳴のような、裂けるような絶叫。


 迸る血液は温かく、思い出全てを濡らしていく。無惨に飛ばされた首が父のものとは思いたくない。


「大丈夫よ。またすぐに会えるわ」


 此処は地獄なのだと思った。


 父が殺され、幼い頃から屋敷に仕えてくれていた使用人たちが次々と魔物に喰い殺されていく。母と妹の安否も分からない。そこらじゅうで悲鳴が聞こえて、なす術なく蹂躙されていく。


 指揮官をなくした兵士は統制がとれず、次々に龍によって焼かれ、食われ、踏み潰され、断末魔が木霊する。


「さぁ、貴女は城へ来て。私なりの最高のおもてなしをするわ」


 アメリアはリリアスの涙で濡れた顎に手を添えて、容姿を吟味する。自身の美を保つに相応しい器か見定めるかのように検品している。


 撫でる視線は奸悪で、少女は産毛が逆立つのを感じた。


 細い首を掴む女の力は手加減を知らない。爪が食い込み息が阻まれ、リリアスは目を瞑る。


 目尻から涙が溢れた。


 ドカアアアァアアアアッ!!


 突如、目前まで迫っていたメイダール城が折れた。言葉の通り塔の半ばから2つに折れ、上部が地面へ落下した。

 砂埃が立ち上り、辺りを覆い尽くす。


「なに…!?」


「けほ、けほッ」


 アメリアが驚いてリリアスを地面へ打ち捨てた。急に空気が肺に入り咳き込む。

 乱れた呼吸を整えて見上げると、いつの間にやらアメリアの前に少年が立っていた。


 リリアスより少し年下だろうか。乱雑に伸びた黒髪が風に靡いている。


「まさか…!どうやって…」


 アメリアは焦燥で顔が醜く歪んでいた。


『どうでも良いだろ…?』


 子供らしからぬ冷たい声。目前の脅威に対して冷静で、どこか自嘲を含んでいる声。


「フン、少し痛い目をみないと分からないようね…?」


 三つ首の龍が火を吹き、炎が少年を囲む。


 風が熱を帯びて吹き荒れ、リリアスの額に汗が滲んだ。黒髪の少年は見る限り無抵抗だった。殺されてしまう、と心の中で叫ぶ。


 すると彼はバースデーケーキの蝋燭を吹き消すように、フッと息を吐く。その瞬間、禍々しい炎は掻き消えてしまった。


「…っ」


『次はこっちの番だな…?』


 口角を持ち上げて凶悪な笑みを貼り付ける。手を翳すと無数の氷塊が龍とアメリアへ向けて発射された。


 扇を振り魔術で応戦して打ち消したものの、少年の方に部があった。拮抗を逃れた鋭い氷の先がアメリアの頬を傷付ける。


「…っ、私の顔に…!」


 激昂した彼女は自らの頬に手を這わせ、血を確かめるとワナワナと震えた。


 振り返った先に少年の拳があった。ギリギリで反応して回避すると、器用にも続け様に回し蹴りをくらう。


「ッ」


『おせーよ』


 少年のスピードは異常だった。まるで凶暴な肉食魔獣のような動きに目を見張る。

 リリアスは目の前で繰り広げられる信じられない光景に魅入った。


 少年が小さな身を捻り腕を振り被ると風の音が聞こえる。腕を前に振った途端、見えない刃がアメリアを襲った。彼女が避けるところまで読んでいるのか、風の刃は遥か後方の魔物たちを絶命させた。


 邪悪な眼光を放つ赤い龍がアメリアを守るように前に出た。炎の吐息を漏らす龍は見上げる程巨大で、少年の小さな体が目立つ。


「ガァアァッ」


『黙れ』


 いつの間にか龍の懐まで距離を詰めた彼が一言言い放ち、膨大な魔力が膨れた。龍の表面に氷が伝い、体を蝕んでいく。自由を奪われ襲い来る激痛に身悶えながら、龍は動かなくなり氷の彫像と化した。


 兵士が束になっても敵わなかった龍をたった一瞬で屠った少年の目にはアメリアしか写っていなかった。


『アメリア・メイダール…!』


 少年から発される気迫にリリアスは鳥肌が立つ。喉元に鉤爪を突き付けられているように、体が動かなかった。


 少年の殺気にもアメリアは動じずに扇を広げる。


 双方の睨み合いが続き、それは一瞬にも永遠にも感じた。


 遠くで無数の声がして、カルラデルガルド家の敷地に騎士が集まってくる気配がする。アメリアは冷静に状況を判断した。


「残念だけど今回はフローリア族の娘は諦めるわ」


 溜め息の後、新たに龍を呼び寄せ、その背に乗る。


『逃げるのか?お前はここで殺す』


「できるかしら?――ほら、危ないわ」


 少年の後方からハーピーが飛び掛かってくる。軽々と避けた彼は、そのまま鳥獣を焼き払った。


「ギャアァアアアッ!」


「貴方ごときでは私を殺せない」


 龍が地上からアメリアと共に飛び去ろうとしている。少年は追おうとしたが、街から上がる悲鳴に僅かな反応を示した。


「言ったでしょう?貴方にはできないと」


 上空から見下ろした女は妖艶な笑みを携えてその場を後にした。


 小さくなるアメリアの背中に歯軋りする。


『――チッ』


 少年の苛立たしげな舌打ちはリリアスにのみ聞こえていた。


 佇む少年の周囲に風が吹く。足元に大きな魔法陣が描かれ、それが空に転写された。街を飲み込む程の大きさに、人々は足を止める。


 空に無数の光が点在して、やがてそれが一つ一つの剣だと気付く。

 

「なにを…!」


 少年の奇行に、駆け付けた騎士たちが声を上げた。


 その瞬間、上空にあった剣が撃ち下ろされ、街に剣の雨が降り注いだ。街中に居た魔物たちを寸分の狂いなく貫き、瞬く間に駆逐する。


 農夫を喰おうとしていたオークが寸でのところで串刺しになり、若者を食い荒らしていたナーガは尾に鋭い痛みが走ったと思ったら無数の刃に心臓を射抜かれた。

 騎士の斬撃を避けたダイアウルフの脳天に撃ち下ろされた刃が叩き下ろされ、家屋に押し入ろうとしていたトロールは痛みを自覚するまもなく生き絶えた。


 役目を終えた輝く剣は細かな粒子となって消え去っていく。


 常識を覆す大魔法。それは疑う余地もなく、人々の心に刻まれた。


『はぁ… …、』


 僅かな疲労が滲み眉間に皺を深く刻んだ少年が、リリアスを振り返る。初めて彼女を知覚したように、彼は目を見開いた。


 それはリリアスも同様で、少年の瞳はまるで世界で1番美しいルビーのようだった。光の加減と角度によって輝きが変わる深いワインレッドの双眸。

 莫大な魔力を持つ宝石眼の少年…。


 どこか空虚を抱えていたリリアスの心に熱が灯った。




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