9月3日 ②
ガチガチになっている女の子と、いきなりの出来事に動けない俺たち。
上履きの色からして、今来た彼女は下級生だろう。
転校生ならわかるが、この時期になぜ下級生が?
まあ、疑問はあとでいい。
「ちょうどいいや。いま入部条件を説明するところだから、犬井さんも……え、犬井?」
「あ、はい! 犬井沙紀の妹です! 先輩のことはお姉ちゃんから聞いて、この天文部は一人だと……え、一人? じゃ、ない?」
犬井さん、もとい犬井妹の視線は白鳥さんに釘付けだ。
そんなに俺が一人じゃないことがおかしいか。
俺としても、白鳥さんの入部希望は驚いたけどさ。
「まあまあ。説明は今からだったから、とりあえず座って」
「あ、はい。失礼します。それでこちらの方は――」
「白鳥姫花。転校生」
実に簡潔な自己紹介だ。
白鳥さんはそれ以上話す気がないらしい。
犬井妹も困惑しながらも、席についてくれた。
「しかし犬井麻姫さん? だっけ。どうしてこの部活へ?」
一番気になるのはその理由だ。
この学校には、半年間部活に入る義務がある。
なのでこの時期に辞めるのは珍しくないが、入部条件が厳しいと噂される天文部を選ぶ理由がわからない。
クラスメイトの犬井とは、別段親しいわけでもないしな。
「覚えていませんか? わたし、先輩に助けられたんですよ」
「助けた? 君とは初対面のはずだけど」
「顔を合わせるのは初めてですね。けれどあの時の先輩は、わたしにとってヒーローでした」
思い当たる出来事はひとつ。
表向きは春姉が助けたことになっているが、俺はその女生徒と少しだけ言葉を交わした。
つまり春姉が言いふらさない限り、俺があの場所に居たと知る人物は一人しかいない。
「あのときの子が、犬井麻姫さん?」
「はい! その節はありがとうございました。先輩が気づいてくれなかったら、わたしは月曜まであの場所に……本当に助かりました!」
眩しい笑顔でニコっと微笑まれる。
犬井妹も、姉と同じで活発そうな印象を受ける。
違うのは茶色がかったショートヘアーと、その……体型だろう。
姉のほうは女性らしい体つきをしているのに対して、この妹は小学生でも通用しそうな見た目だ。
人懐っこい感じが、まさに子犬というイメージを与えてくる。
「あの……その。生天目先生は隠してくれましたけど、先輩は気を遣ってくれたんですよね? だってあの時――」
「あの時はごめんな。俺も妹が心配で、放置して帰るハメになって」
犬井妹はハッ、と真っ直ぐにこちらを見つめてくる。
あくまで俺は気づいていない。なので、その先を伝える必要もない。
だから犬井妹が恩を感じて入部する必要も、ない。
「……はい! わたしはぜんっぜん気にしてませんから! 先輩はお姉ちゃんと同じクラスですよね? なら、わたしのことは名前呼びか、ちゃんづけでお願いします!」
「あ、ああ」
なんというか、グイグイくるなこの子。
子犬ちゃん……は失礼なので、犬井ちゃんでいっか。
「わたし、七夕の日に先輩と会えたことで運命を感じたんです! 先輩の名前って秋彦と言いますよね? わたしが麻姫なので、まさに彦星と織姫って感じじゃないですか! だから――――」
「まてまてまて」
七夕で運命? 何じゃそりゃ。
しかも名前でって、こじつけにもほどがあるぞ。
どうどう、と犬井ちゃんを両手で制し、ひとつずつ整理する。
「まず、気づいたのは偶然だ。それにどうして俺だと? 春姉……生天目先生には口止めしておいたはずだが」
俺はヒーローなんて柄じゃない。
かつて妹も守れなかった俺に、そんな資格はない。
だから春姉には隠してもらっていたが……どうやって気づいた?
「はい! お姉ちゃんから天文部のことを聞いてすぐに! 先輩ったら、すぐに名乗り出てくれないんですもん。生天目先生に聞いても知らないの一点張りだし……探したんですからね!」
「いや、勝手に探されても困るだろ」
さきほど犬井さんが言っていたのは、間違いなくこの妹のことだろう。
天文部員が俺一人というのは有名だ。同時に、春姉の雑用係ということも。
土曜日に春姉と行動する生徒なんて、いまは探しても俺しかいない。
「だからって運命感じられても困るんだが。それに、名前に彦があるから彦星なんて、安直な運命を――」
「安直なんかじゃ、ない」
声のした方へ振り向けば、さっきから静かだった白鳥さんだった。
やばいな、犬井ちゃんが衝撃すぎてすっかり忘れていた。
視界に入っていなかったのは犬井ちゃんもだったらしく、思わぬフォローに疑問符を浮かべているようだ。
「私の名前も、姫花。旧暦である七夕の日に会ったのは貴方だったのね。このココアで確信したわ」
「え?」
「クマのブランケット、ここにもあるのね。可愛いわ」
そう言って白鳥さんは、近くにあったブランケットを手に取る。
間違いない。
絵柄こそ違うが、これはあの場にいた女性以外は知りえない情報だ。
「風邪は、大丈夫だったか?」
「おかげさまで。このココア、あの時と同じで優しい味だわ」
それ2個1セットで108円ですけど。
大切そうに飲んでくれている手前、何も言うまい。
そういや犬井ちゃんには何もなかったな。
「犬井ちゃんもココア飲む? アイスかホット、どっちがいい?」
「っ! はい、ください! ホットでいいです!」
元気いいな。
電気ケトルに残っていたお湯を、そのままカップに注いでやる。
余ったひとつは……後でくる春姉にでもあげよう。
ほい、と手渡すと、犬井ちゃんもふーふーしながらちびちびと飲み始める。
アイスがいいなら水で作ったのに。
「白鳥さ――」
「私もあの時……いえ、今日ここで運命を感じたわ。ねえ、秋彦くん? 私も姫花って言うの。私じゃ貴方の織姫になれないかしら?」
「ぶふーっ!」
……俺じゃないぞ?
横を見ると、犬井ちゃんがココアを霧状に飛ばしていた。
少ししか飲んでいなかったおかげか、ティッシュでカバーできる範囲で済んだが……貴女さんも運命を感じてしまったクチですか。
「あ、すみません先輩。じゃなくて! なんですかこの女は! 部員じゃないですよね!?」
「そう。転校生」
「まさか再会した幼馴染とかそういうわけですか! むかしこの周辺に住んで、先輩と仲良く遊んでいたとか!」
「違う。彼とは二週間前に初めて会った」
よかった。
これで過去に会っていたと言い出したら、自分の記憶を洗い出さないといけなかった。
「だったら――」
「ちょっと待ってくれ」
会話に割り込み、犬井ちゃんの暴走を停止させる。
ニ人の女子に一回関わっただけで好かれた、とは思い上がらないが、まだ入部の条件というものを伝えていない。
その条件がある限り、この部活に織姫も彦星も存在しない。
「星を楽しむだけなら入部しなくてもできる。まずは条件を聞いてから、入部するかどうか決めてくれ」
「それ、お姉ちゃんも教えてくれなかったけど、なんですか?」
「私も知りたい。さっきはこの子の乱入で聞けなかったから」
「ちょっと待ってくれ……たしかここに」
春姉が作った、新入部員撃退ボードが仕舞ってあったはずだ。
撃退したらダメなんだが、大体はこのボードを見て回れ右するんだよな。
お、あったあった。
「じゃ、これを見てくれ」
机の上に、条件がでかでかと書かれたソレを置く。
「何なに…………え? 先輩、マジですか?」
「マジだ」
「秋彦くん。さっきは条件を呑むって言ったけど、その……」
「ああ。この条件を許容できる者だけが、入部できるんだ」
二人が困惑するのも無理はない。
天文部に入るための、三つの条件。
半年に5000円の支払い。生天目先生の手伝い。
そして最後に『部内恋愛禁止』のルール。
この天文部に、織姫と彦星は――いない。