125話 時間遡行
イヴが探していたブルブルくん。(頭に響く声の高さからして女の子?)
彼女の後ろにイヴが倒れていた。駆け寄り身体を揺すってみる。
『イヴ…、イヴ!』
「気を失っているだけですよ」
僕の周囲を旋回していたブルブルが容態を説明してくれた。ホッとしつつ、改めて彼女を見る。
『君は…』
「ご主人様の状態は分かっております。以前の記憶が無く、私の事もお忘れだと」
言い当てられてギクリとした。彼女は何処まで知っているのだろう。
しかし、話が通じる。恐ろしい見た目とは裏腹に丁寧な言葉遣いなので変な感じだ。
『どうしてイヴの前から消えちゃったの?』
「…ご主人様に再び会う為です」
『、!…僕に?』
予想外の回答に驚く。
「お願いがあります」
『…、…何だい?』
生唾を飲み込んだ。
「タタン国とキシリスク魔導王国の戦争を未然に防いで下さい」
てっきり今夜のディナーのメインディッシュになって欲しい、とか言われるのかと思った。
安堵したのも束の間、彼女の言葉を頭の中で反復する。
『何だって…?』
「この戦争は不毛です。私と共に過去へ遡り、争いの火種を消して欲しいのです」
一部の研究者の間ではティンダロスの猟犬は時間遡行を行なっている可能性があると講じている。
それは彼らが空間移動を駆使して生活する唯一の魔物だからだ。まるで獲物の動きを予め知っていたかのような転移の出現位置を目にして称えられた一説。
猟犬と話が出来ると分かっただけでも衝撃的なのに、時間遡行まで…。誰も知らなかった彼女達の生態が次々と明かされる。僕の脳みそが付いていかない。
『そんな事…』
「ご主人様なら、出来ます」
何を根拠に断言するのだろう。彼女は今の僕の運の悪さや気の弱さを知らない。(強いアルバくんなら出来るのだろうけども…)
『確かに戦争は痛ましいとは思うけど…それぞれの国の言い分もあったし僕が口を出す事じゃ』
「この戦争は仕組まれています。そんな争い、不毛でしかありません」
タタン国とキシリスク魔導王国の争いは仕組まれている。
ブルブルは続けた。
「戦争を望む者が居るのです。それを知らずに争い続ける両者は、例え戦争に勝利したとしても待っているのは滅亡です」
事の重大さに気付いて息を飲む。
今両国はギリギリ平衡を保っている状態だ。その力関係が大きく崩れて勝敗が決する時には、勝者も疲弊している。
そこを叩かれれば、国2つが滅びる事にもなりかねない。
「私も出来る限り協力をします」
ティンダロスの猟犬は時間遡行という強大な力を手にする代わりに幾つかのルールに縛られているようだ。
まず、過去を大きく変化させる事の禁止。彼女が僕に協力を求める1番の理由だ。僕を過去へ転送する事も規約ギリギリだそうだ。
次に生者への過剰な接触。先程のルールに基づいて、過去へ遡り誰かと接触する事は同時にティンダロスの猟犬と出会った、とその人に記憶付けてしまう。
言っちゃ悪いけど、彼女の姿は忘れようとしても忘れられるものではない。(一般人が見たらトラウマになるレベル)僕だって予め挿絵を見ていなければ、腰が抜けて動けなかった。
それらの観点から、彼女達は過去へ行った際は透明になって行動する事が多いらしい。
『君が透明になっちゃったら僕には見えないって事だよね?不安になるなぁ…。さっきの、女の子の姿で側に居て貰えないの?』
「……人に化けるのは多くの魔力を消費します。いざ帰る時に私の魔力が足りないと、困ってしまうのはご主人様達ですので」
『それは、確かに』
じゃぁ何故多くの魔力を使って僕のベッドに潜り込んでいたのだろう。
ノヴァもそうだけど、魔物の子達は服を着る概念が無いから困る。
「…っ、…」
イヴの眉が動く。
『イヴ…!』
そう言えば彼女は強制的にイヴも連れてきた。
「タタン国の魔王、イヴリース・ベルフェゴール・タタン。彼の固有スキルはきっと向こうで役に立ちます」
イヴの固有スキルを知っている口振りだ。僕の認識では人を操る能力っぽいって事くらい。
『僕なりに頑張ってみるけど…』
「そう言って下さると信じてました、ご主人様」
『……何で僕をご主人様って呼ぶの?』
「ご主人様はご主人様ですから…」
捕獲してタタン国に贈ったにも関わらず、彼女は僕を主人扱いするのだ。此方の都合でタタン国に譲渡してしまったのだろうから、恨み言の一つでも言われると思っていた。(分からない事だらけだ)
釈然としないけど、気持ちを切り替える。
彼らと協力して戦争を未然に防ぐ。これが僕に与えられたミッションだ。
出来るかは分からないけど、最善を尽くしてみよう。
ジュノやイヴの国が無くなるのは嫌だし、彼らが死ぬのはもっと嫌だ。
それぞれの勢力とは別に戦争を煽る何者かが陰に潜んでいるなら報いを受けるべきだと思う。
◆◇◆◇◆◇
『ふぎゃ!』
ブルブルの領域から外に出された。
【転移門】と違って地面と垂直な扉ではなく並行で、宙に浮いていた為落下して胸を打ちつける。
土の柔らかい草が茂った地面に迎えられたので、そんなに痛くない。
「いっててぇ…」
投げ出された弾みでイヴが目覚めた。
『大丈夫かい?』
「嗚呼、旦那…此処何処だ?」
彼は後頭部を摩りながら起き上がる。
イヴに続いて辺りを見た。僕達は鬱蒼と茂る林の中にいる。
「此処は元の時代から5年前のキシリスク魔導王国です」
頭の中に声が響く。耳から聞き取れる言語は相変わらず意味不明だった。
華麗に地に降り立ったブルブルに、イヴが大声を出す。
「あーーー!ブルブル!心配させやがってー!」
「タタン様、あまり大きな声を出さないで下さい」
感極まったイヴがハグしようとしたが、ブルブルはスルリと身を翻した。尻尾にも触る事が出来ず、イヴがむくれる。
「一体どうしたよ?オレ何かしたぁ?音楽聴くのそんなに嫌だったのかぁ?……て、ブルブルの言ってる事分かるんだけど」
耳を押さえて困惑する彼は、どうやらブルブルと話をするのは初めてみたいだ。
僕はイヴに、先程彼女と話した内容を伝える。最初は信じてくれなかったけど、次第に沈黙して聞き入っていた。
「はぁ〜?それが本当なら…」
何者かの手の上で踊らされていた事になる。イヴも面白くないだろう。
唇を尖らせ「取り敢えず、話半分で頭に入れてはおくけどさぁ…」とブツブツ言いながら不服そうに顔を歪めている。
「でも何でキシリスクなんかに?」
僅かな嫌悪が滲んでいた。ずっと仲が悪かった国だから、いきなり彼らのせいじゃないって言われても心の整理が出来ないかもしれない。
「戦争の最大の発端は魔導列車の脱線です」
「あー!ソレ、絶対オレのせいじゃないから!【月】はオレの仕業だって言い張ってるけど、ぜぇったいオレやってねーからッ!アイツただの事故をオレのせいにしてさぁッ!」
飛び掛かりそうな勢いのイヴを『まぁまぁ』と後ろから羽交い締めにして制止する。
『列車の脱線事故を防げば、戦争は回避出来るって事かい?』
「そうです。キシリスク魔導王国、魔王ジュノ・セラフィム・ラブカはこの事故を切っ掛けにタタン国へ宣戦布告します」
「本当あの根暗はさぁ、話聞かねーんだもん」
お互い様な気もする。
イヴは両腕を頭の後ろに回す。頭に巻かれた布と装飾が擦れてチャリチャリ音を立てた。
「今日は事故の起こる3日前、猶予はありません」
3日と言う短い期間に、急に背筋が寒くなる。頸を化け物に触られているような緊張感に見舞われた。
「私は人目に触れられません。他の者が居る時は透明化してますが、必ずお2人に付いて行きます」
見た目の刺激が強すぎるもんね。彼女は全体的に青い体をしているが、所々筋肉の組織が見え隠れしている。
脳漿のような粘液にコーティングされてテラテラ光っていた。
「この時代で行動する上での注意事項ですが、列車の脱線を阻止する以外で目立つ行動は避けて下さい。誰かの記憶に強く残れば、その者の未来に影響が出る場合があります」
「何それムズくない?」
「そして、お2人は絶対に人を殺めない事。この2点を守り暗躍をお願いします」
『タイムスリップは便利な力だけど、守るルールが多いね』
あまりの難題に頬を掻いて作戦を練る。
一先ず目立つ行動は極力控えて、一般人に紛れて行動する事になった。イヴのタタン国の服は目立つからローブでも着てもらわなきゃ。
林の中で3人で輪を作り議論した。
「我々が接触し記憶に残るのが許されるのがただ1人居ます」
「お!誰誰ぇ?ソイツを使って列車を出発させなきゃ良いじゃん!」
「ジュノ・セラフィム・ラブカ様です」
「げぇえッ」
イヴが心底嫌な顔をする。まるで不意にゴキブリの集団を見つけた時の反応だ。(酷い…)
『ジュノは良いの?なんで?』
「彼は特異点だからです」
ブルブルが言うには、ジュノは時間遡行において稀有で特別な存在らしい。
彼女達が厳守せねばならないルールから逸脱していて、未来を変える事が許された一握りの人物なのだそうだ。
通常、ブルブル達が過去へ遡ると人々は決まった行動をしている。それがその人の過去だからだ。何度繰り返し試しても全く同じ選択をし道順を辿る。
しかし特異点のジュノの場合、その行動は定まっていない。その時の気分で服や小物も変わる。
特異点の彼の行動こそ、戦争の無い未来を切り開く可能性を秘めている人物。僕達と接触して事情を話しても問題ないらしい。
「我々が過去に飛んだ事により、元の時代の彼の記憶は掻き回されている筈です」
『掻き回す…、それってジュノの頭痛にも関係がある?』
「はい。特異点の彼の場合、過去に未来が順応しようとします。その過程で記憶が混濁し走馬灯のような現象に見舞われます」
近頃ジュノの頭痛が酷くなった原因が分かった気がする。(良くなると良いなぁ)
何にせよ、魔導列車を止める点でジュノの協力を得られたら凄く助かる。彼はキシリスクの魔王だし、列車を止めるなんて造作もないだろう。
『この時代のジュノに会ってみよう』
「5年前って言ったらヤツが魔王になったばかりの頃だな」
此処で問題が浮上した。
僕が魔王になったのは3年くらい前。
5年前のジュノは僕の事知らないじゃん。
不安が募る。面識のない人物の言う、突飛な話を信じてくれるだろうか。
『5年前のジュノは、イヴと以前会った事はある?』
僅かな可能性に賭けてみる。
「うーん、5年前かぁ…。確か近隣の国だからって挨拶がてら、父上とパーティーに顔出した時…ヤツらの信仰する神サマ馬鹿にして殺されそうになったなぁ」
『……』
ジュノに協力をお願いするのは思いの外、高難易度かもしれない。




