9月8日 クールな織姫の期待 ②
ぬいぐるみを取ったのはいいが、これを抱えたまま星を見るわけにはいかない。
まずは当初の予定通り、俺の家に寄って望遠鏡を回収するついでに、ぬいぐるみも置いていくことにした。
「ここが秋彦くんの家なのね」
「ああ。ちょっと待ってくれ。説明しないと妹が持ってくから」
白鳥さんと同じく、妹である紗苗もこのクマは好きらしい。
プレゼントと思われるわけにはいかないので、ちょっとだけ置いていくことを説明する。
その後、すぐに望遠鏡を担いで家を出た。
「待たせたな。あのクマ、やっぱり妹も欲しがっていた」
「そう。もう片方なら譲ってもいいのだけど」
「あー……あれは妹も要らないってさ」
練習で取れたぬいぐるみは、決して不人気ではない。
不人気ではないのだが……作品を知らないと、愛着も湧かないのは妹も同じだったらしい。
今日は歩きなので、白鳥さんが鏡筒。俺が三脚と荷物は分担する。
家からなら歩いて30分かからないくらいだ。
「この町からでも、一等星は見えるのね」
「ああ。よほど都会じゃない限りは、だいたいな」
この時間、夜空に目立つのは夏の大三角。
先程プラネタリウムで学んだこともあり、すぐに見つけることが出来た。
「でも、や座というのは見えそうにないわ」
「ここからでも、がんばれば見えるけどな。ま、後の楽しみってことで」
一等星以外を、街明かりの多い場所で見つけることは難しい。
俺は説明することが増えたな、と思いながら二人で山へと歩く。
たどり着いたそこは、いつものように賑わっていた。
俺たちはここが目当てではないので、関係ないのだけど。
「今日も展望台は人気ね」
「だな。土曜日はこんなもんだろ」
今日はカップルが三組たむろしているようだ。
よく見れば、順番待ちも一組いるらしい。
こちらを見て、並ぶ? と聞かれたような気もしたが、軽く手を振って引き返す。
「? 道はあっちじゃないの」
「ああ。そっちを使うと、たまにカップルのオマケつきだ」
順番待ちがいる場合は、俺が行く方に何かあるのかとついてくる場合がある。
前はそれでもよかったが、今日は白鳥さんとの観望会だ。
できれば二人だけで、あの場所を独占したい。
「ふふ。私たちが出会った日を思い出すわね」
「だな。あの時白鳥さんがついてこなかったら、こうして来ることもなかったかも」
あの日以降、白鳥さんと会うことはなかった。
もう会わないと思っていた女性と、待ち合わせて同じ場所に行くというのは、何の因果だろう。
やがて、俺たちが流れ星を見た場所へとたどり着く。
「今日は大きめのアルミマットがあるぞ。あのとき寒かっただろ」
「ええ。レジャーシートって地面の熱で冷たくなるのね。あのときはお尻が濡れて大変だったわ」
地表には意外と熱を奪われる。夜になれば尚更だが、お尻か……。
まだ後ろをさすっている彼女は、今日は対策としてクッションを持参したらしい。
「けど、あの不気味なぬいぐるみがあれば不要だったかしら」
「ぬいぐるみを尻に敷くのはやめてやれ」
あれだって需要があるはずなんだぞ。多分。
軽く準備をし、まずはお湯を沸かして一服することに。
「望遠鏡は使わないのかしら?」
「ああ。雲で月が隠れただろう? できれば月が見えてからだな」
スコープ合わせというのは、基本的に空が明るい時間にやる。
それが無理なら、月などの明るい天体を目安としてだ。
昨日と違って時間もあるので、白鳥さんにはしっかりと説明したい。
「ほい。この前のココアと同じだから、味は保証する」
「ありがと……おいしいわ」
今日は白鳥さんも防寒具を持参したらしい。
しかしそれは、とっても見覚えのあるものだった。
「そのブランケット、使ってくれてるんだな」
「ええ。この場所に来る時はこれって決めていたの」
俺がここで白鳥さんにあげた物。
あの時は、お互いに顔もよく見えなかったんだっけか。
今も明かりは少ないが、部室で顔を合わせた相手だ。なんとなくどんな表情をしているかくらいは予想できる。
「おっ、月が出てきたぞ。早速合わせてみるか」
「ええ。お願いするわ」
組み立てた望遠鏡を使い、スコープを中心に持っていく。
「そう、ネジを締めて、十字線の中心にくるように動かすんだ。そうしたら、接眼レンズをのぞいて真ん中か確認して」
「……できたわ。確認お願い」
「よし。こっちは……よし。大丈夫だ」
俺がオッケーを出したことに、白鳥さんは肩の荷が下りたように安堵する。
この合わせがしっかりできていないと、目当ての天体を探すことは途端に難しくなる。
初心者相手なら基本に沿ったやり方のほうが確実だろう。
「見てみたい天体はある?」
「そうね。まずはや座を見てみたいわ」
「さっきのだね。いまなら……よし。見える範囲にあるけど、わかるか?」
「全部似たように見えるけど。たしか夏の大三角形の下よね。これかしら」
彼女が示すのは、天の川の下の方。わし座のアルタイルのやや上。
その位置なら、や座で間違いないだろう。
「うん、正解。肉眼でもなんとなくわかるだろ?」
「位置さえわかれば見えるわ。言われると矢に見えるわね」
山の上なら、暗闇に目が慣れた後にそれっぽいのが見えてくる。
いまならあれも見えるか?
「ちょうどいい。はくちょう座にぜひ見てほしい天体があるんだ」
「? 夏の大三角形の一つ。一等星のデネブかしら」
探すのに少し手間取ったが、無事に見つけることが出来た。
あとは高倍率に交換して、と。
「よし、準備ができた。のぞいてみてくれ」
「一体何を見せる気なの? …………――っ! こ、これ」
はくちょう座、くちばしの辺り。
夏の天体で特に人気なのが、このアルビレオだ。
橙と青の星が輝いている様子は、まるで宝石箱と比喩されるくらいに綺麗だ。
……いま思えば、犬井ちゃんにも見せてあげればよかったな。
「ごらんなさい。あれが名高いアルビレオの観測所です」
「ん? いきなりどうした」
「あれが、サファイアとトパーズの星なのね」
後で教えてもらったが、今のは銀河鉄道の夜に出てくる一文らしい。
白鳥さんは、俺がついて行けないのもお構いなしに言葉を続ける。
「どこまでもどこまでも一緒に行こう。カムパネルラ……秋彦くんは、私にとってのカムパネルラなの?」
「え?」
「……ごめんなさい。意味がわからなかったわよね。忘れて」
白鳥さんは、それ以降あまり喋らなかった。
忘れて、と言われてすぐに忘れることはできない。
それくらい、彼女の不可解な発言は印象に残った。
なんとなく、二人で星空を眺めて時間を過ごす。
そろそろ帰らないとまずいか。
「じゃ、帰ろうか。火星は見ないで良かったか?」
「ええ。最後に見たのは、アルビレオにしたいから」
「そっか」
その時は軽く流した。
あれほど綺麗な二重星だ。強く印象に残っているようで、こちらとしても準備したかいがある。
家に帰り、クマのぬいぐるみを手渡す。
白鳥さんの家は、ここから歩いて数分の場所にあるらしい。
「意外と近いんだな」
「ええ。だから送ってくれなくてもいいわ。それとも、私の家が知りたいのかしら?」
強行できなくもないが、防犯ブザーをちらつかされたら何も出来ない。
それも心配はいらないという、彼女なりの配慮なのだろう。
「わかった。けど、くれぐれも気をつけろよ? 一応、帰ったら連絡してくれ」
「心配性なのね。それくらいならいいわ」
白鳥さんは最後に、さっきのカムパネルラについて教えてくれた。
「銀河鉄道の夜。宮沢賢治よ。知ってる?」
「たしか教科書に載っていたな。さっきのはそれか」
幼い頃に読んだ記憶はあるが、すっかり忘れていた。
彼女はそれだけ確認し歩き去った。
何も言われなかったが、そんなの読めって言われたようなもんじゃないか。
白鳥さんからの連絡は、しばらくして俺が部屋に戻ったタイミングで届いた。
あの後、妹に借りて銀河鉄道の夜を読んだが。
俺が彼女にとってのカムパネルラなら、彼女はジョバンニなのだろうか?
もしそうだとしたら、白鳥さんは転校する前に……。
彼女はあの二重星に、いったい何を重ねたのだろう。
俺一人で悩んでも、答えが出るはずがなかった。
こちらは二分割ですが、文字数は同じくらいです。




