9月3日 ③
誰かが言っていた。
このルール、さながら天の川のようだね、と。
理由としては至極真っ当で、夜の活動が多い天文部は悪い青春の温床になる恐れがあるから、とのこと。
このルールがあるからこそ、天文部に野外合宿や21時まで活動の許可が出たりするのだろう。
だいたいは5000円の支払いを見て去っていくのだが、甘酸っぱい青春目当ての学生は恋愛禁止を見て去っていく。
星を見るだけなら、たまに開催する観望会で事足りるしな。
二人は条件を見たまま言葉を発しない。
彼女たちが織姫を夢みているなら、残念ながら――。
「ねえ秋彦くん。この天文部の活動って、具体的には何をするの?」
最初に口を開いたのは白鳥さんだった。
今年の見学者は全員このボードを見て去っていったので少し驚く。
「ん? そうだな。夜までは課題や望遠鏡のメンテナンス。この学校、屋上は使えないから、夜になったら野外観測したりかな」
「観測といっても、望遠鏡を持ち出してまた戻ってくるの?」
いま部室に置いてある望遠鏡は三つだ。
口径80mmと120mmの屈折式、口径130mmの反射式という三種類。
あまり重くない鏡筒とはいえ、これを4階から持ち出して返却するのはそこそこ大変な作業でもある。
しかし、こいつらの出番はそう多くない。
「いいや、今年の観測は主にこっちだな」
「双眼鏡ですか? それで視えるんですか?」
犬井ちゃんの疑問は最もだろう。
しかし、手軽に星団を見るのに双眼鏡は適している。
「それが意外と視えるんだ。気になるならまず仮入部とかどうだ?」
白鳥さんは星に興味あるようだが、犬井ちゃんは全くの初心者だろう。
お金もかかるので、入部するかどうかは星を見てから決めても遅くない。
この二人は条件を見てもすぐには立ち去らなかった。
もしかしたら……という希望もあったかもしれない。
「ぜひお願いするわ」
「あっ! わたしが先にお願いしようと思ったんですよ! 先輩、わたしも仮入部したいです!」
手続きは特にいらない。あとはこれで、二人とも星を見る楽しさに目覚めてくれたら良いのだが。
もし仮に。
俺に恋愛感情を持ってくれていたとしたら。
この『部内恋愛禁止』というルールを見て立ち去らないわけがないだろう。
なぜならこの部活に、織姫と彦星がいてはならないのだから。
◇◇◇
「で、二人は仮入部員ということか」
「なりました! なば先生にはお世話になっているので!」
「私は星に興味があるから。前にいた場所じゃ、あまり星が見えなかった」
いつものように部室へきた春姉は、いきなり増えた二人の部員に驚きを隠せないようだった。
扉を開けたと思うとそのまま閉め、時間を置いてからまた現れる動揺っぷりを見せてくれたりもした。
何度確認しても、ここが部室で合ってますよ先生。
「そうか。あたしはてっきり、秋坊が無理やりに連れ込んだものと疑っていたが……二人は本当に仮入部希望なんだな」
「驚愕するのはわかるが、それは酷すぎだろう」
ハッハッハと笑う春姉は、単純に労働力が三倍になったとしか考えていなさそうだ。
春姉からも三つの条件は提示された。
彼女たちが仮部員のまま立ち去るのか、それとも入部するのかは、今日からの活動にかかっていることだろう。
「さて、あたしも顧問として補足するとだ。三つの条件について何か疑問に思わなかったか?」
「はい! 半年に5000円は高いと思います!」
犬井ちゃんの言うとおりだ。
半年に一回とはいえ、高校生に5000円の支払いは厳しい。
星をみたいだけのカジュアル勢ならば、迷わず双眼鏡を買いに行くことだろう。
「そうだろうな。ときに犬井、この部室に置いてある望遠鏡を見て、何を思った?」
「え? いろんな機器があってすごいなぁ……と」
「ああ。ここに置いてあるモノ。それこそ望遠鏡に限らず、全てに於いてレンタルが可能だ」
「な、なんだってー!」
ダン、と机を叩いて身を乗り出すリアクション。
犬井ちゃんノリ良いな。
春姉が言ったことは本当だ。
ここに置いてある備品は、天文部OB・OGの使わなくなった道具もある。
俺にはよくわからないが、大人というのはより性能を求めて、壊れてもいない道具を買い換えるモノらしい。
この前使ったシングルバーナーや、さっきお湯を沸かした電気ケトルも誰かの寄付品だ。
「これだけの機材が5000円で好きなだけレンタルできるんだ。もちろん、この紙に記入したら持ち帰りも自由! ただし返却はしてもらうが」
「入部するわ」
「釣られてんじゃねーよ」
今度は白鳥さんが食いつく。
彼女にとって望遠鏡や、未知のアウトドア用品は大変魅力的に映ったらしい。
……さっきから手に持った、そのクマのブランケットがほしいわけじゃないよな?
「そう考えると安いだろ? な」
「やすいです!」
「安いわ」
「おいおい……」
春姉は嘘を言っていない。
言っていないが、貸し出しをしても持ち帰りは厳禁だったはず。
いつからルールは変わったんだよ。
「納得してくれたか? 最後に『部内恋愛禁止』のルールだが」
「春姉、さりげなくスルーしたな」
「……ちっ」
この項目で立ち去る人はいないが、天文部が雑用係と言われる理由。
条件そのニ、生天目先生の手伝い、が抜けている。
これは平日に限らず、学校が休みの日も適応されるというオマケつきだ。
26歳独身にして、休日に予定がない理科教師の暇つぶし要員……なんて先輩たちは噂していたっけ。
なおその話をしてくれた先輩は、授業中ずっと指名されることになったとかなんとか。
まあ手伝いと言っても、半分は星見メインなので部活として楽しめるわけだが。
あとの半分は教師の仕事だったり、ただの荷物運びだったりする。
「というように、休日も駆り出される場合がある。それを許容できるのが天文部員になる条件だ」
「それって休日も先輩と一緒に――望むところですよ!」
「ええ。予定があれば断れるのよね? なら問題ないわ」
「聞いたか秋坊! 二人ともやる気だぞ!」
一番テンション高いのが、仕事を押し付ける人物という。
俺としてもこの前のコピーなんかが早く終わるようになるので、不満はないわけだが。
しかし、春姉が調子に乗って仕事をバンバン押し付けてきそうなのが怖い。
「で、最後に『部内恋愛禁止』だが、天文部は夜がメインだからな。どうしても雰囲気が出てしまう。あたしの前でイチャつくな。以上」
「えぇ……」
「――――」
「ぶっちゃけたな」
犬井ちゃんはドン引き。白鳥さんは絶句。
そして俺は、包み隠さない春姉の言い分にあきれ返る。
うん、まあ、あれだ。
建前上の理由はいくつかあるが、身も蓋もない言い方をすると春姉による僻みらしい。
おそらく春姉が恋人を見つけるまで、このルールは覆らないことだろう。
「一応いっておくが、あたしが顧問になる前からこのルールはあったからな? おい秋坊、その疑いの目はなんだ?」
「いーえ、何にも。じゃ、今日は初日だしこれで解散しようか。明日は方針を決めるから、同じ時間くらいに来てね」
「はーい」
「わかったわ」
俺たちは揃って席を立つ。
三人揃って春姉を置いていく様子は、天文部員が元から三人いたかのように錯覚するほど息がピッタリだった。