100話 朝食
窓から朝日が差し込み、鳥の囀りが聞こえる。
目が覚めたオルハロネオは眉間に皺を寄せながら、ゆっくり身を起こし、昨夜の事を思い出した。
「……」
(あの女は…)横を見るが、ジルの姿は無い。自分でもよく分からない喪失感に駆られる。
「、まァ…侍女と合流してりゃハッピーエンドだろ」
昨日彼女には色々と振り回されたが怒る気にはなれない。自嘲していると『何がハッピーなの?』とキッチンからジルが顔を出した。
「ッ!おま、まだ居やがったのか…!」
相変わらずオルハロネオのワイシャツを着ており、ズボンは履いてない。彼の言葉に対し『まだ居て悪かったね』と少しムッとしたように口を尖らせていた。
『君がぐっすり寝てたから起こすのも悪くて、そのまま居させて貰ったよ。おはよう』
「……テメーずっと居たのか?」
彼は信じられないと目を見張る。
『うん?一度外に出たけど、それ以外は此処に居たかな』
あり得ないと思った。(この俺が…人前で爆睡だと?)オルハロネオは用心深い男だ。睡眠中も微かな物音で目を覚ます。
神経質な彼は人前では熟睡どころか仮眠さえとれない体質だった。
昨夜は確かに違う意味で眠れなかったが、こんな筈では。
久し振りに深い眠りに就いていた気がする。
「嘘だろ?」
『何が?』
オルハロネオのただならぬ様子に、ジルは目を丸くした。
すると備え付けの魔導コンロで湯を沸かしていたらしく、ヤカンが噴くけたたましい音が聞こえてくる。
『やば、お湯が』
急いでキッチンに戻ったジルを緩慢な動きで追い掛けてダイニングキッチンの方へ行けば、温かな朝食が並んでいた。
脂ののった分厚いベーコンに目玉焼き、サラダのワンプレートとトースト。兎型に切られた林檎と、輪切りにされたバナナ、彼女の鮮やかな瞳の色に似た苺が乗ったフルーツ盛り。
『簡単な物だけどね。泊めて貰ったお礼』
此処に食材は一切置いてなかった筈だ。一度外に出たとは、朝食の食材を買いに行った為か。オルハロネオは頭の隅で、ちゃんとズボン履いて行ったのだろうなと怪しむ。
そもそも、何故彼女は料理が出来るのだろうか。普段は使用人に任せている筈だ。付け焼き刃にしては、バランスや彩りも考えられていて立派な献立だった。
『それじゃ頂こうか』
朝食は向かい合わせに2人分並んでいる。
「礼とか言いながらテメーも食うんだな」
半ば呆れながら椅子に腰掛けた。
『はは、お腹減っちゃったんだもん』
悪怯れる様子も無く両手を合わせるジル。食事をする前の独特な動作が目に止まった。
朝食を摂るなどいつ振りだろうか。城で出される食事より豪華とは言えないが、シンプルで此方の方がオルハロネオの好みに合う。
彼は用意されたシルバーで目玉焼きを切り分けベーコンと共に口に放った。脂が溶け出し、ベーコンの塩気と卵の甘みが良く合う。
嚥下した後、自らの致命的なミスに気付いた。(…毒を調べてねェ)城で出される食事も例外無く、彼は毒を検知する魔法アイテムを必ず使用する。
今も指に光っている指輪は、彼にとって無くてはならない物の筈だ。
『…?どしたの?この世の終わりみたいな顔してる』
オルハロネオは愕然とした。警戒心がないのはどっちだ。長きに渡る彼の習慣をたった今、覆した少女は『ん?』と小首を傾げる。
きっと、彼女も共に食事を摂ると言い出したせいで毒が盛られている可能性を無意識の内に却下したのだと言う事にしておく。(別に気を許したとかじゃねェ…)
『口に合うかい?』
「……不味くはねェよ」
『良かった』
本当は素直に美味しいと伝えたいが、ちんけなプライドが邪魔をする。
寝ている間も同じ空間に居たにも関わらず、敵と認識出来ず睡眠を続けた鈍った神経を叱咤したくなった。更に彼女が作った食事に対して毒の検知を怠るとは。
正直な所彼女を侮っている訳ではないが、その細腕でオルハロネオへ危害を加えるビジョンは全く浮かばない。
『買い物してて思ったのだけど、パロマの人は皆優しいね』
「あ?」
『市場に行ったら色んな人が沢山オマケしてくれたよ!』
キッチンの作業台には紙袋に溢れんばかりの野菜が入っている。恐らく買い物に来た彼女に少しでも良く思って貰おうと八百屋が奮発したのだろう。
後で確認したら食材保存庫の中にも果物や卵や肉が詰められていた。(これ誰が消費すると思ってんだコラ)
「……そりゃァ、良かったな…」
バターを塗ったトーストを齧り、密かに安堵の息を吐く。
昨日酷い扱いを受けて気を病んでいないか気になっていたが、この分だと問題なさそうだ。
逞しいのやら、そうでないのやら、よく分からないが見ていて飽きない。
「掃除したのか?」
『ちょっとだけね』
昨日確認した埃が無くなっている。
『物はあまり動かしてないよ。そう言うのオルハロネオ嫌がりそうだし』
彼女は何を思ってそう感じたのだろうか。全くその通りだが。
窓の外には昨日ジルが着ていた服が干され、風に靡いていた。
『久し振りのコーヒーは良いね。頭がさっぱりする。…よいしょ、君はどうする?』
マグカップを片手に立ち上がった彼女はオルハロネオに、コーヒーのおかわりの有無を聞く。
「頼む」と空になったカップを渡すと、頷いてキッチンのコーヒーサーバーの方へ向かった。
「…テメー…ズボンちゃんと履け」
『え?君脚長いからサイズ合わなくて裾を引き摺るんだもん』
「裾折ってやるからちゃんと履いとけ!」
『わ、分かったよ』
ワイシャツが大きくてワンピースみたいになっているが、白い太腿は露わになっていた。(目の毒だわ)どうして怒られるのか分かっていない彼女は、首を捻っている。
「テメーよくそんなんで今まで…」
襲われなかったもんだ、と言い掛けて止めた。昨日の今日、この話題は宜しくない。
彼女の兄の【鮮血】が俗世と切り離して囲っていたのだと思えば、ジルの様子にも納得がいく。彼の存在が絶対のブルクハルトで彼女に手を出すなど、自らの首を差し出す事と同義だ。
オルハロネオの前にコーヒーが入ったカップを置き、席に戻る。
『そだ、手当てしてくれて有り難うね』
「…嗚呼」
『僕、…オルハロネオの事凄く怖い人だって勘違いしてた。君って本当は良い人だね』
朝日の中で微笑む彼女に、心がギクリとする。思えば昨日から不整脈なのか心臓の調子が可笑しい。
それを誤魔化す為に話題を探した。
「、そう言やァ、侍女に連絡したのか?」
『うん。昨日遅くなるって言ったっきりだったから、凄く心配してた』
「……だろうな」
『お昼には宿屋に戻るって言っといたよ』
サラダのトマトにフォークを刺し「はァ?テメーあの宿屋に戻るのか?」と繰り返す。
『そりゃぁ、ユー…ユリが居るし…』
「宿変えろ。彼処は最低層の冒険者も泊まるからマナーが良いとは言えねェ。大通りに良い所は沢山ある」
『うーん…彼女の用事が終われば何処でも良いとは思うけど』
「…」
不機嫌そうに腕を組む。彼の尻尾が揺れる。
『そう言えば、今日またお城に行こうと思うんだ。昨日はエニシャとあまり話が出来なかったし』
「城ン中…いや、今パロマは慌ただしい。あんまウロウロするんじゃねェぞ」
『うん。そう言えば人の出入りが激しかったね。荷馬車も沢山入って来てたし…大規模なお祭りでもあるの?』
祭りと聞いてオルハロネオは失笑しつつ「…テメーが気にする事じゃねェよ」と席を立つ。
几帳面にシルバーを揃えて置かれた朝食は全て綺麗に平らげてあった。




