108話 トラウマ
ビリードと名乗った男はドラゴンに視線を送り、また溜め息を吐く。
「はぁ…。せっかく取り付けた呪具を壊しちゃって…苦労したのに」
『この子に変なリングを嵌めたのは君?』
「ふぅ、そうだよ。特定の魔力を流すと壮絶な苦しみを与える呪具さ」
雷神龍くんがのたうっていたのはそう言う事か。
「テメーは何で帝国に居る?どうやって入った」
背筋も凍るオルハの冷たい声。
「はぁ、質問ばかりだね君達は。まぁ…答えてやらない事もないけど?各国にダチュラの構成員や協力者は大勢居るし、オレがその気になればお前達の城への侵入も簡単だよ」
「…フン、成る程な。で?雷神龍なんてクソッタレ持ち出してどうするつもりだったんよ」
顎で指された子ドラゴンはビリードに対し、身を逆立てて唸っていた。
オカッパの男は横目で「ふぅー、敵意剥き出し。ソイツはオレを覚えてるみたいだね」と肩を竦める。
『どうしてこんな事を…』
「はぁ、そのドラゴンに人への憎悪を植え付ける為さ。雷神龍のハグレを見付けたあの方は、直ぐオレに指示を出した。ソイツを荒れ狂う最強の雷神龍に育てて国を潰すように」
あの方…ダチュラのボスかな。
「…はぁ…まさかこんなに早くバレるなんてね。【不滅】の情報網を見縊ってたかな?雷神龍はまだ国を滅ぼせるだけの力はなさそうだし…失敗かぁ〜。オレが怒られちゃうんだけど」
「…テメーがボスに叱責される事はねェよ」
オルハから殺意が漏れ出て、ゾワリと産毛が立つ。
「此処でブチ殺すからなァッ!!」
こめかみに青筋を立てる彼が地面を蹴り、一瞬でビリードとの距離を詰める。
溜め息をする彼は闘牛士の如くヒラリと躱し、魔力を込めたオルハの拳が岩壁を抉った。
「ふぅ、怖い怖い。オレが直接やり合って2人の魔王を倒せる訳ないじゃん」
「じゃァ何で出て来やがったンだァ!?尻尾巻いて逃げれば良かったじゃねェか!んでテメーらのボスとやらに慰めてもらえよクソッタレ!」
「はぁ…雷神龍は回収しないと。今回は失敗したけど、次はもっと強力な呪具で縛って心を壊してやるさ」
子ドラゴンを物のように扱うビリードに嫌悪が湧く。
「はぁ…それに勝利ってのは、なにも戦わないと得られないものじゃない。オレは小心者でさぁ、勝機の見込みが無いと挑みたくない。あ、今回の勝利の定義ってドラゴンを回収出来るか出来ないかね」
「今のはまるで、俺に見逃して貰えるっつってるみてェだがなァ?そこの玉無しは兎も角、そんなちんけな魔力でこの俺に勝てンのかァ!?アァ!?」
もろチンピラのオルハに『そろそろ玉無しって呼ぶの止めて欲しいなぁ』と小さく反抗した。
ビリードの口元が弧を描く。細められた彼の双眸と視線が交わった瞬間、僕は奈落に落とされた。
◆◇◆◇◆◇
アルバラードの動きが突然止まった。オルハは怪訝そうに眉を上げ、「おい…?」と呼び掛ける。
ゆっくりと膝から崩れ落ちた白髪の青年は、目の焦点が合っていなかった。
「クソ、何しやがったテメー!?」
「ふぅ、オレの能力【最悪の思い出】さ。今頃記憶の中に眠る1番のトラウマと対面してる。ふふ、最高の能力でしょう?」
「嗚呼、最ッ高に悪趣味な能力だぜ!」
しかしアルバは記憶喪失だと言っていた。その彼にトラウマになり得る記憶があるとは思えない。
「記憶っていうのは脳が覚えている事だとは限らない。身体が覚えてるってよく言うでしょ?魂に刻まれている、とか。オレの力は忘れた過去さえも暴く。最悪の思い出を忘れていても関係ないのさ」
得意げにクツクツと笑う。
オルハは横目でアルバを窺うが、見開いたルビーアイには何も映っていない。ただ短く小刻みに息を吐いている。汗が滲んで、手が服を握り締めていた。
「はぁ…人の心配をしてて良いの?次は君だ」
ビリードの瞳に異質な光が籠る。オルハは反射的に目を逸らした。
「はは!賢いね【不滅】!そう、オレは相手の目を見る事で精神に作用する魔法を仕掛けるんだ。…でもホラ、目を瞑ってたらオレの攻撃を避けれないね?」
視界を閉ざしたオルハの鳩尾に強烈な【指弾】が入る。何とか踏み留まり気配を手繰って拳を振るが空振りだった。(コイツ…気配を消すのは上手ェ!)
「クッソ、ムカつく真似しやがって」
オルハの苛立ちに比例して魔力が膨れ上がる。橙色の魔力が螺旋状に浮遊し、彼を包んだ。
「ふぅ、凄い魔力。伊達に魔王を名乗ってる訳じゃないね。じゃぁ…」
ビリードの声が遠退いた気がする。まるで別方向を向いたみたいに。
「こっちの魔王を確実に潰してからにしようかな」
「な…ッ」
アルバが気掛かりになり思わず目を開けた。すると此方を見てニンマリしたビリードと視線が合う。(クソが!)
「さぁ、君に最高の思い出をプレゼントしてあげよう!」
虚空がオルハを包んだ。
◆◇◆◇◆◇
方向感覚が狂いそうになる、上も下も左右も無い空間。自身の体が闇に溶けてしまったように、実体が無い。
そこで感じたのは脳内を覗かれているような不躾な視線。それにひたすら不快感を感じていると、靄が掛かった視界が突然晴れた。
パロマ城の自室に、転移していた。
「は…?オカッパ野郎と、【鮮血】は…」
周囲を見回すが誰も居ない。
ゴブレットに入った冷水の氷がカランと音を立てた。(夢…か?どっちが?いや、)軽く混乱するほど、作り物にしては全てがリアルだ。
眉を顰めた時、急に胸が痛みだした。息を詰めてベッドに手を突く。ポタリと汗が落ちてシーツに染みを作った。
「はァ…はァ…!なん、だ?こりゃァ…」
皺一つ無かったシーツを掻き寄せて痛みに耐える。吐き気を覚えて咳き込むと、吐血していた。
そして唐突に、後方に人の気配がした。驚いて振り向くと、懐かしい人物が此方を見ている。
「テメー…クロード、か?」
「はい。オルハロネオ様…」
帝国でも珍しい鹿角の青年。彼が気にしていた鼻の頭の雀斑もそのままだ。随分昔、この手で殺した筈の男のままだ。
そこまで考えた時、クロードがオルハを突き飛ばした。
ベッドに沈んだオルハに馬乗りになり、首を締めてくる。先程までの従者の制服とは違い、服装が黒装束に変わっていた。
鳥の囀りは消え、夜風に吹かれてカーテンが波打つ。
「か…は、」
「嗚呼、貴方は…本当に」
まるであの時のようだ。
あの時オルハが侵入者に対処しきれていなければ、こんな未来もあったかもしれない。
喉に指が食い込む。圧迫されて、空気が満足に吸えない。
「ク、ソ…」
「復讐は楽しいですね。私は今、生きている事を心から実感出来ている」
月明かりに照らされたクロードはうっとりと語りだす。
「本気で私が貴方を友人だと思っていると?そんな訳がないでしょう、貴方はあの憎き皇帝の息子ですし」
穏やかな顔で淡々と、しかし手には異常なまでに力が篭っていた。
「私は貴方を一度だってそう思った事はありません。全てはあの男を苦しめる為の手段…。貴方は強大な力を持っている故に、本当は何も持っていない。空っぽなんです。嗚呼…なんて可哀想な人でしょう」
「ーーッ」
心の奥深くに押し込んだ笑い合った思い出さえも偽りだと突き付けられて全てを手放したくなる。
酸欠で今にも飛びそうな意識を繋ぎ止めたのは、他でもない大嫌いなアイツの声だった。
ーー…君を心配しちゃいけない?ーー
……うるせェよ。テメーに心配される程落ちぶれちゃいねェ。偉そうに生意気言いやがって。
ーー閉鎖的になってるじゃん!誰も受け入れようとしないし、ずっと人を疑ってばかりじゃないか!ーー
仕方ねェだろ。もう性格なんよ。
ーー周りの人に片っ端からモザイクかけてるような今の君の状態を見てると…腹が立つんだよ!ーー
モザイクって何だ。…なんで、俺の事でテメーがそんなにキレてンだよ。
ーー友達だと思ってるけど…ーー
俺はもうダチなんて要らねェ。
なんで、こんな時だけ目を逸らしやがらねェんだ。なんで、そんな顔すンだよ。
なんで、俺を、なんで、お前が…。
ーー誰を信じたら良いのか分からないなら、僕を信じてーー
「はは、本当に哀れな人ですね」
「ーー…。うっせェよ。黙れ亡霊が」
「!?」
「どうやら俺はお前の言うように、何も持ってない訳じゃなさそうだぜ」
そして世界が罅割れた。大きな音と共にオルハ以外の全てが砕けた。




