134話 合流
車両の2階へ繋がる螺旋階段を上る。僕は許可を貰った訳じゃないのでイヴの裾を掴み恐る恐るくっ付いていく形だ。
階段を上がったらそこは別世界だった。赤を基調とした壁に金のダマスク模様が描かれている。照明の一つに至るまで緻密なデザインが施されていた。
席が個室のように区切られており、1階と同じ造りの筈が全く違う。扉だけ見れば高級ホテルの客室へ通じているんじゃないかと錯覚してしまう程だ。
そんな扉が6つ並んでおり、好奇心で中を覗くとフカフカの座席が見えた。
「旦那ぁ、オレが【月】の野郎と手下を引き離すから、その間に奴に協力するよう言ってくんね?」
『う、うん…頑張るよ…』
「オレだと奴の態度にムカついて、協力させるどころじゃなくなりそうだからさぁ」
ボリボリと頭を掻きながら、口角を歪める。
彼とジュノは長年歪み合っていた仲だし、会議でもお互い噛みつき合っていた。
ジュノの神様を貶めた件の謝罪は済んでいるけど、ジュノとは別の鬼族の人に謝ってしまった訳で…。イヴとしてはそれも腹に据えているようだ。
僕は自信なさげに了承した。(ジュノ、さっきの怒っていなければ良いけど…)
「オレが騒いで奴らを誘き寄せてぇ、スキル使って上手く分断すんよ」
鮫歯を見せて「旦那はその間こっちに隠れて、【月】の野郎を頼んだ」と明るく笑う。
イヴが指差した1番前の個室の中に入り息を潜めた。扉の隙間から通路を覗き見る。
ジュノと2人で話せる機会を逃さないようにしなくちゃ。
イヴが隠れている僕へ向けてウィンクして、前の車両に消えて行く。圧縮された空気が一気に吐き出されるようなスライドドアの音がして、一息吐いた。
僕の交渉に懸かってると思うと手に汗が滲む。ジュノを上手く説得出来なかったら、次はどうする?
テロリストの真似をして列車を緊急停止させる案が浮かぶが、すぐさま打ち消した。(それこそジュノに殺される…)
そもそも何故、事故の日付が変わったんだろう?
列車を止めたら事故は本当に起こらないのか?
色々な疑問が浮かんでは、解決しないまま消えていった。
思考に耽っていると再びスライドドアが開いた。その音でハッと現実に引き戻される。
ゾロゾロと鬼族の人達が前の車両から入ってきた。
「Avevo intenzione di essere buono. A tutti i carri. Qui, Wardaddy. Ti avrei detto di non fare rumore.(はぁ…善処したつもりだったが…貴様は本当に学習しないな。騒ぎを起こすなと言っただろう?)」
鬼族に連行される形のイヴが、「なぁに言ってんのか分かんねーっての!」と彼らを睨んだ。
眉間に皺を寄せて耳に小指を突っ込み、チラと此方を一瞥する。今から行動に移るとの合図だ。
「王子のオレに対してこんな扱いは流石に国際問題じゃねぇ?」
イヴは鬼族の1人に掴まれていた腕を振って無理やり逃れた。
距離を取ると鬼族の4人がジュノを守る形で前に出る。
イヴは車両の後方部分、ジュノは前方部分で互いに出方を窺い合っていた。イヴのお陰で僕はジュノから1番近い距離に居る。此方には気付いていない。
「Combatteremo contro di me?(此処で俺と争ってどうする?)」
「だから何て言ってんだよ!…はぁー…、まぁ良いや。吠え面かきやがれ」
「È bello avere una brutta cosa. Manderò la mia testa in campagna.(……仕掛けたのは其方だ。タタン国に貴様の首を贈り届けてやる)」
ジュノが凍てつく眼差しで指を振ると、鬼族の人達がイヴへ突進した。タタン国の王子の口元がニヤリと弧を描く。
僕は1番後ろで三叉槍を具現化しようとしていたジュノの腕を引っ掴み、素早く個室に連れ込む。
扉が閉まる刹那「“先頭車両へ行って暫く動くな”」とイヴの【王者の強制力】が聞こえた。
『う?ッ、わぁ!』
腕を勢い良く引いた拍子に脚がもつれて座席へ仰向けに倒れ込む。その際掴んでいたジュノも道連れになった。
フカフカのソファみたいな座席の上で僕にジュノが重なる。
「Andiamo. Ehi, cosa pensate…(貴様、何を…)」
座席に手を突いて耐え忍んだジュノは思い切り顰めっ面をして、下敷きになっている僕を睨んだ。
悪意の無い事故だと信じてくれるだろうか。言い訳を考えていると、彼の表情に変化が見られた。
「………」
食い入るように顔を凝視している。驚きと困惑で大きく見開かれた瞳に僕が映っていた。
頗る居心地が悪く、『はは…ごめんね、わざとじゃないよ』と困った顔で笑って体勢を整えようとするがジュノの反応はない。胸を押しても退いてくれず、ただ此方を見詰めていた。
遂に両手で顔を挟まれて至近距離で視線を浴びる。真剣な面持ちの彼に何がなんだか分からず、へっぴり腰でされるがままになっていた。
「Finalmente ti ho conosciuto…(やっと…)」
喉から絞り出された声は弱々しく消え入りそうだ。
横になった体勢のままジュノに抱きすくめられる。
割れ物を扱うように優しいけど、どこか力強い。彼の表情が気になったが、僕の肩に顔を埋めていて確認出来なかった。
「…、…Non lo so, cosa fai…(そうとも知らず、俺は…貴方になんて事を…)」
ジュノがずっとそうしているものだから、身動きがとれない。やり場に困った左手で、ジュノの背を摩ってみる。
『大丈夫だよ、ジュノ…』
安心させようと努めてみた。ジュノの腕に力が篭ったのが伝わる。
「Ti ho sempre cercato…(…ずっと貴方を…探していました)」
何を言っているのか分からない。泣きそうな声が鼓膜を揺らす。
先程僕の腕を捻った時の刃物のような彼じゃない。僕が知ってるジュノがそこに居る気がした。
「な、何やってんだぁ!?この野郎ッ!」
「私達はお邪魔でしたか?」
いきなり開いた扉の前にイヴが立っていた。ブルブルの声も頭に響いてきたので、彼女も一緒だ。
ジュノは咄嗟に僕を背後に隠して武器を構える。
『ジュノ!待って!』
僕が声を上げると、ジュノの動きはピタリと停止した。
「はぁ〜?さっき旦那の腕を折ろうとしやがった奴が今度は随分従順だなぁ?なぁに企んでやがんだ?」
目の下を痙攣させたイヴは、ジュノを跳ね除け僕の隣へ腰を下ろす。腕に張り付いたイヴに、ジュノが声を荒げた。
「彼に軽々しく触れるなッ!」
「お前こそ旦那にくっ付くな!」
互いの胸倉を掴み激しく食い下がる。僕が真ん中に居たので仕方無く『まぁまぁ、2人とも。そんなカッカしないで』と間に入って宥めた。
困った顔で笑う僕を前に、ジュノの声が震える。
「貴方の…仰ってる意味が分かります…」
『そう言えば、僕もジュノの言ってる事が分かるよ!』
顔を見合わせていると、透明化していたブルブルが姿を現す。
注射器のような長い舌が口から垂れ下がり、三本指の鉤爪が上質な絨毯を引っ掻いた。
「私が喋るのと同じように、ラブカ様の言葉を公用語に訳してお2人の頭に直接届けています。お2人の言葉はキシリスク語にしてラブカ様に」
『有り難うブルブル!』
これでジュノと言葉を交わせる。やっと僕達の素性や此処に来た意味を伝えられる。
ブルブルの姿に驚いていたジュノが「ティンダロスの…」と零した。
それが耳に届いたイヴは鼻高々にブルブルを紹介して何故か「旦那がオレにくれたんだぜぇ」と強調して、してやったり顔を浮かべる。
「… stronzo.(このクソったれ)俺は彼から沢山のモノを頂いてる。いくら稀少な魔物でも到底及ばない」
前半の言葉はキシリスク語だった。ブルブルの方を見ると、視線の意味を察したのか軽く咳払いする。
「…私には訳すのも躊躇われる俗語ですので」
つまり意図して訳さなかったと。
性別があるなら恐らく女の子の彼女が、不適切だと判断したなら深掘りしないでおこう。
そんな中、僕の腹の虫が空腹に耐えかねて鳴き声を発した。




