逃げないでね
管理局の船がシルフィード号を駐留している区域に到達するまでは、これから一日半はかかるという。
でも逃げないでね、とサマエルに言われても、どうやって宇宙船から逃げろというのか。
そして、逃げようという気も無ければ、怖い、という気も起きないのもなぜだろうか、と考えた。
私は脅えていたはずだ。
そう、たった二日前、目覚めたらエセルの背中だったあの時は、私はどうしようとぐるぐる考えていたではないか。
それなのに、今は怖くないのはどうしてか。
「現実感が無いからだわ。」
ズズン。
大きな重い音に船が揺れ、私は自分の足元がかなりぐらついて転んだ。
転んだ時に、サマエルが座っていた椅子の下に何かが落ちているのを発見し、それがサマエルのキーカードであったと気が付いた。
――これから何が起きるのか知った方が良いでしょう。
――逃げるんじゃないよ。
「おっけぃ。了解しました。とりあえず、逃げます。」
私はそのカードを素早く拾うと、部屋の扉へ向かい、扉の横のカードリーダーにそのカードを通した。
しゅっと扉は開き、私はそこを出て、出て、ええと、どこに行けばよい。
考える必要は無かった。
私の足元から床が消え、私は下へと落ちたのだ。
落ちながら、私を落とした真っ黒い穴には、エセルの刺青と同じ紋章が蛍光ブルーで光っていると驚き、そしてすぐに、私はその刺青の持ち主の腕の中にいた。
「エセル!」
もう、彼の首に両腕を絡めてぎゅうだ。
「う、うむ。」
少しテンションが落ちた私は彼の首から腕を解こうとしたが、今度は物凄く強い力で彼に抱き直された。
「お返しだ。」
「あら、首筋のチューはまだよ。」
彼は真っ赤になり、私は床に落とされた。
あう、視線に困るではないか。
左手の甲で目隠しをするような感じで彼の秘密を見ないように立ち上がろうとしたが、自分が裸でいることに何の感慨も持っていない男は私のその左手を掴むと私を引き起こし、そして手を繋いだままテクテクと先に歩き出した。
「いいの?裏切り者になってまで私を助けて。」
「仕方が無い。ドルイドはティターニア様を守るのが仕事だ。」
なんか、カチンときた。
物凄く自分が馬鹿にされた感じだった。
麻薬を見つけたのは俺が麻薬犬だからって言われた感じだ。
これって、仕事なのって。
私を匿うことが業務違反じゃなくて、彼的には就業規則の遵守でしかなかったということではないか!
私は彼の手を振り解こうと、振りほどけなかった。
なんてがっちりつかんでいるんだ!
「もう、放して!そして、聞いて!何よそのティターニアって。それって、私の名前?全然しっくりこないのですけど。」
「妖精の女王はティターニアだろ。」
「違う。私はそんな名前じゃないね。」
「俺がつけたミミの時はそんなこと言わなかった。」
「それはあなたが自分でつけてくれた名前だからよ!ティターニアなんか、あなたが考えた名前じゃないでしょう。」
彼はピタリと足を止めると、私を見下ろした。
物凄く爽やかにも見えるいい笑顔だ。
下半身が丸出しでなければ。
「で、どうしたのよ。」
「ミミは俺が好きなんだ。」
やばい、こいつはパンツと一緒に脳みそを捨てて来た男だった。