9月4日 望遠鏡お姫様もんだい ①
昨日の出来事は夢ではなかったらしい。
しばらく一人きりだった部室には、既に二人の女子が揃っていた。
「白鳥先輩、入部するんですか? ここ恋愛禁止ですよ」
「ええ。星に興味がない貴女と違って、私は天文部があるからこの高校を選んだの」
「ぐ……で、でも! 七夕の日に会ったのはわたしなんですからね!」
「本来は伝統的七夕、つまり旧暦の七夕が正しい。年度によって変化するけど、あの日は間違いなく七夕だった。つまり運命」
「そ、そんなの言いがりじゃないですか!」
廊下まで声が響いてくるため、非常に入りづらい。
シルエットで俺がいるのは見えているはずだが、いつまで言い合う気なのだろう。
いつまでも廊下に立っている訳にはいかない。
意を決して、昨日まで一人だったその部室に入る。
「二人ともよーっす」
「あ、先輩! よーっすです!」
「きたわ」
ノリが良い犬井ちゃんとは対照的に、白鳥さんのほうは軽く言葉を発するだけだ。
一人の空間もよかったが、他に部員がいるというのも……なんか、いいな。
「じゃあ、まずは二人とも仮入部ということで話をするぞ。まず、白鳥さんの天文知識はどれくらい?」
「知識だけなら本で取り入れているわ。けど実際の星空とはあまり一致しないのね」
「それは仕方ないさ。見る場所や方角によっても違ってくるからな」
観望会によくいるのが「この写真のような天体は見えますか?」と聞いてくるお客だ。
答えはイエスでもあり、ノーでもある。
写真集などに載る天体は加工済みが多いし、実物を見て落胆する人も多い。
観測する機材や環境によっても大きく違うので、全く同じには見えないことだろう。
「経験はないけど、知識はある。そんなところかしら」
「ありがと。犬井ちゃんは?」
「授業で習ったくらいですね。望遠鏡を使ってみたいです!」
犬井ちゃんの瞳は、部室にある望遠鏡を見てキラキラ輝いている。
よくみると白鳥さんも使いたそうにウズウズしているし、これは仮入部員を引き込むチャンスかもしれない。
「わかった。じゃ、今度観望会をしようか。もちろん、望遠鏡を使って」
その提案に、二人はすぐに頷いた。
まずは星空を見る楽しさを知ってもらうことが優先だしな。
そうと決まれば、二人に望遠鏡の使い方を覚えてもらう必要がある。
「全部俺がやってもいいけど、それじゃ楽しくないだろ?」
「ええ。一度使いたいと思っていたの。この鏡筒、意外と軽いわね」
まずは望遠鏡の組み立てから。
三脚、経緯台、赤道儀と種類があるが、女性が持つことを考えると経緯台一択だろう。
赤道儀は重すぎて、俺も四階からの距離を運びたくない。
「まず、この三脚のアシはこうして伸ばす」
「おおっ! 伸びましたよ! ここで固定するんですよね! ……あれ」
「アシの伸びが歪だな。まず寝かせて伸ばすとやりやすいぞ」
本当は水平器を使うのがベターだが、そこまで本格的じゃなくてもいいだろう。
望遠鏡は三つあるので、犬井ちゃんと白鳥さんはそれぞれの望遠鏡を組み立てていく。
「次に、この経緯台を載せる。重いから気をつけて」
「うっ……これ三脚よりも重そうね。鉄の塊だわ」
「しっかりしているからこそ、望遠鏡が安定するんだ」
重いといっても、三キロ程度だ。それくらいなら持ち運ぶ時も苦にならない。
経緯台を固定した後は、鏡筒を取り付ける。
「鏡筒が一番大事なモノだ。少しの高さから落としただけでも使いものにならなくなる。大事に抱えてくれよ?」
「あ、あの……どうやって持ったらいいのでしょう」
「そうだね。抱きかかえるようにじゃなく、両手で掬うようにかな。こんな風に、お姫様抱っこをする形でさ」
鏡筒を掴むのではなく、下から掬い抱える。
俺は口径130mmの反射式を抱えてみせると、そのまま三脚へと乗せてやる。
「こんな感じで。できそう?」
「鏡筒の大きさからして、わたしなら同じように……」
「お姫様抱っこ……あれが……」
「二人とも、どうかした?」
せっかく実演してみせたのに、ふたりとも心ここにあらずって感じだ。
……見てなかったからって、落とさないよな? 心配だ。
「じゃあ、一人ずつやってみよっか」
「え!? お姫様抱っこですか!?」
「っ! いいのかしら」
「あー、うん。お姫様抱っこをするように、だけどね。まずは犬井ちゃんから」
そう伝えると、犬井ちゃんは何を思ったのか鏡筒の横に寝転がった。
ぷるぷるとしながら腕と足をあげ、何かを待っているようだが……儀式?
「せ、先輩。よ、よろしくお願いします!」
「うん? もしかして持ち上げてほしいの?」
「はい。お姫様抱っこ、してくれるんですよね?」
俺がやってみようと言ったのを、抱っこすると勘違いしたのか?
鏡筒を持ってくれと言う意味で言ったのだが……。
少し困惑気味の俺に気づいたのか、犬井ちゃんも何かがおかしいと感じ始めたらしい。
「え、違いましたか?」
「ああ、うん。鏡筒を持ち上げてみてって意味だったんだけど」
犬井ちゃんは姿勢を崩さない。
けれど、ぷるぷる具合がひと目でわかるくらいに激しくなっていた。
「全く、恥ずかしい娘ね。お姫様抱っこをしてもらえるだなんて勘違いして」
「ちょ!? 白鳥先輩も期待してたじゃないですかぁ!」
白鳥さんは澄まし顔だが、その顔がほんのりと赤い。
そういや妹が言っていたな。お姫様抱っこは女の子の夢ですよ、と。
「あとで文句言うなよ。ほいっ」
「えっ、キャ! せ、先輩?」
有無を言わせず、準備万端だった犬井ちゃんを持ち上げる。
手のポジションで悩むが、持ち上げるために触ったのは許してほしい。
……夏服のせいか、ホックの位置がわかってしまったのは不可抗力だ。
「これでよかったかな?」
「は、はぃ……その、わたし。重くないですか?」
「全然。そこにある赤道儀より持ちやすいよ」
その言葉を聞いて犬井ちゃんは両手で顔を覆った。
赤道儀は十キロくらいなので、犬井ちゃんのほうが重いのだが。
ただし、持ちやすいのは間違っていない。犬井ちゃんは小柄だし、俺の両腕にすっぽりと収まる。
「降ろすよ?」
「い、いえ! もう少しこのまま! このままでお願いしますっ!」
「早く次の工程に進む。ダメ」
白鳥さんの指摘で気づいたが、そういや望遠鏡を組み立てている途中だったな。
犬井ちゃんが変な勘違いするから、つい脱線してしまった。
名残惜しむ犬井ちゃんをようやく降ろし、今度こそ鏡筒を――。
「……白鳥さん? 何を」
「次は私。さあ、どうぞ」
まるで鏡筒を押しのけるように、今度は白鳥さんが寝転がった。
これ同じようにしろってこと? 望遠鏡は?
「や、やっぱり白鳥先輩もじゃないですか! わたしだけ勘違い女とか言っておいて、自分も期待してたなんて!」
「うるさい。さあ、私を鏡筒だと思って?」
「ダメですよ先輩! はやく望遠鏡を組み立てましょう!」
犬井ちゃんにクイクイと引っ張られる。
持ち上げるべきか、放置するべきか。
白鳥さんの場合は……その。スタイルが良くて、色々と当たりそうなんだよな。あのきれいな顔で至近距離からみつめられたら、両手の感触も忘れられなくなりそうだ。
よし、ここは部長として決断しよう。
「ごめん。今は望遠鏡を組み立てようか」
「――――」
「ほら! 白鳥先輩は重いから無理ってことですよ! いつまで寝転がっているんですか、ほらほら」
「犬井ちゃんもこっち。それに白鳥さん相手だと、色々我慢できなくなりそうだからさ」
「――――」
「あっ」
言ってからしまった、と思った。
さっきは白鳥さんが絶句したが、今度は犬井ちゃんが絶句する番だったらしい。
「……せ、先輩の…………ばかぁー!!」
それだけ言い残し、犬井ちゃんは陸上部というのも納得の足ですぐさま走り去ってしまった。
やっちまったな……。
動揺していると、横になったまま放置された白鳥さんと目が合う。
「あの、持ち上げます?」
「…………せっかくの機会だけど、やめておくわ」
その日は気まずいまま、無言で部室を後にした。
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