123話 甘え上手
僕が廊下を歩いていると、向こう側からリリスが歩いて来るのが見えた。
『やぁ、リリス』
「アルバ様…!」
後ろに書類を持つペトラさんも居る。
彼女は僕と目が合うと深々と一礼した。
「お体はもう大丈夫ですか?」
『うん。すっかり良くなったよ』
病気は完治してないから、暫くしたら胃が荒れてくると思うけども。心配するリリスに軽快に笑ってみせる。
すると頬を赤くして「ほ、本来であれば私がアルバ様に付きっきりでお世話したかったのですけど…。ふふ、それこそご入浴やお手洗いも付きっきりで」ともじもじした。
例の器具を見た今、冗談に聞こえない。意図せず頬が引き攣る。
するとペトラさんが困った顔で口を開いた。
「メイド達が何か無礼を働きましたか?」
『え?あ…』
無礼などとんでもない。彼女達は僕によく尽くしてくれた。ただ、それを受け入れる度胸が僕に無かっただけで。
メイドさん達に身の回りの全てを任せれば、僕はベッドから動かなくても快適に過ごせる。
その場合、人として大事な物も幾つか捨てる事になるが。
『僕が一人で考え事したかっただけだよ。ずっと部屋にいても退屈だったし。気にしなくて良いよってあの子達には伝えてあげて』
「畏まりました」
やっとペトラさんの表情が明るくなった。
「ニコは如何でしたか?王陛下の外出に同行すると、本人は張り切っていたのですが心配で…」
この前の遺跡調査、基、遠出の時の事かな。
『うん!とっても心強かったし、助かったよ』
「お役目の方は…」
お役目…?
『少しそそっかしいところもあったけど、全然平気。寧ろこの短期間で見違える程成長したね!』
ニコが水魔法の【夢幻】を習得していたのは驚いた。
メイドさんとして人のお世話はまだ壊滅的…いや、やや厳しいけど、ニコが居てくれて本当に助かった。彼女が付いて来てくれていなかったらまだファーゼストで途方に暮れているかもしれない。
見世物小屋に居た時よりコミュニケーションも取れるし、自分の意思をハッキリ示すようになった。
みるみる内に成長する彼女の頑張りは誉だ。まだ多少出来ない事があるとしても、非難する気は更々無い。
「合格点、と言う事ですね。良かったです」
『うん……?』
ペトラさんは安堵した様子で微笑んだ。
『それで2人はこんな所でどうしたの?』
この時間ならいつもは執務室に居るのに。
「それが…少し面倒な案件がありまして…」
『面倒な案件?』
「メルディンに対処するよう派遣しましたし、アルバ様の手を患わせる訳には参りません。この件は私に任せ、今はお体の為にも療養して下さい」
リリスは女神のような笑みを浮かべる。
僕は首を傾げながら2人に見送られた。
◆◇◆◇◆◇
王城の抜け道から城下に降りた僕は、行きつけの喫茶店に居た。周囲にバレないように認識阻害が付与された色眼鏡を掛けている。前髪で瞳の色ははっきり見えないだろうし、変装は完璧だ。
流動食生活になる前に、最後に胃袋を酷使する。甘い物は美味しいけど、荒れた胃にはカウンターパンチ同然だからだ。
ルトワの紅茶をちびちび舐めながら、ガトーショコラにフォークを入れる。
気持ち程度の生クリームにミントが添えてあって、ケーキの中がしっとりした自慢の一品。
この店でパンケーキと同等に人気があるデザートだ。
すると、店の一角が騒めいた。
今入って来たお客さんに注目が集まっている。
褐色の肌に黒いウェーブ掛かった髪。成端な顔をしたワイシャツにズボンとラフな格好をした青年と、腕一杯に紙袋を下げた山積みの箱を持った、逞しい感じの付き人。
彼らに女性客の視線が集っていた。
ガトーショコラを頬張る僕に陰が落ちる。
見上げればゴツい腕に紙袋を下げた男の人が、僕を見下ろしていた。彼の肌も褐色で、顔付きが険しい。
目が合えば因縁付けてくるゴロツキ?怖過ぎるんだけど。
僕はポメラニアンの如く体を丸めて震えていた。
褐色の青年が僕の向かいに腰を下ろす。
ボディーガードみたいな風格の付き人は通路側に立ったままだ。
『……』
僕は目を丸くして、青年を見つめた。
この褐色の肌に人懐っこい猫目、極め付けは口から覗く鮫みたいな並びの歯。
『まさかと思うけどイヴリースさん?』
「あっはっは!【鮮血】の旦那ぁ、久し振りだなぁ!」
身を乗り出して気軽に肩を叩かれる。
タタン国の正装を纏っていない彼に、記憶が混乱した。ジャラジャラした装飾も無ければ頭のターバンみたいな飾りもない。
ブルクハルトに溶け込んだ格好で違和感が無い。
「いやぁ〜、初めて来たけど良い国だなー」
気ままにショッピングを楽しんでいたイヴリースさんは、控えた部下に同意を求める。
靴を脱いでソファに胡座をかく彼に、色んな思いが巡った。(一体どうして…)
『ブルクハルトに何か用かい?』
「……。そんなの旦那に会いに来たに決まってるだろぉ?あーあ、やっぱり話を通してくれてなかった!旦那のトコの部下はぁー」
拗ねた口調で言って、僕が飲んでた紅茶を攫う。ゴクゴクと飲み下した後、ウエイトレスのお姉さんに同じ物を頼んでいた。
思い当たるのは、今朝リリスが言ってた面倒な案件。メルディンに処置を任せたらしいけど、どうなったのかな。
リリスの事だから病み上がりの僕に気を遣ってくれたのだろう。
『僕が取り込んでたから、気を遣ってくれたのかも。あまり責めないであげて』
「…ま、良いけどさぁ」
『それにしても、どうやってメルを説得したの?」
僕の疑問にイヴリースさんは鼻で笑った。目尻が下がり、口が左右に裂けた嫌な笑い方をする。
「説得ぅ?おいおい…」
彼が部下に視線を送ると、付き人は直立のまま下卑た笑いを漏らした。
「この俺がぁ、説得なんてちゃちな真似すると思ってるの?舐めた対応してくれた旦那の部下は、今頃詰所で冷たくなってるんじゃない?」
『… は…?』
目を見開いて、漸く彼の言葉の意味を理解できた。手先が冷たくなっていく感覚。
実感が沸かないが、突然壊された日常に徐々に頭が沸騰する。
バチリ、と僕達の頭上にあった照明用の鉱石が弾け飛んだ。
「やっべ!ごめん嘘ッ!嘘だから旦那!旦那の部下は生きてるし、そのうちケロッとした顔で戻ってくるからッ!」
立ち上がったイヴリースさんは慌てて僕を制止する。呆気に取られ『…どう言う事?』と尋ねると、彼は大きな溜め息を吐いて話し始めた。
早朝、部下と共にブルクハルトの国境を訪れた彼は、当然の如く竜騎士の屯所に送還された。
僕と話がしたいから、と入国を希望したらしい。
魔王の出現に困った竜騎士がリリスに連絡。リリスは僕の体調不良を気遣ってメルに対応するように指示。
僕に話があると言う彼を信用出来ないメルは頑なに入国を許さなかった。困ったイヴリースさんは最後の手段で固有スキルを使用しブルクハルトに堂々と入国したらしい。
『そりゃぁ、内容を話してくれないとメルも通せないんじゃ…』
「あの羊くん頭硬いよなぁー」
『…君の固有スキルは安全な力?人体への害や後遺症は?』
「疑り深いなぁ旦那は。オレの力は危害を加えようと思えば簡単にできるけど、オレは旦那と喧嘩しに来た訳じゃないしぃ?」
真実か訝る視線に、イヴリースさんは続ける。
「旦那の部下はオレを快く通しただけ。本人はオレと話した事すら覚えてないだろうけどさ」
優雅に紅茶で唇を濡らした彼は、固有スキルの詳細を告げるのは避けた。(人を意のままに操る力?)厄介だなぁ。
「なんなら通信石で話してみれば?」
片眉を上げるイヴリースさんは僕の腕輪を指す。
『いや、信じるよ』
彼が嘘を吐くメリットは少ない気がする。屯所で悲劇が起こったなら何か知らせが入っても良い頃だ。
僕がこうして何事も無くお茶を啜ってる現状こそ、彼の言葉の裏付けだろう。
「ははは、旦那の雰囲気が違うし、そりゃ影武者か何かだと思うじゃん?一瞬分からなかったし」
アルバくんとして取り繕うのを忘れていた。
彼は本当の僕か試す為に不穏な事を口にしたのか。(危ない)部下との阿吽の呼吸で、完全に騙された。
「でも…何も変わってねぇわ。挑発にはすぐ乗るし、覇気も殺気も鈍っちゃいない。アンタは紛れもなく【鮮血】の旦那だ」
アルバくん認定されてしまった。(厳密には違うんだけどなぁ)
『イヴリースさん、あのね…』
「さん?旦那とオレとの仲じゃん、気軽にイヴって呼んでくれて良いぜぇ?」
彼は目を瞑って優雅に紅茶を飲む。
イヴは僕を陥れようとか殺してしまおうとかの憎悪や悪意は感じられない。
元々アルバくん殺人の容疑者は魔王の中に本当に居るのか疑念を持ち始めていた。
事実を言って反応を見るのも有りかもしれない。
フェラーリオに話を吹き込んだ人は、少なくとも僕の記憶が無い事と変化を知っている。
『イヴ、非常に言いにくいのだけど、僕は魔王会議の少し前からそれ以前の記憶が無い』
「ブフ!」
タタン国の王様は盛大に紅茶を吹いた。
「ゲホ、だ、旦那ぁ…冗談は嫌いじゃなかったぁ?」
咽せる彼は部下に口を拭いてもらいながら、困ったような一笑を零す。(演技、とは思えないなぁ)
無言でニコニコする僕に、イヴの顔はどんどん青褪めていく。
「それが本当なら…、妙にフレンドリーな旦那も納得出来るけどさぁ」
『僕の変化をフレンドリーで片付けた魔王はイヴが初めてだよ』
ぶつぶつ言っていた彼は、僕の言葉にピタリと止まる。
「他の魔王はもう知ってるの?」
『うん。リリィお婆さん以外は知ってるね』
知ってる魔王を指折り数えてみると、リリィお婆さんとイヴ以外は皆知っている。
すると彼は口を結び、子供っぽい表情をした。背凭れに体重を預けて僕を恨めしそうに睨む。
「どーりで最近皆仲良いと思ったぁ!【琥珀】の旦那も【不滅】の旦那もブルクハルトに入り浸ってさぁ!オレが用があっても後回しだしぃ」
イーダはよく遊びに来てくれる。
ブルクハルトにしか流通してない本や魔術書を借りに来るし、反対に僕が聖王国の本を借りる事も屡々。
彼には恩があるからか、近頃はリリス達もイーダには甘いところがある。
オルハは例の客間の使い心地が良いらしく、仮眠をとるのに利用していた。(その時何故か僕が部屋に呼ばれる)
エニシャを連れてブルクハルト観光に来た事もある。
暇な時はククルと遊んでくれるし、何だかんだ言いながら面倒見が良い。
「【月】も旦那だけは特別扱いしてるしぃ、オレだけ仲間外れは良く無いぜぇ?寂しいじゃん!【暴虐】の旦那を殺してオレの序列を上げてくれたのは感謝してるけどさぁ」
駄々を捏ねて拗ねる子供みたいだ。あまりに素直なので母性本能が擽られる。
魔王会議で見ていたけど、イヴは甘え上手だったりする。晩餐会でも部下に世話を焼かれていた。
『分かったよ。イーダに、僕達が使ってる通信石をイヴにも渡せないか聞いてみる』
「そうこなくっちゃなぁ!」
はしゃいで喜ぶ彼に、僅かな疑念も無くなる。
アルバくんの件と彼は無関係っぽい。
僕は安心して『ところでイヴ、僕に話って何だい?』と話を進める事にした。
思い出したように目を開いた彼は机を叩く。
「それが聞いてくれよ旦那ぁッ!」
『な、なに?』
「旦那に貰ったティンダロスの猟犬が、行方不明になっちゃったんだよ!」
イヴの勢いに負けて仰反る。
えっと、ティンダロスの猟犬って、アルバくんがタタン国に献上した希少な魔物だったよね。
確かある事のお礼って言ってたような…。
「旦那に助言貰ってから国でも手を尽くしてたんだけどさぁ」
『助言?』
「やだなぁ、それも忘れちゃったの?発情期って言ってたじゃん」
助言じゃない。ただの独り言だ。
「発散させる為に環境を整えたり、番を探したり、穏やかな音楽を聴かせたり色々してみたんだけど、本当に突然!いなくなっちゃってさぁ。呼びかけてもまったく出てこないんだよね」
『え、あはは。それは大変だね』
猟犬の姿は四つん這いのエイリアンだ。
一般人が見たら腰を抜かす程に怖い見た目をしている。
「笑えないっての。それで旦那ぁ、ちょぉーっと力を貸して貰いたいんだけど」
『僕が…?』
「ブルブルの元飼い主じゃん!捕まえたのも旦那でしょ?」
『身に覚えがないんだってば…』
困った顔で笑うと、イヴは「旦那は旦那じゃん」と痛い所を突く。
「一緒にブルブルを探して欲しい!もしくは、ティンダロスをもう1匹捕まえてくれない?」
『げ』
エイリアンの見た目をしたおっかない魔物、僕に捕まえられる訳がない。彼らは肉食で普段はゴブリンとかを食べているそうだが、稀に人だって捕食する。
本で猟犬の挿絵を見たその日の夜、太い注射針みたいな舌を足首に巻かれ、食い殺される悪夢を見るくらい僕の中ではトラウマだ。
よく幼子に母親が「あまり聞き分けがないと、猟犬が来ちゃうわよ」と脅し文句に使う程、ティンダロスの猟犬はグロテスクな姿をしている。
『やだなぁ、イヴ。今の腰抜けの僕に捕まえられる筈がないでしょ』
当然の如く肩を竦める僕は、無常にも彼の頼みをやんわり断った。
しょんぼりするイヴには悪いけど、魔王の中で1番ひ弱だと自負している僕にブルブルは荷が重い。
「……旦那は昔の事覚えてないんだよねぇ?どしてオレにブルブルをくれたのかも…」
『!』
僕の反応にイヴは目を細める。そして悪巧みする顔になった。
「気になる?気になるよねぇ?ブルブルを見付けてくれたら、どうして旦那が魔大陸でもすっごい希少な魔物をオレにくれたのか教えてあげるけどぉ?」
褐色の肌の悪魔は囁く。
発情期などと口走ってしまった罪悪感と、アルバくんがリリスにも隠していた取り引きの内容、その好奇心に負けてゆっくりと頷いてしまった。




