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128話 隻腕



 車に追突されたような衝撃。

 脚に力が入らずに崩れ落ちる僕の体をイヴが支えた。

 

 ぼやけた視界の端、血に濡れた右腕が落ちている。傷口は剣で切ったかのように綺麗だ。

 我に返れば耐え難い激痛に苛まれた。右肩を押さえて奥歯を噛む。汗が滝のように流れていくのが分かる。


『ぁ…っ…ぐ…』


 二の腕辺りから先の腕の感覚がない。

 足元に落ちている腕は僕ので間違いなさそうだ。


「だ…旦那…」


 目の焦点が合っていないイヴはゆっくりと腰を落とした。僕も地面に膝を突く。


「…はぁ…はぁ…っ、」


 荒い呼吸をし作業着の男を睨み付けた。


「…ッお前…!」


「ひッ…!」


 此方に銃口を向けていた彼は悲鳴を漏らす。イヴの怒気にあてられ、完全に飲まれていた。

 

 立ち上がったイヴは湧き上がる感情のままに荷馬車に近付いていく。緑色の魔力が膨れ上がるのを感じる。

 僕は咄嗟に叫んでいた。


『イヴ!ダメだよ!』


「ッ…でもさぁ!」


 振り返ったイヴは泣きそうな声を喉から押し出す。眉間に濃い皺を刻んでいて、普段のおおらかな彼を見慣れていると別人のようだ。

 今の彼は勢い余っておじさんを殺めてしまいそうな危うい雰囲気を纏っている。


『彼は怯えてるだけだよ!銃の扱いにも慣れてない!』


 僕が察するに、首都を目指す道中何かあってはいけないと護身用に銃を持っていただけだ。

 迫る脅威に向けて発砲した。狙いはつけてない。イヴに殺意を叩き付けられて気が動転している。引き金に掛かる指は僅かに震えていた。


『ブルブルの言った事を思い出して!僕達の目的は事故を未然に防ぐ事でしょう?』


「……ッ、」


 歯軋りしたイヴは「クソ…ッ」と悪態を吐く。そして未だ震える作業着姿のおじさんを、憎悪が篭った瞳で見下ろした。


「“さっさと失せろ!”」


 イヴがそう言い放つと、おじさんの目が虚ろになる。彼はそのまま地竜の手綱を取り、何事も無かったかのように荷馬車を動かした。


『今の…』


「オレのスキルだ…。それより旦那、大丈夫か?腕が…オレ、その…」


『…ッ…大丈夫、と言いたいけど…どうかな。血が止まらない…いたた』


 無理矢理笑って見せるけど、大粒の汗は誤魔化せない。止血しようと押さえたら痛みでそれどころじゃなかった。

 すると右の空間からブルブルがヌッと這い出てくる。彼女を知らなきゃ腰が抜ける程にホラーな絵面だ。


「オレ治癒は出来ないんだ、けど…」


『奇遇だね…、僕もだよ』


 ブルブルの尻尾の先が肩を触ると、青色の光が傷口を包んだ。蛍のような優しい光の粒が宙を舞う。

 痛みがみるみるうちに引いていった。


『これ…』


「治癒ではありません。応急処置です。傷口周辺の時間を停止させ、異常が無い状態を保ちます。元の時代に戻ったら直ちに治療を行なって下さい」


 瞬間冷凍保存みたいな状態かな?

 出血も止まり、腕を動かしても支障ない。


「傷口も綺麗なのでくっ付けられる筈です。その時まで、右腕は私が預かっておきます」


 ブルブルが言うと、地に落ちていた右腕が消えて無くなった。


『痛くない…。有り難う!これなら動けそうだ』


 残った左手でブルブルの頭を撫でた。

 彼女はされるがままにジッとしている。ニコニコする僕の横で沈んでいるのはイヴだ。


『大丈夫かい?』


「オレは…だい、じょうぶだけど…」


 気遣うような視線が僕の右腕を見て地面に落ちる。人差し指を合わせて忙しなく動かしていた。


『戻ったらシャルに治してもらうから平気だよ。ブルブルのお陰で全然痛くないし』


 僕は膝を払って立ち上がる。イヴはオロオロしながら見守っていた。


「腕…、ゴメン…」


『大丈夫だよ。イヴのせいじゃない』


 思い詰めた彼に言い聞かせる。


『ともかく、首都に行こう。このままだと野宿になっちゃうよ』


「……ん」


 (気にしてる?)大丈夫だって言ったのにな。

 

 そろそろ陽が傾いていた。夜になると魔物の動きが活発になるし早く首都に入った方が良いだろう。

 歩き始めたけどイヴの表情は晴れない。自分のせいだと気に病んでるみたいだ。


◆◇◆◇◆◇


 夜の帳が下りる頃、首都〈アノア・ポリ〉に到着した。

 頑丈な壁に囲まれ、黄金色に輝く街は以前ジュノから教えてもらった通り、眠る事を知らない。


 僕が居た世界から見ても近未来的な建物の数々に圧倒される。

 奥にある細長い台形の建物からチューブが八方に伸びていて、不思議な造りに好奇心が抑えられない。

 チューブの先は色んな建物に接続されていた。


 街も負けてない。斜めに走る渡り廊下やそこから垂れ下がる垂幕。そこに映し出される楽しげな映像。

 人々で賑わう通りは珍しい物で溢れていた。

 行商人のおじさんが持っていた変わった銃も売られており、掌サイズのドーム型のアイテムからホログラム映像が流れている。

 この世界では珍しい、デジタル音までしている。電化製品がありそうな勢いだ。

 

『凄いねイヴ!』


「まぁな…」


 この世界の文明は魔法などの便利な力で独自の発展を遂げていると思った事がある。此処はその最先端だ。


 はしゃぐ僕とは反対にイヴは険しい顔をする。戦争中でいがみ合っているキシリスクの技術を認めるのは複雑な心境なのだろう。


 その辺りで、僕は自分に注目が集まっている事に気付いた。街の人達は僕と目が合うとそそくさと立ち去ってしまう。(前にもこんな事あったなぁ)

 

『この格好じゃ街の人を怖がらせちゃうかもね』


 僕の右側上半身は血塗れだ。灰色のローブは血を吸って重く、ギリシャ風の服は赤黒く染まっている。

 近くに居たイヴまで血飛沫を受けてしまい、2人まとめて物騒な輩だと遠巻きに見られていた。


「えぇ?良いんじゃない?逆に絡んできたら面倒臭いし」


『良くないよ。このままだと憲兵や治安維持の団体に捕まっちゃうかもしれない…』


 騒ぎを起こすのは宜しくない。


『イヴ…このお金で僕と君の服を買って来てくれないかな?』


 懐から布袋を引っ張り出してイヴに渡す。

 彼は大きく目を見開いていた。そこで僕は気付く。


 イヴは買い物した事ないんだった…。


 (困った)今の僕の姿は悪目立ちする。

 右半身が血だらけの人間に服を売って貰えるだろうか。その点イヴはローブに掛かった程度だから単なる汚れだと誤魔化せると思った。


『ごめん…もっと良い方法を考えて――…』


「分かった!旦那は此処に居て」


『え…?』


 イヴはローブのフードを被って、近くの服屋さんに入って行った。僕は焦って一歩踏み出し、自らの身なりを思い出し留まる。


『ブルブルお願いだよ、イヴのサポートに行ってくれない?』


「分かりました」


 僕の側からブルブルの気配が無くなる。

 心配で店を覗いていたが、周囲からの視線に耐え切れず隅に寄った。


 財布を出す時に気付いた、ユーリから貰った増血剤を飲んでおく。

 壁際に座って暫く待っていると「旦那!」と声が降ってくる。見上げれば明るい顔のイヴがそこに居た。

 紙袋を抱えていて、買い物が成功したのだと知る。


「ブルブルにアレコレ教えて貰ったけど何とか買えた」


 困った顔で笑う無邪気な彼につられる。

 紙袋に手を突っ込み「適当な服で良かったかぁ?」と僕にあてた服を取り出してくれた。

 シンプルなワイシャツと黒いズボン。言う事なしだ。


「旦那オレよりちょっと小せぇから」


『うん、サイズも完璧だ。イヴに頼んで良かった、本当に有り難う!』


 感激して微笑むと彼は「ん、んん…」と変な返事をする。


『どしたの』


「いや…考えてみたら今まで礼言われる事ってあんま無くて…。オレが何かして貰う事の方が多かったからなんだけどさぁ…。…なんか変な感じ」


 こそばゆい、と続けたイヴははにかむ。

 僕が動けないのを加味して自分から行動してくれた彼に感謝した。(優しいなぁ)


『ブルブルも有り難うね』


 透明で見えないが、何となく近くに居る気がする猟犬にもお礼を言う。


 人気の無い裏路地に入り、服を着替えた。

 イヴの服も僕と似た様なものだ。ブルクハルトに来た時の服装に似ている。

 イヴはその上からローブを羽織り、僕は血濡れの服をローブに包んだ。

 右の袖がヒラヒラ靡くのが擽ったくて玉結びをする。


「乙女が居るにも関わらず、何の恥じらいもないのですね」


 横から拗ねたような声が聞こえて、眉を上げたイヴが「え〜?だってブルブルさぁ」と恐らく失礼な事を続けようとしたので口を覆った。

 

『次は泊まる所だけど…』


「むぐむぐ…ぷはぁ…!このまま【ルナー】が居るプリン形の塔に乗り込んじゃダメなのかぁ?」


『うーん、もう夜だし日を改めた方が良いかな』


 少し考えてから答えを出す。

 通常王への謁見は数週間前に文書を送り申し込むものだ。国を跨ぐとなればお土産や献上品を用意する。

 今の僕達にはそういった物は無くこの身一つの状態だ。


 そんな僕達が夜中にジュノを訪ねたとして、先方が会ってくれるかどうか…。

 もしかしたら良からぬ事を企てる者と誤解されてしまうかもしれない。


『ちょっとした手土産を用意して明日トライしてみよう』


「分かった」


 今後の流れを決めて、次に宿屋を探した。

 あまり豪華な宿泊施設は利用出来ない。僕のお財布の金銭は残り僅かだ。計画的に使わないと…。


 その結果、街行く人々に身振り手振りで尋ねて見つけた良心的な価格のモーテルに行き着いた。少し古びた3階建ての建物だ。


『2人で利用したいのだけど…』


「……夕飯付きで一泊5,800ギルだ」


 布財布から服のお釣りを引っ張り出す。片腕でもたついているとイヴが補助してくれた。

 僕が腕が無い事に気付いた店主が眉をひそめる。


「3階まで上がって突き当たりの部屋だ」


『有り難う』


 鍵を受け取って階段を登る。

 ブルブルはちゃんと付いて来てるかな?


 あてがわれた部屋に到着し、入って絶句した。

 ツインじゃなくてダブルだ。

 僕の心境など露知らず、イヴは広いベッドにダイブした。


「はぁ〜疲れたぁ」


 良心的な価格の秘密が少し分かった気がする。

 (まぁいっか…)安く済んで良かったと開き直り、ゆったりとした椅子に腰掛けた。

 お尻に根が生えたように動けなくなる。一気に気が抜けて、激しい睡魔に襲われた。


◆◇◆◇◆◇


「旦那…旦那…!」


 呼び声で意識が浮上する。

 気付けばイヴが肘掛けに密着して此方を覗き込んでいた。


『…やぁ、おはよう』


「まだ夜だけどなぁ」


 大きく伸びをして、辺りを見回す。僕の目前の小さなテーブルに夕ご飯の準備がされていた。

 コーンスープに照り焼きチキン、バケット、ミルクと質素なご飯だが非常に有り難い。


「配膳係が来てもぐっすり寝てたから心配したぜ」


『そうなの?全然気付かなかった』


「普通神経が過敏になるもんだと思うけどなぁ。大胆っつーか、豪胆って言うか…」


 向かい合わせにイヴが座る。

 太陽神の恵みに感謝し祈りを捧げた後、食事に手を付けた。


 僕は照り焼きチキンをブルブルにあげる。バケットはイヴにプレゼントした。

 湯気の立つコーンスープを掬って、口に含む。濃厚で甘味が強い。今日初めての食事が弱った胃に染み渡る。


「旦那の腹の調子大丈夫なのか?」


『大丈夫さ。ちょっと荒れてるだけ』


 果物も食べなかった僕をイヴが心配した。

 するとスプーンが指の間をすり抜ける。カツンと床に落ちて、イヴも目を丸くした。


『ごめん、慣れなくて…』


 笑いながらスプーンを拾う。洗う所はないかと探していると「旦那右利きなの?」と尋ねてきた。


『そうだよ。イヴは――』


 視線を戻すと、彼は僕が座っていた椅子に自分の椅子を寄せていた。


『イヴ?』


「はい」


 彼は自分のスプーンで僕のスープを掬い上げ、僕へ向けて突き出した。


『うん?』


 首を傾げると、イヴは早くと言うように手を揺らす。されるがままにスプーンへ口を付けた。(美味しい)

 そして次を口元へ運ばれる。


『イヴさんこれは』


「旦那の腕はオレのせいだから、旦那が片腕の間はオレが右腕の代わりをしてやるよぉ」


 妙な事を言って鮫歯を見せて笑った。

 (此処で遠慮したら、また気に病ませちゃうかな…)イヴなりの気遣いに少し戸惑ったが、暗い表情の時より断然良い。

 僕も困ったように笑った。


『じゃぁ、お願いするよイヴ。有り難うね』


「ん…?んー…うん」


 餌付けか、介護されてるみたいだけど言うまい。実際、僕は不器用だから凄く助かる。

 イヴは自分が食べる事そっちのけで僕に世話を焼いてくれた。バケットのお礼に、と自分のスープまで差し出してくる。


『もうお腹一杯だから大丈夫だよ。イヴが食べて』


「本当かぁ?」


『本当だよ』


 イヴが弟として兄弟に可愛がられる理由が何となく分かるなぁ。僕より年上だけど、それは数年の差だし。(弟が出来たみたいで嬉しいな)


 食事を済ました後はお風呂に入って寝る準備をする。ベッドで少し談笑した後、枕元の灯りを消した。


「旦那、寒ぃからもっとこっち来て」


『…君のお嫁さん達に怒られそう』


「え?旦那もオレの嫁になりたいって事?」


『断じて違う』


「じゃぁいーじゃん」


 薄い布団をゴソゴソいわせて、イヴの腕が回される。確かにあったかいけどさ。僕はそっぽ向いたままイヴの湯たんぽ代わりにされた。


「旦那は弟みてぇだなー」


 ……。(あれ?)



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