11話 裏切り
夜になっても雷雨は止まない。
止むどころか強くなってる。
僕はベッドに寝そべりながら、カーテンの隙間から外が光るたびに目を瞑って耳を枕にくっ付けていた。早く夢の中に逃げてしまいたかったけど、そういう時に限って目が冴えてしまうのだ。
仕方無く、スリッパに足を引っ掛けて自室の外に出る。厨房で温かいミルクでも貰えたら気が紛れて良い。
(雷で寝れないって、小さい子供かな)自嘲して食堂方面に進むと、真っ暗な廊下で誰かが壁に凭れて寝ていた。
『誰だい?こんな所で寝てたら風邪引くけど…』
呼び掛けながら、肩に手をやり軽く揺する。反応はない。
『ねぇ、……ぇ、大丈夫かい?』
覗き込んだ時、稲妻が走り一瞬だが見えた。寝ている訳じゃない。瞳孔が開いている。
『…、ぁ』
手にヌルッとした感触がした。僕の瞳と同じ赤色。雷鳴が轟いて、何処かに落ちた。
誰かを探して城内を彷徨う。いつもなら夜に巡回してる警備兵を見つけてもおかしくないくらい歩いた。先程のとは別の死体を更に2人見つけた。(城の中はどうなってる?)
リリスや、シャル、ガルム、メル、ユーリは…メイドさん達や騎士の人達は無事なのだろうか?
足元がぐらぐらして、眩暈がする。
吐き気が込み上げ、気持ち悪くなってきた。
「おい!?アルバ様か?」
『その声、…ガルムかい?』
暗闇の中に浮かんで来た見知った顔に安堵する。
『どうしたんだい?何で、こんな…』
こんな事になってるの?
するとガルムは言い辛そうに顔を歪め、声を絞り出した。
「落ち着いて、聞けよ。あのな、ユリウスが…謀反を起こした」
『は?』
「理由は分からんが、警備兵を殺しやがった。薬でおかしくされた奴もいる」
ガルムが僕の両肩を持ってくれていなかったら、僕はその場に崩れていたかもしれない。
「アイツ…ずっと策を練ってやがったに違いねぇ。こんな準備してやがって…!」
『他の、皆は…?』
「皆仕事で外だよ!…チッ…俺とアイツしか居ねぇ。この日を狙ってやがったのかもしれねぇな」
皆生きてると知ってホッとした。しかし、事態は最悪のようだ。
「ちっと分が悪い…、俺とアイツは相性が悪いからな。準備万端で待ってやがったら、正直勝ち目は薄い」
ガルムの必死な様子が緊迫した現状を何より僕に教えてくれた。(こんな事になるなんてなぁ)
「アルバ様、あんまり気は進まねぇが…城の外の俺のヤサに来てくれねぇか?あそこなら落ち着いて作戦を立てれる。此処はアイツの手の中だ…1秒だって居たくねぇ。何されるか、分かったもんじゃねぇからな、あのマッドサイエンティスト」
マッドサイエンティストって、ユーリの事?そんな風には、見えなかったけど巧妙に隠されていたのかな。
襲撃に遭ってるのは事実だし、ガルムが守ってくれるなら大丈夫かなぁ。
「ぎゃあぁあああッ!!?」
突然の絶叫。
僕は暗闇の向こう側から只ならぬ空気を感じて其方を向いた。するとガルムが僕の腕を引っ張って、逆方向に疾走する。
「足を動かせっ!振り返るなッ!!」
『って、言われてもなぁ…っ』
縺れる脚を必死に動かすけど、殆どガルムに引かれる形で走った。しかし、彼は僕のスピードに焦れたのか、途中から僕を肩に担いで走り出す。
3階の窓を肘で突き破り、豪雨が城内に侵入する。その窓枠に手を掛けて、嘘だろ!?って思ってる間に飛び降りてしまった。
しかも人を担いでいるのに難なく着地し、そのまま全力で疾走する。僕は雨に濡れた遠去かる城を見上げて、その大き過ぎる全貌を初めて目にした。
(僕には大き過ぎるなぁ)それが正直な感想だった。
『ガルム、どっちに向かってるの!?』
「心配すんな!森を抜けたらヤサは近い!雨は俺達にとって味方だ!痕跡を消してくれるしな」
ガルムはユーリから逃げ切れる確信があるのか、ニィと口角を上げてみせる。ガルムが言うには城から西側には手入れされた広大な森が広がっていて、抜ければ彼の隠れ家あるようだ。
南の方角には海があって港街が栄えている。僕の部屋は南側だったから、よくその海を眺めていた。遠くの港街だと思っていたが、まさか王都の一部だったなんて。
『うわ、』
「落ちんなよ」
ガルムは一言言うとスピードを上げた。次第に景色が変わり、森の中になる。
『ガルム、重くない?僕も走るよ』
「あー?アルバ様に合わせてたら夜が明けるっての」
『ははは、全くその通りだけどさ』
生茂る木々を器用に避けて走るガルムは、そう言う動物みたいに筋肉がしなやかだ。森の中は葉っぱのお陰か少しだけ雨の勢いが弱まる。
『さむ…。ガルム裸で寒くないの?』
「アホか。自分の魔力でどーにかしろ」
魔力でどうにか出来たら苦労しないんだよなぁ。
『カイロが欲しいなぁ』
「あー?」
『ううん、こっちの話だよ』
僕はにっこり笑って、ガルムに返す。軽口を叩けるくらいだから、僕の心の傷は浅いかもしれない。寧ろ、こうなるって予感がしていた。(僕の悪い予感って当たるんだよな)
僕は力も魔力も、富も名声も嘘っぱちの塊だ。何一つ、本当の事なんてない。
ユーリはあの鋭い眼光で僕の浅い本質を一早く見抜いたのかもしれない。…分かって、いたんだ。
ただ、そう。あの場所が…、僕の居場所だと信じたかった。僕は其処に居ても良いのだと、居場所なのだと縋りたかった。(僕には何も無いから、)(この世界に、僕なんて居ないから)
すると、ガルムがスピードを緩めた。彼は崖をひょいひょいっと身軽に登って、僕を降ろしてくれる。スリッパのままだったので、雨で泥濘んだ地面に吸い付くような不思議な感触がした。
小高い丘のような場所だ。城はすっかり小さくなっていて、街を一望できる。丘にはそれ以外何もない。頂上に木が一本寂しく立ってるだけだ。
『ガルム?何かあるの?』
僕は木に手を当てて、崖から下を覗いた。森が広がるだけで特に何もない。振り返ってみると、そこへ居たガルムの顔は歪に歪んでいた。
「はは…はははっあーはっはっ!!」
愉快そうに、笑っている。
「はぁ、はぁ…くくく、ははッ」
お腹を抑え、涙を浮かべて。
「傑作だぁ!!面白ぇッ!!あの、【鮮血】が!この様かよぉ!?」
明らかに嘲罵を含んでいた。
『君だったんだね』
僕の泣きそうな声が雨に掻き消される。一頻り笑った後、ガルムは僕を睨み付け、その手から巨大な肉斬りナイフを出した。
刃物を僕の喉元に突き付け「うるっせぇんだよ腑抜けがぁッ!!」と唾を飛ばす。
「なんて様だよ【鮮血】ぅ、幹部の1人に騙されて、此処までコケにされて何で反撃しねぇんだ!?以前のお前なら、俺を嬲り殺しにしてるよなぁッ!?殺しだけがお前の安らぎだろうがよッ!?シリアルキラーッ!!」
『………』
「答えは簡単だ!お前は今までの記憶と一緒に、魔力まで失ったんだろぉ!?そのルビーアイは飾りかよッ!?はーっはっはぁ!」
良い線いってるね。正解に限りなく近い。
「そんなクソ弱ぇ魔王に俺様が何時迄も仕えると思ったのかよ!?力の無ぇ魔王なんざ、魔王じゃねぇのさ!俺がお前を殺して、その座を奪ってやるよッ!!」
『何で…』
僕は心底寂しそうな瞳で、そう呟いた。
『何でもっと早く言ってくれなかったのさ…』
「んだと!?」
『言ってくれたら、僕は君に魔王の座を譲ったのに…』
「ッッ!!ッテメーざけんなっ!!」
え?何で怒ってるの?
「譲られた王座に興味はねぇよッ!!奪ってこそ価値があるものだ…それを、…馬鹿にしやがって糞が!!」
馬鹿になんてしてないよ。本気で譲る気だったんだ。僕に王様なんて出来ないし、野心がある人の方が良いって。
それにしても、僕はガルムは気遣いが出来る優しい男だったと記憶してるんだけどなぁ。
『僕、いつも君に気遣って貰ってた気がするんだけど…演技かい?』
「ハッ…図書室での事言ってんのか?そんなモン、記憶が戻ってねーかの進捗確認だっての。力が戻ったんじゃ予定が狂うからな」
雨で目の前まで烟る。雨音が激しくて煩い。
髪からポタポタと滴が流れて来て、額に張り付く。
ガルムが後数センチ、鉈に似たナイフを動かすだけで僕は死ぬ。
「テメー、言い残す事はあるかよ」
『……』
言い残す事っていきなり言われてもなぁ。そんな事ばかりを考えてる訳じゃないし、そう直ぐに口を突いて出てくるものでもない。
「お前を殺した後、俺はあの城に戻る。俺に従う奴らは、今後も使ってやる。従わねぇ奴は、全員ぶっ殺してやる」
ガルムが、ナイフを持つ手に力を込める。(本気なんだね…)鋭利な血走った瞳が、突き刺さる。
彼に迷いはない。僕は――彼に殺される。
真っ黒い空に稲妻が走った。
『…言い残す事、かぁ』
「あん?」
『聞いてどうするの?』
「決まってるだろうが。リリアスはお前の腹心だろ。アイツは俺には絶対付かねぇ。ほっときゃぁ、お前の仇討ちに向こうから来やがるからな…。アイツとの真っ向勝負は骨が折れる。が…、お前がどんな言葉を最期に残したのか、あの女が聞かねぇ筈が無ぇ」
ガルムの口が左右に裂ける。嫌な笑い方だ。
「お前の最期の言葉が、あの女が聞く最期の言葉になる訳だ。きっと隙だらけだろうぜ。まぁ、オメーが何も言う事がねぇってんなら勝手に俺が考えてやるよ」
『うん…?』
「そうだな、“ガルム、殺さないでぇ!”なんてどうだよ王様!?“命だけは助けて!差し出せる物は何でも差し出すからぁ”ってか?くくくっあー…最高だろ!リリアス自身を差し出して逃げた、なんて言ったらアイツどんな顔すんのかねぇッ!?」
『………』
「傑作だろうがッ!そんな顔するんじゃねぇよ。凄んだって何も怖かねぇんだ。お前の力が無ぇのは分かってんだ」
え、そんな顔してた?僕が?
「それに…オメーはあの夜に死ぬ筈だっただろうが!」
『…!、』
あの夜…って。
『あれも、君?』
アルバ君の死因も君が関係しているのか。
「フン、俺はあの夜が1番殺りやすいって情報を流しただけさ」
『誰に?』
「言うかよ間抜けが。アイツ…失敗しやがってよぉ…。まぁ、いくら【鮮血】っつっても記憶も力も無くしちまったんじゃ、赤子を殺すようなもんだ。失敗してくれてラッキーだったぜ!」
にやにやと嘲笑うガルムは、舌舐めずりをした。
『………ガルム、さっきの話だけど』
「あぁ!?」
『僕は思いやりのある人になら魔王の座を譲っても良いと思ってる。今の話を聞いて、君に譲りたいか譲れないかって言ったら後者かな』
「挑発か?時間稼ぎか?あー、辞めとけよ無駄だからよぉ。城には本当にユリウスしか居ねぇし、アイツの足止めには成功してる。他の幹部は王都に居ねぇ。助けを期待してんなら、残念だが無駄なのさ」
『……それは勘違いだよ』
「、チッ!強がんじゃねーよひよこがよぉ!!」
『……僕は、自分でも驚くくらい不運な男でね』
僕はこの場所、この状況に相応しく無いくらい綺麗に優雅に、不敵に、怪異に、笑顔を作った。
「不運、だと?」
ガルムが眉を寄せたその瞬間、
ドゴオオオォオオオッ!!!!!
雷が、落ちた。




