8月17日 伝統的七夕
今年は8月7日が伝統的七夕らしいです。
あの日以来、この時期になるといつも訪れる。
五年前までは母さんとたまに来ていた、あの場所へ。
家族三人で墓参りも終え、お盆も終わりに近づいた頃。
今日くらいまでペルセウス座流星群も見えることだろう。
最近は台風で天候が悪かったため、観測条件は最悪だった。
しかし、台風が去ったすぐ後は空気中の塵が少なく、星が綺麗だということもあり、今日は絶好の観測日和だった。
一人、母さんとの思い出の場所へ向かう。
春姉は俺たちに遠慮して来ないし、紗苗も5年前からあの場所へ近づくこともなくなった。
父さんは……ごく稀に来ているらしいけど。
家から歩いて30分ほど。
遠くもなく、近くもない位置にある山。
とくに名前もついていない山ではあるが、見晴らしの良い場所にある展望台はちょっとしたデートスポットだ。
俺の目的地はそこではないが、通りすがらに覗いてみると……やっぱりいるな。
今日はツーペアだが、他のカップルと一緒にいて気まずくならないものかね?
もう21時を過ぎているのにここにいるってことは、俺と同じで流星群目当てのカップルだろう。
いや、展望台は夜景がメインみたいなものなので、雰囲気を楽しんでいるだけかもしれない。
くだらないことを考えつつも山を登ろうとすると、展望台近くをウロウロとする一人の女性にふと気づいた。
彼氏でも待っているのだろうか?
それにしては、俺と同じでやけに大きな荷物を背負っているが。
関わる気はない。さっさと奥へ進もう。
一瞬だけその女性と目があったが、俺は目的地へ向けて迷わずに進んだ。
展望台からさらに奥へ。
10分ほど歩いた場所に俺の目的地はある。
母さんが言っていたな。ここは父さんとの思い出の場所なんだ、と。
獣道を歩いて、岩肌が見えるような斜面の近く。
木々が拓けて丘になっているここは絶好の観測スポットだ。
地元民なら知る人ぞ知る穴場だが、ここで知り合い以外の同世代と会ったことはない。
近くにはちょっとした崖なんかもあるので、この場所に近づく人は少ないのだろう。
俺は早速アルミマット、ブランケットなどの準備をして場所を作る。
今日は星を眺めるだけなので、用意するのはこれくらいだ。
「よし、今日も貸し切りだな……ん?」
俺が来た方向からザク、ザクと音が近づいてくる。
別に隠されている場所というわけでもないので不思議ではないが、この時間に人が訪れるなんて珍しいな。
やがてその音の持ち主が姿を現すと、それは先ほどの女性みたいなシルエットをしていた。
大きな荷物、服の色といい、さっきの女性で間違いなさそうだ。
暗闇なので、目線が合ったかどうかまではわからない。
しかし、女性はこちらに顔を向けたまま真っすぐと近づいてきた。
「……邪魔だった?」
「いえ、どうしてここへ?」
その声は、闇夜の森に透き通るような声だった。
顔まではよく見えないが、女性にしては長身でスタイルの整った格好をしている。
夏に合わせた薄手の服みたいで、夜の山には適さない格好だ。
大方、彼氏と待ち合わせでもして――。
「星を見に来たのだけど、展望台は近づけなくて」
「失礼ですが、ひとりでですか?」
「そう。ひとり」
女性は黙って空を見上げる。
この拓けた丘から見上げる夜空は、さぞ綺麗に映ったことだろう。
にしても、星を見に来たにしては服装が……いや、それは個人の自由だな。
いきなり来た女性から目を離せないでいると、彼女は空を見上げたまま言葉を発する。
「ここ、いい?」
「どうぞ。別に俺だけの場所ってわけでもないので」
確認だけされると、女性は少し離れた場所にレジャーシートを広げる。
真横ではないことに安堵したが、彼女もここで星を見るらしい。
別に貸し切りというわけでもないので、相伴することは構わない。
ただその、彼女の格好と荷物が気になるが。
今日は一人ではないといっても、星を見るのに言葉はいらない。
お互いに無言。
いうなれば場所を共にするだけの他人なので、それで気まずいということはないはずだ。
空を見上げる際は仰向けになったほうがいい。
そのまま数十分は星を見上げていただろうか。
ようやく本日最初の流れ星が確認できたところで、近くから「くちゅん!」と可愛い声が聞こえた。
「………………」
気にしないほうが良いと思っていても、視線は思わず吸い寄せられる。
彼女はレジャーシートの上で腕をさすっていたが、相変わらず星空に夢中だ。
俺と違って三角座りをしているのは、まさか寒いからか?
……ここで人に会うなんて滅多にないことだ。
これも何かの縁だろう。
ザックからシングルバーナーを準備し、マグに持参した水を入れる。
まずは容器を煮沸して、次に本命だ。
女性はいきなり火を使いだした俺に何か言いたそうだったが、ちらちらとこちらを窺うだけで何も言ってこない。
用意するのはカップコーヒー……いや、カップココアか。
ペアで1セットなのでちょうどいい。
沸騰した湯をカップに入れ、両手でカップを持って女性のもとへ。
「よろしければどうぞ」
「……いいの?」
「ええ。見るからに寒そうですけど、防寒具などは?」
「ないわ。夜の山って寒いのね」
女性はありがと、と言いながらカップを受け取ってくれる。
それを見て、俺も自分の分のココアを口にいれる。
ちょっと熱いが、いつも変わらない味だ。
「……美味しい」
「そりゃよかった。寒いなら防寒具も貸しましょうか?」
「え、でも……」
「いいですよ予備なんで。夜は冷えます。風邪でもひかれたら大変なので」
彼女が何か言う前に、ザックから予備のブランケットを背中にかけてやる。
やはり寒かったのだろう。
レジャーシートは地面の熱をそのまま伝えるため、一段と冷えたはずだ。
「ありがと。何から何まで」
「いえ。星を見るのは初めてですか?」
「違うわ。ただ、ふらっと立ち寄ったから」
こんな時間に何を……と聞きたいが、彼女は星を見に来た同志らしい。
星を見るのに言葉はいらない。
なんとなく横に並んだまま星空を見上げていたが、そろそろ離れようとしたタイミングで一筋の光が流れた。
「「あ……」」
二人同時に声を上げたことで、横にいた彼女と顔を合わせる。
相変わらず顔はよく見えなかったが、どちらからともなくフフッと笑みがこぼれた。
「ここなら見つけられそう……」
「え?」
「なんでもないわ。防寒具とココア、ありがとう」
彼女はここで撤退するらしい。
もうちょっといたらいいのに、とも思ったが、彼女にも彼女の都合があるのだろう。
「いえ、暗いのでお気をつけて。防寒具はそのまま差し上げますよ」
「え、そんな……」
「それドーナツ屋のおまけなんです。かわいいでしょ?」
デフォルメされたクマが描かれたブランケット。
俺が持つには似合わないが、紗苗が好きで何枚もあるんだよな。
おまけにしては軽量で保温効果も高いので、いざというときの予備として持ち歩いている。
彼女もその絵柄は気に入ってくれたらしい。
絵柄を見て、小さく微笑んだ気がした。
「ありがとう。大切にするわ」
「ええ。お気をつけて」
彼女はそのまま立ち去っていく。
流れ星は数個しか見つけられなかったが、同じ星空を誰かと共有できた経験は得難い。
その後、何日かここに訪れたが、彼女と出会うことはなかった。